こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
私たちの生活に馴染み深い伝統工芸のひとつに焼き物があります。
食事やインテリアとして日常的に目にする焼き物ですが、それがどこの国の伝統から生まれたものか知っていますか?
日本の伝統工芸と、西洋の伝統工芸における歴史や文化の違いを知ると、身近にある工芸品を見る目も変わっていくことでしょう。
本記事では三大西洋陶工を中心に西洋の伝統工芸を代表する西洋陶磁について解説します。
イントロ情報
伝統工芸って?
はじめに、西洋における伝統工芸の定義について解説します。
日本の伝統工芸を定義づける手がかりとなる文化財保護法や、伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)は日本独自の法律であるため、海外の文化を同じような基準で定義することはできません。
今回取り上げる西洋諸国では日本のように法律で伝統工芸品の定義を決めている国は多くありません。国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の定める世界遺産条約や、文化遺産保護制度の登録を基準としていたり、それらに批准して独自に基準を定めています。
自由な一方、法で保護されるハードルが高い現場の西洋ですが、先進的な取り組みを行っている例もあります。それが近年注目されているマイスター制度です。
ドイツ発祥のマイスター制度は、専門的な知識や技能を持った職人がゲセレという国家資格を取得したマイスターに対して国が手当の支給などを行うものです。後継者不足の解消や需要の拡大を図り、伝統技術を保護するのが目的の制度です。
このマイスター制度に倣って、日本でも2013年に厚生労働省からものづくりマイスター制度が制定され、人材の認定による伝統技術の振興から派遣事業による後進育成を国が支援しています。
このように、伝統工芸の保護制度が波及していく例が増えていくと良いですね。
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西洋陶磁の歴史
西洋陶磁の歴史西洋陶磁の歴史は紀元前五世紀、古代ギリシアの時代に遡ることができます。
これらギリシア陶器は主に飲食物を入れる器と、神話のエピソードを刻みつける記録媒体という二つの役割を持っていました。
ギリシア陶器の最大の特徴に色使いがあります。発掘されているギリシア陶器のほとんどが赤と黒で、それ以外の色が使われているものはほとんどありません。
さらにこれは釉薬による着色ではなく、土を焼成した時に自然と浮かび上がるものだと分かっています。
ギリシア陶器に使われる土は鉄分を多く含んでおり、土台となる素地土の上に同じ土で化粧土を載せます。
これを窯で焼くのですが、はじめは酸素をふんだんに送り込んで「酸化炎焼成」を行います。すると土に含まれる鉄分が酸化して赤くなります。次に穴を塞いで酸素を送らずに焼く「還元炎焼成」をすると、窯の中は酸素不足になり炎は土の中に含まれる酸素と結合して酸素を失った土が黒くなります。さらにその後、再び穴から酸素を送り込み「酸化炎焼成」をすると空気の酸素と結びついて器が赤くなるのですが、化粧土を載せてわずかに分厚くなった部分は酸素を通しにくく黒いまま残ります。
こうして酸化と還元の作用を利用し、当時の陶工は巧みに絵柄を描き上げていました。
温度の管理どころか測定すらできなかった当時にこの技術を生み出したとは、驚きですね。
人物像を赤で表現したものを赤像式、黒で表現したものを黒像式と言いますが、これらの模様は焼き上がった後に描き込まれた痕跡も多く残されていることから、今でいう絵付け師のような職人もいたのではないかと考えられています。
宗教と化学が生み出した陶器の進化
次に歴史的な発達を起こしたのは14~15世紀のスペインでのことでした。イスラム教の影響を強く受けていたスペインはその意匠を陶器にも落とし込み、「イスパノ・モレスク陶器」と呼ばれるいくつかの独特なデザインを残しました。
ひとつは翼(ウイング)と呼ばれる把手部です。この頃作られたイスパノ・モレスク陶器の多くは象の耳や天使の羽を思わせるほど大きな取手が形づくられています。とても実用目的で作られたとは思えず、イスラム美術でよく見られるモチーフである鳥から発想を得たのではないかと考えられています。
もう一つの特徴にラスター彩という独特な色どりが施されていることが挙げられます。ラスター彩とは、銀や銅などの金属酸化物を混ぜた顔料を用いて絵付けをし、これを低温度でいぶし焼きにすることで表面に虹色の光る被膜を作るという技術です。
化学変化と光の屈折を用いて輝く独特の高級感に魅了されたのは当時の人びとも同じだったようで、ラスター彩を用いた陶器はヨーロッパ各地に輸出されました。
