【徹底解説】ウォルター・ハント・エヴェレットとは?光で物語を描いた挿絵画家の人生と作品を解説!

【徹底解説】ウォルター・ハント・エヴェレットとは?光で物語を描いた挿絵画家の人生と作品を解説!

アートコンシェルジュ|最初の一枚から、一生のコレクションまで。無料で相談する

こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんはウォルター・ハント・エヴェレットという人物をご存知ですか?

ウォルター・ハント・エヴェレット(Walter Hunt Everett、1880〜1946)は、アメリカの挿絵画家です。「アメリカの挿絵の父」とも呼ばれるハワード・パイルに学び、20世紀の初めに『サタデー・イブニング・ポスト』や『レディース・ホーム・ジャーナル』といった全国誌に数多くの挿絵を描きました。署名や資料では「Walter H. Everett」「Walter Everett」とも表記されます。

雑誌の編集者から引く手あまただった一方で、締め切りを守らないことでも知られ、1930年代には挿絵の仕事から離れて、自分の作品の多くを焼いてしまいました。残された作品が少ないために長く忘れられていましたが、2014年にアメリカのイラストレーター協会の殿堂に選ばれ、再び注目を集めています。

本記事ではそんなウォルター・ハント・エヴェレットの人生と作品についてご紹介します。

ウォルター・ハント・エヴェレットって?

基本情報

本名ウォルター・ハント・エヴェレット(Walter Hunt Everett)
生年月日(没年月日)1880年8月〜1946年
国籍・出身アメリカ/ニュージャージー州ハドンフィールド生まれ
学歴10代でペンシルベニア産業美術学校に通う。ハワード・パイルに学ぶ(ドレクセル学院とウィルミントンで学んだとされるが、在籍の年の記録はない)
分野雑誌・書籍の挿絵、表紙絵、美術教育
傾向一つの写実的な画風に固定せず、ビネット(周囲をぼかした絵)、平らな模様のような構成、光を軸にした画面などを試みた。色づかいと洗練されたデザイン感覚で評価される
師事した人物・影響を受けた人物ハワード・パイル(師)

エヴェレットの師ハワード・パイルと、パイルのもとに集まった画家たちについては、以下の記事でも詳しくご紹介しています。

【徹底解説】ハワード・パイルとは?アメリカ挿絵の黄金時代を開いた画家の人生と作品を解説!

【まるっと理解!】ブランデーワイン派ってなんですか?

経歴と作品

ハドンフィールドに生まれ、パイルに学ぶ(1880年〜1900年ごろ)

ウォルター・ハント・エヴェレットは1880年8月、アメリカ東部のニュージャージー州ハドンフィールドに生まれました。

デラウェア美術館の作家紹介によると、エヴェレットは10代でフィラデルフィアのペンシルベニア産業美術学校に通いました。その後、美術史家ヘンリー・ピッツの著書『ブランデーワインの伝統』は、エヴェレットがフィラデルフィアのドレクセル学院とデラウェア州ウィルミントンでハワード・パイルに学んだと伝えています。ただし同館は、学んだ年を示す記録はなく、1895年から1899年のドレクセル学院のパイルのクラスの展示にも作品が見当たらないと注記しています。

2020年に『サタデー・イブニング・ポスト』に掲載された美術評論家デヴィッド・アパトフの記事は、エヴェレットが自転車で30マイル(約48キロ)の道のりを通ってパイルのレッスンを受けたこと、パイルがすぐにその才能に気づいたことを紹介しています。記事によると、エヴェレットはパイルの後継者になるかもしれないと見る人もいたほどでした。

デラウェア美術館には、1899年の日付をもつ『Butterflies』(蝶)をはじめ、エヴェレットの作品4点が収蔵されています。

全国誌の挿絵画家として(1900年代〜1910年代)

エヴェレットが活躍したのは、アメリカの「挿絵の黄金時代」と呼ばれる時代です。作家の公式サイトは、この時代には全国誌が大衆文化の中心だったと説明しています。

デラウェア美術館とノーマン・ロックウェル美術館の研究センターはいずれも、エヴェレットが1904年には『サタデー・イブニング・ポスト』に挿絵を描いていたと伝えています。同誌の公式サイトの作家ページには、エヴェレットが手がけた表紙として、1904年10月15日号の『Woman in vineyard』(ブドウ畑の女性)、1905年7月1日号の『Fourth of July, 1905』(1905年の独立記念日)、1905年10月7日号の『Fife and Drum Corps』(鼓笛隊)、1909年9月11日号の『Pirate and Treasure Chest』(海賊と宝箱)の4点が掲載されています。

デラウェア美術館によると、エヴェレットの挿絵は『グッド・ハウスキーピング』『マッコールズ』『カントリー・ジェントルマン』『ウーマンズ・ホーム・コンパニオン』にも載りました。『レディース・ホーム・ジャーナル』には定期的に描き、ジョージ・ホッジズによる聖書の物語の連載に挿絵をつけています。アメリカのイラストレーター協会は、これに『スクリブナーズ』を加え、エヴェレットの仕事の中心は物語の挿絵だったと紹介しています。

