【徹底解説】ミハイル・ヴルーベルとは?その人生と作品を追う

【徹底解説】ミハイル・ヴルーベルとは?その人生と作品を追う

こんにちは、ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんはミハイル・ヴルーベルという画家をご存じでしょうか?

ヴルーベルはロシアの象徴主義運動の重要な人物の1人とされており、また、彼のモザイクのような絵画の表現方法はキュビズムの先駆けと言われています。

芸術の歴史において、大きな影響を与えた彼ですが、晩年は梅毒とそれに伴う精神疾患で苦しみながら制作を続けた悲劇の画家です。

今回はそんなヴルーベルの人生を作品と共にご紹介させていただきます!

ミハイル・ヴルーベルってどんな人?

基本情報

本名 ミハイル・アレクサンドロヴィッチ・ヴルーベル (Mikhail Aleksandrovich Vrubel)
生年月日 1856年3月17日
出身 ロシア オムスク
学歴 インペリアル アカデミー オブ アーツ
分野/芸術動向 象徴主義

人生と作品

生まれと環境

ヴルーベルは1856年のロシア、オムスクにて事務官の家族に生まれます。

両親ともに芸術に関心があり、特に母のアンナは1859年に結核で亡くなるまで、子供たちのために人や動物の形を紙で切り抜いていました。

両親の影響もあり、幼いころから芸術に惹かれていたヴルーベルは同年代の子たちと比べると思慮深く物静かな性格で、活発な遊びをすることはなかったようですが、何時間もイラストを見たり、継母であるエリザヴェータのピアノの演奏を聴いたりすることが好きでした。

ヴルーベルは5歳になると家族の日常をスケッチしたり、演劇ごっこなどをするようになります。それを見たヴルーベルの父親はできるだけの経済力で、ヴルーベルの創作意欲を後押ししようと考えました。

Last Judgement – Michelangelo (最後の審判 – ミケランジェロ)

1864年、父親の仕事のためサンクトペテルブルクに短期滞在した際に、ヴルーベルは芸術鑑賞協会のデッサン学校に行ったり、当時一家が滞在していたサラトフでミケランジェロのフレスコ画である『最後の審判』を見に行き、帰宅した後に最後の審判を暗記で描き上げたと言われています。

卓越したデッサン技術と優れた記憶力を持ちながら、芸術家になることは考えていなかったヴルーベルは1874年、父親の職業が世間一般的に評価されていたのもあり、同じ分野の教育を受けるべく、サンクトペテルブルク国立大学の法学部に入学します。

しかし、彼は大学在学中に子供のころ好きだった演劇に再度関心を寄せ始め、講義にはあまり出席することがありませんでした。

やはり彼には芸術分野への関心が強く、勉強にはあまり熱心にはなれなかったのでしょう。しかし、優れた知性と記憶力を持つヴルーベルは講義に出ていないにもかかわらず、試験を合格していきました。

また、その能力と親しみやすかった彼の性格を活かし家庭教師として収入を得ながら、生徒の家族と仲良くなったヴルーベルはその家族と一緒に暮らすようになります。

当時、暇さえあれば絵を描いていたヴルーベルは美術大学の学生たちとの親交によって美術大学への入学を目指し、現在の大学を卒業しますが、1879年に父の意向により兵役に就くことになり、軍法務部に配属され、美術大学への入学が遠のいてしまいます。

1880年、24歳になったヴルーベルはようやく美術大学に入学することができ、最初の数年は熱心に勉強し、すべての課題を見事にこなしていきました。

パベル・チスティーコフに弟子入り

1882年、美術大学での勉強だけでなく、自分の個性や好みに合わせて技術を磨くべきと考えたヴルーベルは「パベル・チスティーコフ」に弟子入りします。

チスティーコフは画家と美術教師をしている人物で、「移動派」や「アカデミズム」の影響から弟子たちを守り、独自の芸術的嗜好や思想を育てる指導方法で知られ弟子の中には、「イフェダ・ペン」「イリヤ・レーピン」などロシア芸術を代表する著名な人物がいます。

Sitter in the Renaissance Setting (1883)

Sitter in the Renaissance Setting (ルネッサンスの舞台に座る)

