【徹底解説】テオドール・ルソーとは?自然のありのままを描く風景画家

【徹底解説】テオドール・ルソーとは?自然のありのままを描く風景画家

こんにちは、ユアムーン編集部です。

皆さんは「テオドール・ルソー」という人物をご存知でしょうか?

ルソーは、フランスの緑豊かな地「フォンテーヌブローの森」のありのままの風景画を描き続け、これまでの保守的な絵画の考え方に抵抗し、風景画の地位を確立させた人物です。

また彼は後にバルビゾン派と呼ばれるグループの主要メンバーとなります。

今回はそんなテオドール・ルソーの人生と作品についてご紹介していきます!

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テオドール・ルソーってどんな人?

本名 エティエンヌ・ピエール・テオドール・ルソー(Étienne Pierre Théodore Rousseau)
生年月日 1812年4月15日
出身 フランス パリ
学歴
分野/芸術動向 絵画 / リアリズム

経歴と作品

生まれと環境

テオドール・ルソーは1812年4月15日にフランスのパリでブルジョワの仕立屋の家庭に生まれました。

1821年、ルソーは従兄弟の画家から風景画を学びます。

当初、両親はルソーに商売の勉強をさせるつもりでしたが、少年時代から芸術的才能を発揮したルソーを見てジャン・シャルル・レモンのアトリエに通わせて、ルソーの画家になる目標を支援することにしました。

レモンは歴史的な風景画家として広く評価された人物でしたが、ルソーはそこでの修業生活に満足できず、新古典主義の画家として名高いギヨーム・ギヨン=ルティエールのアトリエに通います。

しかし、そこでもルソーの望んだ教育を受けることはできず、古典的なスタイルに不満を抱いたルソーは自然をテーマに絵を描こうと考え始めます。

ルソーは早くから自然への関心を示しており、フランスのジュラ地方に旅へ行った際に目にした緑豊かな美しい風景に魅了され、その生涯を風景画に注ぐことになります。

ジュラ地方の風景のほかに、17世紀のオランダ風景画家やイギリスの風景画家「ジョン・コンスタブル」からも影響を受けているようです。

参考記事:

【徹底解説】ジョン・コンスタブルとは?人生と作品を追う

ローマ賞落選と初めての成功

1829年、ローマ賞の歴史風景部門に落選したルソーは、自分の興味が神話的なモチーフを用いて自然美を引き立てることではなく、壮大でダイナミックな存在としての自然をテーマとするという考えに惹かれていることに気づきました。

18歳になるとルソーは絵画の題材を求めて友人のオーギュスト・シャルル・ラ・ベルジュとともにフォンテーヌブローの森を探索し始めたり、オーヴェルニュ地方で数ヶ月滞在します。

フランスの若いロマン派グループ「ジューヌ=フランス」からは距離を置いていたようです。

1831年5月、ルソーは「Paysage, site d’Auvergne(オーヴェルニュの地、ペイサージュ)」という作品を発表し、パリのサロンに入選し初めての成功を収めます。

1830年前後の作品

保守的な風潮への対立

歴史画などで表現される偉大さが評価されていたこの時代は、風景画の価値は低く批判されるものでした。

初期にルソーを指導していたレモンはルソーの構図や自然主義的なテーマを非難していましたが、ルソーはそれを無視して独自のスタイルを確立します。

そしてロマン派画家として高く評価されていたアリイ・シェフェールという人物と知り合うと、ルソーら風景画家の支持者となります。

The Descent of Cows from the High Plateaus of the Jura (1836)

「ジュラ高原からの牛の降下」は西洋の風景画の伝統である横長ではなく、構図を圧縮した縦長の作品になっています。

全景は牛と牛の群れを率いて下る牛飼いが描かれ、背景は空を覆うような林が描かれています。

ルソーの絵は自然が単なる背景として扱われることはなく、自然自身の壮大さ、美しさをテーマとしています。そこには神話的、聖書的な意味合いもなく、自然のあるがままが描かれています。

伝統的な慣習を無視して作られたこの作品は1836年のサロンで落選し、それがきっかけとなりフォンテーヌブローの森のはずれ、バルビゾンに移り住みます。

異端児でありながらも、バルビゾン派からの支持を得る

伝統的な習わしに反抗し、自分の風景画のスタイルを切り拓いていったルソーは、サロンの保守的な姿勢に抗議するために作品の提出をやめ、後に「le grand refusé(落選王)」というニックネームが付くことになります。