掲載誌確認できる仕事(出典の記述)
サタデー・イブニング・ポスト1904年には挿絵を担当。1904〜1909年の表紙4点が同誌の作家ページに掲載
レディース・ホーム・ジャーナル定期的に寄稿。ジョージ・ホッジズの聖書の物語の連載に挿絵
グッド・ハウスキーピング、マッコールズ、カントリー・ジェントルマン、ウーマンズ・ホーム・コンパニオン挿絵を掲載(デラウェア美術館)
スクリブナーズ物語の挿絵(イラストレーター協会)

小説『The Heart of Hope』の口絵(1905年)

エヴェレットは雑誌だけでなく、単行本の小説にも挿絵を描きました。1905年にニューヨークのドッド・ミード社から出版されたノーヴァル・リチャードソンの小説『The Heart of Hope』は、扉に「Illustrations by Walter H. Everett」と記され、口絵と4点の挿絵を収めています。アメリカ議会図書館の所蔵本がインターネット・アーカイブで公開されています。

口絵には、雨上がりの丘の道を馬で登っていく二人の姿が描かれています。白い馬に乗る男性と、黒い馬に乗る帽子の女性が並び、右手には大きな木が枝を広げています。手前の道は雲の影と光でまだらに明るく、画面全体が雨上がりのしっとりした空気に包まれています。絵の下には「にわか雨が止んだので、彼女はセリムの手綱をゆるめ、丘をゆっくり登らせた」という本文の一節が添えられています。

人物を細かく描き込むよりも、空や道に落ちる光と影の広がりで場面の気分を伝えている点に、エヴェレットの特徴が表れています。右下には「W.H. Everett」の署名が見えます。

ウォルター・ハント・エヴェレットによる小説『The Heart of Hope』の口絵。雨上がりの丘の道を、白い馬の男性と黒い馬の女性が並んで登っていく。右に大きな木、道には光と影が広がる
ウォルター・ハント・エヴェレット『The Heart of Hope』(ノーヴァル・リチャードソン著、ドッド・ミード社、1905年)の口絵。アメリカ議会図書館所蔵本/出典:Wikimedia Commons(Internet Archive のスキャン、パブリックドメイン)

小説『The Hands of Compulsion』の口絵(1909年)

1909年に同じくドッド・ミード社から出版されたアメリア・E・バーの小説『The Hands of Compulsion』でも、エヴェレットが口絵を担当しました。扉には「Frontispiece by Walter Everett」とあります。カリフォルニア大学の図書館の所蔵本がインターネット・アーカイブで公開されています。

描かれているのは、草の茂る丘の道を歩いてくる、白いドレスに帽子の若い女性です。風を受けたスカートが大きくふくらみ、女性は両手に小さな花のようなものを持っています。背景には暗い雲と木立、右下には白い花をつけた草むらが配されています。

暗い背景の中で、白いドレスだけが光を集めたように浮かび上がる構成です。画面の大部分を占める地面と空を大きな色面としてまとめ、そこに人物を一つ置く。アパトフの記事が指摘した、平らな模様のような構成と光を軸にした画面づくりが、白黒の印刷からもうかがえます。

ウォルター・ハント・エヴェレットによる小説『The Hands of Compulsion』の口絵。草の茂る丘の道を、白いドレスに帽子の若い女性が風を受けて歩いてくる。背景に暗い雲と木立、右下に白い花
ウォルター・ハント・エヴェレット『The Hands of Compulsion』(アメリア・E・バー著、ドッド・ミード社、1909年)の口絵。カリフォルニア大学図書館所蔵本/出典:Wikimedia Commons(Internet Archive のスキャン、パブリックドメイン)

完璧を求めた制作と、教える仕事(1910年代〜1920年代)

アパトフの記事によると、エヴェレットは30歳ごろには『サタデー・イブニング・ポスト』の常連の画家になり、1910年から1917年まで定期的に作品を寄せました。同じ雑誌で人気を集めたJ・C・ライエンデッカーやノーマン・ロックウェルが一貫した写実的な画風を保ったのに対し、エヴェレットはビネット、平らな模様のような構成、光を軸にした構図などを次々に試したといいます。

その一方で、エヴェレットは納得がいくまで手を入れるため、しばしば締め切りに遅れました。記事は、制作に長い時間をかけ、自分で設計したイーゼルをフランスから取り寄せたと伝えています。イラストレーター協会も、編集者から常に求められるほどの腕前を持ちながら、締め切りを顧みないことが問題になったと紹介しています。

