0→1の“魂の選別” 理念に反する勝ちはいらない – Konnect-linK 薦田賢人

アートコンサルティング

【1】自己紹介をお願いします

  • 現在の肩書き、会社名、主な事業内容についてご紹介ください。

株式会社Konnect-linK 代表取締役CEOをしております薦田賢人です。
当社では、「経営者の孤独に寄り添う」という経営理念並びに「頑張っている人、リスクを取っている人が一番報われる当たり前の世界を創る」をビジョンとして、主に①新規事業開発、②システム開発、③経営支援の3つの事業を営んでいる会社です。

①新規事業開発においては、プライム市場上場企業(大手キャリア事業者様、大手SIer様、大手印刷会社様等)様を始めとした会社やスタートアップ企業様向け様に、0→1の企画及び実行支援並びに実行を行っています。戦略企画におけるペーパーの納品等のブレーン&後方支援のみならず、例えばアンケート会の実施やTo-B営業の同行及びプレゼン等の泥臭い実行そのものもご支援させて頂いています。

②システム開発においては、アプリケーション開発、モバイル開発等の一般的な開発に加え、AI/機械学習における開発や、web3.0における開発や、組み込みシステムの開発等も取り扱っています。システム開発においては、ほとんどの開発を自社で完結させており、代理店のような形での責任転嫁等の行為は行っていません。

③経営支援においては、主に1.経営企画業務、2.IPOコンサルティング、3.資金調達支援を行っていまして、例えば、大企業における新規事業開発→スピンアウト→上場のケースなどにおいて、まず大企業内の一プロジェクトを0→1のビジネス組成支援をさせて頂くと仮定します。同時並行にて、事業開発の上流時点においてピッチ資料の骨子(計画的なPoC並びにIT技術等を用いた実行施策や段階的なビジネススケーリング設計)を整えておく事によって、スムーズな資金調達をご支援させて頂きます。また、その後のビジネス成長期においても、グロース支援は勿論の事、IPOコンサルティングにより内部体制(内部統制、規程類等)の整備を行い上場に耐えうる形にする or 内部体制整備によるバリューアップをもってクライアント様の利益に貢献します。

また、資金調達やバイアウトにおける成功報酬などは一切頂いておりません(資金調達のみのサービス提供は行っておりません)。弊社はお客様のとったリスクにレバレッジは一切かけません。

  • 今どんなことに情熱を注いでいますか。

「頑張ってきた人、リスクを取ってきた人が一番報われる当たり前の世界を創る」事による社会構造変革です。当社においては、「理想を語るには、まず勝利する事が不可欠」を徹底しています。理想の部分でいうと、例えば当社では、地方創生ではなく”日本”創生を掲げています(※日本創生の詳しい内容は「【8】今後の展望と、未来に向けた構想」ご参照)。但し、キレイごとばかりは掲げてられません。理想を語るのはタダですが、それを実行する為には勝利をしてから、理想を”実行”するべきと考えます。それは人に恵んでいただいたお金ではなく、我々はきちんと正当にビジネス界で勝利を収め、理想を”実行”します。

【2】事業家としての原点にある「生い立ち」や「価値観のルーツ」について

  • 子どもの頃はどんな性格でしたか?またどんなことに夢中になっていましたか?

正直、「全然普通の子」だったと思います。人見知りもするし、超おしゃべりってわけでもない。どこにでもいる子どもでした。でも、ひとつ芯としてあったのは、「自分がやりたいと思ったことに対しては、異常なほどまっすぐになる性格」だったと思ってます。

中学のときに勉強に興味がわかず成績がとにかく悪くて、とある先生から「お前は高校進学ムリだ」って言われたんですね。しかし、担任や校長先生が色々動いてくれて、何とか高校入学することができました。そのときの“恩”が、今でも忘れられなくて、卒業式のとき壇上で「ありがとうございました!」って、誰もやってないタイミングで大声で叫んだんです。そしたら、それが翌年から卒業式の“伝統”になりました(笑)。これって別に「目立ちたい」って気持ちでやったわけじゃなくて、「感謝を伝えたい」っていう純粋な気持ちだったんです。でも、自分のそういう行動が誰かに波及していくことがあるんだって、そのときに初めて実感しました。

