【徹底解説】ヘラルド・ドットーリって?故郷を愛した田園未来派画家

こんにちは、ユアムーン編集部です。

皆さんは「ヘラルド・ドットーリ」という人物をご存知でしょうか?

ドットーリは未来派に加わりながらも、未来派の美学である機械文明のダイナミズムはテーマにせず、自分の愛した故郷をエアロペインティングで描き続けた風景画家で、自らを「田園未来派」などとも呼んでいたようです。

今回はそんなドットーリの人生と作品についてご紹介します!

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ヘラルド・ドットーリってどんな人?

本名 ヘラルド・ドットーリ(Gerardo Dottori)
生年月日 1884年11月11日
出身 イタリア ペルージャ
学歴 ペルージャ美術学校
分野/芸術動向 絵画 / 未来主義

経歴と作品

生まれと環境

ヘラルド・ドットーリは1884年11月11日、イタリアのウンブリア州の首都、ペルージャで労働者階級の家庭に生まれます。

母親はドットーリが8歳の時に亡くなり、一家は経済的に厳しい状況に置かれます。

小学校を卒業すると、ドットーリは骨董品店で働きながら幼馴染のフェルディナンド・マルコーニと共にペルージャ美術学校の夜間コースに入学し、そこでは優れたデッサン力を発揮しました。

Gli amanti (1907)

この頃、イタリアでは輝く色彩を表現するべく点描画法(ディヴィジョニズム)を使用する新印象派たちが現れ、ドットーリはこれにインスピレーションを受け、新たな表現への可能性と高揚感を覚えました。

この時期にはすでに、彼の作風である輝きを帯びた神秘的・精霊的な風景画の片鱗が見られます。

未来派に加わる

1906年から1907年にかけて一時的にミラノに移り住んだドットーリは、装飾家として働き、美術館や展覧会を訪れる生活を送りました。そして1908年からフィレンツェの前衛芸術界に足を踏み入れます。

1910年には雑誌「La Difesa dell’Arte(芸術の防衛)」の仕事を始めます。

1911年、ローマに渡ったドットーリは「ジャコモ・バッラ」と出会い、ドットーリは未来派の支持者となります。バッラは未来派のスタイルを採用しながらも、機械のダイナミズムや暴力的な表現にはあまり興味を示さない人物でした。

Explosion of Red on Green (1910)

この作品はバッラと出会い未来派と接触するより前である1910年に描かれたもので、流れるような緑と電流のような赤で埋め尽くされています。

ドットーリはある5月の朝、ポピーに覆われたトウモロコシ畑を見たことが、この絵に直接インスピレーションを与えたと語っています。

赤はその補色である緑と出会うと超赤色(極めて赤い)になり、爆発する…。一方緑色は穏やかで静かで動かないままである…。

この絵画は自然の美しさからインスピレーションを得たものではありますが、流動性やダイナミズムが表現されており、精神的には未来派の美学との共通点が見られ、ドットーリが未来派に賛同するのも不思議ではないのかもしれません。

1912年にはウンブリアの未来派グループに加わり、1915年には第一次世界大戦に参加しています。

初の個展を開催 – エアロペインティングで活躍

1920年、ドットーリは未来派雑誌「Griffa!」を創刊し、故郷ペルージャに未来派の思想を広めます。そして同年、ローマにて初の個展を開催します。

Primavera Umbria (1923)

「ウンブリアの春」と題されたこの絵画はウンブリアにあるトラジメーノ湖周辺の風景をエアロペインティングで描いており、魚眼レンズを通して見る風景のように湾曲しています。

エアロペインティング(航空絵画)とは、飛行機の発明に熱狂した未来派画家たちが飛行機と、飛行機から見下ろした風景のダイナミズムとスピード感を表現するテーマで、この作品も飛行機から見下ろしたような構図となっています。

迫力があり、神秘的な静けさを持つ絵画の画面下部は、より多様な色彩をもって森林、畑、家屋などが描かれています。中央にはトラメジーノ湖が居座り、湖面には雲が反射しています。また遠景の丘は空気遠近法が使われ、遠くに行くほどに青みを増していきます。

この作品は1924年のヴェネツィア・ビエンナーレで入選し、ドットーリはエアロペインティングの名匠として未来派運動に貢献することになります。

未来派だが、自然主義的

未来派というと機械文明のダイナミズムとスピード、破壊を賛美する芸術運動ですが、ドットーリは生まれ故郷のウンブリアに深い愛着を抱いており、結果として機械ではなく、その緑豊かで起伏に富む風景を主な主題としています。

ドットーリは未来派の主題、視点、技法に関心は示しているものの「大都市の耳障りな騒音よりも、田舎や山々の静けさが好きだ」と頻繁に語っていたようで、自らを「田園未来派」などとも呼んでいたようです。

母校で教鞭を執る

1929年にマリネッティ、バッラ、プランポリーニと共に「未来派航空絵画宣言」に署名し、エアロペインティングに尽力したドットーリは1925年から1939年までローマに住み、ヴェネツィア・ビエンナーレに出品したり、様々な美術雑誌に寄稿したりしていました。

1939年、母校であるペルージャ美術学校の絵画科の主任に就き1947年まで同校で教鞭を執ります。

教師をしている間にも絵画の制作活動は続け、1941年には「ウンブリア未来派航空絵画宣言」を発表し、より神秘的で調和のとれた航空絵画を追求していきます。

未来派の代表者の詩人フィリッポ・マリネッティが亡くなり、第二次世界大戦が終結して未来派が衰退した1944年以降もドットーリの作風に劇的な変化はありませんでした。

しかし微妙な変化として、作品に静けさが増し叙情的な表現で大気を感じるような作品が増えます。

晩年

未来派が衰退してもなおその表現に忠実であり続けたドットーリは、1950年代や1960年代も展示を続け、1977年にベルージャで亡くなります。

1989年にはドットーリの回顧展がギャラリー・サン・カルロで開催されました。

まとめ

いかがでしたか?

今回は愛する緑豊かな故郷を描く未来派、「ヘラルド・ドットーリ」についてご紹介させていただきました。

彼のエアロペインティングの独特な静けさとダイナミズムは衝突することなく調和しており、唯一無二の作風を生み出しているように感じます。

ドットーリについて気になった方は、さらに深掘りしてみてはいかがでしょうか?



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