【徹底解説】東洲斎写楽ってどんな人?謎多き天才浮世絵師の人生と作品について

こんにちは!ユアムーン株式会社 編集部です!

突然ですが、皆さんは東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)という浮世絵画家を知っていますか?

活動期間はなんと10ヶ月!その短い期間にも150点もの作品を残した浮世絵師です。しかしその正体、人物については記録が残されていないことから「謎の浮世絵師」として今もなお出自や人物像については研究が続けられています。

この記事では謎の浮世絵師、東洲斎写楽の『人生』と『作品』についてご紹介します!

東洲斎写楽とは?

東洲斎写楽基本情報

本名 不明
国籍/出身 不明
生年月日 不明
分野/芸術動向 浮世絵
学歴/出身大学など 浮世絵師
公式サイト/関連サイト 大阪浮世絵美術館

浮世絵って何?

”浮世”とは

出典:THE MET,「三代目坂東彦三郎 帯屋長右衛門、四代目岩井半四郎 信濃屋王飯 芝居「二本松みちのくそだち」」,https://www.metmuseum.org/art/collection/search/37373

 

「浮世絵」とは、江戸時代初期に成立した日本独自の技法の絵画を指します。江戸中期ごろから明治まで、庶民を中心に親しまれた日本美術の一つです。

“浮世”とは人々が生きているこの世の中を指しています。この浮世を描いたものである浮世絵には、その当時に生きていた人々の暮らしや文化、流行など、庶民を中心とした世界観、彼らが興味を持ったありとあらゆる物事が描かれます。

写楽がその名を馳せることとなった、歌舞伎役者を描いた「役者絵」は浮世絵の題材としてはオーソドックスで、その他にも芸者や花魁などの女性を描き、当時のファッション雑誌的立ち位置で女性のトレンドを生んだ「美人画」、物語などで語られる有名武士を描いた「武者絵」、マンガのようなデフォルメされたタッチで面白おかしな絵を描く「戯画」、性風俗を描いた「春画」など、その題材やジャンルは多岐にわたっています。

「大衆美術」を確立した浮世絵

出典:THE MET,「歌舞伎役者 八代目森田寛也 八代目御駕籠手」,https://www.metmuseum.org/art/collection/search/37371?who=T%c5%8dsh%c5%absai+Sharaku%24T%c5%8dsh%c5%absai+Sharaku&ao=on&ft=*&offset=0&rpp=20&pos=18

一般的な西洋画に多く見られる、紙に直接描く手法を浮世絵では「肉筆画」(にくひつが)と呼びます。しかし、当時浮世絵で主流だったのは肉筆画ではなく、現代で言うところのコピー、版画で刷った印刷物である「木版画」(もくはんが)、浮世絵の中でもより鮮やかな版画を「錦絵」(にしきえ)とも呼びました。木版画や錦絵は版元を持ち、何枚も印刷、今で言うところの出版に近い状態で増産することができたので、大量生産によって低価格だったために、庶民の間で広く流通しました。江戸当時、木版画の浮世絵の価格は蕎麦一杯程度だったと言われています。

庶民でも手軽に楽しむことができた為、ときには描かれた俳優や美人画のファッションや髪型、文化が流行することは珍しいことではありませんでした。そうして広く、長く庶民に愛される芸術としての地位を確立したのです。

「謎の浮世絵師」東洲斎写楽

出典:THE MET,「石井源蔵役 坂東二代目」,https://www.metmuseum.org/art/collection/search/37367?who=T%c5%8dsh%c5%absai+Sharaku%24T%c5%8dsh%c5%absai+Sharaku&ao=on&ft=*&offset=0&rpp=20&pos=19

東洲斎写楽は「4大浮世絵師」の1人に数えられ、「写楽」という名は、美術に詳しくない方でも一度は聞いたことがある、有名な浮世絵師ですよね。写楽は役者絵、中でも役者の顔のバストアップをでいた「大首絵」で知られます。

しかし、実はその出自、本名や生没年、出生地、家族、師匠や弟子に至るまで、全ての記録が一切残っておらず、「謎の浮世絵師」という二つ名でも呼ばれています。それに加えて、名が通った浮世絵師でありながらも活躍期間が短く、その期間はわずか1年未満(約10ヵ月)と言われています。しかしそんな短い期間でも約150点の作品を描き、ひっそりとその活動に幕を下ろしています。

