毎度毎度言ってますが、花粉症によって生産性下がりまくってる田中です。
生産性が下がるということはどこかでカバーせねばならないもので、寝不足続きでございます。笑
ツイッター(https://twitter.com/MeWh0)でヒーヒー言う取りますので、こちらもどうぞ一つよろしくお願いします。笑
さて、今日は”わかりやすさ”と”複雑さ”について、書いていきたいと思います。
上記でもお伝えしたツイッターで過去にこんなことをつぶやいておりました。
“わかりやすさ”はビジネス。
“複雑さ(深さ)”はアート。
覚えておくといいよ。
— 田中タカフミ | Yourmoon Inc.🌒 (@MeWh0) June 15, 2020
うん。
我ながら、なかなか深いこと言うてるな。と思いました。
これはね、すごく的確に表してると思います。
そして今回はこの”わかりやすさ”と”複雑さ”を「言葉」で表現した際の話をしたいと思います。
言葉と言うのは、シーンによって使い分けなければならないのです。
もちろん目上の方には敬語、友達にはタメ語。ってな具合にね。
でも、今回話そうとしているのは形式の話ではなく、中身の話です。
それではその言葉の中身について書いてみたいと思います。
目次
わかりやすさとは
ツイッターでは「”わかりやすさ”はビジネス」と書きましたが、実際には基本的に誰に対してもわかりやすく話すべきだと思うし、それができる人の方が頭がいいなと感じます。
私が考える頭がいいの定義のは周りくどく、言葉を並べることではなく、相手に合わせて最適な言葉を選び、相手にとって一番わかりやすい言葉で話すことだと思います。
万人に向けて話し、理解してもらわなきゃいけないのに自身の世界を伝えてる人を見ると勘違いしてるんだろうなー。(自身に酔っちゃってるんだろうなぁ)と感じます。←みなさんはこれにならないでね!笑
複雑さとは
その一方、“複雑さ”は自身の思うがままに言葉を紡いだ結果、誰しもに向けて”わかりやすい”言葉ではない(=複雑)という意味です。
ですので、誰かを理解させよう(受動)としなくて良いのです。理解していただく(能動)のです。
これこそがアート的な考えであり、哲学なのです。
まとめ
どんなシーンで、誰に、何を伝えるかによって言葉を巧みに操りましょう^^って話でした。
自分も講演会で話すこともあれば、企業のコピーやMVVを作ったり、アート作品を作ることもある。
それぞれにあった”自分の言葉(表現)”を持って、突き進みたいなと思います。
今後の田中の言動にもご注目お願いいたします。笑