こんにちは、ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんはルース・アサワというアーティストをご存知でしょうか。
アサワは、ワイヤーを使った抽象彫刻表現で知られる20世紀の芸術家です。南カリフォルニアで日系移民の両親のもとに生まれたアサワは、太平洋戦争を経験したのち、本格的に芸術活動を開始します。日本では馴染みのない彼女ですが、2020年にはアメリカの切手デザインにも採用されるほど有名なアーティストです。2013年の死後も、回顧展が開催されるほどアサワの作品は今もなお、多くの人に評価されています。
この記事では、日本で知られざる作家ルース・アサワの『人生』と『作品』を中心にご紹介します。
ルース・アサワとは?
ルース・アサワ基本情報
本名 | ルース・アサワ |
国籍/出身 | アメリカ合衆国カリフォルニア |
生年月日 | 1926年1月24日 |
分野/芸術動向 | 彫刻、抽象表現 |
学歴/出身大学など | ミルウォーキー州立教員養成大学、ブラック・マウンテン・カレッジ |
公式サイト/関連サイト | https://ruthasawa.com/ |
アサワの人生とアート
日系移民のもとに生まれ収容所へ
1926年1月24日にルース・アサワは、カリフォルニア州ノーウォークに、日系移民で農家の両親のもと、7兄弟の4番目として生まれます。アサワはのちに、農家で育った幼少期が彼女の作品のインスピレーションになったと何度も語っています。アサワが15歳のとき太平洋戦争が勃発、家族とともにアーカンソー州の2カ所の収容所で過ごしました。最初の収容所であるサンタ・アニタでアサワは、ウォルト・ディズニー・スタジオでアニメーターをしていた何人かの日系アメリカ人から、本格的に美術を学んだといいます。戦争中の1943年に、ボランティア団体の協力で、ミルウォーキー州立教員養成大学に入学しますが、反日思想が根強く、アサワは中退します。
戦争が終わり、1946年から1949年まで、ノースカロライナ州の芸術のリベラルアーツ大学であるブラック・マウンテン・カレッジで学びます。この大学は、モダンデザインの基礎を築いたドイツの有名なアート学校「バウハウス」を模倣した学校で、多くの著名なアーティストから表現を学ぶことができました。デザイナーのバックミンスター・フラー、バウハウス元教員で美術家のヨゼフ・アルバース、テキスタイルデザイナーのトルード・ガーモンプレなどから直接指導を受けたといいます。また在学中には、のちに生涯の伴侶となる建築家のアルバート・ラニアーと出会います。
初期制作と作品たち
大学生時代は、学生が運営する学内のランドリー施設で責任者を務めたアサワ。その施設で手に入れたベッドシーツに、施設で用いられていたスタンプを刻印をした、《Untitled (BMC.145, BMC Laundry Stamp)》という織物作品を制作します。学生時代についてアサワは、「貧しくて、良い紙や材料なんかではなく、周りにある葉っぱや石といったものをとにかく使ってた」と、振り返っています。
在学中の1947年、メキシコへの旅をします。旅行中には、カゴを織る技術を学び、アサワの代表的シリーズである、ワイヤーを織り込む唯一無二の彫刻を制作しはじめます。1950年代初頭には、サンフランシスコに移住し、ワイヤー彫刻の制作をつづけます。環状にワイヤーを織り、上から吊り下げ、浮いているような彫刻は現在でもアサワの代名詞的作品です。1955年の《Untitled》は、アワサの革新的な表現を示す作品のひとつです。これらのシリーズについてアサワはm「三次元空間を内包する線の一体感に興味があった」といいます。
ワイヤー彫刻からパブリックアートへ
さまざまな表現
彫刻以外にも、アサワは生涯を通して、さまざまな媒体を用いて表現を行なっていきました。《Desert Flower》は、自らのワイヤー彫刻を俯瞰したような作品です。幾重もの環の線が重なり合うこの作品は、1964年から1965年に制作した54つのリトグラフシリーズのひとつです。
サンフランシスコの「噴水の女性」
1963年から、アサワはパブリック・アートへと制作の対象を変えていきます。公立学校の子どもたちのため、アート教育を目的とした彫刻を制作することとなります。1968年には《Andrea》と名付けられた彫刻が、サンフランシスコのギラデリスクエア広場に設置されます。この作品は、サンフランシスコではよく知られ、アサワは地元で「噴水の女性」と呼ばれるようになります。2010年には、アサワの功績を讃え、公立芸術専門高等学校が「ルース・アサワ・サンフランシスコ・スクール・オブ・アーツ」と名付けられました。
その後も、ニューヨークのギャラリー、サンフランシスコ近代美術館などで個展を開き、ハイアットや日米強制収容所メモリアルのための彫刻を制作するなど、継続的に活動します。2013年、87歳のアサワは、慣れ親しんだサンフランシスコにて亡くなります。
2015年にクリスティーズ・ジャパンにて「ルース・アサワ展」が開催されたものの、本格的に日本では紹介されていないアサワ。しかし、アメリカを中心とする欧米で今もなお、愛され続けるアーティストです。
まとめ
いかかでしたでしょうか。
ワイヤー彫刻のほかに、さまざまな材料を用い、幅広い表現手法を身につけたアサワは、どんな材料でも方法でも、とにかく「つくる」こと、にこだわったアーティストです。
パブリックアートやアートによる教育にも尽力したアサワは、こんな言葉を残しています。
「アートによって、人はより良くなる。考えることにより長け、その者が取り組んでいることや、その役割のどんなことをも向上させる。アートは、人を広がりのある人にする。」
皆さんも実際にアサワの作品をご覧になってはいかがでしょうか。
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