あと、自分は昔から“Giver(ギバー)気質”だったと思います。お小遣いをもらったら、「どう使うか」より「誰のために使うか」ということに夢中でした。クラスでなにかやるってなると、自分のお金を使ってでも「みんなが喜ぶものを作ろう」って考えてたし、高校でバイトしても、稼いだお金の半分は家に、残りのほとんどは弟のために使ってました。自分のためにお金を使うことに、昔からあまり興味がなかったんです。「人のために動く」っていうのが、自分の根っこにあるんだと思います。だから今も、「リスクをとってきた人、頑張ってきた人が報われる世界を作りたい」っていう理念に、自然と繋がってる気がしてます。

 

  • 家庭環境や学生時代に影響を受けた人物・出来事があれば教えてください。

一番影響を受けたのは「両親」と「担任の先生」です。これが自分の価値観のベースになってます。

一番右が薦田さん、右から二番目がお父様。

父親はいわゆる“自己犠牲”を言葉にしない人でした。
「やるしかないからやる」っていうタイプで、黙って家族のために動く人。その姿勢に、自分はめちゃくちゃ影響を受けてます。実は高校のとき、父が理不尽な理由で借金を背負っていたことを、ある日突然知ったんですよ。でも、父はそのことを家族に隠してた。「なんで言わないんだよ!」って腹が立って、当時離婚していた母の元で暮らしていたんですが、10年間暮らした家を飛び出して父の元に出稼ぎに行って、一緒に借金を返す手伝いをした。これが、自分にとって大きな転機だったと思います。家族の為って思うととてつもないエネルギーと行動力が生まれた。「誰かのために本気で生きる」って、こういうことかと腹落ちした経験でした。

母は兄弟3人全員を“徹底的に平等”に育ててくれました。誰か1人だけ褒めることもしないし、怒るときも全員一緒。だからこそ、自分の中にも「全員が等しく大切な存在」「社員は全員愛すべき対象」っていう感覚が根づいたんだと思います。今、自分が「社員の誰かだけ特別扱いしない」っていうスタンスを取っているのは、母親の影響が本当に大きい。

最後に担任の先生。中学2〜3年、高校2〜3年と、節目のタイミングで同じ先生に当たったんですが、この先生がまた“筋が通ってる熱血教師”で、理不尽なことにはちゃんと怒ってくれるし、心が真っ直ぐであれば味方になってくれる。やんちゃしてた自分にとって、この人がいてくれたから、なんとかブレずにいられたって部分は大きいです。

  • 「今の自分を形づくった」と思えるターニングポイントはどこにありますか?

明確に3つのターニングポイントがありました。今振り返るとどれが欠けても、今の自分はいなかったと思ってます。

【1】父親の借金を知った瞬間

これはもう完全に価値観が変わった経験でした。自分のことしか考えてなかった高校生が、家族のために動くっていう選択をした。そのとき「大人になる覚悟」が決まった感覚がありました。昔から心の中にはあったけど、明確にこの経験から、「誰かのために動く力」を具体化させる力を持てたんだと思います。

【2】大学院進学を諦めた決断

実は、昔は大学院に行くつもりだったんですよ。でも、弟が奨学金を借りるタイミングで、自分の進学を諦めて、働くことを選んだ。当時まだ大学3年でしたけど、監査法人のパートナーに直談判して、大学生としては前例のない“社会人兼務”をスタートしました。誰もやってない道だったけど、「前例がないから無理」とは思わなかった。やりたいことのために、自分で道を作る。このスタンスが、自分の中で確立された瞬間でした。

