【徹底解説】倉永美沙とは?アメリカの名門バレエ団でプリンシパルを務めるバレエダンサーの人生と作品を解説!

【徹底解説】倉永美沙とは?アメリカの名門バレエ団でプリンシパルを務めるバレエダンサーの人生と作品を解説!

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こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんは倉永美沙という人物をご存知ですか?

倉永美沙(くらなが みさ、Misa Kuranaga)は、大阪府出身のバレエダンサーです。ボストン・バレエで16年間踊り、最高位のプリンシパルとして主役を務めたのち、2019年にサンフランシスコ・バレエへプリンシパルとして移りました。2026年7月には、アメリカ・フロリダ州のサラソタ・バレエのプリンシパルに就いたことが、地元の報道で伝えられました。

モスクワ国際バレエコンクールのジュニア部門と、米国ジャクソンで開かれる国際バレエコンクールのシニア部門で、いずれも日本人女性として初めて金賞を受けた経歴を持ちます。古典の全幕作品から、ジョージ・バランシン、ウィリアム・フォーサイスらの作品まで、幅広い演目で主要な役を踊ってきました。

本記事ではそんな倉永美沙の歩みと、踊ってきた作品についてご紹介します。経歴は、所属したバレエ団や公演主催者、放送局の公式プロフィールで確認したものだけを書いています。

倉永美沙とは?

倉永美沙は、日本で育ち、アメリカのバレエ団で長く主役を務めてきたバレエダンサーです。読みは「くらなが みさ」。ローマ字では Misa Kuranaga と表記され、海外のバレエ団の資料ではこの名前で紹介されています。

MBS(毎日放送)のドキュメンタリー番組「情熱大陸」は、2019年12月22日の放送で倉永を取り上げました。番組の紹介文は、倉永が16年間在籍したボストン・バレエでプリンシパルのトップに上り詰めたと紹介しています。

倉永美沙 基本情報

本名倉永美沙(くらなが みさ、Misa Kuranaga)
生年月日所属団体・公演主催者の公式プロフィールに記載なし(本記事では扱いません)
国籍・出身日本。大阪府出身
学歴・研修地主薫エコール・ド・バレエ、スクール・オブ・アメリカン・バレエ(ニューヨーク・シティ・バレエ附属)
分野バレエ(クラシック・バレエ、ネオクラシック、コンテンポラリー作品)
主な所属ボストン・バレエ(2003年入団、2009年プリンシパル)、サンフランシスコ・バレエ(2019年〜、プリンシパル)、サラソタ・バレエ(2025〜26年シーズンに常駐ゲスト・プリンシパル、2026年にプリンシパルに就いたと報道)
主な受賞ローザンヌ国際バレエコンクール プロ研修賞(2001年)、第9回モスクワ国際バレエコンクール ジュニア部門 金賞(2001年)、ジャクソン国際バレエコンクール シニア部門 金賞(2006年)、ブノワ賞 ノミネート(2017年)
長い黒髪で、赤地に白い水玉の服を着た倉永美沙が、ほほえみながら横を向いている。背景は屋内の壁。
倉永美沙(2006年6月30日、ジャクソン国際バレエコンクールでシニア部門金賞の発表を受けた記者会見にて)撮影:Earl J McGehee/CC BY-SA 3.0/出典:Wikimedia Commons

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経歴と作品

バレエとの歩み

大阪でバレエを始める

情熱大陸の番組紹介によると、倉永は7歳からバレエを始めました。公演主催者のBunkamura(オーチャード・バレエ・ガラ)のプロフィールと、ロシアのマリインスキー劇場沿海州劇場のゲスト・プロフィールは、いずれも、倉永が大阪の地主薫エコール・ド・バレエでバレエを学び始めたと紹介しています。

英国ロイヤル・バレエの公式サイトによると、同団のプリンシパル、金子扶生も大阪の地主薫エコール・ド・バレエで学んでいます。

早くから国際的な舞台に立っていたことも、倉永の経歴の特徴です。マリインスキー劇場沿海州劇場とBunkamuraのプロフィールによると、1993年には、モスクワ国際バレエコンクールのガラ公演に、振付家ユーリー・グリゴローヴィチの招きでボリショイ劇場で出演しています。

モスクワのボリショイ劇場の正面。黄色い外壁に白い円柱が8本並び、屋根の上に4頭の馬の像、手前に噴水と広場がある。
ボリショイ劇場(モスクワ、2012年撮影)撮影:A.Savin/CC BY-SA 3.0/出典:Wikimedia Commons