といっても、流行や人気の波がある浮世絵師の活動は、短期的であることは当時そこまで珍しいことではなく、日本では大正時代ごろまで写楽の評価は今ほど高いものではありませんでした。彼はほんの一瞬、「大首絵」で江戸を賛否両論騒がせた、天才浮世絵師ではありましたが、その後の人気は下火になり、活動を消した後、再活動を追われる程の人気は得なかったのではないかといわれています。そのため、写楽の出自についても日本国内でフォーカスされることはなく「謎の絵師」としての評価もあとから登場したものです。

明治末に、ある一軒から活動と作品を再発見されるまでの間、写楽は他の多くの浮世絵師と同じく「忘れられた絵師」でした。

経歴と作品

大首絵

出典:「市川蝦蔵の竹村定之進」,THE MET,https://www.metmuseum.org/art/collection/search/37353

写楽が描き、寛政6年5月に刊行された28枚の役者の大首絵は、目の皺や鷲鼻、受け口など顔の特徴を誇張してその役者が持つ個性とその表情やポーズもダイナミックに描きました。個性を生かしたデフォルメ表現はそれまでの浮世絵にはなかったユニークな切り口で、当時は賛否ともに大きな反響を呼んだといいます。その中でも代表作として、「三世大谷鬼次の江戸兵衛」「市川蝦蔵の竹村定之進」、「三代坂田半五郎の藤川水右衛門」、「嵐龍蔵の金貸石部金吉」などが挙げられます。

手元の描写

出典:「三世大谷鬼次の江戸兵衛」,THE MET,https://www.metmuseum.org/art/collection/search/37358?who=T%c5%8dsh%c5%absai+Sharaku%24T%c5%8dsh%c5%absai+Sharaku&ao=on&ft=*&offset=0&rpp=20&pos=9

そして個性的な顔や表情のデフォルメ表現と並んで、写楽の描く大首絵の特徴として挙げられるのが、同じく独特なポージングにあります。写楽の作品の中で最も有名な「三世大谷鬼次の江戸兵衛」を注視すると、インパクトがあり視線を集める顔の大きさに対して、小さな手元が際立って見えませんか?着物の懐からぬっと突き出した小さくも力のこもったこの手、芝居のとあるシーンを再現した表現です。

 

 

 

 

 

 

出典:「三世大谷鬼次の江戸兵衛」,THE MET,https://www.metmuseum.org/art/collection/search/37358?who=T%c5%8dsh%c5%absai+Sharaku%24T%c5%8dsh%c5%absai+Sharaku&ao=on&ft=*&offset=0&rpp=20&pos=9

同じくラインナップされていた写楽の「市川男女蔵の奴一平」は「三世大谷鬼次の江戸兵衛」と対になる作品で、張り詰めた面持ちで刀を握りしめています。この二つの作品、向かい合わせになるように並べると二人の目線が合っているのがわかります。舞台上で対峙しているような構成です。

描かれているのは、江戸兵衛が奴一平から金を盗もうと襲い掛かるシーン。「大首絵」というスタイルはバストアップを描くので、制約のある動きの中で役柄の感情やストーリー展開を想像させるような描写をしなければならず、絵師の力量が試されるのです。写楽の緻密な計算にもとづく役者の手元の描写には、芝居の緊張感がリアルに表現されており、舞台上の空気感を描いた写楽の大首絵は話題を呼びました。

雲母摺(きらずり)

出典:THE MET,「嵐龍蔵の金貸石部金吉」,https://www.metmuseum.org/art/collection/search/37330?who=T%c5%8dsh%c5%absai+Sharaku%24T%c5%8dsh%c5%absai+Sharaku&ao=on&ft=*&offset=0&rpp=20&pos=12

大首絵が刊行された寛政6(1794)年は、北斎や歌麿といった人気絵師が活躍していた時代です。写楽江戸のヒットメーカーである版元・蔦屋重三郎(つたやじゅざぶろう)のディレクションで「大首絵」を、一挙に28点発表したことは、当時からみてもデビュー作として豪華な扱いとであると言われています。さらに、この大首絵の背景部分には、新人絵師には似つかわしくないほどの贅沢な工夫がありました。人物の部分に型紙を当て、墨に鉱物性の雲母(きら)と膠(にかわ)を混ぜた「黒雲母」(くろきらら)と呼ばれる光沢のある絵具で塗りつぶし、役者の姿を際立たせる演出を施したのです。天然の鉱物顔料なので、画面上ではそのきらめきは伝わりませんが、光の加減でキラキラと輝く雲母摺と呼ばれるコストも手数もかかる手法を用いた大首絵。当時も出自や経歴は一切不明の、新人ましてや無名の画家でありながら、写楽は前例のない華々しいデビューを果たしたことも、写楽のミステリアスに色を付けています。