【3】独立と詐欺体験から得た「理念」の確信

再生系のコンサル会社で、「自分のために生きてみてもいいんじゃない?」と当時の社長に背中を押されて独立。それまでは、人(家族)のために動ければそれでいいやと思ってた。でも、独立して会社が回り始めたときに、まさかの詐欺に遭う。正直、地獄でした。でも、この経験が“経営者の孤独”を自分事として理解させてくれた。そして、「頑張ってるのに報われない人たちのために、自分が立ち上がらなきゃいけない」と心の底から思った。

この詐欺の経験がなかったら、Konnect-linKの理念は生まれてなかったかもしれません。それぐらい、自分の人生を根底から変えた出来事だったと思ってます。だからこそ、自分にとって「Konnect-linKをやること」は、単なる会社経営じゃないんですよね。自分の人生そのもの、そして「信念」の実装プロジェクトだと思っています。
そしてこれからも、自分の原体験から生まれたこの理念を、社会に“仕組み”として残していくために、全力で動いていきたいと思っています。

【3】新規事業を「ゼロから立ち上げる」というクリエイションについて

  • これまで複数多ジャンルの事業を立ち上げてこられたかと思います。いくつか簡単にご紹介いただけますか?

これまでありがたいことに、戦略/事業開発、IT/システム開発、会計・ファイナンス等を基盤にしながら、業界や業種を問わず、いくつもの事業を立ち上げてきました。最近だと以下のようなものがあります。

  • 複数起業(貿易事業、ヘルスケアデバイス事業、バイオベンチャー等)
  • 大手上場企業向けの新規事業開発支援事業(Konnect-linKの基幹業務)
  • スタートアップ・中小企業向けの事業創出事業
  • 資金調達支援領域のソリューション事業(成功報酬なし)
  • 企業再建におけるハンズオン型の経営伴走
  • 社内事業として子会社3社(2025年時点)設立済み
    • AIソリューションの開発(資金調達及び大手企業との業務提携予定)
    • 事業継続計画書(BCP)作成事業及び訓練事業の創生並びに全国展開
    • 組み込み/IoT/ファブレス型企業の創出

など

これらはすべて、ジャンルも顧客層もバラバラですが、「理念に即しているかどうか」だけを判断基準にして生まれてきた事業です。だから「事業開発」というより、「理念のアップデートや体現の手段を作る」って感覚の方が近いです。なので、数年後には今やっている事業はやっていないかもしれません(笑)

  • それぞれの事業で「最初にやったこと」や全事業共通して「ブレずに守ってきたこと」はありますか?

どの事業でも最初にやるのは社会課題にフィットし且つサステナブルな構造を描くこと。

「特定の社会課題を継続的に解決する仕組になるか?」
「このビジネスモデルは本当に社会にインパクトを与えられるか?」
「競争に晒されても負けない構造を持てるか?」

という部分から逆算して設計します。

たとえば、当社は営業代理を行いません
それは、自分たちがリスクも取らずに“繋ぐだけで儲ける”ってことが、自分の哲学に合わないから。なので、例えば資金調達の支援をしても成功報酬はもらわない代わりに、
プロダクト開発や実行支援という“価値そのもの”で契約をいただく形を取ってます。 要は「Taker(テイカー)にならない」。常に自分たちがギバーであり続けること。これがどんな事業でもブレずに守ってきた信条ですね。

そしてもう1つ大事にしてるのは、「再現性のない勝ち方はしない」ことです。

“薦田がすごいからできた”みたいな属人的なやり方ではなくて、誰がやっても同じように成果が出る構造をつくることに命をかけてます。だからチームも育てるし、ナレッジも残すし、ドキュメントも整える。Konnect-linKが薦田依存で回る限り、それは失敗だと思っています。

  • 特に苦労したフェーズ、逆におもしろさを感じた場面があれば教えてください。
前オフィス時代

「組織の理念浸透」は創業以来常に課題としています。

この問題を解決するために考えているのが、「全員を“小さなKonnect-linK”に育てる」ことです。これはひとり一人が理念を理解し、大手案件に入りバリューを出し利益を生みながらも、同時にスタートアップや中小支援にもコミットできる存在になること。そのための育成・仕組み・ナレッジ設計を苦労しながらも強化しています。