輝かしい功績

倉永は、国際的なバレエコンクールで大きな賞を重ねてきました。情熱大陸のプロフィールが挙げている主な受賞は、次のとおりです。

年コンクール・賞結果
2001年第29回ローザンヌ国際バレエコンクールプロ研修賞
2001年第9回モスクワ国際バレエコンクール金賞(女性ジュニア部門。日本人初)
2006年ジャクソン国際バレエコンクール(USA International Ballet Competition)金賞(女性シニア部門。日本人初)
2017年ブノワ賞(ブノワ・ドゥ・ラ・ダンス)ノミネート(『オネーギン』『海賊』)

モスクワ国際バレエコンクールのジュニア部門金賞と、2006年のジャクソン国際バレエコンクールのシニア部門金賞は、マリインスキー劇場沿海州劇場とBunkamuraのプロフィールにも記されています。マリインスキー劇場沿海州劇場のプロフィールによると、2017年のブノワ賞のノミネートは、ジョン・クランコ振付『オネーギン』のタチアナと、イヴァン・リシュカ版『海賊』のメドーラの役によるものでした。情熱大陸の番組紹介は、ブノワ賞を「バレエ界のアカデミー賞と言われる」賞と説明しています。

サンフランシスコからボストンへ

2001年、倉永はローザンヌ国際バレエコンクールでプロ研修賞を受け、サンフランシスコ・バレエに研修生として入りました(Bunkamura、マリインスキー劇場沿海州劇場)。

ただ、最初のサンフランシスコ時代は順調ではありませんでした。情熱大陸の番組紹介によると、倉永は「アメリカのバレエ・スタイルに戸惑っている内に終わってしまった」と振り返り、正式な契約を勝ち取ることはできませんでした。その後、ニューヨーク・シティ・バレエ附属のスクール・オブ・アメリカン・バレエで学び直し、ボストン・バレエのオーディションに合格して、プロの道を歩み始めます。

Bunkamuraのプロフィールは、サンフランシスコ・バレエ時代には役に恵まれない時期もあったと書いています。そのうえで、困難を乗り越えた倉永が「ボストンで美しく花開いた」と紹介しています。

ボストン・バレエのプリンシパルとして(2003〜2019年)

マリインスキー劇場沿海州劇場のプロフィールによると、倉永は2003年にボストン・バレエのコール・ド・バレエ(群舞)の一員として入団しました。群舞の時代にオーギュスト・ブルノンヴィル振付『ラ・シルフィード』のシルフ(空気の精)を踊ったことをきっかけに、2005年にセカンド・ソリスト、2007年にソリスト、2009年にプリンシパルへと、短い期間で昇格していきました。

ボストンのワシントン通りの街並み。ガラス張りの高層ビルの手前に、縦長のパラマウントの看板と、赤いオペラハウスの垂れ幕を下げた歴史的な建物が並ぶ。
ボストンのワシントン通り。赤い垂れ幕を下げた建物が、ボストン・バレエが公演を行うオペラハウス(現在の名称はシチズンズ・オペラハウス。2011年撮影)撮影:Ron Cogswell/CC BY 2.0/出典:Wikimedia Commons

ボストン・バレエで倉永が主役を務めた作品は、古典から現代まで多岐にわたります。Bunkamuraのプロフィールには、ヌレエフ版『ドン・キホーテ』のキトリ、クランコ版『ロミオとジュリエット』のジュリエット、『ラ・バヤデール』のニキヤ、アシュトン振付『ラ・フィユ・マル・ガルデ』のリーズ、『シンデレラ』のシンデレラ、『眠れる森の美女』のオーロラ、『白鳥の湖』のオデット/オディール、『ジゼル』のジゼルなどが並んでいます。

『白鳥の湖』のオデット/オディール

『白鳥の湖』は、白鳥に姿を変えられた王女オデットと、彼女になりすます黒鳥オディールを、ひとりのバレリーナが踊り分ける古典の代表作です。Bunkamuraのプロフィールによると、倉永はボストン・バレエで『白鳥の湖』のオデット/オディールを踊りました。マリインスキー劇場沿海州劇場のプロフィールも、マリウス・プティパ振付の『白鳥の湖』のオデット/オディールを倉永のレパートリーに挙げています。2012年には東京の小牧バレエ団の公演でも、オデットとオディールを踊っています。

