【徹底解説】ウラジミール・タトリンとは?人生と作品に迫る

出典:Model of the monument III International, WIKIART, https://www.wikiart.org/

こんにちは。ユアムーン 編集部です。

皆さんはウラジミール・タトリンという人物をご存知ですか?

ロシア構成主義の創始者として知られるロシアのアーティストで、現在でいうインスタレーション・アートや空間デザインのような画期的な表現手法の彫刻作品を多く残しました。

グラフィック・デザインに有名な作品の多いロシア構成主義ですが、キュビズムやシュプレマティスムなどグラフィカルな芸術運動に影響を受けつつ、それを立体作品へ高い次元で昇華した人物の一人がタトリンです。

本記事ではそんなウラジミール・タトリンの人生と作品についてご紹介します。

ウラジミール・タトリンとは?

Vladimir Tatlin

基本情報

本名 ウラジーミル・エヴグラフォーヴィチ・タトリン
Vladimir Yevgrafovich Tatlin
生年月日 1885年12月28日〜1953年5月31日(68歳没)
国籍/出身 ロシア/ウクライナ ハリコフ
学歴 ペンザ芸術学校
分野 画家、彫刻家、建築家、デザイナー、舞台芸術家
傾向 ロシア構成主義、ロシア・アヴァンギャルド
師事した/影響を受けた人物 カジミール・マレーヴィチ等

人生と作品

生まれと環境

1885年、タトリンは当時ロシア帝国の占領下にあったウクライナのハリコフという町に生まれます。

ハリコフは19世紀に工業都市として大きく発展し、ロシア人が大量に流入したことで首都キーウに続く大きな都市でした。

その中でタトリンは技師の家庭に生まれました。

タトリンは14歳の頃に家から逃げ出し、生計を立てるためにキャビンボーイとして働いていました。そして17歳になった1902年からモスクワにある美術学校に通い始め、絵画・彫刻・建築について学びました。

しかし、1904年に父が他界し、タトリンは芸術学校を中退しなければならず、その後彼はウクライナのオデッサで水兵としてエジプトやシリアを航海しました。

1909年、24歳になったタトリンはモスクワの美術学校で彫刻・建築を学びます。

立体作品の素養を身につけて芸術学校を卒業したタトリンは、1911年モスクワにスタジオを構え、舞台芸術やオペラの衣装など幅広いジャンルで活動を始めました。

ピカソに学ぶタトリン

タトリンは1914年にパリへ渡り、パブロ・ピカソ(1881〜1973)のアトリエを訪ねます。

ピカソといえばジョルジュ・ブラック(1882〜1963)と共にキュビズムという絵画手法で知られているフランスの画家です。

極端に抽象化し、あらゆる角度から平面分割されたモチーフを描くキュビズムに多大な影響(数年ほどですがタトリンが手がけた絵画作品にその影響がよく表れています)を受けたタトリンは、彼との出会いをきっかけに、後にロシア構成主義と呼ばれる所以となる表現手法を掴むことになります。

ロシア構成主義の誕生

『第三インターナショナル記念塔(1919〜1920)』

Monument to commemorate the Third International, 1919 - 1920 - Vladimir Tatlin
出典:Monument to commemorate the Third International, WIKIART, https://www.wikiart.org/

ピカソとの出会いを経たタトリンは、1920年に『第三インターナショナル記念塔(1919〜1920)』の制作を通して後のロシア構成主義に繋がる手法を築き上げていきました。

『第三インターナショナル記念塔』に見られるタトリンの作品は「平面による画面の分割」と「芸術と技術が日常に溶け合う」という視点によって生み出されました。

はじめの「平面による画面の分割」は、ピカソのキュビズムに学び取ったと考えられる顕著な特徴の一つです。オブジェクトを直線により分割し、空間と相互に作用することで物そのもの以上の現実的なボリュームと精神的なボリュームを生み出すことに成功しています。

次に「芸術と技術が日常に溶け合う」ことは、工業都市に生まれ技師の家庭を持つタトリンにとって生涯欠かすことのできないファクターであったのではないでしょうか。

画家の心象に委ねられた抽象芸術から距離を置いていたタトリンは、「芸術が何であるか」というよりは「芸術はどうであるべきか」を主題に作品を捉えていました。

そしてタトリンが行き着いた答えが「芸術と技術が日常に溶け合うこと」でした。

芸術は技術の革新と共にあるべきもので、それは鑑賞者にとって普遍的なものであるべきというものです。

具体的には、『第三インターナショナル記念塔』の素材は技術革新によって急速に市場に出回り、産業革命の象徴である「鉄」と「ガラス」によって構成されており、技術工への礼賛とその中で生きる人間の日常にふわりと溶け込むことができる「身近な芸術」を目指した結果だと考えられます。