逆におもしろさを感じるのは、型がない世界の中で、自分たちの手で新たに型をつくっていく瞬間です。

「前例がないからできない」ではなく、「前例がないから、どうにでもできる」なんですよ。
たとえば僕は10ヶ月で公認会計士試験に合格してるんですけど、そのときも「誰かのやり方を真似する」のではなく、自分に合う勉強法を全部試して編み出していったんです。色ペン20本使ったり、絵を描きまくったり(笑)。自分で自分が信じた型を作り結果を出したんです。

この成功体験からなのか、事業も同じように「こうしなきゃいけない」という決まったルールはなく、誰もやってないやり方が社会に機能したときが一番楽しい。逆に誰かがやっている事の焼き増しなんて、ただのフリーライドだし、実施者が”その人”である必要もないと思ってるんですよね。ゼロからイチを生むからこそ、実施者が”その人”である意味が生まれると思うんです。

だから、クリエイティブというのは自分にとって、「その人にしか出せない味のある不完全さ」だと思っています。

【4】薦田さんが考える「本当の意味でのクリエイティブ」とは?

  • よく使われる“クリエイティブ”という言葉ですが、薦田さんはどのように定義していますか?

僕にとっての“クリエイティブ”は定量や定性では測れない「曖昧な世界観の具体化」です。

たとえば、”売上が何億円いきました”とか、”コンバージョン率が何%改善しました”のようなわかりやすい成果は、もちろん大事なんですが、それは「結果」であって、「創造」ではない。
僕にとってのクリエイティブっていうのは、誰にも定義できない“空気”や“願い”や“違和感”みたいなものを、自分なりの解釈で“社会の仕組み”にまで昇華していくこと。目に見えないものを、見える形にする。それが“創造”であり”クリエイティブ”だと思っています。

  • 0→1を生み出すプロセスで、常に意識していることや独自の思考法があれば教えてください。

僕の中で0→1とは「正解が存在しない場所に、“自分だけのやり方”で答えを創りにいくこと」だと思ってます。まず最初にやるのは、「他人の正解を一旦完全シャットアウトする」ことです。世の中はすぐに「それって過去に誰かやった?」「成功事例あるの?」「ベンチマーク企業は?」を確認しますが、僕は「前例がない=可能性が無限にある」という思考で走ります。

加えて、もうひとつ意識してるのは、“構造に落としきる”ことです。逆に「これは儲かるけど理念に沿わないな」と思ったら、即やめる。だから、0→1でやることは“魂の選別”に近いです。

  • 「これは自分らしい創造だった」と思える体験があれば、ぜひそのエピソードを詳しくお聞かせください。

一番象徴的なのは、やっぱり資金調達支援において「成功報酬をゼロにする」って決めたときのことですね。世の中では資金調達支援=◯%の成功報酬が当たり前。でもそれって、お客さんがリスクを取ってチャレンジして、たとえば1億円調達したら、例え掛けたのが数時間だったとしても何百万円もその支援者に払わなきゃいけない構造なんですよ。それって、「Taker(テイカー)的な構造じゃないか?」と違和感があったんです。

僕はそこにめちゃくちゃモヤモヤして、「いや、うちは絶対に“支援を生業にしてる会社”が、支援される人の足を引っ張るような構造にはしない」って決めました。で、うちは資金調達の成否に関係なく報酬はゼロにして、代わりに、その会社の事業開発とかプロダクト開発の契約をいただくという、全く逆の仕組みにしたんです。その契約においても成功報酬で結んでいるわけでもなく、資金調達成功報酬分を載せているわけでもないんです。正直、それを聞いた人には「そんなのビジネスにならないでしょ」って言われました。でも僕にとっては、それが“正しい”と信じられる仕組みだったし、“自分の価値観に忠実であることが、クリエイティブ”なんだと思ってます。このモデルは、いま多くのスタートアップから共感されてて、徐々に再現性も出てきてます。つまり、自分の信じた道を貫いて、それが社会で通用して、そして広がっていく。これこそが、“自分らしい創造”だったと思っています。

