【徹底解説】ナンダラル・ボーズとは?日本画の特徴を融合させたインド画家

【徹底解説】ナンダラル・ボーズとは?日本画の特徴を融合させたインド画家
出展:Sati, WIKIART, https://www.wikiart.org/

こんにちは、ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんは「ナンダラル・ボーズ」という人物をご存じでしょうか?

ナンダラルは、イギリスのインド支配によって破壊された伝統文化の復興を目指した「ベンガル派」の画家で、ベンガル派は日本美術の重要人物である「岡倉天心」や「横山大観」らとの接点もあり日本画の影響を受けている作品も見られます。

今回はそんなナンダラルの人生と作品についてご紹介させていただきます!

ナンダラル・ボーズってどんな人?

出展:Nandalal Bose, WIKIART, https://www.wikiart.org/

基本情報

本名 ナンダラル・ボーズ(Nandalal Bose)
生年月日 1882年12月3日
出身 ビハール州 ムンガー地区 ハヴェリカラグプール
分野/芸術動向 現代インド美術

生まれと環境

ナンダラルはインド東部のビハール州ムンガー地区、ハヴェリカラグプールにて中流階級の家庭に生ました。

幼少期のナンダラルのために即興でおもちゃや人形を作るのが得意であった母親のケトラモニ・デヴィの影響か、彼は幼いころから造形に興味を持ち、後に「プージャー・パンダル」と言われるイベントの建造物の装飾を手掛けるようになります。

出展:Druga Puja Pandal with theatre performances, WIKIMEDIA, https://commons.wikimedia.org/

プージャー(Sanskrit: पूजा, Romanized: pūjā)は、サンスクリット語で、尊敬、名誉、敬意、崇敬、崇拝を意味し、ヒンズー教徒、仏教徒、ジャイナ教徒が、1つ以上の神々に献身的な敬意と祈りを捧げ、来賓をもてなし敬意を払い、あるイベントを精神的に祝うために行う礼拝儀式である。

パンダル(pandal)は、インドや近隣諸国において、建物の外や公道、家の前など様々な場所で使用される仮設または常設の建造物のこと。

参考: https://en.wikipedia.org/wiki/Puja_(Hinduism)

参考: https://en.wikipedia.org/wiki/Pandal

1898年、カルカッタに移りセントラル・カレッジ・スクールの高校課程を修了したナンダラルは両親を説得して美術学校に入学しようとしましたが、その願いは叶わず附属の大学に入学することになります。

当然やりたいことができないナンダラルは大学での成績が芳しくなく、転校を余儀なくされたとき、ナンダラルが1903年に結婚したスディラデヴィの父、つまり彼の義父であるプラカシュ・チャンドラ・パルが商学を学ぶことを薦めます。

その助言を受け入れたナンダラルはプレシデンシー・カレッジで商学を学び始め、在学中は従兄弟のアトゥール・ミトラから静物画、モデル・ペインティング、ソース・ペインティングなど様々な絵画様式を密かに学んだり、ヨーロッパの絵画を真似てオリジナルの絵を描いたりもしていました。

そのため学業にはほとんど集中できませんでしたが、それが返って彼の芸術への情熱と情熱が人の人生に与える影響の大きさを家族に理解させることができ、晴れてナンダラルはカルカッタ芸術学校に入学することがでるようになりました。

アバニンドラナード・タゴールに師事

Abanindranath Tagore

ナンダラルは、カルカッタ芸術学校の卒業生で、「インド東洋美術協会」の創設者であり、現代インド美術の発展に貢献した「アバニンドラナード・タゴール(Abanindranath Tagore)」の絵画に多大な影響を受けており、彼から絵画を学びたいと考えていました。

タゴールと連絡を取れたナンダラルはそれまで描いてきた絵を持ってタゴールに会いに行きますが、高名なアーティストであるタゴールと直接会話するのを怖がった彼は、友人のサティエンを一緒に連れていき、彼の代わりに話をしてもらいました。

Yama and Savitri

ナンダラルの絵を見たタゴールは、素人の画家がヨーロッパの絵画を模倣して描いたとても立派な絵に驚き、ナンダラルを快く迎え弟子にすることにしました。

日本人との交流

タゴールらは、カルカッタを中心にイギリスのインド支配によって破壊された伝統文化の復興を目指し活動した一派として「ベンガル派」と呼ばれていましたが、1901年、そのベンガル派のもとに西洋画に対立する新しい日本画の創造を目指す「岡倉天心」がインドに訪れます。

1年間、天心とベンガル派が深く交流したのち、天心の仲介で「横山大観」「菱田春草」らは1903年に4か月間インドに滞在します。

その間二人はカルカッタで自分たちの作品展を開き好評を得たりして、ベンガル派たちとの交流しました。

日本人画家との交流は、タゴールがナンダラルを弟子に取った後も続いており、これらの交流によってインスピレーションを受けたナンダラルは、作品に日本画的要素を取り入れるようになります。

キャリア

出展:Sati, WIKIART, https://www.wikiart.org/

タゴールの弟子になるのと同時に、インド東洋美術協会に所属していたナンダラルは、1908年にインド東洋美術協会で開催された美術展に自分の才能を発揮する機会として「Siva and Sati」と「Sati」という二つの作品を展示します。

その作品を見て感銘を受けた協会は、ナンダラルに500ルピーを賞金として渡し、ナンダラルはその賞金でインドの様々な史跡を訪れ、偉大なインド文明の芸術的発展を自分の目で見ようと決心します。

この時、ナンダラルは訪れる場所の様々な風景からインスピレーションを受け、それをキャンバスに描きだし、多くの作品を低額で販売しました。

マハトマ・ガンジーの肖像画

出展:Gandhi March (Bapuji), WIKIART, https://www.wikiart.org/

1930年、イギリスによる塩税賦課に抗議し、イギリスの不当性をインド民衆に訴えるマハトマ・ガンジーによる第二次非暴力・不服従運動である「塩の行進」を受けてナンダラルが作成した「Gandhi March(Bapuji)」というガンジーの肖像画はこの「塩の行進」という非暴力運動のシンボルとなりました。

ナンダラルの画風

出展:Nandalal Bose ArtWorks, WIKIART, https://www.wikiart.org/

ナンダラルの描くテーマはインドを題材にしたものから離れることはありませんでしたが、その表現方法は様々な絵画様式を融合させているものであり、彼がタゴールに弟子入りする前から取り入れていたヨーロッパの様式や、横山大観ら日本画家の輪郭線を用いず色彩の濃淡で表現する技法などを自分の中に落とし込み独自のスタイルとしています。

技法は洗練されていたものの、題材は村人たちの日常を描いた作品などシンプルなものが多く、村人たちに愛されました。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は、現代インド美術の発展に貢献した「ベンガル派」の画家、ナンダラル・ボーズについてご紹介させていただきました!

彼の様々な絵画様式を融合させる技術は卓越していて、当時のインドの批評家たちの中でも有名になっていました。

彼の作品はその時代のものとしてみると異質的な雰囲気を持ちながらも、さまざまな人に人気があったのは民に寄り添うような親しみやすいテーマの作品が多かったからではないかと思います。

ナンダラル・ボーズについてもっと知りたいという方はぜひ調べてみてはいかがでしょうか?



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