こんにちは、ユアムーン株式会社 編集部です。
突然ですが、皆さんはイサム・ノグチという美術家をご存知でしょうか。
アメリカ人の母と日本人の父の間に生まれ、太平洋戦争を経験したノグチは、20世紀を代表する彫刻家です。彫刻にとどまらず、「あかり(AKARI)」という照明やインテリア、ランドスケープデザインなどを手がける多作な芸術家でした。今もなおノグチの作品は、多くの人に評価されています。
この記事ではイサム・ノグチの『人生』と『作品』を中心にご紹介します。
目次
イサム・ノグチとは?
イサム・ノグチ基本情報
本名 | イサム・ノグチ |
国籍/出身 | アメリカ合衆国ロサンゼルス |
生年月日 | 1904年11月17日 |
分野/芸術動向 | 彫刻、インスタレーション、インテリア |
学歴/出身大学など | コロンビア大学、レオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校 |
公式サイト/関連サイト | https://www.noguchi.org/ |
ノグチの人生と彫刻
アメリカ人の母と日本人の父の間に生まれて
1904年にアメリカ、ロサンゼルスでアメリカ人の母と日本人の父の間に生まれます。母のレオニー・ギルモアは、ブルックリンに住むアイルランド系移民の家族のもとに生まれ、ニューヨークで長く作家、編集者、翻訳者として活躍していました。父は、詩人であり、慶應義塾大学で文学教授を務めた野口米次郎(英名はヨネ・ノグチ)です。2歳の頃、父を追い、母と日本へ引っ越します。日本に妻子がいた父の米次郎とともに暮らすことは叶いませんでしたが、ノグチは13歳まで日本で過ごします。
1918年の夏、ノグチは高校進学のためアメリカへ単身帰国します。インディアナ州ローリングプレーリーとラポルテの高校で学びました。日本とアメリカの間で、自らの複雑なアイデンティティに悩んだ彼は、自らをフージャーというインディアナ州の人々の呼称で呼んでいたといいます。卒業後、コネチカット州のガットスン・ボーグラムという彫刻家を師事しますが、短期間でニューヨーク市へと移ります。ニューヨークではコロンビア大学で医学部進学課程の学生として学ぶ傍ら、ロウアーイーストサイドにあるレオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校で、彫刻家オノリオ・ルオットロのもと、彫刻の夜間クラスを受講していました。
初期制作と作品たち
さまざまな影響を受けているノグチですが、特に初期には、ルーマニア出身の抽象彫刻家コンスタンティン・ブランクーシの作品がノグチの芸術的指向を決定づけました。その後、卓越した若きアーティストに授与されるグッゲンハイム奨学金を受け、ノグチはパリでブランクーシのスタジオにて制作を行います。その中で、モダニズムや抽象主義などを、自らの制作に取り込むことで、詩的で感情的で、どこか不思議な雰囲気を醸す作品を生み出していきます。
1920年代終わりから1930年には、アジア、メキシコ、ヨーロッパを巡り、ニューヨーク市へと戻ります。1935年には在米日本人芸術家とともに「邦人美術展」に出展、マーサ・グレアム「フロンティア」の舞台装置を手掛けます。
有名作家へ、そして太平洋戦争勃発
ロックフェラーセンターの彫刻から太平洋戦争へ
1938年、マンハッタンの50ロックフェラープラザに設置する、出版の自由を象徴した大規模彫刻を完成させます。この作品は、ノグチの名前が広く知られるきっかけとなった最初の作品と言えます。1940年代、名前を知られるようになったノグチでしたが、1941年に日本が真珠湾を攻撃、太平洋戦争が発生します。戦時中は日系アメリカ人が受ける差別に心を痛め、民主主義のための二世作家や芸術家運動団体を発足し、日系人についての知識を高める運動に従事しました。日系人の力になりたいという思いから、アリゾナの日系人収容所に自発的に入所します。アーティストとしての経験を生かし、砂漠に仮設された収容所をより良くデザインする計画を実行を試みますがうまくいかず、6ヶ月間で収容所を去ります。入所時は、アメリカ人の母を持つということで、他の日系人から敬遠された一方、出所時には、父が日本人ということでなかなか許可が下りなかったといいます。
戦中戦後の作品群
収容所を出てすぐ、ニューヨーク市に戻ったノグチは、石の彫刻に再び取り組みます。1946年に、他のアメリカ人作家とともに、ニューヨーク近代美術館(MoMA)にて展示を行います。1940年代にデザイナーのジョージ・ネルソンの依頼でインテリアを作りはじめ、以後もノグチの代表ジャンルとなっていきました。1950年には来日し、建築家の丹下健三、アントニン・レーモンドなどと知り合い、代表作「あかり(Akari)」シリーズの制作を開始します。同年、日本の女優、山口淑子と結婚しましたが、6年後には離婚します。
代表作のひとつであり、今もなおインテリアとして販売され、人気の高い作品が「あかり(Akari)」シリーズです。ノグチが平和記念公園のふたつの橋をつくるため、広島に行く途中に出会った岐阜提灯にインスパイアされた作品です。近代化した生活に、自然光をもたらすこの作品は、和紙を透かして光が部屋全体に温かく広がります。「光そのものが彫刻であって、影のない彫刻作品」と言葉を残しています。
1960年代からは、四国の彫刻家の和泉正敏や、アメリカ人建築かルイス・カーンなどとコラボします。そのほかにも、広島平和記念公園にある、平和大橋・西平和大橋をデザイン、庭園や遊園地の設計するなど幅広く活躍していきます。
日本にある作品
モエレ沼公園とイサム・ノグチ庭園美術館
1985年にはイサム・ノグチミュージアムがニューヨーク市のロング・アイランド・シティにて開館します。1988年から、北海道のモエレ沼公園のデザインに抜擢され取り組み始めます。公園全体を彫刻とみなすビッグプロジェクトでしたが、ノグチは完成を見届けることなく、同年12月30日、ニューヨークの病院で84歳で亡くなりました。完成は2005年となりました。1999年には、香川県にイサム・ノグチ庭園美術館が開館しました。アメリカ国民芸術勲章をはじめとする様々な賞を日本やアメリカで受賞したノグチの作品は今もなお、多くの人に愛されています。
まとめ
いかかでしたでしょうか。
複雑な環境と時代に生まれたノグチは、アメリカ人と日本人というアイデンティティの間で悩みながらも、芸術で自己を表現し確立していった作家です。彫刻、庭園、そしてインテリアと幅広いノグチの作品は、国内外で、現在も多くの人に鑑賞され評価されています。
皆さんも実際にノグチの作品をご覧になってはいかがでしょうか。