こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんは日本美術についてどれくらいご存知ですか?
このメディアを見ている方は日本にお住まいの方が多いかと思いますが、自分の住んでいる国の文化とはいえ知らない方も多いのではないでしょうか。
美術史の評価や研究は西洋美術が中心的で、展示会でも西洋美術を目にすることが多いかもしれません。
近年では日本美術を取り上げた展示会も増えてきました。この機会に是非知らない知識をインプットしていきましょう。
本記事では美術初心者の方でもわかる日本美術の鑑賞ポイントについて解説します。
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日本美術って?
日本美術とは具体的に何を指すのでしょうか。
日本美術とひとくちに言っても様々なジャンルがありますが、本記事では主要な4つのジャンルに絞ってご紹介します。
一つ目は「仏教絵画」です。
日本美術は、日本の他の文化がそうであるように昔から東アジアの文化を取り入れてきました。
その一つに仏教の伝来があります。
6世紀頃に百済から伝来した仏教は、遣隋使や遣唐使による文化交換によって顕教、密教、浄土宗派と流行を変えながら長い間描かれてきました。
日本は支配的な宗教がなく、仏教の世界観に馴染みのない方も多いかもしれません。
そんな方でも分かりやすいように仏教絵画の見方についてもご紹介します。
二つ目は「水墨画」です。
日本美術と聞いて真っ先に水墨画を思い出す方も多いのではないでしょうか。
雪舟といった作家の名前と一緒に、歴史の教科書にも載っていたような気がしますね。
水と墨で描かれたモノクロームの世界観は、日本らしい侘び寂びを感じるという人もいるかもしれません。
そんな水墨画ですが、元を辿れば水墨画の基礎的な考え方である禅宗文化はインドの達磨大師という僧侶が興したものというのをご存知でしたか?
水墨画が日本らしさを獲得するのに一躍買ったのが、他ならぬ雪舟なのです。
三つ目は「やまと絵」です。
平安時代から長く描かれてきたジャンルで、日本独自の風景を描いたものを指し、中国から伝来したモチーフを描いた唐絵と区別されます。
特に横長の巻物に描いて時系列を表した絵巻物という技法は、四季の移ろいや鳥獣人物戯画に見られるアニメーション的表現など日本ならではの描き方が発達した一大ジャンルです。
桃山時代に勃興した城や屋敷の建築により、「屏風絵」「障子絵」などのジャンルも生まれました。
日本美術の中心的な宗派である狩野派と琳派が生まれたのも、このやまと絵というジャンルです。
四つ目は「浮世絵」です。
日本美術と聞いて水墨画に並んで思い浮かべる人が多いのが浮世絵ではないでしょうか。
やまと絵が平安時代の権力者に愛された一方で、浮世絵は町に生きる人々の姿を描いた風俗画を描いたのが浮世絵です。
もともとは江戸時代の前期に小説の挿絵として描かれたもので、時代と共に白黒(墨摺絵)からカラフル(色摺絵)なものへと発展していきました。
日常的なモチーフを、小さな画面に描いたことも市民に流行した一因でしょう。
その流行は国境を越えて西洋へ伝わり、ヨーロッパを中心にジャポニズムという美術運動が起こるほどの人気を博しました。
鑑賞ポイント1:日本の仏教絵画は「生」と「死」ばかり!
