【徹底解説】ジョージア・オキーフってどんな人?その人生と作品を追う

《Ram's Head White Hollyhock and Little Hills》、wikipedia、wikidpedia.org

こんにちは、ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんはジョージア・オキーフというアーティストをご存知でしょうか。

オキーフは、アメリカのモダニズムを牽引した20世紀の重要作家のひとりです。花々や動物の骨などの自然物から、ニューヨークの高層ビル、そしてニューメキシコの風景などを描いたことで知られています。

この記事では、そんなアメリカを代表する作家ジョージア・オキーフの『人生』と『作品』を中心にご紹介します。

ジョージア・オキーフとは?

ジョージア・オキーフ基本情

本名 ジョージア・オキーフ (Georgia O’Keeffe)
国籍/出身 アメリカ合衆国ウィスコンシン州サン・プレーリー
生年月日 1887年11月15日-1986年3月6日
分野/芸術動向 モダニズム
学歴/出身大学など シカゴ美術館美術学校、アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨーク、ヴァージニア大学(サマーコースのみ)
受賞歴 大統領自由勲章、国民芸術勲章、エドワード・マクダウェル賞
公式サイト/関連サイト https://okeeffemuseum.org/

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オキーフの人生とアート

伝統的学びと写実表現に対する疑問

18才でアーティストを志す

1887年、ウィスコンシン州サン・プレーリー近くの農家に、7人兄弟の2番目として生まれたオキーフ。高校を卒業する1905年までに画家になる決意をします。進学したシカゴ美術館美術学校と、アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークでは、当時伝統的だった写実的な画法を学びます。1908年には、油絵で学内賞をとるほど模範的な学生でした。しかしながら、オキーフは、何かをそっくりそのまま描くリアリズムの画法に疑問を感じ、自らをアーティストとして見出すことはなく、しばらくは商業作家としてシカゴで働きます。

《Untitled》、wikipedia、wikipedia.org

伝統から外れ自らの表現へ

1914年夏、ヴァージニア大学で出会った画家で講師のアーサー・ウェズリー・ダウが、オキーフの作家人生を大きく変えます。ダウは、伝統的な手法を否定するモダニズムを支持し、作家の感情やアイデアは、作品を通して視覚化されるべきだと考えました。ダウはアジア美術、特に日本画の濃淡の表現を実践、教授していました。オキーフもこれを学び、これまでの写実表現に代わって抽象表現に傾倒していきます。

モダニスト作家として

1915年からサウス・カロライナ州のコロンビア・カレッジで、1916年からは現在の西テキサスA&M大学で教職に就きます。この時期に、ダウから習得した手法に取り組み、《No. 3–Special》などの抽象絵画を発表します。テキサスでは、特にパロ・ドゥアロ・キャニオンの広大な草原と開かれた空を描きます。例えば、《Sunrise and Little Clouds II》、《Evening Star No. VII》、《Light Coming on the Plains No. II》などが挙げられます。やがて、欧米のモダニストたちと絵画のさらなる革新的な手法を模索していきます。

《 Red & Orange Streak》、wikiart、wikiart.org

1916年に、ニューヨーク市の前衛的なギャラリー291にてグループ展、1917年には個展を開催します。ギャラリー291のオーナーであった写真家アルフレッド・スティーグリッツとはのちに結婚します。1946年にスティーグリッツが亡くなるまで、オキーフを売り込むべくサポートしつづけました。スティーグリッツの協力もあり、1920年代終わりまでにオキーフは、モダニズム作家の代表格として評価されます。ニューヨークの高層ビルや花を描いた作品が支持されました。

ニューメキシコへ

1929年に初めてニューメキシコを訪れます。それ以降も幾度となく訪れる中で、ネイティヴアメリカンや、ヒスパニックの文化に深く感銘を受けたオキーフは、新たな表現へ向かい、1949年には完全に移住します。

オキーフの代表作

抽象表現

ニューヨークの高層ビル群

オキーフは、自らのアート活動に関しこんな言葉を残しています。「私は私が感じたもの、私が探していたものと同等のものを表現しなくてはならないー何かをただ模倣するのではなく」。ニューヨークの高層ビルを描いた作品群は、モダニスト作家として有名となるきっかけにもなったシリーズです。

《City Night》、wikiart、wikiart.org
《Radiator Building – Night, New York》、wikiart、wikiart.org

代表的モチーフの「花」

オキーフが繰り返し描いた花。作品の中心となる場合もあれば、他のモチーフに付属的に描かれることもあります。なんと岡倉天心の『茶の本(The Book of Tea)』の、花に関する部分がお気に入りで、繰り返し読んだと言います。

《Black Iris》、wikiart、wikiart.org
《Jimson Weed》、wikiart、wikiart.org

ニューメキシコ

オキーフはニューメキシコ州に永住しました。ゴーストランチという荒涼とした地域の古くから残る幽霊伝説は、オキーフが野生動物の頭蓋骨を描くきっかけとなっています。

《Ram’s Head White Hollyhock and Little Hills》、wikipedia、wikidpedia.org
《Bob Steer Head》、wikiart、wikiart.org

美術界の女性の地位、ジェンダー不均衡

オキーフはスティーグリッツのもと、男性中心主義の美術界で認められるべく挑戦していきました。1910年頃、スティーグリッツは当時の慣例に反抗し、男性作家と同様に女性作家が評価されるよう働きかけていました。初期の頃から、オキーフの作品をジェンダーの観点から評価し、抑圧された女性性から解放された表現だと宣言していました。またフロイトに傾倒していたスティーグリッツは、性のエネルギーこそアートに必要だと感じ、オキーフ作品を女性の身体と結びつけた展示を開催していきました。

一方で、オキーフ自身は、スティーグリッツがつくり上げた「女性的な作品」というパブリックイメージに強く抗議しました。そして、20世紀初頭のアメリカで最も急進的だったフェミニスト政治団体、「ナショナル・ウーマンズ・パーティ」にも所属し、「女性は生来的にこうである」といった本質主義者たちを真っ向から否定しました。1946年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)で、女性初の個展を開催しました。

《Flower Abstraction》、wikiart、wikiart.org

そんなオキーフは、日本のフェミニスト作家の田部光子にも影響を与えました。田部は、1950年代の早い時期からジェンダー問題を意識して活動した作家で、オキーフの花の作品から着想を得た《Hana》を1990年に発表します。

まとめ

いかかでしたでしょうか。

モダニスト作家としてだけでなく、美術界のジェンダー格差に挑戦したオキーフは、美術界だけでなく、女性社会史的にも重要作家と言えます。

2023年には、木炭、水彩、パステル、黒鉛などさまざまな素材を使用し、40年以上描き溜めてきた作品たちがニューヨーク美術館で開催される予定です。またニューメキシコには、約150点の絵画を所蔵するジョージア・オキーフ美術館があります。

皆さんも実際にオキーフの作品をご覧になってはいかがでしょうか。



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