エヴェレットは教える仕事にも携わりました。デラウェア美術館によると、1911年からペンシルベニア博物館産業美術学校(のちのフィラデルフィア美術大学)で教え、1914年に辞めています。ノーマン・ロックウェル美術館の研究センターは、エヴェレットがこの学校の挿絵科を立ち上げたと伝えています。1910年代の後半には、フィラデルフィアのスプリング・ガーデン・インスティテュートでも、教え子のモーリス・バウアーの代わりに教えました。

デラウェア美術館が調べた市の住所録によると、エヴェレットは1923年から1927年まで、師パイルゆかりの町ウィルミントンにアトリエを構えていました。

ウォルター・ハント・エヴェレットの歩みを5段階で示した図。1880年にハドンフィールドで生まれ、ハワード・パイルに学び、1904年にはサタデー・イブニング・ポストに描き、1911年から1914年に美術学校で教え、1930年代に挿絵から離れる
図:ウォルター・ハント・エヴェレットの歩み

挿絵からの離脱と再評価(1930年代〜現在)

デラウェア美術館によると、エヴェレットは1930年代に、理由はわかっていないものの挿絵の世界を離れ、自分の作品の多くを焼いてしまいました。作家の公式サイト(walterheverett.com)は、エヴェレットが1930年代の終わりにペンシルベニア州ポッツタウンの農場に移り、個人の教室に力を注いだと紹介しています。エヴェレットは1946年に亡くなりました。

作品の多くが失われたこともあり、エヴェレットの名は長く忘れられていました。転機となったのは2014年です。ニューヨークのイラストレーター協会が、エヴェレットを殿堂入りの一人に選びました。同じ年にはメアリー・ブレアやアル・ジャフィー、シド・ミードらも選ばれています。

協会はエヴェレットを、本人がほとんど壊してしまった作品の、残されたわずかな部分から見ても、黄金時代でもっともすぐれた画家兼挿絵画家の一人とよく評価される、と紹介しています。残る作品は多くありませんが、その色づかいと洗練されたデザイン感覚は高く評価されています。

年できごと
1880年8月、ニュージャージー州ハドンフィールドに生まれる
10代ペンシルベニア産業美術学校に通う。のちにハワード・パイルに学ぶ(年の記録はない)
1899年『Butterflies』(デラウェア美術館所蔵)
1904年このころには『サタデー・イブニング・ポスト』に挿絵を描く。10月15日号の表紙
1905年小説『The Heart of Hope』の挿絵
1909年小説『The Hands of Compulsion』の口絵。『サタデー・イブニング・ポスト』9月11日号の表紙
1910〜1917年『サタデー・イブニング・ポスト』に定期的に寄稿
1911〜1914年ペンシルベニア博物館産業美術学校で教える
1923〜1927年ウィルミントンにアトリエを構える
1930年代挿絵の世界を離れ、作品の多くを焼く
1946年死去
2014年イラストレーター協会の殿堂入り
ウォルター・ハント・エヴェレットの画面づくりの特徴を3つの点で示した図。周囲をぼかしたビネット、平らな模様のような構成、光を軸にした画面を番号つきで並べている
図:エヴェレットの画面づくり

まとめ

いかがだったでしょうか。ウォルター・ハント・エヴェレットの人生と作品について、ご紹介してきました。

エヴェレットは1880年にニュージャージー州ハドンフィールドに生まれ、ハワード・パイルに学んだのち、1904年には『サタデー・イブニング・ポスト』に挿絵を描き、全国誌や小説の挿絵で活躍しました。1911年からは美術学校で教え、挿絵科の立ち上げにも関わっています。

一つの画風にとどまらず、ビネットや平らな模様のような構成、光を軸にした画面を試み続けた一方で、締め切りに遅れることも多く、1930年代には挿絵の世界を離れて作品の多くを焼いてしまいました。それでも、残されたわずかな作品は2014年のイラストレーター協会の殿堂入りにつながり、いまも色づかいとデザイン感覚で評価されています。

デラウェア美術館の収蔵作品や、インターネット・アーカイブで公開されている小説の挿絵で、エヴェレットが描いた光と影の広がりをぜひ眺めてみてください。

Euphoric " " の視点

エヴェレットは、同じ雑誌で人気を集めた画家たちが一貫した写実の画風を保つなかで、ビネットや平らな模様のような構成、光を軸にした画面を試み続けました。納得がいくまで手を入れる姿勢は締め切りの遅れも招き、1930年代には作品の多くを自ら焼いています。

それでも、残されたわずかな作品は、2014年のイラストレーター協会の殿堂入りにつながりました。数は少なくても、質の高い仕事は時を越えて見いだされる。雑誌や小説の口絵に残る光と影の広がりは、一枚の絵に込められた試行錯誤の重みを、今も静かに伝えています。

この作品を見に行くには

記事で紹介した作品は、次の館などで公開されています。展示替えがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。

NEW POSTS / 新着記事

開催中の展覧会いま行ける展覧会を、終了が近い順に109件 開催中展覧会を探す