こんにちは!ユアムーン株式会社編集部です!
突然ですが、皆さんはうまい絵というとどのようなものをイメージしますか?今の日本では、一般的にうまい絵というと写真のように写実的できれいにパースのとれた”リアル”なものをイメージするのではないでしょうか。
しかし、バスキアやピーター・ドイクのように絵で成功を収めている人は必ずしもリアルな絵を描いているわけではありません。また、江戸時代の浮世絵のように150年程前の日本人はリアルな絵を上手いものとして認識していませんでした。
みなさんがイメージする「うまい絵=リアル」という関係はいつ、どこから生まれたのでしょうか?
今回紹介する本、「「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本」の一部にそのヒントとなるものが記述されていましたので、これを紹介したいと思います。
明治時代はリアル至上主義であった
明治時代における社会全体の価値観はリアリズムにより支配されていました。文学の分野ではフィクションの物語、絵画の分野では写実的に描かれていない絵画を馬鹿にする風潮がありました。
たとえ話として、”紳士はおでん屋に入らない”と言うものがあります。作る側も消費する側もおでんのような粗悪な料理ではなく、高級料亭のような料理を作り消費しなくてはならない・・・などと言われていました。(おでんも素晴らしい料理だと思うのですが・・・)
演劇、舞台などでは、夜のシーンになると照明を完全に落とし、俳優・女優が暗記したセリフをただ読むだけでした。夜は暗いから暗くしなくてはならない、リアリズムに基づくものです。今考えれば非常に滑稽な話です(笑)。
また、福沢諭吉が自身の書生がフランス語の小説(フィクション)を必死に辞書を引きながら読んでいることを知り、激怒したというエピソードがあります。当時のフランス語を読めるほどの若者ですから、将来を有望視されるかなり優秀な人だったでしょう。それほどまでにリアリズムの価値観が社会全体を支配していました。(文学の世界では、今でも純文学(実際にあったことを書くもの)こそ文学の王道であるという考え方があります。)
絵画の導入の失敗
ではここで、なぜ「うまい絵=写実的な絵」となってしまったのか。それは西洋からの”芸術”の導入の失敗にあります。
日本は急速な近代化を推し進めるため、西洋文明が蓄積してきた芸術の知見を僅か十数年で吸収してしまいます。その過程で「西洋画=リアルな絵」という誤った認識が広まってしまいました。これは、明治時代の日本人は西洋から初めに伝わったものを鵜呑みにしてしまう傾向があったことがあります。
まず初めに、日本人は建築の製図に出会い、大きな衝撃を受けました。それまでの日本の建築には建物を正確に描写する製図が存在していませんでした。また、一部の西洋画は非常にリアルに描かれており、これら写実的に描かれた絵を最初に見て、「西洋画=リアルな絵」というイメージができました。本来であれば、建築における製図と絵画は全く異なるものですが、欧米列強に早く肩を並べなくてはならない日本にとってそれを吟味している時間はありませんでした。
「西洋画=リアルな絵」という誤った認識が広がったことで、日本人はそれまで蓄積していた日本の芸術をすべて否定してしまいます。それまで親しんできた日本の絵画や浮世絵は恥ずかしいものとされ、ただ同然で海外に渡ることになります。抽象画というものが西洋に存在するとは知らず、ひたすらリアルな絵が正しいものとして受け入れられました。
これがある種、日本人の絵画に対するイメージを形作った要因であると考えられます。アニメーションや漫画が発展してきた現代において、「うまい絵=リアル」も少しずつ変化しているようにも思えますが、一般にはリアリズムの思想が根底に根付いているのではないかと思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、「「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本」の芸術に関わる部分について紹介しました。
本来この本の趣旨は、明治期に存在した娯楽小説(物語)を研究する数少ないほんの一つですが、芸術の箇所が非常に面白かったので、そこに焦点を当てました。
他の章も非常に面白く、明治期の庶民に少し親近感がわくような内容になっています。
Euphoric””では、今後も数多くのアーティストをご紹介していくだけではなく、弊社デザイナーが使っているAdobeソフトのイラレやフォトショのチュートリアル、3Dプリンターの解説などを記事にしています。
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