『ジゼル』のジゼル

『ジゼル』は、村娘ジゼルを主人公にしたロマンティック・バレエの代表作です。Bunkamuraのプロフィールは、2001年のローザンヌ国際バレエコンクールで倉永が踊った『ジゼル』が「瑞々しい」と話題になったと紹介しています。ボストン・バレエでもジゼルの役を踊りました。

バランシン作品とコンテンポラリー作品

倉永は古典だけでなく、20世紀以降の振付家の作品でも主要な役を務めてきました。Bunkamuraのプロフィールには、ジョージ・バランシン振付の『テーマとヴァリエーション』『ダイヤモンド』『ルビーズ』『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』『シンフォニー・イン・C』、イリ・キリアン振付『小さな死』、ウィリアム・フォーサイス振付『精密の不安定なスリル』、トワイラ・サープ振付『イン・ジ・アッパー・ルーム』、ウェイン・マクレガー振付『クロマ』、クリストファー・ウィールドン振付『ポリフォニア』などが挙げられています。

2009年には、ニューヨークのリンカーン・センターで、ニューヨーク・シティ・バレエとともにバランシン振付『セレナーデ』を踊りました(マリインスキー劇場沿海州劇場、Bunkamura)。情熱大陸の番組紹介は、イタリアのダンサー、ロベルト・ボッレのツアーにも客演したことに触れています。

世界各地のガラ公演

倉永は、バレエ団の公演だけでなく、各国のガラ公演(人気ダンサーが代表的な場面を踊り継ぐ特別公演)にも数多く招かれてきました。マリインスキー劇場沿海州劇場のプロフィールには、ニューヨークのユース・アメリカ・グランプリのガラ、ヘルシンキのダンス・オープン・ガラ、台北の国際バレエ・スター・ガラ、東京でのローザンヌ国際バレエコンクールのガラ、ドルトムントの国際バレエ・ガラ、メキシコのデスペルタレス・ガラ、そしてヴェローナの円形劇場をはじめイタリア5都市をめぐった「ロベルト・ボッレと仲間たち」のツアーなどが並んでいます。ヴェイル国際ダンス・フェスティバルには、毎年ゲスト・アーティストとして参加していたことも記されています。

Bunkamuraのプロフィールも、ヘルシンキ、モスクワ、ヴァルナ、台北、ドルトムント、アメリカ各地のガラで活躍していると紹介しています。日本では、熊川哲也がオーチャードホール芸術監督として企画した「オーチャード・バレエ・ガラ~JAPANESE DANCERS~」にも出演者として名を連ねました。

サンフランシスコ・バレエへ(2019年〜)

情熱大陸のプロフィールによると、倉永は2019年、プリンシパルとしてサンフランシスコ・バレエと契約しました。17年前に研修生として過ごし、正式な契約を得られなかったバレエ団に、最高位のダンサーとして戻ったことになります。番組の紹介文は、新しいシーズンの幕開けとなる12月の『くるみ割り人形』に向けた倉永の姿を伝え、同団のイタリア人プリンシパル、アンジェロ・グレコの名前も挙げています。

サンフランシスコのウォー・メモリアル・オペラハウスの正面。白い石造りの建物に円柱が並び、柱の間に色とりどりの垂れ幕が下がっている。
サンフランシスコ・バレエの本拠地、ウォー・メモリアル・オペラハウス 撮影:Sanfranman59/CC BY-SA 3.0/出典:Wikimedia Commons

サンフランシスコ・バレエの公式サイトで公開されている2024〜25年シーズンの名簿にも、倉永はプリンシパルとして名前が載っています。同団が発表した2025年の『くるみ割り人形』の配役でも、グラン・パ・ド・ドゥを踊るプリンシパルのひとりとして名前が挙がっています。

情熱大陸の公式YouTubeチャンネルでは、2020年5月中旬に撮影された、倉永が「瀕死の白鳥」を踊る映像が公開されています。説明文には「アメリカの超名門サンフランシスコ・バレエ団にプリンシパル」として倉永が紹介されています。

息をのむほど美しい「瀕死の白鳥」孤高のバレエダンサー倉永美沙 / Misa Kuranaga – Dying Swan【StayHome】(情熱大陸 公式チャンネル公式YouTube)

サラソタ・バレエへ(2025年〜)

2025年、倉永はアメリカ・フロリダ州のサラソタ・バレエに常駐ゲスト・プリンシパル(Resident Guest Principal)として加わりました。同団の公式サイトのプロフィール(2025年10月時点の保存版)にも、この肩書きが記されています。