デフォルメ

当時の役者絵は、今で言うところのブロマイドのような役割を持ち、江戸の市民は歌舞伎を楽しんだ後などにグッズとして役者絵を買い求めたようです。芝居好きや役者のファンが買うグッズなので、従来の役者絵では役者を美化して描いたり、役柄の設定に合わせたデフォルメで描くことが多かった中で写楽の役者絵では、大胆に役者本人の顔の個性をデフォルメした似顔絵だったのです。役者の個性を、美醜を問わずとらえ描いた大首絵はある場所では評判が高く、ある場所では非難されていたといいます。賛否両論で世間が騒ぎ、世間の注目を浴びることとなる、”バズった”作品となりました。

評判

出典:THE MET,「中山富三郎 劇中宮城野」役,https://www.metmuseum.org/art/collection/search/37347?who=T%c5%8dsh%c5%absai+Sharaku%24T%c5%8dsh%c5%absai+Sharaku&ao=on&ft=*&offset=0&rpp=20&pos=17

10ヶ月約150点の作品を残して忽然と消えていった東洲斎写楽。長く謎とされていた東洲斎写楽の正体ですが、先に述べた通り、現在では阿波徳島藩お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛であるというのが定説となっています。

ところが、彼にはまだ分かっていないことが多くあります。その最たるものが、「なぜ、東洲斎写楽は短期間で姿を消してしまったのか」というものです。今でこそ、他の浮世絵にはない個性が面白みとして高く評価されている写楽の大首絵ですが、当時も同じ評価があったもののその反面、写楽の画風を面白く感じていなかった層もいたといいます。

この理由は、1846年(弘化3年)に発行された「堀田甚兵衛」(ほったじんべえ)著の「江戸風俗惣まくり」の一節から読み解けます。

『東洲斎写楽といふ絵師の別風を書き顔のすまひのくせをよく書たれど、その艶色を破るにいたりて役者にいまれける』(東洲斎写楽という絵師は、それまでの絵師とは異なる画風で、顔の特徴をよく捉えて描いたけれど、役者達には「艶色を破る」ということで嫌われてしまった)

豪華なラインナップ、凝った技法も使用し、華々しいデビューの裏側で、描かれた役者達からの不評があったのは確かだったようです。

「あまり真を画かんとて、あらぬさまに」

出典:MFA Boston,「「天王子(寺)屋里虹」 二代目山下金作の仲屋おかね、実は貞任妻岩手御前」https://collections.mfa.org/objects/206734/actor-yamashita-kinsaku-ii-also-called-tennoji-riko-as-the?ctx=993615fc-9f6f-484f-b916-1e66eef95484&idx=6

東洲斎写楽の作品に対する評価について、写楽とほぼ同じ時代を生きた戯作者である大田南畝(おおた なんぽ)は、写楽について次のように残しています。

「これまた歌舞伎役者の似顔をうつせしが、あまりに真を画かんとてあらぬさまにかきなせしかば、長く世に行われず、一両年にして止む」

写楽は約者自身をリアルに描こうとしており、その特徴を捉える技術は誰もが、役者たちでさえも認めていました。しかしその高い技術によって「あらぬさま」=”あってはいけないように”役者を描いてしまったのです。

出典:MFA Boston,「二代目小佐川常世の一平姉おさん」,https://collections.mfa.org/objects/206717/actor-osagawa-tsuneyo-ii-as-ippeis-older-sister-osan?ctx=993615fc-9f6f-484f-b916-1e66eef95484&idx=4

写楽は役者絵を描く絵師として、タブーに触れていました。舞台の上は遠いので客席からは役者の顔立ちや表情はよく見えません。よく見えない役者の顔を、もっと近くで見たいというファン心をくすぐるために描かれていたのが大首絵でした。それを前提にすれば、女形の役者絵をであれば、女性らしく、美しく色っぽく描くのが浮世絵だったのです。しかし、写楽はその姿を決して美化せずに、ありのまま描こうとしたたため、女形の役者も男性の骨格を持った「女装した男」の姿として描きました。

