フィリップ・ガストンを知っていますか?
ガストンは1923年にカナダのモントリオールで、ウクライナから移住してきたユダヤ人の両親の間に生まれました。彼が活躍した1913年~1980年は世界情勢がかなり揺れ動いた年代でもあります。
その中で彼は、経験や思想の変化に合わせて作風を変化させながら、ここ100年間で最も影響力のあるアメリカ人画家として認められています。
今回はそんな彼の数々の『作品』を、『作風の変化』とともに楽しんでいただこうと思います。
目次
フィリップ・ガストンの作風の『変化』と『作品』
ここではフィリップ・ガストンの作品を年代順に作風の変化を見て頂こうと思います。
作風の変化は「社会主義リアリズム」→「形而上絵画」→「表現主義」→「抽象表現主義」→「新表現主義」となっています。
社会主義リアリズムの作品
社会主義リアリズムとは?
「社会主義リアリズム」の最も人口に膾炙した定義は、旧ソ連圏における極めて政治色の強い作品群というものであろう。すなわち、社会主義を賛美するという明確な目的のために量産された、写実的な形態の作品群というものだ。概して「社会主義リアリズム」は、「ロシア・アヴァンギャルド」の実験を断ち切り、また“誰でもわかる”安直な形態の作品を量産したものとして低評価に甘んじており、確かに見るべきものは少ない。しかし、この傾向の抑圧が「ソッツ・アート」を生んだことも事実であるし、1930年代アメリカの公共事業促進局(WPA)からもわかるとおり、国家丸抱えのプロパガンダ芸術の系譜は必ずしも旧ソ連圏に限定されているわけではない。旧ソ連の崩壊後も、そうした作品は共産圏をはじめとする世界各地で多く作り続けられているが、現在ではそれらをより包括的に括る用語としては「ソーシャル・リアリズム」が用いられることが多く、「社会主義リアリズム」を誤った用語として退けている文献もある。
Bombardment
作成日:1937年
タイトル:Bombardment(直訳:砲撃)
Gladiator
作成日:1940年
タイトル:Gladiator(グラディエーター)
形而上絵画の作品
形而上絵画とは?
形而上絵画とは、1917年にパリで提唱されたイタリアの美術運動の一つ。一般に、1915年から18年までのジョルジオ・デ・キリコ,カルロ・カッラ,ジョルジオ・モランディの作品を指す。都市生活のダイナミズムを唱えた未来派の後に、その反動として表われ、神秘的な風景や静物のなかにメタフィジカル(形而上的)な世界を暗示しょうとした。作品の上では、キリコの表現に代表されるように、マネキンや彫像など様々な物体を、思いがけない取り合わせや奇妙な建築的透視空間の中に置くことで神秘的な雰囲気をかもし出すものが多く制作された。そのなかでもカッラは、線や色の視覚的特質により関心を示し、モランディは「形而上絵画を聖化した」と言われる静謐な静物画を追求した。グループとしての形而上絵画は、第1次世界大戦後長くは続かなかったが、キリコを通じてシュル・レアリスムの作家たちに与えた影響は大きい。
Drawing for Conspirators
作成日:1930年
タイトル:Drawing for Conspirators(直訳:共謀者のための絵画)
Martial Memory
作成日:1941年
タイトル:Martial Memory(直訳:武道の記憶)
表現主義の作品
表現主義とは?
表現主義とは、一般的に20世紀初頭に起こったドイツの表現主義のことを指す。その特徴は、内面的、感情的、精神的なものなど「目に見えない」ものを主観的に強調する様式である。
表現主義は、写実主義に対抗するように見えるが、実際は目に見える外側の世界だけを描いた印象派と対立するように生まれている。
The Porch
作成日:1947年
タイトル:The Porch
Porch II
作成日:1947年
タイトル:Porch II
抽象表現主義の作品
抽象表現主義とは?
1940年代後半から50年代にかけてアメリカ、特にニューヨークを中心に隆盛した芸術様式。46年に美術批評家のロバート・コーツによって命名された。バウハウスや未来派、キュビスムの流れを汲む非具象とドイツ表現主義などの激しい感情表現を基本とする。第二次世界大戦の戦禍を避けてヨーロッパの前衛芸術家たちがアメリカに多数亡命したことが直接の契機となり、抽象表現主義以降、芸術の発信地が従来のパリからニューヨークへとシフトしていくこととなる。50年代には批評家クレメント・グリーンバーグによるフォーマリズム理論の擁護を受けて大いに隆盛し、それ以降のアメリカ主導の美術という確固たる地位を築く礎となった。次第にキャンヴァスが巨大化、焦点を失い画面全体を均質に色や線が支配するようになる。キャンヴァスがイメージを再現することから逸脱し、ついには芸術家の描画行為のフィールドと認識されるに至る。ジャクソン・ポロックをはじめとするアクション・ペインティングやバーネット・ニューマンらのカラーフィールド・ペインティングも抽象表現主義に含まれる。しかしイリュージョンが徹底的に排除された結果、60年代には堅苦しく単調なものとなり影響力を失い始める。そして、対極的な具体的、大衆的イメージのポップ・アートやネオダダがアメリカ美術シーンの主流となっていく。
To B.W.T
作成日:1952年
タイトル:To B.W.T
The Tormentors
作成日:1948年
タイトル:The Tormentors(直訳:拷問者)
新表現主義の作品
新表現主義とは?
禁欲的・観念的な画風が支配的だった70年代から一転、80年代に入るや否や、荒々しい筆致や激しい色の対比を特徴とする絵画が登場する。この国際的な傾向は当初「ニュー・ペインティング」と呼ばれていたが、いつの頃からか、そもそもはドイツやイタリアにおける同種の動向を示すために創案された用語「ネオ・エクスプレッショニズム」が“世界標準”としてとって代わった。同じ動向を指すのに「ネオ・エクスプレッショニズム」のほうが適切なのは、「ニュー・ペインティング」という呼称があまりに漠然としているのはもちろん、70年代以前の「コンセプチュアル・アート」や「モダニズム」、さらには禁欲的な「ミニマリズム」に対する反発や、「アレゴリー」を取り入れた手法に、より適切に対応しているからであろう。その手法の一部は、20世紀初頭の表現主義にまで遡ることができるものであるが、数多いる作家のなかで、この点に関してとりわけ示唆的なのはA・キーファーではないだろうか。
The Studio
作成日:1969年
タイトル:The Studio(スタジオ)
Painting,Smoking,Eating
作成日:1972年
タイトル:Painting,Smoking,Eating
まとめ
いかがでしたでしょうか?
フィリップ・ガストンのように作風を何度も変えている画家はそういないと思います。
ただ作風を変えても世界から称賛されるのは、それだけの技術や表現力、作品に込められた強い想いがあったからだと思います。
日本でもガストンの作品を拝める機会があれば、ぜひ足を運んでみてくださいね!
参考文献
TOP写真:APOLLO|The week in art news – Philip Guston show postponed to 2024
WikiART|Visual Art Encyclopedia