【徹底解説】「新即物主義」や「七つの大罪」で知られるオットー・ディックスとは?人生と作品に迫る

【徹底解説】「新即物主義」や「七つの大罪」で知られるオットー・ディックスとは?人生と作品に迫る
スカット・プレイヤーズ

こんにちは、ユアムーン編集部です!

皆さんは「オットー・ディックス」という画家をご存知でしょうか?

ディックスは戦時中のドイツの惨状を冷酷かつ客観的に描いた「新即物主義」と言われる運動でよく知られる画家で、ナチス政権を批判する「七つの大罪」という絵画も有名です。

今回はそんなオットー・ディックスの人生と作品についてご紹介します!

オットー・ディックスってどんな人?

本名 ヴィルヘルム・ハインリヒ・オットー・ディックス(Wilhelm Heinrich Otto Dix)
生年月日 1891年12月2日
出身 ドイツ ゲーラ
学歴 ドレスデン美術アカデミー
分野/芸術動向 表現主義、ダダ、新即物主義

人生と作品

生まれと環境

オットー・ディックスは1891年12月2日にドイツのゲーラで製鉄所の金型職人の父親と裁縫師の母親の間に生まれます。

母親の影響で幼い頃から音楽と詩などの芸術に触れてきたディックスは、小学校で絵の才能を発揮します。そして10歳の時、画家であり従兄弟のフリッツ・アマンのアトリエでモデルを務めた際の体験が、ディックスが芸術家になるという夢を持つきっかけになります。

高校生になったディックスは、高校の美術教師であるエルンスト・シュンケと出会い、シュンケの元で働くことを条件に絵の指導と経済的援助を受けることができ、アシスタントデザイナーとして4年間働きます。

ドレスデン美術アカデミーに入学

1909年になるとディックスはドレスデン美術アカデミーに入学します。

ドレスデンは、しばしば大規模な展覧会や音楽のイベントなどが開催されていて世界的に有名なアートや音楽のシーンが確立している芸術の街でした。

そんなドレスデンでは小さな肖像画や風俗画を売ったり写真に色をつけたりして小遣い稼ぎをしており、経済的に苦労することはありませんでした。しかしドレスデン美術アカデミーではアカデミックな絵画の教育ではなく、応用美術や工芸的な教育が行われていたためディックスは独学で画家を目指すことになります。

自画像(1912)

表現主義、ポスト印象派に惹かれる

初期のディックスは写実的な風景画や肖像画を主に制作していましたが、同時代の画家の流れと同じく表現主義やポスト印象派の作品に影響を受け、特に1913年に見たゴッホの展覧会で感銘を受けたそうです。

サディストの夢(1913)

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第一次世界大戦で徴兵

1914年になり、第一次世界大戦が勃発するとディックスは熱心に志願しドレスデンの野戦砲兵連隊に配属されます。

しかし、1915年の秋にはフランスの最前線で機関銃手となり「ソンムの戦い」に参加することになります。悲惨な戦闘を経験していくことで最初の頃にあった戦意は冷めていき、負傷を重ねながらも自分の目で見た悲惨な戦地の光景をスケッチし始めました。

その後も兵士として戦い続けたディックスは第二級鉄十字章を受章し、上級下士官に昇進します。

戦争中の作品

様々な表現方法を試みる

戦争が終わり、かつての面影を失ったドレスデンでは収入が大幅に減り配給制の食事で苦しい生活が続きますが、ドレスデンに根付いていた芸術シーンは力強く生き残り、この現状に順応し復活していきます。

ディックスは戦後、破壊された家を這い回る悪夢を何回も見るほどにトラウマを抱えており、PTSDを発症していたようです。

しかし絵画を描くことはやめず、戦争中の作品では未来派やキュビズムの表現方法を自身の作品に取り入れていましたが、今度はダダイズムや表現主義の要素を取り入れたり、シュルレアリスム調の肖像画、木版画など多岐に及ぶ作品を制作するようになります。

スカット・プレイヤーズ(1920)

スカット・プレイヤーズ(1920)

この時代のディックスの作品で特に有名なのが「The Skat Players」(スカット・プレイヤーズ)で、主観的な表現主義と相反して即物的、客観的に社会を見つめる「新即物主義」の代表作とされています。

この作品は戦争によって傷ついた3人の退役軍人がスカットというカードゲームを遊んでいる様子が描かれており、軍人たちは障害者をサポートするための義歯、義顎、補聴器のような装置などを多く身につけていて、戦争によってもたらされたドイツの悲惨な現状を客観的に表現されています。

またこの作品は完全な絵画ではなく、スカットのカード、背景の新聞、右側の兵士の青い軍服は本物が貼り付けられており、コラージュ作品になっているようです。

ナチス政権下での活動

1931年、ディックスはベルリンのプロイセン芸術アカデミー会員に任命され、ドイツ全土の展覧会やニューヨーク近代美術館で作品を発表します。

しかし、1933年にナチス政権が始まるとナチスはディックスを退廃芸術家とみなし、彼の作品は不道徳だと見なされてしまうようになります。

七つの大罪(1933)

七つの大罪(1933)
出典:WIKIART, https://www.wikiart.org/

それでもなお絵画を描き続けたディックスは「The seven deadly sins」(七つの大罪)という作品を発表しました。

これはドイツのナチス政権を風刺するために制作した絵画で、それぞれの大罪がナチス政権の否定的な側面を表しており、画面中央に伸ばした腕と鎌をハーケンクロイツ(ナチスの鉤十字マーク)に見立てた骸骨が描かれています。

また、老婆の上に乗っている幼児は口髭が描かれており、意図的にアドルフ・ヒトラーに近づけられていて、ヒトラーは七つの大罪のうち「Envy」(嫉妬)の体現者として描かれています。

これは「より良いドイツ」を目指すナチスの野望は、他国が持っているものに対する「嫉妬」であるということを示す表現だと言われています。

第二次世界大戦と晩年

1939年にディックスはヒトラーの殺害を企てたというでっちあげの容疑で逮捕されたと言われており、のちに釈放されます。

その後第二次世界大戦が勃発し、ディックスは国民突撃隊に徴兵され戦地に赴くことになりますが、終戦間際にフランス軍に捕まってしまい、1946年まで捕虜となります。しかし捕虜になっても収容所の礼拝堂のために祭壇画を描いたりと絵を描くことは続けることができました。

1946年2月に解放されると、ディックスはドレスデンに戻り画家の活動を再開して戦争体験をもとにした作品を制作し続けていき、1959年に名誉ある特別な功績に対して授与される「ドイツ連邦共和国大功労十字章」を受賞します。

その後も様々な賞を受賞していきますが、1969年の7月25日に脳卒中により亡くなります。

まとめ

いかがだったでしょうか?

今回は二度の戦争を経験し、ナチス政権下でも自分の表現を貫き、社会を風刺する絵画を描き続けた「オットー・ディックス」について人生と作品をご紹介させていただきました。

彼は多作で今回紹介した作品以外にも素晴らしい絵画がたくさんあります。

オットー・ディックスについて気になったかたはさらに調べてみてはいかがでしょうか?



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