【5】Konnect-linKという会社に込めている思いや思想について

  • なぜ「Konnect-linK」という名前を選んだのでしょうか?「K」に意味があるのかと推測されますが、その背景にある想いを教えてください。

正直に言うと、最初はただの言葉遊びなんですよ(笑)。
「Konnect」という単語と「linK」という単語の両方に、“繋ぐ”という意味があるじゃないですか。最初は「Konnect」だけにしようと思ってたんですけど、正社員1人目だった友人が「linKも付けようよ」って言ってくれて。それで「じゃあ両方入れようか」となって「Konnect-linK」という名前になりました。もちろん聞かれるんですよ。「この“K”って薦田のKですか?」って(笑)。
実際そうです。「K」が大文字なのは、“薦田賢人”のKをかけてます。でも、これはあくまでスタート地点としての意味。

僕の理想は、将来的に“自分がいなくても理念が自走する組織”をつくることなんです。自分の城を作る事じゃない。だからこそ、上場したら僕は5年間かけて代表も辞めて、株もすべて手放して、最終的には一切のポジションから離れるつもりでいます。要するに「K」が込められてるのは、“この組織をつくった責任が自分にある”っていう、創業者としての背負いなんです。でも、そのKに依存していたらダメ。Kが消えても、理念と仕組みが動き続ける。それを本当に実現できたら、「Konnect-linK」という名前は、そのとき初めて本物になると思ってます。

  • 現在の主軸事業と、そこに込めている理念や世界観をお聞かせください。

現在の主軸は、「新規事業開発」「AI」です。

【6】薦田さんにとって“ブランド”とは何か?

  • これまで関わった事業やプロダクトで、どのようにブランディングを考え、実践してこられましたか?

僕はブランディングを「理念を外に届けるための手段」と定義しています。

当社は派手な広告を打ったり、バズることを狙ったキャンペーンを仕掛けたりしたことはないです。やってきたのは、徹底して理念の一貫性を守り抜くことだけです。Konnect-linKのブランディングは、“自分たちの思想に矛盾しないかどうか”を問い続けることそのもの
きれいなパンフレットとか、かっこいいロゴとか、それ以前に、ブランドとは「意思の証明」だと思ってます。

  • コンセプト設計や言語化、ビジュアルの作り方などで大切にしている視点があれば具体的にお願いします。

「コンセプト」「言語化」「ビジュアル」は“手段”でしかないと思ってます。

その手段において重要なのは3つです:

① 解像度を上げるための言語化

抽象的な理念ほど、具体的な言葉に落とし込むことが重要です。
たとえば「挑戦を支援する」と言っても、それが資金調達なのか、事業開発なのか、メンタルサポートなのかでは意味が違う。だから僕は、「なぜやるのか」「誰のためなのか」「自分たちしかできないことは何か」をとにかく言語で細かく詰めていく作業を徹底します。

② 社内に伝えるための再定義

ブランディングって社外向けの話にされがちですが、社内に“理念が染み渡っているか”の方が100倍大事だと考えます。
理念に反する動きがあれば徹底的に咎めるし、週次で社員と定例を組んで、“宗教チック”にまで価値観をすり込む。それくらいしないと、ブランドは崩れると考えます。

③ 「魂がこもってるか」

どれだけ整った言葉でも、どれだけ綺麗なグラフィックでも、“魂”がなければ伝わらない。
僕は、“空気感”を大事にしています。
その会社のWebサイトを見たとき、言葉のリズムや表情や余白の使い方で、理念が感じられるか。
それは数字やKPIでは測れないけど、確実に伝わる部分だと思っています。“熱”のあるアウトプットであるかどうかを、最後は自分の感覚でジャッジしています。

【7】仕事観・人生観について

  • 薦田さんが「働く意味」「生きる意味」を考える上で、大切にしている問いや言葉はありますか?