しかしそんな時期も前向きにフランスの田園地帯を旅して絵を描き続けており、彼の芸術家としての能力はバルビゾン派の支持者などによって認められていました。

バルビゾン派は1830年から1880年にかけてバルビゾンの農村周辺に住み、風景を描いた画家たちの非公式なグループです。

バルビゾンに集まった画家たちは1日の終わりに宿に集まり、コーヒーや紅茶、ワインなどを飲みながら絵について語り合っていたようです。

婚約の破談

1839年、ルソーは画家モーリス・サンドとの交友を通じてモーリスの母であり、著名な作家であるジョルジュ・サンドと出会います。

森林地帯の商業化に伴う開拓に反対する運動に取り組むなど、ルソーの自然に対する姿勢に触発されて活動をしていたジョルジュ・サンドは1847年にルソーに養女のオーギュスティーヌ・ブローとの結婚を勧めます。

しかし結婚の届出を出そうとした矢先、ルソーの元にジョルジュ・サンドの不誠実な約束とオーギュスティーヌの軽薄さを非難する匿名の手紙が届き、この婚約は破談となりました。

少しするとルソーと同じくバルビゾン派の代表的なメンバーとなる「ジャン=フランソワ・ミレー」と出会い、生涯付き合うこととなる心の友になります。

破談により精神的ダメージを負っていたルソーでしたが、ミレーの温かい友情に支えられ1848年にルソーはバルビゾンに定住します。

二月革命により公式に認められる

同年、二月革命が起きるとサロンの保守的な審査体制も変革され、ルソーは公的な制度に参加できるようになります。

An Avenue of Trees, Forest of l’Isle-Adam (1849)

1836年のサロンでは「ジュラ高原からの牛の降下」で縦長レイアウトの絵画を提出し不採用となりましたが、1849年のサロンでは同じく縦長のレイアウトの作品「An Avenue of Trees, Forest of l’Isle-Adam(樹木の並木道、リル=アダムの森)」が認められ、ルソーは一等賞を獲得します。

この絵画は1846年から描き始め、画家仲間の「ジュール・デュプレ」とともにアダム島に滞在しながら描き続けますが、翌々年に再び訪れるまでは未完成のままの作品でした。

影から光へと移る表現は、カメラのビネットのようで中央に視線誘導されるような効果をもたらし、魅力的な静けさを生み出しています。

この後ルソーは1852年にレジオン・ドヌール勲章を授与され、1855年の万国博覧会では13点の絵画とともに金メダルを獲得しています。

森の人

ルソーは自らを「森の人」と定義し、木々は魂を持っており、木々を描いた絵を肖像画とみなすほど木を愛していたようです。

ミレーはルソーのことを以下のように語っています。

「森、静寂、孤独。ルソーは私よりもそれらを愛している。彼は海に浮かぶ船乗りのように何時間も岩の上で動かず、船長のように船首甲板を見張っているかのようだ。彼は絵を描くのではなく、瞑想し愛する木々をゆっくりと深く自分の魂に浸透させるのだ。」

晩年

晩年は画家としての名声も確立しますが、1860年代になると1848年の破談の後に結婚していたエリザ・グロの病気が長引いたこととルソーの作品への関心の低下が原因で生活費を稼ぐのに苦労するようになります。

1867年に万国博覧会の審査委員長に任命されますが、展覧会を開いた1ヶ月後に脳出血を起こし半身不随となったルソーは歩くことができなくなります。

ミレーの介護により一時的に回復し、ベッドの上で風景画を描く生活を送りますが健康状態は再び悪化し1867年の12月22日の朝、バルビゾンで55歳で亡くなります。

まとめ

いかがでしたか?

今回は自然を描き、風景画の地位を確立させたテオドール・ルソーについてご紹介しました。

サロンの審査体制に反抗してまで風景画にこだわる彼の生き様からは、自然を愛した彼の芸術への深い熱意が伝わります。

ルソーについて気になった方は、さらに深掘りしてみてはいかがでしょうか?



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