また、『第三インターナショナル記念塔』は当時の構想では400mを超えるスケールで設計されており、逆説的ではありますが、芸術の現実性・実用性を投げかけていることも後のロシア構成主義に大きな影響を与えています。

芸術のあり方を人間生活にフォーカスしたタトリンのスタイルは、国境を超えて多くのアーティストに影響を与え、特にモダニズムの唱える「装飾的で観念的な様式主義の否定」「芸術に人間生活というランドスケープを与えること」「技術革新と並行して進化する芸術」という点で互いに影響を与えあったことを窺わせます。

ロシア構成主義を構成するモノ

『コーナー・レリーフ(1919)』

Tatlin Relief 2, 1914 - Vladimir Tatlin
出典:Tatlin Relief 2, WIKIART, https://www.wikiart.org/

このように、ロシア構成主義の萌芽の一つとなる「芸術のあり方」を見定めたタトリンですが、彼は作品を通して新たにスタイルを築き、そしてロシア構成主義の歴史をさらに先へ進めます。

1914年、ピカソに会いに行ったタトリンは帰国するとともに「絵画的レリーフ」の制作に取り組みました。1914年5月にモスクワで開かれた「最初の絵画的レリーフ展」では様々な素材の工業部品を組み合わせた目新しいオブジェを非対称に構成する作品をいくつか発表しました。

その中でも有名なのは『コーナー・レリーフ(1919)』ではないでしょうか。

カウンター・レリーフともタトリン・レリーフとも呼ばれるこの作品は、展示室(タトリン自身のアトリエ)の隅に追いやられたように展示され、ガラスやワイヤーなどの新しい時代の象徴である素材をコラージュ的に組み合わせたものです。

一連の作品の背景としてはタトリンが1911年から舞台芸術のデザイナーとして働いていたことも関わりがあるかもしれません。

異素材を組み合わせたオブジェという点も目を引きますが、部屋の隅の壁に貼り付けられて空中に浮いたような展示をされたこの作品は「彫刻は台座に置かれる物」という既成概念に囚われない展示方法をしている点でも、当時は希薄だった「空間演出」という概念を全面に打ち出した作品でもありました。

この展示方法は1909年にイタリアの詩人であるフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ(1876〜1944)が宣言した未来派の影響も伺えるものです。

ブルーノ・ムナーリ(1907〜1998)ウンベルト・ボッチョーニ(1882〜1916)に代表される未来派は、様式的な芸術の撤廃と機械の台頭による近代社会の風刺を特徴とする芸術運動です。ロシア構成主義への影響という点では、伝統への挑戦的な表現方法と、きたるべき未来を象徴する目新しいモチーフや構成の多用、作品を展示する空間そのものを演出する手法が挙げられます。

そして未来派は「イタリアン・アヴァンギャルド」と言われてもいるのです。

このように様々な芸術運動に影響を受けながら、産業革命以降の新時代を礼賛するように伝統に囚われないスタイルを確立していったタトリンですが、この『コーナー・レリーフ』を決定的なきっかけとしてロシア構成主義は始まったと言っても良いでしょう。

タトリンは本当にロシア構成主義の創始者だったのか?

『ワシリー・カンディンスキー(1866〜1944)』自画像

Wassily Kandinsky

タトリンはロシア構成主義およびロシア・アヴァンギャルドの創始者として知られていますが、実際は構成主義を批判する立場で語るべき人物でもありました。

1920年ごろにモスクワ・インフクという芸術研究機関が画家であるワシリー・カンディンスキー(1866〜1944)によって設立されます。

いくつか支部を持ったインフクですが、タトリンはペトログラード(現在のサンクト=ペテルブルク)の代表でした。

芸術研究機関としてロシア構成主義を大きく発展させたインフクでしたが、カンディンスキーが好んで用いた「芸術が人間の心理に働きかける作用」について批判が集まったことをきっかけにインフクの中で別のグループが誕生しました。

それが「客観分析グループ」です。これはアレクサンドル・ロトチェンコ(1891〜1956)が中心になったグループで、カンディンスキーが去ったあとに彼の思想を批判的に捉え直すためのものでした。

このようにグループ内の統合分裂の歴史があるインフクですが、タトリンもある人物と因果な関係にありました。それはヴィテプスクに所在するインフクの代表であるカジミール・マレーヴィチ(1879〜1935)でした。