抽象的ですが、いつも自分に問いかけてるのは、「自分の行動が、誰かの“挑戦する勇気”につながっているか?」ということです。

僕は日本のことが本気で好きだし、だからこそ、日本社会の“歪み”を変えたいという想いがあります。世界じゃなくて日本を対象としているのは、自分がそこまでの存在だと思っていないからです(笑)つまり、世界を救うなんて思えるほど奢っていないという事です。「自分にできる半径の中で、いかに全体最適を生むか」という感覚で動いています。“自分が信じた理念に沿って行動し続けることによって、周りの人間に「頑張っていいんだ」って思ってもらえる状態”をつくれるか。そこに「働く意味」「生きる意味」があると思ってるんです。

「働く意味」は、自分の行動が、社会の矛盾を“構造で解消していく”ことに直結しているかどうか
「生きる意味」は、そのプロセスの中で、自分自身が“背中を見せられる存在”でいられるかどうか。
そこに尽きますね。

  • 成功・失敗という枠では語れない「やってよかった経験」「忘れられない経験」があれば教えてください。

「やってよかった経験」「忘れられない経験」どちらにおいてもこれは間違いなく、詐欺に遭った経験です。

あれは本当にきつかった。独立して2社程経営していたころ、事業を軌道に乗せて新規事業にジョインし「よし、これからだ」と思ったタイミングで、一番信頼していた相手に裏切られて、金銭的にも精神的にもどん底に突き落とされました。

でも、今となってはあの経験があって本当によかったと思ってます。

なぜなら、あのとき初めて、「経営者ってこんなに孤独なんだ」ということを、身をもって実感できたからです。それまでは、どこかで「人のために動けてればそれでいい」って思っていた自分がいて、でも実際に自分が追い込まれたときに、誰にも相談できない、弱みを見せられない、期待に応えたいけど応えられない…そんな葛藤が全部のしかかってきたんです。

つまり、詐欺にあったことによって、自分の理念が“他人ごと”から“自分ごと”に変わったんです。だから、あの経験は、自分の経営人生において最大の財産の一つだと、今では本気で思っています。当時は本当にきつかったんですけどね(笑)

  • “仕事”を通じて、自分自身がどんな存在でありたいと考えていますか?

僕が仕事を通してなりたい存在。それは誰かの「希望」です。

もう少し具体的に言うと、
「この人がいるから、自分も頑張ってみたりリスクを取ってみようと思える」
そう思ってもらえるような存在でありたい。経営者としても、支援者としても、1人の人間としても、そうありたいなと思っています。僕のように、「スタート地点が低くても、本気でやればここまで来れる」ってことを体現してる人間でありたいです。当社の社員に対しては、「この会社にいたから人生が変わった」って思ってもらえる存在になりたいし、お客様にとっては、「あのとき一緒にやったことで道が拓けた」と言ってもらえる存在でありたいです。

そのために、僕は“仕事”を使って、“仕組み”を変える。
そして、自分自身が、「信じたことを行動で証明していく人間」でありたいと思っています。

【8】今後の展望と、未来に向けた構想

  • これから挑戦していきたい分野や、描いている未来の構想があれば教えてください。

“夢”というより“責任”だと思って取り組んでいるのですが、目の前でやるべきこととしては、Konnect-linKの上場準備を進めていくことですね。ただし、これは“資金調達”や“エグジット”のためではなくて、理念の社会実装のためにやりたいと思っています。 上場企業という社会的な信用を得ることで、より多くの人や企業を巻き込んで、“頑張ってるのに報われない構造”を変えていく装置になるための上場です。

