こんにちは、ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんはウェス・ウィルソンという人物をご存知でしょうか?
ウィルソンは溶けたような形状が特徴の「サイケデリックフォント」を発明し、普及させたことで知られる1960年代サイケデリックアートを代表するアーティストです。
本記事ではそんなウェス・ウィルソンの人生と作品についてご紹介します。
ウェス・ウィルソンってどんな人?
基本情報
本名 | ロバート・ウェスリー・ウィルソン(Robert Wesley Wilson) |
生年月日 | 1937年7月15日 |
出身 | アメリカ カリフォルニア州 サクラメント |
学歴 | サンフランシスコ州立大学(中退) |
分野/芸術動向 | サイケデリックアート |
公式サイト | https://www.wes-wilson.com/ |
人生と作品
生まれと環境
ウィルソンは1937年7月15日、アメリカのカリフォルニア州サクラメントで誕生しました。
幼少期に両親が離婚した後、ウィルソンは教師である母親と共に暮らし10代のころはシエラ山麓の町を転々としていました。
ウィルソンが暮らした町はいずれも農業が盛んな田園地帯で、その影響もあってか自然やアウトドアへの関心が強く、高校卒業後16歳で朝鮮戦争時代に兵役に就いたのち、オーバーンの短期大学で林学や園芸学を学びます。
ウィルソンは少年期に親の束縛を全く受けることなく育ち、友人たちと楽しい時間を過ごすことのできた自由な時間が後々の創作に欠かせないものだったと考えているそうです。
短期大学卒業後はサンフランシスコ州立大学に入学し、在学中は哲学、歴史、英文学、東洋の宗教などについて学び、思想家たちの思想や信念が様々な文化を形成してきたことを理解し、知識を得ることに情熱を注ぎます。
ウィルソンは3年間大学で勉学に励みますが、この時彼には妻と3人の子供がいて家族を養う必要があり、大学を中退しますが残念なことにその年にウィルソンと妻は離婚してしまいます。
印刷屋として働く
ウィルソンは大学を中退した後、アーティストになることを強く決意します。これは衝動的な決断ではありませんでした。
というのも彼は幼いころから絵を描いてきており、1961年以降は絵に関する多くのことを行ってきていて、1964年にはサンフランシスコ芸術アカデミーで週1で開講される「Painting a Life Drawing」というクラスを数回受講していました。
ウィルソンは1960年後半に地元のアーティストが多く住む「ウェントレー」というアパートに入居し、ウェントレーの下にあるコーヒーショップ「フォスターズ」で後のビジネスパートナーになるボブ・カーと出会います。
2人の友情が深まると、カーはウィルソンを誘い「Contact Printing」という名の印刷屋を始め、カーは営業やビジネス面を担当、ウィルソンはプレス加工とグラフィックレイアウトを担当することになりました。
Contact Printingとして実績を積んでいくうちに、後のヒッピーのカウンターカルチャーシーンの始まりであると知られるトリップスフェスティバルから仕事を受けるなど、興味深いクライアントも増えていきました。
音楽、ダンス、演劇、ストロボライト、デイグローペイント、当時合法だったLSDを自由に使えるイベント。
1966年1月21日~23日にサンフランシスコで開催され、直後にヘイト・アシュベリー地区で爆発し、1969年のサマー・オブ・ラブで最高潮に達したカウンターカルチャーシーンが始まるきっかけとなったと言われている。週末に6,000人を動員した史上初の「ロック・フェスティバル」だった。
ウィルソンとカーは数年間一緒に働いていましたが、ある時カーがまとまった遺産を相続したのをきっかけとしてウィルソンはフリーのグラフィックデザイナーになり、Contact Printingを売却しました。
ベトナム戦争への抗議ポスター「Are We Next?」
1965年の末、ウィルソンはベトナム戦争中の自国の政治と行動に疑問を投げかけたフルカラーのポスター「Are We Next?」を作成し、物議を醸しました。
ウィルソンがContact Printingに出勤する途中、エスカレートするベトナム戦争に関する憂鬱なニュースを耳にしたとき、彼はアメリカが遠く離れたベトナムの内戦という泥沼に深く入り込んでいくのが気に食わなかったと言います。
そしてある朝、通勤中に突然ナチス風の鉤十字に自国の国旗を重ねた衝撃的なポスターのアイデアを思いつき、友人と議論したのち、この不穏なポスターを作成することになりました。
しかし、最初のデザインには、「Be Aware」の言葉しかありませんでした。
このポスターを「West Coast Lithograph」社に持ち込んで印刷してもらう時に冗談好きの印刷工、アイバー・パウエルにこのデザインを見せたところ「それ以外の言葉も入れたほうがいい、”Are We Next”とか。そうでないとほとんどの人が理解できないよ」ととても重要なポイントを指摘してくれました。