当時、ヴルーベルはスペイン人のロマンティシズム画家である「マリアーノ・フォルチュニ」の作品に影響を受けており、1883年に制作した『Sitter in the Renaissance Setting (ルネッサンスの舞台に座る)』は美術大学内で高い評価を得ることができ、大学内でヴルーベルは「フォルチュニ」というあだ名で呼ばれるようになります。

Mariano Fortuny (マリアーノ・フォルチュニ)

中東や古代ローマの影響を受けたオリエンタリズムをテーマにしたロマンティシズム画家

フォルチュニの作品を見てみると、筆のタッチや色彩豊かな点、装飾的な要素など類似点が多数見受けられます。

聖キリル教会の壁画の修復 (1884)

The Virgin and Child (聖母子)

1884年、チスティーコフの推薦でプラホフ教授に雇われ、聖キリル教会のフレスコ画の修復を担当することになります。

この作品は、聖母マリアが幼子イエスを抱いている構図で、マリアの足元には花などが描かれており、幻想的な雰囲気を醸し出しています。

ヴルーベルの仕事は修復のほかに、教会の壁画に新たにオリジナルのフレスコ画を描くことで、彼は苦労するものの、事前にスケッチをすることなくフレスコ画を完成させ、プラホフ教授に気に入られることができました。

Demon Seated (1890)

Demon Seated (座っている悪魔)

キリル教会での修復プロジェクトに取り組んでいる間、ヴルーベルは当時の著名なロシアのロマンティシズムの詩人・作家である「ミハイル・レールモントフ」の詩に登場する悪魔の描写をもとに、「悪魔」のイラストを描き始めます。

この作品はヴルーベルの作品の特徴でもある、悪魔の上半身や腰に巻いている布、周りの装飾などの陰影がモザイクのように抽象化された幾何学的な模様で表現されています。

Venice (ヴェニス)

この表現方法はキュビズムの先駆ともいわれており、1893年に制作された「Venice」がパリで展示された際、パブロ・ピカソがこの作品に心を奪われ、ヴルーベルを『天才』と呼んだと言われています。

ヴルーベル自身は悪魔のことを「男と女の姿を一つにした精霊、悪というよりは苦しみや傷を持つ精霊、強力で高貴な存在」と表現しており、悪魔を悪の象徴とする伝統的な宗教観を否定し、自分自身の内面に向き合い、自分を深く探求することが重要であるという考察を促していると言われています。

オペラ歌手と結婚 ~ 悲劇の晩年

1896年、ヴルーベルはオペラ「ヘンゼルとグレーテル」の撮影中に出会ったオペラ歌手、ナデージダ・イヴァノヴァ・ザベーラと結婚します。

The Swan Princess (白鳥の王女)

この時期、彼は「悪魔」から離れて、幻想的なおとぎ話をテーマとした絵画を描くことが増えます。

しかし、彼はおそらく芸術家としてのキャリアを始めた1885年頃に梅毒にかかっており、この1896年になって再び症状が酷くなります。

そして1902年、彼の幼い息子サヴァが病気で亡くなって以降、ヴルーベルは精神疾患も併発し、穏やかで親しみやすい性格から一変し、情緒不安定で狂気の発作があるために精神病院に収容されますが、1906年に視力が低下するまで制作を続けます。

The Six-Winged Seraph (1904)

The Six-Winged Seraph (六翼の熾天使)

この作品は1904年、つまりヴルーベルが亡くなる6年前に描かれた、ヴルーベルの晩年の大作です。

旧約聖書の一書であるイザヤ書に登場する「六枚の翼を持つセラフィム」を描いたもので、「アレクサンドル・プーシキン」の詩『預言者』に触発されたヴルーベルが生涯にわたって宗教や、贖罪、苦しみ、悔い改めというテーマを探求する必要性が高まっていたことの表れであるとされています。

描かれている熾天使の表情の弱々しさは、彼の晩年の精神状態の悪化による心身の衰弱を表しているようにもうかがえます。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は19世紀から20世紀初頭にかけて活躍した象徴主義運動を代表する悲劇の画家、ミハイル・ヴルーベルの人生と作品をご紹介させていただきました。

彼の人生はとても濃く今回紹介しきれていない部分も多数あります。

ミハイル・ヴルーベルについて興味を持った方はさらに調べてみてはいかがでしょうか?



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