写楽らしいデフォルメが施されているものの、そこに描かれているのは役というキャラクターではなく、役者そのものでした。そのため、本来の大首絵に求められた、キャラクターを投影させた印象を表現することはありませんでした。舞台上で美しく舞い踊る女形も近くで見たらこう見えてしまうという現実を、ファンたちに突き付ける作品となってしまったのです。

のちに世界的に評価される写楽の渾身の大首絵ですが、奇しくもファンを幻滅させる作品となってしまったことから、その後描かれなくなり、作風の方向転換を余儀なくされることとなります。

これが写楽が当時一発屋として、忘れられた浮世絵師になってしまった原因といわれています。

大首絵以降の作品の評価は当時も現代も高いものではなく、後年の作品では役者名を違えてしまうのなどのミスも相次ぎ、ファンが離れていったといいます。

しかし、直接的に写楽が姿を消した本当の理由は、まだわかっていません。

再評価を得た要因・ドイツで出版された「SHARAKU」

江戸の世では賛否両論、後年は不評だったと伝わる写楽の作品ですが、躍動感溢れる個性的な役者絵は、現代でも今なお新鮮にうつります。その評価は国内だけではなく、世界では日本以上の高い評価を受け続けているのも事実です。写楽の再評価、そして、「謎の浮世絵師」という二つ名を冠することきっかけ「写楽探し」が躍起になったのは、ドイツの心理学者ユリウス・クルトが書いた「SHARAKU」でした。

画家の性格や心理の分析的考察に大きな関心を持っていたクルト博士は、浮世絵に限らず、日本文化の研究と紹介に情熱を傾けた心理学者でした。写楽の登場から116年後である1910年、クルトは浮世絵研究のさきがけとなる書籍「SHARAKU」をドイツ・ミュンヘンで出版します。

写楽に関する研究が進んだ現代では、当時のクルトの著書には一部誤りも見られますが、鎖国も相まって日本に関する情報が少なかった20世紀の初めであることを加味すれば、精度の高い研究ということがわかります。このクルトの「SHARAKU」をきっかけして、写楽は世界的な知名度を得ることになりました。

正体

「謎の浮世絵師」とよばれ、写楽探しの発端となったクルトは、写楽直後に登場した浮世絵師・歌舞伎堂艶鏡(かぶきどうえんきょう)と写楽を同一人物だと考えましたが、その後も写楽の正体に関しては、他の数多くの研究家や作家がさまざまな説を提唱しています。

その画力の高さから、葛飾北斎・喜多川歌麿・歌川豊国など、著名な浮世絵師が写楽の正体であるとする説、浮世絵以外の分野で活躍した江戸時代の絵師であるとの説、版元である蔦屋重三郎こそが、写楽本人とする説など、手掛かりの少なさからか、写楽ではないかと目されている人物はかなりの人数となります。

しかし、様々なアプローチから研究が進んだ現代、最も有力とされているのは能役者の斎藤十郎兵衛(さいとうじゅうろうえもん)である説。(クルトは、この斎藤十郎兵衛がはじめ写楽を名乗り、のちに艶鏡を名乗ったと考えていました。)さまざまな条件が写楽の活動と一致すること、そして何より、役者のリアルな姿を表現し、描くことができたのは絵師本人が舞台に近い存在であったから、という解釈のもあり、この説が有力となっています。しかし、斎藤十郎兵衛だと仮説を立てたとしても、絵師としての経歴や大首絵を筆頭として役者絵を描いた経緯については不明であり、今もなお写楽の謎を明らかにしようとする研究は進められています。

強烈なインパクトの作品を数多く残し、世界的に高い評価を受けながらも、彼が「謎の浮世絵師」でミステリアスな存在であることが、世界の興味を惹きつけつける写楽の魅力となっているとも言えるでしょう。

まとめ

当時から出自や人となりが公表されていなかったことから「謎の浮世絵師」として海外でフォーカスされ、現代に至るまでその正体については未だにはっきりした人物像が出ていない写楽。

活動期間が10ヶ月と短い期間であったものの、多くの作品を残しその中でも初期の作品は特に「写楽らしさ」を感じ、美術に興味がない方でも面白みを感じるような、ストーリー性のある役者絵が特徴的でした。

出自について謎のある写楽、そのバックボーンを含めて国内外で愛されており、美術展も度々開かれ、写楽を追った書籍も多く残されています。



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