その意見を受け入れたウィルソンは「Are We Next?」という言葉を作品に追加した後、数百枚ほど印刷し、抗議活動中、カリフォルニア州オークランドで貼られることになりました。
このポスターは、「The Abalon Ballroom(アバロン・ボールルーム)」という音楽会場で新興のロックバンドのマネージャーであり、カウンターカルチャーシーンの支持者でもあり、後に起こる「サマー・オブ・ラブの父」とも言われた「チェット・ヘルムズ」や、伝説のライブハウスと言われた「 Fillmore Auditorium(フィルモア・オーディトリアム)」を立ち上げた「ビル・グラハム」という2人の人物の目に止まりました。
どちらもロックの歴史において、伝説と言われることになる人物でした。
1967年夏にアメリカを中心に巻き起こった、文化的、政治的主張を伴う社会現象。
10万人もの人がサンフランシスコのヘイト・アシュベリー周辺に集い、サンフランシスコ以外にもヒッピーがニューヨーク、ロサンゼルスなど各都市に集まった。
当時のサンフランシスコは音楽、ドラッグ、フリーセックス、表現、政治的意思表示の中心地、ヒッピー革命の本拠地と見做された。
サマー・オブ・ラブの中心地となったヘイト・アシュベリー地区ではヒッピーカルチャーが根付き、今でも各地でサイケデリックな装飾の店舗やストリートアートが散見されます。
サイケデリックポスター – ウィルソンのスタイルの確立
出展: wes wilson – bill graham presents, https://www.wes-wilson.com/
1966年2月、ビル・グラハムとチェット・ヘルムズは毎週行うショーのためにウィルソンにポスターデザインを依頼し始め、ウィルソンは5か月の間毎週2枚のポスターを作り続けることになります。
ポスターデザインのアイデアは「フィルモア・オーディトリアム」や「アバロン・ボールルーム」に通うカウンターカルチャーの観客からインスピレーション得て制作し、ポスターをエネルギッシュにするために常に形や色に工夫を凝らすことを意識していました。
そしてウィルソンがたどり着いたデザインの方法はこのようなものでした。
- ポスター用紙をタイポグラフィで満たす
- 変形させた、流れるような形状のタイポグラフィ
- LSD体験を基にした、刺激的で大胆な色使い
そしてウィルソンはアールヌーボーの影響を受けており、彼のポスターに描かれる人物やタイポグラフィには美しくも不安定な曲線が多く見られます。
彼が編み出したこのスタイルは、1960年代ロックの本質を完璧に捉えておりサイケデリックなサブカルチャーから、急速にメインストリームにまで浸透し、「タイム」「ライフ」「バラエティ」などの雑誌に紹介されるまでになります。
後にこのタイポグラフィは「サイケデリックフォント」などと言われるようになり、1960年代のグラフィックを象徴するものとなりました。
このサイケデリックフォントは、彼がカルフォルニア大学の展覧会カタログで見た、「ウィーン分離派」のスタイルから派生させたものと言われています。
やがて、週に2枚のポスターをデザインすることにプレッシャーを感じたウィルソンは、ヘルムズより自由な発想でデザインすることができるグラハムと一緒に仕事を続けることにします。
しかし、依頼額が少ないという不満とグラハムが契約を破ったことによりウィルソンは、ショーのポスター制作を辞めてしまいます。
農場に移り絵を描き続ける
出展:wes wilson – watercolors, https://www.wes-wilson.com/
仕事を辞めた後、ウィルソンは家族と共にアメリカ西海岸にある小さな町、ラグニタスの家に引っ越します。
新居で落ち着いた彼は水彩画を学び始めますが、これらの作品の中にもサイケデリックな彼のスタイルの特徴である流線的な表現がよく見られます。
そして1976年、ウィルソンはミズーリ州オーザックのなだらかな丘陵地帯に引っ越し農場で働き始めます。
彼は田舎出身で自然に関心があったこともあり、都会生活を心から楽しんだことはなかったと言います。
そしてウィルソンは農場で働きながらも時には絵を描いたり、ポスターをデザインする生活を送り続け、2020年1月24日に82歳にして亡くなりました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
1960年代までのポスターのほとんどは日付、時間、場所を伝える実用的なものだったのに対し、ウィルソンのものは派手な色、注目を集める写真、鮮やかなタイポグラフィとアーティスティックな要素が特徴でした。
彼の大胆で遊び心のある派手な色使いはドラッグ、主にLSDのサイケデリックな体験から来ており、昨今よく見られるサイケデリックなポスターなどはウィルソンによって始めて創り出されたと言っても過言ではないでしょう。
彼の作品は、水彩画なども含め公式サイトからほぼすべて閲覧することができます。気になった方はぜひそちらも見てみてはいかがでしょうか?