【徹底解説】カール・ラーションとは?その人生と作品を追う

カリンとケルスティ

こんにちは、ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんはカール・ラーションという画家をご存じでしょうか?

カールは、幸せな幼少期を送ることができなかった経験からか、明るく幸せな家族の生活をテーマに作品を作り続けた19世紀後半から20世紀前半の水彩画の画家です。

また、ウィリアム・モリスが主導したアーツ・アンド・クラフツ運動を象徴する人物ともいわれており、この運動は後の「アール・ヌーヴォー」や「ウィーン分離派」などの美術運動に影響を与えたと言われています。

今回はそんなカール・ラーションの人生と作品をご紹介させていただきます!

カール・ラーションってどんな人?

Carl Larsson 自画像 – 1895

基本情報

本名 カール・オロフ・ラーション (Carl Olof Larsson)
生年月日 1853年5月28日
出身 スウェーデン ストックホルム
学歴 スウェーデン王立美術院
分野/芸術動向 アールヌーヴォー

人生と作品

生まれと環境

カールは1853年5月28日に、スウェーデンの首都であり、最大の都市であるストックホルムのガムラスタン地区にて、貧しい家庭に生まれました。

母親は低賃金かつ長時間労働で富裕層の洗濯を引き受ける「洗濯婦」として、家族を養うために働いていました。

一方、カールの父親は非正規労働者として働いていましたが、貧乏な生活を送る中でアルコールに依存し、日常的に母親、カール、そして兄であるチャールズに暴力を振るっていました。

父親を怒らせ、暴力を振るわれることを恐れていたカールは、ある日父親が酒に酔って叫んだ「お前が生まれた日を呪ってやる!」という言葉をずっと覚えていたと言います。

カールには弟のヨハンもいましたが、幼少期に亡くなってしまい、兄のチャールズはうつ病を患ってしまいます。

カールは絵を描くことによって、この残酷な現実から逃避し、癒しを求めていました。

そしてカールは後に、この悲惨な子供時代を「この世の地獄」と呼びます。

スウェーデン王立美術院に入学

カールが画家となるきっかけを与えてくれたのは彼の高校の美術教師、「ヤコブソン」でした。

ヤコブソンは、カールの芸術の才能を見抜き、スキルを伸ばす必要性をカールの両親に伝え、スウェーデン王立美術院の予科に入学するのを手助けしてくれました。

酷い子供時代を経験してきたカールは内向的で恥ずかしがり屋な性格から、最初の数年間は苦労しました。

しかし、16歳の時、同美術院内の「アンティーク・スクール」というコースに進級すると、美術院の教師はカールの優れた芸術の才能を評価し、それによってカールは自信を持てるようになりコース内でリーダーにまでなりました。

カールは美術院に通っている間学費と生活費を稼ぐために、ユーモア紙「Kasper」の風刺画家、そして新聞「Ny Illustrerad Tidning」のグラフィックアーティストとして働いており、当時のカールの年収は家族を支えるのに十分なほどだったようです。

Ny Illustrerad Tidning
Ny Illustrerad Tidning, 9月8日 1877年

1865年から1900年まで土曜日に発行されていたスウェーデンの週刊紙。

内容としては、伝記、短編小説、詩、歴史的・文化的記述、科学・古代・文学史に関するエッセイ、政治的概観、演劇・音楽・文学評・音楽作品など幅広い分野で構成されていた。

引用: https://sv.wikipedia.org/wiki/Ny_Illustrerad_Tidning

グレ、リトル・ヒュットネスでの家族生活

1877年にパリに移ったカールは、根気強く絵を描き続けていましたが、18世紀に始まった美術展覧会「サロン・ド・パリ」の審査員に彼の作った大作の展示を拒否されてしまいました。

サロン・ド・パリ

サロン・ド・パリは、フランスの王立絵画彫刻アカデミーが18世紀にパリで開催するようになった公式美術展覧会。

1881年以降は、フランス芸術家協会が開催する民間のサロンに引き継がれた。

引用: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%AA

この時期、フランスでは印象派と言われる画家たちが現れ始めていましたが、ほかのスウェーデン画家たちと同じくカールはあまり関心を示さず、接触しようとはしませんでした。

挫折してしまったカールは、パリ郊外の北欧人画家たちが集まる「グレ=シュル=ロワン村」に居を移します。

グレには北欧人画家の他に、イギリス、アメリカ、ノルウェー、日本など様々な国籍の画家がおり、異国の文化を吸収することで、カールは色彩豊かで明るい独自のスタイルを確立することができました。

カリン・ベルグー

また、カールはグレで開催されたダンスパーティーで後に妻となる画家のカリン・ベルグーと出会い、1883年にストックホルムで結婚し翌年の1884年にグレに戻ります。

同年、カールとカリンの間に娘のスザンヌが誕生します。

カリンとスザンヌ – 1885

カリンとの結婚とスザンヌの誕生はカールが家族生活をテーマに作品を作り始めるきっかけとなり、自分が経験できなかった幼少期の楽しい生活を、子供に存分に楽しんでほしいという気持ちが作品からとても伝わってきます。

カール家はスザンヌの他にウルフ、ポントス、リスベット、ブリタ、マッツ、ケルスティ、エスビョルンの計8人の子供を授かることになり、「宿題をするエスビョルン」など当たり前の日常を切り取った絵画を数多く制作し、可愛らしい子供たちの成長も見て取ることができます。

宿題をするエスビョルン

幸せな生活の中でカール家は1888年にカリンの父である「アドルフ・ベルグー」から「リトル・ヒュットネス」という小さな家を譲り受けます。

カールとカリンはこの家を自分たちの芸術的センスと子供たちの要望に合わせて装飾したり、家具を揃えたりしました。

カリンがデザインしたロッキングチェア

この「リトル・ヒュットネス」という家は、カールの絵画や本を通じて有名になっていき、「世界で最も有名な芸術家の家のひとつ」になり、カールの絵画に描かれるインテリアなどはカリンがデザインしており、スカンジナビアスタイル(北欧スタイル)の起源となったと言われています。

作品の特徴

カールの作品は、どれも明るくそして温かく、幸福感あふれているのが特徴で、妻のカリンは美しく、子供たちは可愛らしく描かれています。

自分が幼少期に得ることができなかった愛と幸福を取り戻すかのように、とても楽しそうな日常を送っていたようです。

見ていてとてもほのぼのする作品が多く、世界中で愛されているのがよくわかる画風となっています。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は明るい家族生活の様子を描き続けた19世紀の画家、カール・ラーションについてご紹介させていただきました!

色彩豊かで明るく、幸せで温かい雰囲気が伝わってくるものが多い彼の作品は、今もなお世界中で愛されています。

カール・ラーションについて、興味を持った方はさらに調べてみてはいかがでしょうか?



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