こんにちは、ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんはマリオ・バロッコというアーティストをご存知でしょうか?
バロッコは、20世紀の色彩学の発展に大きく貢献した、画家であり学者です。
彼は、色彩が関係する分野の知識と、色の問題を結びつける学際的方法論、『クロマトロジー』を発明しており、芸術だけでなく物理学、生理学、知覚心理学などの分野にも造詣が深い人物です。
今回はそんなバロッコの作品と経歴を見ていきましょう!
目次
マリオ・バロッコってどんな人?
基本情報
本名 | マリオ・チェザーレ・バロッコ(Mario Cesare Ballocco) |
生年月日 | 1913年6月24日 |
出身 | イタリア ミラノ |
分野/芸術動向 | 抽象主義 |
公式サイト | http://www.archiviomarioballocco.org/ |
作品と経歴
ブレラ美術学院でアルド・カルピに師事
バロッコは、イタリアのミラノに生まれ、ミラノのブレラ美術学院でアルド・カルピに師事します。
アルド・カルピは、自然を愛するアーティストで、彼自身もブレラ美術学院の生徒でした。
アルドは第一次世界大戦時に義勇兵として参加したときに深い傷を負って帰還したために、都市や社会に対する嫌悪感と、自然に対する愛情を持つようになったといわれています。
初期作品
バロッコの初期の作品は、ネオ・キュビズムや表現主義の要素が強く、彼の後のアートスタイルである、アブストラクトアートとは異なる作風でした。
AZの創刊とオリジングループの設立
1949年の夏、バロッコは『AZ』という雑誌を創刊し、1950年2月にミラノのガレリア・イル・ミリオーネで開催されたジュゼッペ・カポグロッシの展覧会でカポグロッシに出会います。
バロッコは「AZ」でカポグロッシの新しい作品を肯定的に評価し、「抽象主義のマンネリ化の一掃と原点回帰」をするグループを一緒に結成しようと提案します。
また、彼はエットーレ・コッラを誘いますがコッラは、アルベルト・ブッリも参加することを条件にグループに参加するという条件を設け、バロッコはそれを受け入れます。
そしてバロッコは、1950年11月に『オリジングループ』というアーティストグループを結成します。
メンバーは、『マリオ・バロッコ』、『アルベルト・ブッリ』、『ジュゼッペ・カポグロッシ』、『エットーレ・コッラ』の4人です。
オリジングループは、『現在と、近い過去の条件付けや、知的、イデオロギー的な上部構造から自分を解放し、最も「素朴で自由な原初の自然」に戻る必要性』を論説として掲げていました。
そしてオリジングループは1951年の1月に最初の展示会をローマで開催します。
しかし展示会は準備段階からうまくいかず、カポグロッシとコッラの間で分裂が始まっていました。
展示会でブッリはほんの一瞬だけ登場し、コッラは1人で去り、バロッコとカポグロッシのみが一緒に残る事態に陥ってしまったのです。
そしてついに同年の4月に解散してしまい、オリジングループは1月の展示会が最初で最後となりました。
※オリジングループ展のカタログはマリオ・バロッコの公式サイトからPDFでダウンロードできます。
雑誌「Colore」を創刊
1949年から1952年までの連載をした「AZ」が終了した後、バロッコは「Colore」を創刊します。
「Colore」では、家庭用電化製品の色や、黒についての先入観、近代建築における色彩、道路問題を解決するための色など、バロッコの色彩学研究や、色に関与する展示会情報ついて掲載されました。
キュレーターとして活動
オリジングループが解散した後、バロッコはアーティストとして作品を作り続けたり、色彩学の研究をしながら、キュレーターとしても活動します。
- 1952年 – 1953年: ミラノでデザインと工業美学に関する展覧会、写真師に関する展覧会
- 1958年: 国立科学技術博物館「レオナルド・ダ・ヴィンチ」での『第1回色彩展』
色彩学研究の過程で生まれた作品たち
(出典:Opere di Mario Ballocco, Archivo Mario Ballocco, http://www.archiviomarioballocco.org/)
また1952年頃からバロッコは、抽象画の原点回帰という目的のため、幾何学の画家として漸進的に進化していきます。
色の相互作用に関する実験的な作品が多く見られ、彼の色に対する飽くなき探究心がうかがえます。
クロマトロジー(色彩学)の発明
1989年から1992年にかけて、バロッコは物理学、生理学、知覚心理学、絵画、造形理論、デザイン、建築など色が関与する分野の視覚的問題を解決するためのツール「クロマトロジー」を発明し、論文を執筆します。
これは、1957年から刊行された「Colore」にて掲載されたバロッコの色彩学研究の集大成ともいえる論文でした。
彼の目標は、「白で生まれ、灰色で生き、黒で死ぬ」という単調さを破壊することでした。
また、バロッコは研究と並行して母校であるブレラ美術学院で教鞭を執り、色彩学を導入しました。
その後もベルガモにあるカッラーラ美術学校やミラノ工科大学でも講座を開講しました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、色に対して並外れた関心を持ち、色彩と視覚の研究に大きな貢献をした、マリオ・バロッコについてご紹介させていただきました。
マリオ・バロッコについて興味を持った人は、さらに調べてみてはいかがでしょうか?