【徹底解説】歌川国芳ってどんな人?作品と人生を3分で理解しよう!

【徹底解説】歌川国芳ってどんな人?作品と人生を3分で理解しよう!

こんにちは!ユアムーン株式会社 編集部です!

突然ですが、皆さんは歌川国芳という浮世絵師を知っていますか?

発想力が非常に豊かな浮世絵師で、幕末の浮世絵界を活性化させた人物です。

この記事では歌川国芳の『人生』と『作品』についてご紹介します!

歌川国芳とは?

相馬の古内裏(そうまのふるだいり)

歌川国芳 基本情報

本名 歌川国芳(うたがわ くによし)
国籍/出身 江戸日本橋本銀町一丁目(現・東京都中央区日本橋本石町四丁目)
生年月日 1798年1月1日
分野/芸術動向 浮世絵
学歴/出身大学など 歌川豊国に師事
公式サイト/関連サイト UKIYO-E KURASHIKI/国芳館

こちらから作品も購入できます。

浮世絵ってなに?

皆さんは浮世絵という言葉は聞いたことがあっても、どういうものかと言うと説明に困ってしまうのではないでしょうか!?

浮世絵とは江戸時代初期に成立した絵画のジャンルの一つで、江戸中期ごろから明治まで広く庶民に親しまれていました。肉筆画(紙に直接描いたもの)と版画の二種類の方法で制作されており、一般に版画の方が庶民に親しまれていたようです。版画では、版元と呼ばれる企画を行う出版社の元、絵師(作画)、彫師(原版彫)、摺師(印刷)の分業体制で制作されており、一般に私たちが知る浮世絵師というのは「絵師(作画)」になります。
※因みに浮世絵の価格は当時の蕎麦一杯程度と言われており、非常に安価に購入できたようです。

有名な浮世絵師には葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳、喜多川歌麿、東洲斎写楽などが挙げられます。

 

▼浮世絵については今後くわしく解説する予定です!▼

経歴と作品

歌川豊国への入門と苦難の日々

歌川国芳は1798年1月1日、江戸日本橋本銀町一丁目(現・東京都中央区日本橋本石町四丁目)の染物屋の家に生まれました。(実は歌川広重と同じ年に生まれています。)

国芳が亡くなった後の明治6年に遺族と門弟たちにより建てられた石碑には、国芳は幼少期から絵を学んでいたようです。7歳の頃になると北尾派の浮世絵師が描いた作品、『絵本武者鞋』や『諸職画鑑』を模写していたようです。(ダヴィンチの工房の弟子たちも師匠の作品を模写していました。うまい人の絵をまねることはいつの時代も大切なことなんですね!)

斎藤吾国武

12歳の頃に描いた「鍾馗提剣図」が後に師となる歌川豊国に高く評価され、当時最大の流派となりつつあった歌川派に15歳で入門しました。才能を認められ気鋭の流派に入ったものの、国芳の作品はヒットせず、苦労の日々を過ごします。

1813年頃の戯作者・浮世絵師の相撲見立番付には前頭27枚目に挙げられており、決して人気の高い浮世絵師とは言えなかったようです。(相撲見立番付とは力士の位付けの形式にならい、様々なものの番付(ランキング)する一枚刷りの出版物です。江戸時代の庶民の間で流行っており、豆腐料理の番付や温泉の番付など、様々なテーマをランク付けされたものがありました)

Saitogo Kunitake, Japanese actor, 1810 - 1816 - Utagawa Kuniyoshi

31歳にして武者絵でヒット

師豊国や兄弟子の国貞などの人気に押されてしまい、不遇の期間を過ごした国芳ですが、文政10年(1827年)頃に発表した『通俗水滸伝豪傑百八人』で一躍有名になります。この連作により武者絵の国芳としての地位を確立しました。

通俗水滸伝豪傑百八人 摩雲金翅

『通俗水滸伝豪傑百八人』とは水滸伝(すいこでん)という『西遊記』『三国志演義』『金瓶梅』とともに「四大奇書」とされる中国の明の時代に制作された長編白話小説です。錦絵として初めて水滸伝を扱ったのは国芳と言われており、国芳はこの作品で人気浮世絵師に名を連ねました。歌川国安や歌川国貞もそれに続き水滸伝をテーマとした作品を発表し、水滸伝ブームを巻き起こしました。

通俗水滸伝豪傑百八人 摸着天杜遷

物語の中に登場する英雄たちのエピソードや個性を基とし、絵を文章を組み合わせ生き生きとした風貌を描いています。現在、108人のうち重複するものを含め74図が確認されています。その中の一部には3枚刷りの大きな作品もあります。

東都名所 大森

『東都名所』という人気作品もこの頃制作されたもので、国芳は西洋の陰影表現を取り入れた優れた作品も残しています。この作品は海に立てたヒビから海苔を取る女性を描いています。

Seaweed Gatherers at Omari, c.1833 - Utagawa Kuniyoshi

東都名所 霞ヶ関

この作品は『東都名所』の中でも国芳らしい雲の表現を見ることが出来ます。画面両側にある白壁と海鼠壁は大名屋敷のもので、筑前福岡黒田藩のもの言われています。

High Noon at Kasumigaseki, 1830 - Utagawa Kuniyoshi

天保の改革と幕府の規制

天保元年(1830年)頃には自分で新和泉町玄冶店に借家を借り、洋風風景画、美人画、武者絵など、様々なテーマの絵を制作していました。弟子も持つようになり、絵師として順風満帆な生活を送っていました。