そして、その上場を通じて実現したいのが、47都道府県すべてへの支社展開です。
これは、単に“規模を広げたい”とか“日本一になりたい”みたいな発想じゃないんです。
僕が本当にやりたいのは、「どんな地域に住んでいても、挑戦する者たちが救われる土壌を当たり前にすること」なんです。いまの日本って、やっぱり東京に情報もチャンスも集中している。でも、僕は地方を含めたすべての地域にも光が当たるべきだと思ってるし、“Konnect-linKの支社があるだけで、その地域で救われる人が1人でも増える”ような存在になりたいと思ってるんです。支社を作る事にこだわる理由は、現地で採用し地域の消費を支え、現地で納税を行い地域の基盤を支えたいからです。地方創生を東京の企業が取り組む場合、結局納税や雇用を生むのは東京です。これでは、結局地方が強くならないし、本当の地方創生にはならない。手間がかかったとしても僕は、この地方還元の枠組みを各都道府県に浸透させるつもりです。(本支店会計制度の導入が大変そうですが。。。苦笑)

支社といっても、でっかいオフィスをつくるわけじゃなくて、「地域に根ざした小さな“コネクトリンク”をつくる」みたいなイメージですね。そこには、その地域の若者がいて、地元の中小企業がいて、移住者がいて、そういう多様な人たちが繋がりながら、“希望のインフラ”として機能する場所をつくる。それが僕のビジョンです。

それと挑戦のインフラ作りよりも本当にやりたい事は、例えば地銀信金様と協業し、企業再生の局面を迎える前の企業様を無償同然で支援する仕組みを地方で作り、地域経済の底上げをしていくことです。この活動資金は、東京及び地場企業様へのご支援で得た資金を元手に実施していきます。企業が正常化した暁には、正当な報酬を頂く形をとろうと思っていますが、その報酬から出た資金を基にまた大変な状況の会社様の支援を行っていくという無限連鎖を地方で起こそうと思っています。この流れを47都道府県で作ることが出来れば日本はもっと良い国になると信じてます。僕は今目立っている人より、今まで頑張ってきた人の方が好きなんですよね(笑)

今実は、この取り組みは2つの県で実証実験中で、近いうちにどちらかの県でプレスリリースが出せると思いますので、楽しみにしててください。

  • あくまで妄想でもOKですが、「10年後こんなことをやっていたい」といった夢や構想があれば、ぜひ自由に語ってください。

10年後。僕はもう、Konnect-linKの代表でも株主でもない状態になっていると思います。そこはもう明確に描いていて、上場後5年間かけて、株もポジションも全部手放す予定です。なぜかというと、「Kが抜けてもKonnect-linKが動き続ける」状態をつくることが、僕の“事業家としての完成形”だと思っているから。それって、ある意味“自分の不在を前提とした永続的な仕組みづくり”であり、理念が属人性を超えて社会の中で生きる状態をつくるということなんです。

そして、そこから先はもう、次の世代に任せたい。“何をするか”は、僕じゃなくて、次のリーダーが決めればいい。ただ一つだけ願っているのは、「理念だけはぶらさないでくれ」っていうこと。自分としては、例えば10年後、もしかしたらメンタルヘルスの事業にフルコミットしてるかもしれない。何をやっているかが重要なんじゃなくて、何のためにやっているかが重要だと思う。だから今やっている事業のほとんどは10年後はやっていないかもしれない。Konnect-linKで出会ったたくさんの経営者や挑戦者たちを見てきて、「孤独に押しつぶされそうになってる人を、もっと構造的に支えられる仕組みを作りたい」と本気で思ってます。

あるいは、企業再生や第二創業の支援に特化したチームをつくるかもしれないですね。既にある“くすぶってる資産”を活かす方が、実は日本を救う近道かもしれないから。

  • さらに先の未来は考えていますか。

もうその頃には、完全に表舞台からは退いているんじゃないかと思います。
でも、今度こそは自分の為の人生を胸張って歩める気もしてて、その時は連続的に自分のやりたい事業をKonnect-linKに依頼して形にしていると思います(笑)実はアイデア屋でアイデアが止まらなくて自分でやりたい事業がたくさんあって、例えを挙げると宇宙ドローン事業とかラーメン屋とかあとは猫ブリーダー事業とか(猫好きなので(笑))。