タトリンとマレーヴィチ、相反する2人のロシア構成主義者

『黒の正方形(1915)』

Black Square, 1915 - Kazimir Malevich

彼は20世紀に起きたヨーロッパの芸術運動に大きく影響を受け、抽象絵画で「立体未来主義(クボ=フトゥリズム)」というスタイルを確立し、ロシア構成主義およびロシア・アヴァンギャルドを大きく発展させた人物です。

タトリンと共に彼も「ロシア構成主義の創始者」と称されますが、二人は制作を共にするというよりは互いに批判をしあうような関係でした。

マレーヴィチは「立体未来主義(クボ=フトゥリズム)」というスタイルで知られますが、その思想の根幹は「シュプレマティスム(至高主義)」という名前で知られます。その名の通り感性に訴えかける絶対的な芸術を目指したもので、その禁欲的で抽象的な思想は、タトリンの目指す日常に溶け込むべき芸術と相反するものでした。

そのためタトリンはロシア構成主義グループに属していながら、シュプレマティスムを萌芽として生まれた初期のロシア構成主義を批判する立場にあったのです。

対立のきっかけは1915年12月ペトログラードで開催されたの展覧会「最後の未来派絵画展 0,10」で、この展覧会はマレーヴィチのシュプレマティスムの名を世界に広めることになりましたが、その思想の違いが顕著に表れたものでもあり、タトリンとの対立を生む結果にもなりました。

カンディンスキーやミハイル・ラリオーノフ(1881〜1964)など原点となる手法は共通の人物から学び取ったという経緯を持つ二人ですが、早い段階で異なる芸術性に辿り着いたのは因果を感じる運命ですね。

また、同じく批判的な立場にいたロトチェンコはタトリンから多大な影響を受けたことを語っており、必ずしもロシア構成主義そのものと対立していたわけではありませんでした。

結果的にタトリンはマレーヴィチと袂をわかち、それぞれ別の芸術性を模索することになりますが、それはむしろロシア構成主義およびロシア・アヴァンギャルドの広い芸術性を生み出すことになったのかもしれません。

現代アートへ、100年先の跳躍

『レタトリン(1930〜1931)』

Letatlin, 1930 - 1932 - Vladimir Tatlin
出典:Letatlin, WIKIART, https://www.wikiart.org/

1920年以降、タトリンは神秘主義(神などの絶対者へ統合するため、自己超越を目指す理論)に傾倒しており、とりわけ飛行を有るべき時代の人間が失った能力であるというアプローチから、飛行についての研究を行っていました。

そうして制作されたのが『レタトリン(1930〜1931)』という羽ばたき飛行機です。作品名はロシア語で「レターチ(飛ぶ)」と自身の名前「タトリン」を組み合わせた造語で、当時あった飛行機よりもさらに原始的な作りをしています。

飛行技術が生まれたことで人間が「空を飛ぶ」ことを忘れてしまった(飛行への渇望を失ってしまった)と考えたタトリンはこの飛行機の羽を美しく仕上げるにあたって、当時は人が搭乗して空を飛ぶことができるように構想したはずが、結局は飛ぶことが不可能な機構になってしまったといいます。

タトリンが芸術性を追求した結果のミスであるという言説も多く、「人は空を飛ぶことを目指すべきだ」という思想も一風変わっていますが、多くの人にとって空を飛べることが当たり前になった現代では、むしろ飛べない『レタトリン』の存在はタトリンが構想した「渇望を失った人々」そのものを象徴するようにも感じられます。

タトリンの意図とは異なるかもしれませんが、技術革新によって作品のバリューを高めるという振る舞いは現代アートやインスタレーション・アートを彷彿とさせますし、その作者が「芸術と技術が日常に溶け合う」ことを願っていたタトリンであるというというのは時代のアイロニーを感じさせます。

晩年

晩年のタトリンはオブジェ制作のための思考というよりも、飛行そのものの研究に没頭し、鳥の羽の構造や空の飛ぶ仕組みについて研究するようになりました。

そして1953年5月31日にモスクワで息を引き取りました。68年の生涯でした。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

ロシア構成主義という名前は、タトリンの代表作である『コーナー・レリーフ』の部品を「構成」と呼んだことに由来すると言われています(諸説あります)。

事実ロシア構成主義の萌芽となる時代から活動し、モダニズムなど更に大きな芸術のムーブメントへと受け継がれる芸術理念を世の中に発表してきたタトリンはまさに「ロシア構成主義の創始者」と呼ばれるに相応しい人物でしょう。

しかしロシア構成主義グループに身を置きながらも、共にロシア芸術を牽引してきたマレーヴィチと対立し、むしろ批判する立場にいたというのは意外性のあるいきさつだったのではないでしょうか。


おすすめ書籍

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