しかし、1830年から始まった天保の改革の影響が国芳ら浮世絵師にも影響を及ぼすようになり、人情本、艶本などが出版できなくなってしまいました。浮世絵も同様に、役者絵や美人画などが出版できなくなってしまいました。

源頼光公館土蜘作妖怪図

こうした弾圧に対して国芳は浮世絵で対抗。この作品は表向きは平安時代に活躍した武将の源頼光の蜘蛛退治の様子を描いていますが、国家危急の時に惰眠している将軍・徳川家慶を描いていると言われています。奥に描かれた妖怪たちにも風刺が込められており、富くじが禁止に対する「富くじ妖怪」や噺など寄席の禁止に対する「歯のないろくろ首には歯なし」など、いたるところに風刺的表現があります。江戸の庶民はこうした幕府に対する刺の意味を理解し、大喜びしていたそうです。

無論、幕府も国芳に対して尋問したり罰金を課すなどの対応をしましたが、幕府の規制をかいくぐり作品制作を続けました。こうした国芳の姿勢もあり、江戸の庶民にとって国芳はヒーロー的な人気者となりました。

里すずめねぐらの仮宿

弘化3年(1846)、天保の改革の規制が続く中で国芳は吉原の賑わいの様子を描く大胆な作品を発表します。「里すずめねぐらの仮宿」では吉原を題材としながらも人物を動物に変換して描くことで規制をかいくぐりました。非常にユーモアのあふれる世界となっています。

武者絵と西洋画

天保の改革の中心人物であった水野忠邦が失脚すると、浮世絵に対する規制が解かれ、再び武者を描くことが出来るようになります。

国芳は武者絵で一躍有名になったものの、西洋美術の技法を取り入れることに困難を感じていたようです。当時入手が困難であった西洋の銅版画を集め、遠近法や陰影の付け方の研究をしていましたが、「西洋画は真の画なり。世は常にこれに倣わんと欲すれども得ず嘆息の至りなり」(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/歌川国芳)と話しており、修得には至れなかったようです。

晩年は横浜絵(幕末から明治にかけて、横浜を画題に描いた錦絵)の制作も始めましたが、江戸時代が終わるとともに国芳も65歳の生涯を閉じました。

宮本武蔵と巨鯨

この作品は幕府の規制が解かれてからすぐに描かれた作品の一つで、江戸初期に実在した剣客・宮本武蔵のクジラ退治の伝説を描いた作品です。三枚綴りの大きな作品で、画面全体に広がるクジラは画面全体の迫力を作り出しています。武蔵の圧倒的強さは人間では描き切れず、クジラと戦わせることでその強さを伝えようとしました。

Musashi on the back of a whale - Utagawa Kuniyoshi

他の作品

ここからは歌川国芳のその他の作品を見ていきましょう!

相馬の古内裏

この作品は国芳が西洋解剖学の書物を研究した成果の一つとされています。西洋医学は幕末には既に日本に伝わってきていました。骸骨の描写が学術的にもかなり正確で、国芳は西洋の解剖学に関する書物などの新しい知識を常に取り入れていたと考えられています。

また、本作品は山東京伝の読本『善知安方忠義伝』をテーマとしており、国芳の代表作の一つに数えられます。源頼信の家臣、大宅太郎光国が妖怪を退治している様子を描いており、画面いっぱいに描かれた骸骨が迫力のある画面を作り出しています。

そめいろづくし

国芳は擬人化のうまい浮世絵師であったことでも知られています。擬人化は「艦隊これくしょん」や「はたらく細胞」など、最近のアニメーションやゲームなどでも見られますが、江戸時代から庶民に楽しまれていたことには驚きですね(笑)。

其のまま地口 猫飼好五十三疋

この作品は猫を擬人化し、東海道五十三次の宿場町名を猫のしぐさの語呂合わせで描いています。日本橋は「二本だし(2本の鰹節=出汁)」、川崎は「蒲焼」など、当時の江戸の庶民の洒落好きがうかがえます。

国芳は大の猫好きであったことでも知られており、常に猫を数匹、時に十数匹飼っていたと言われています。亡くなった猫は回向院に葬られ、お墓や過去帳まで作っていたと言われています。ついには弟子に猫を描くように勧めることもあったと言い、猫をこよなく愛していたことが伝わっています。

みかけハこハゐが とんだいゝ人だ

国芳は豊かな発想で様々な作品を生み出した浮世絵師として知られています。この作品は国芳の寄せ絵の中でも特に知られているもので、作品中には「大ぜいの人が よつて たかつて とふと いゝ人をこしらへた とかく人のことハ 人にしてもらハねバ いゝ人にはならぬ」と書かれています。(大勢の人が集まり良い人が出来た! 人のことは人にやってもらわなければいい人にはならない!という意味です。)

At first glance he looks very fiarce, but he's really a nice person - Utagawa Kuniyoshi

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は、幕末に活躍した武者絵の巨匠、歌川国芳を紹介しました。時代によって描けるものと描けないものがあり、不自由な期間もありましたが、それに屈せず素晴らしい武者絵を多く制作していましたね!また、猫好きだったことから武者絵以外にも猫を中心に動物を擬人化した作品も多く制作していました。

歌川国芳を気に入った方は、下の画集なども買ってみてはいかがでしょうか!?