仏教には顕教と密教という二つの道筋があります。
顕教は実在した釈迦の人生を中心に教えを説くものです。
仏教の中心人物は、釈迦(本名はゴータマ・シッダールタ)というインドの王様の息子に生まれた王子です。
将来は家を継ぐなら王子に、出家するなら仏陀(悟りを開いた人)になると予言されて誕生した釈迦は少年時代に僧に出会い、出家をした先で山に籠り苦行をします。
その後、釈迦の悟りの道を邪魔する悪魔との戦いに打ち勝って成道(悟りの道を開くこと)を成し説法をして回ります。
最後はたくさんの弟子や動物に囲まれて死を迎え、繰り返す輪廻転生のくびきから解き放たれた涅槃を迎えます。
このような人生を送った釈迦が描かれるのが顕教的仏教の世界観です。
しかし、日本で描かれる仏教絵画は誕生のシーンと涅槃のシーンばかりで、苦行や成道といった場面はほとんど描かれませんでした。
これは仏教が外国から伝来した宗教ということを踏まえると、当時の日本人が「誰によって」「どう救われるのか」に注目した結果なのではないかと考えられます。
これまでになかった宗教を受容し、広めるために分かりやすさが求められたのではないでしょうか。
何を隠そう、顕教とは“顕らか”に分かりやすい“教え”という意味なのです。
ちなみに西洋美術の宗教画として描かれることが多いキリスト教にも、誕生(受胎告知)と死亡(キリストの磔刑)のシーンがあります。
これらの場面が画題として人気なのは日本の仏教絵画と同じですが、他のシーンも多く描かれていることを考えるとやはり日本の仏教絵画が特別「生」と「死」に注目していることが伺えます。
『仏涅槃図(14世紀頃)』。
釈迦の入滅に弟子や動物が集まってくる様子を描いた涅槃図。
五重塔や南蔵院、ワット・ポーなど涅槃の様子を模した大仏(寝仏)も多く見られます。
一方、密教は仏教に存在する超常的存在である大日如来を中心に宇宙や精神世界を擬人化(擬仏化?)して教えを視覚化したものです。
実在した釈迦の姿を描いた顕教の仏教絵画に対して、手が多かったり武器を持っているなどファンタジックな姿をしているのが密教の仏教絵画の特徴です。
キャラクター化された密教の教えをビジュアルに起こしたものが、曼荼羅です。
九つの会(場面のこと)に区切られた金剛界曼荼羅や、仏教で尊ばれる蓮の花を模した胆蔵界曼荼羅などさまざまな種類の曼荼羅があります。
仏教の教えを可視化した曼荼羅は、平安時代から鎌倉時代にかけて仏教の布教に大きく貢献しました。
初めは時の権力者が鑑賞していた仏教絵画でしたが、布教に伴って僧侶や信者、市民へと広がっていきました。
『一字金輪曼荼羅(18世紀頃)』。
重要文化財に指定されている仏教絵画のひとつである本作は、大日如来を中心に
「輪宝」「珠宝」「女宝」「馬宝」「象宝」「主蔵宝」「主兵宝」「仏眼仏母」
の七宝が取り囲んでいます。大日如来の下の獅子はふつう七頭描かれるのですが本作は八頭描かれており、比較的新しい鎌倉時代に描かれた新図様ではないかと考えられています。
鑑賞ポイント2:水墨画は「絵の修行」ではなく「修行の絵」!
鎌倉時代の初期、宋に渡った天台宗の僧侶、栄西(えいさい)と道元(どうげん)の帰国によって臨済宗と曹洞宗が日本に伝わります。
その後の1246年に宋から禅宗の僧侶 蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)らが来日し、インドの達磨大師が興した禅宗の文化がもたらされました。
鎌倉時代後期に日本にもたらされた禅宗文化は、修行を通して思惟(考え深めること)し、悟りに至ることが目的でした。
修行の一環として行われたことのひとつが水墨画です。
その名の通り水と墨だけで描かれた水墨画は、墨の濃淡と筆の運びでモチーフを表現する高度な技術を求められました。
そのため修行のために描いていた僧侶たちから専門画家が生まれ、室町時代には多くの作品が出回り隆盛を迎えました。
初期の水墨画は
教えにまつわる人物を描いた「道釈画」
禅にいたるための教えを表した「禅機図」
漢詩を絵と共に載せた「詩画軸」
などのジャンルが誕生します。
絵に描かれた仏教のモチーフや、漢詩の意味を知っておくことは難しいかもしれませんが、絵を描いた人がどのような学びや目標を持って絵を描いたのかを想像してみると楽しめることでしょう。
十五世紀頃、この中の詩画軸から絵だけが独立した山水画というジャンルが生まれました。
その中に現れたのがみなさんご存知の雪舟です。
室町時代に活躍した禅僧であり画家である雪舟は、わずか10歳前後で京都の相国寺に入門。その後に明(中国)に渡り画法を学びます。
雪舟が日本画壇に与えた影響は非常に大きく、死後には「画聖」として名を残すことになります。
雪舟作『山水図』。
横長の画面に片方に寄せた構図や、細かく描かれた人々と建物の生活感と大自然との対比など、
現在の絵の描き方に通じる技法は雪舟が中国で学び日本に広めたといっても過言ではないかもしれません。
鑑賞ポイント4:受け継がれてきた画派の魂に注目!