それと、10~15年後くらいは今のKonnect-linKを作り上げているメンバーと一緒に酒でも飲みながら、Konnect-linKが日本を良い社会に変えていっている快進撃をニュースで見て、「俺ら日本の為にいい仕事したよな」とかくさい事を一緒に一生語ってたいです(笑)

自身が抜けた後の話ですが、例えば、自分の手から離れたKonnect-linKが、まったく違う進化を遂げていてもいい。
けれど、そこに流れている価値観が、“信じることを諦めない社会”を前提としているかどうか。
それだけは、絶対に守ってほしい。

もしそれが守られているのなら、僕は別に無名でもいいし、何者でもなくていい。

けれどその代わりに、「あの仕組みがあったから救われた」っていう声が、誰かの人生の中に1つでも残っていたら、それでもう充分だなって思えると思います。その時やっと自分の為の人生を歩める気がします。

◼︎まとめにかえて

未来は“何をやるか”は変わっていくと思います。でも“なぜやるか”は一切変わらない。

僕がつくりたいのは、“大きな事業”ではなくて、“正しい構造”。
それは、誰かが頑張ったときにちゃんと報われて、誰かが挑戦しようとしたときにちゃんと背中を押せるような構造。その構造を、仕組みとして社会に実装して、100年後も残っていくような「希望のインフラ」をつくる。それが、自分がこの人生で果たしたい役割です。

【9】読者へのメッセージ

  • これから何かを始めようとしている人、0→1に挑もうとしている人たちへ、今の薦田さんだからこそ伝えられる言葉をお願いします。

繰り返しお伝えしてきましたが、僕は高学歴でもなければ、要領がいいタイプでもなかったということです。勉強もしてこなかったし、ずっと自分のことを「バカだな」と思いながら生きてきた。でも、本気で動けば、自分自身や自分自身を取り巻く環境はいくらでも変えられる。これは、僕が自分の人生で証明してきたつもりです。今、何か新しいことを始めようとしているあなたにとって、「自分なんか、、、」や「まだ実力が、、、」など、不安はきっとあると思います。それは当たり前です。最初から自信なんてあるわけがないんです。だからこそ必要なのは「信念」です。

僕はこれまで、「信じたことを本気でやる」というたったひとつの信念だけを握りしめてやってきました。その結果、会社も組織も、仲間も、ちゃんとついてきた。そして何より、世の中は、ちゃんと“がんばってる人”を見てるし、手を差し伸べてくれる人も必ずいます。ただ一方で、それでもなお、そういう人たちが上がりきれない仕組みになってる部分が、この社会には確かにある。理不尽な格差、評価されない挑戦、誰も見ていない苦労など。それを“仕組み”から変えたいと思って、Konnect-linKを立ち上げました。

あなたがどこにいても、何をしていても、何歳でも、遅くはない。
信念さえあれば、絶対に世界は動く。と信じています。

それからもう一つ、大切なことを言わせてください。
「Taker(テイカー)同士で組んでも、何も始まらない」ということ。

何かを始めたいなら、自分から与える。人から取るんじゃなくて、自分から差し出す。本気で信念を持って与え続けていると、不思議と、同じような“Giver(ギバー)”が集まってきます。そして、そういう人たちと組んだときに、はじめて“組織”が生まれる。これは僕が今、身をもって実感していることです。

だから、どうか恐れずに、“信じる自分”を貫いてください。綺麗ごとじゃなく、本当に報われる瞬間がやってきます。そしてもし、今あなたが「誰にも応援されていない」と感じているなら、僕が応援します。

信じるものは、必ず報われる。
僕はこの国に、そんな“当たり前”を根づかせるために、これからも全力で仕組みをつくり続けます。

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