2026年7月、地元紙オブザーバーとSRQマガジンは、サラソタ・バレエが2026〜27年シーズンの新しい団員を発表し、2025〜26年シーズンを常駐ゲスト・プリンシパルとして過ごした倉永が、正式なプリンシパルに就いたと報じました。同紙によると、倉永はこのシーズンに、『Birthday Offering』やミハイル・フォーキン振付『レ・シルフィード』などに出演しました。

2026年10月時点の所属は、これらの報道によればサラソタ・バレエのプリンシパルです。

倉永美沙の歩みを表で見る

年できごと
1993年モスクワ国際バレエコンクールのガラ公演に、グリゴローヴィチの招きでボリショイ劇場で出演
2001年ローザンヌ国際バレエコンクール プロ研修賞、サンフランシスコ・バレエに研修生として入る。第9回モスクワ国際バレエコンクール ジュニア部門金賞
2003年ボストン・バレエに入団
2005年セカンド・ソリストに昇格
2006年ジャクソン国際バレエコンクール シニア部門金賞
2007年ソリストに昇格
2009年プリンシパルに昇格。ニューヨーク・シティ・バレエと『セレナーデ』を踊る
2017年ブノワ賞にノミネート
2019年サンフランシスコ・バレエとプリンシパルとして契約
2025年サラソタ・バレエの常駐ゲスト・プリンシパル
2026年サラソタ・バレエのプリンシパルに就いたと報じられる
倉永美沙の所属の流れを示す図。2001年にサンフランシスコ・バレエの研修生、2003年にボストン・バレエに入団し2009年にプリンシパル、2019年にサンフランシスコ・バレエのプリンシパル、2026年にサラソタ・バレエのプリンシパルの順に並ぶ。
図:倉永美沙の所属の流れ

世界のバレエファンを虜にする魅力

倉永の踊りは、公演主催者や劇場の紹介でどのように語られてきたのでしょうか。Bunkamuraのプロフィールは、倉永を「強靭なテクニックと豊かな音楽性で、古典作品やバランシン作品を生き生きと踊る」ダンサーと紹介しています。

ボストン・バレエでの昇格の流れを示す図。2003年にコール・ド・バレエとして入団、2005年にセカンド・ソリスト、2007年にソリスト、2009年にプリンシパルの順に並ぶ。
図:ボストン・バレエでの昇格

踊ってきた作品の幅も、倉永の大きな特徴です。19世紀の古典である『ジゼル』『白鳥の湖』『眠れる森の美女』から、20世紀のバランシン作品、フォーサイスやマクレガーといった現代の振付家の作品まで、時代も様式も異なる作品で主要な役を務めてきました。

倉永美沙が主役や主要な役を踊ってきた作品を3つに分けた図。古典ではジゼル、白鳥の湖、ドン・キホーテ。バランシン作品ではダイヤモンド、テーマとヴァリエーション、セレナーデ。現代の振付家ではキリアン、フォーサイス、マクレガーの作品。
図:倉永美沙が踊ってきた作品

まとめ

いかがだったでしょうか。今回は、バレエダンサーの倉永美沙をご紹介しました。

大阪の地主薫エコール・ド・バレエでバレエを始めた倉永は、2001年のローザンヌ国際バレエコンクールでプロ研修賞を受けてサンフランシスコへ渡りました。正式な契約には届かず、ニューヨークで学び直したのち、ボストン・バレエで群舞から2009年にプリンシパルへと昇格します。2019年には、かつて研修生として過ごしたサンフランシスコ・バレエにプリンシパルとして戻り、2026年にはサラソタ・バレエのプリンシパルに就いたと報じられています。

古典の全幕作品からバランシン、現代の振付家の作品まで、踊ってきた作品の幅広さにも注目してみてください。

Euphoric " " の視点

倉永は、最初のサンフランシスコ時代に役に恵まれない時期を経験しながら、ボストン・バレエではコール・ド・バレエから一段ずつ昇格し、入団から6年でプリンシパルになりました。その後もサンフランシスコ、サラソタと舞台を移しながら、主役を踊り続けています。

古典の全幕作品からバランシン、現代の振付家の作品まで、踊ってきた作品の幅も、積み重ねた時間の厚みを物語ります。思うようにいかない時期があっても、場所を変えて挑み続けることで道は開ける。倉永の歩みは、海外で挑戦する多くの人にとって、心強い道しるべになるはずです。

作品に触れるには

倉永美沙の歩みや踊りは、次の公式ページで紹介されています。出演予定は時期によって変わるため、最新の情報は所属するバレエ団の公式発表をご確認ください。

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