平安時代、中国から渡った唐絵を国風化する流れにともなって生まれたのがやまと絵です。
日本ならではのモチーフや四季折々の風景を描き、伝統を継承する役割を果たしました。
やまと絵には描かれるモチーフによって
月次絵(年中行事を描いた風俗画)
四季絵(四季折々の風景や和歌を描いた風景画)
名所絵(名所とされる風景や和歌に登場する場所を描いた絵)
などのジャンルに分かれます。
やまと絵の設立による影響の一つに、派閥の誕生があります。
本来は僧侶が修行や布教のために描いていた仏教絵画から風景画だけが分かれたことで、絵を描く人の数が増え、絵師のヒエラルキーと派閥が誕生します。
はじめに現れたのは室町時代、朝廷に絵画を進呈する工房である「絵所預」を運営していた土佐光信を開祖とする土佐派でした。
平安時代から室町時代までの間、やまと絵が下火となり土佐派はその復興を目指して活動していました。
その後、安土桃山時代になり武士が力を持ったことで城郭が次々と建設されるようになります。
そのため、城の中の障子や屏風を飾る障屏画が発達しました。
土佐派に代わって台頭したのが狩野正信、狩野元信を開祖とする狩野派でした。
狩野永徳が織田信長や徳川秀吉といった時の権力者の城郭に絵画装飾を献呈したことで、出世を果たした狩野派は日本画最大の画派となりました。
土佐派などが担っていた初期のやまと絵は、水墨画に倣った手法を用いていましたが、担い手が狩野派に移り変わってからは城郭装飾に合わせて技法を使い分けられました。
色彩豊かで装飾的なやまと絵は人気を博し、狩野派の勢力はなんと明治時代まで続きます。
狩野永徳作『洛中洛外図屏風』。
大規模な画面と金銀の箔をふんだんに使った装飾的な表現方法が人気を博しました。
城下町を一望するような構図も好まれました。
江戸時代初期、豊臣秀吉が大阪に政治の中心を置いたため、関西が天皇、公家、町衆が集まる文化の都になりました。
カルチャーブームの中、俵屋宗達という絵師が現れます。
俵屋宗達は、書画や陶芸で名をあげることになる本阿弥光悦と共に琳派という画派を立ち上げ、かつての雅な都を甦らせるためのルネサンスが起こります。
琳派は土佐派や狩野派のように家系のつながりはなく、師弟関係がむすばれているわけでもありません。
直接習うのではなく、先達の作品を意識的に手法を真似ることで様式を受け継いでいきました。
狩野派は長い歴史を持っていましたが、それだけにマンネリ化を危ぶみ破門される者も多くいました。
反面、琳派は作家に惚れ込んだ人々が自由に模倣することを許したため、俵屋宗達が興した琳派のエッセンスを守りつつ、多様で新しい表現方法が発達していきました。
琳派を中心に生まれた表現方法は日本近代絵画に多大な影響を与えました。
俵屋宗達に影響を受けた尾形光琳が私淑(直接習わずに作品に学ぶこと)し琳派を大成させたとされ、さらに尾形光琳に学んだ酒井抱一が登場し、江戸時代後期まで活躍を続けます。
尾形光琳作『八橋図屏風』。
全面金箔が貼られた圧巻の存在感を放つ代表作のひとつ。
青のカキツバタは尾形光琳が度々描いている象徴的なモチーフです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
近年、日本絵画の展示会も多く開催される日本絵画ブームが起きています。
ジャンルは仏教絵画から現代アートまで様々ですが西洋絵画ほど見慣れているわけでもなく、なんとなく鑑賞へのハードルが高いと感じるかもしれません。
しかし現在の日本絵画に大きな影響を残している日本近代美術史を知ることで、西洋絵画との違いやアニメやゲームなどのサブカルチャーとの関連性まで知ることができるでしょう。
おすすめ書籍
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知識ゼロからの日本絵画入門
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図解 日本の絵画
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驚くべき日本美術
美術史家・山下裕二氏とライター・橋本麻里氏の対談を中心に、語り口や例示は平易で読みやすく、専門家による奥深い知識を身につけることができる本です。本記事で取り扱った近代までの日本美術から先の現代アートと呼ばれる領域まで足を伸ばしており、読み応えたっぷりです。
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