発祥は明らかになってはいませんが九世紀ごろのメソポタミア地方で生み出されたと考えられ、ラスター彩陶器を普及させたスペインのマニセスという町は現代でも焼き物の聖地として知られています。
実に600年以上にも渡る、まさに伝統工芸です。
さらにこの時代に錫白釉(マヨリカ)という白い顔料が頻繁に用いられ始めたことも重要です。上品な青や金を引き立てる白地の顔料は、これまでの暗い赤や緑といった陶器の雰囲気を一気に変え、また絵付けをより引き立たせる手伝いとなりました。
この錫白釉は、古くから知られていた鉛釉に錫の酸化物を混ぜて焼成することで錫が沈澱し、白い不透明な素地を作ることができる釉薬です。
ラスター彩の発祥と同じく九世紀ごろのメソポタミア地方で生み出されたと言われ、イスラム諸国で多く用いられることになりました。
その理由はイスラム諸国では白磁に適した陶土が取れなかったためで、焼き物の先進国である中国の白磁器に対抗するために生み出したものと考えられています。
イタリアが生み出した陶器ルネサンスと、大量生産された愛
スペインから錫白釉陶器が流入してきたヨーロッパ諸国の中で、イタリアではそれを発展させる形で文化が根付いていきました。
その最大の違いは人物画を主題に描かれるようになった点です。
スペインが偶像崇拝を禁止するイスラム教国であるのに対し、イタリアでは主にキリスト教が信仰されていました。
宗教的な束縛が無くなったどころか、偶像や教義を表す芸術作品の一つとして陶磁器に人物画をつける文化が発達していきました。人物の緻密な描写はまるで古代ギリシア陶器の文化が蘇ったかのようです。
この時期のイタリアで作られたマヨリカ陶器の絵には「ベッラ・ドンナ(美しきご婦人)」という様式がありました。
中央に一人の女性像が描かれ、しばしば周囲にリボンが配されます。リボンには2種類の言葉が書かれました。一つは人物にまつわる詩文や名句、もう一つは「ベッラ(美しい)」「ディーヴァ(崇高な)」「グラツィオーザ(優美な)」などの賛辞の言葉です。
このことからベッラ・ドンナは別名「コッパ・アマトーリア(愛の皿)」とも呼ばれます。
ベッラ・ドンナの豪華な絵付けを見ると、高価な芸術品として作られたと思うかもしれません。ですが実際は大量に生産され、例えば男性が女性へ贈るために買われていたようです。そのため描かれた女性は絵を描くにあたって依頼主が送りたい人物をモデルにしたとも言われています。
フランス陶器に革命をもたらした男・パリッシー
ところ変わってフランスではどうでしょうか。
フランス陶器の発展の鍵を握るのはバルナール・パリッシー(1510-1590)という人物です。彼は陶工でありながら、科学者、博物学者、思想家など様々な肩書を持つ人物でした。
彼はフランスのサントの町でガラス職人をしていましたが、舶来品の「ろくろで成形され、エナメル彩色を施されたカップ」を見て陶工を志すようになりました。
しかし素人が突然陶工として食っていけるはずもなく、工房から買った素焼きの壺や他人の窯を借りて実験を繰り返します。しかしついには資金が底をつき、燃料にする薪も調達できなくなって床板や家具を燃やさなければならないほど生活が困窮してしまいます。
1545年、サントの町にアンヌ・ド・モンモランシー元帥(1493-1567)が徴税に反対する民衆を鎮圧するためやってきます。鉄腕将軍の名で恐れられていた一方で、大のやきもの好きであった彼は野心的なパリッシーと出会って感銘を受け、サント城の近くに家と工房を与えました。
安定した生活を手に入れたパリッシーは苦心の末に1556年、「リスティック・フィギリン(田舎風器物)」という陶器を完成させます。
リアルなカエルやヘビ、トカゲや貝などの生き物が一面にひしめき、色は褪せた緑や青、茶色など様式の名前通り田舎の風景を思わせます。それもそのはず、生き物の装飾は死骸から石膏で型を取りそれをもとに作ったもの。
色は錫、鉛、鉄、アンチモン、コバルト、銅、砂などの鉱物顔料を用い、10年がかりで自然の色を再現するために調合された特別な釉薬によるものです。
当時イタリアからヨーロッパ諸国に普及していた自然主義とのマッチもあってこれを見たモンモランシーはたいそう気に入り、パリッシーの作品の最初の購入者となりました。
それから彼を時の国王アンリ二世に紹介し、モンモランシーの働きかけもありパリッシーのリスティック様式は流行を見せます。
パリッシーの人生はその後も紆余曲折あり、フランスの文化に大きく寄与した人物として歴史の教科書にも載る偉人として知られるに至ります。
彼はイギリスの作家スマイルズの『セルフ・ヘルプ』で、ドイツのベドガー、イギリスのウェッジウッドと共に三大陶工として名が挙がっています。
庶民に普及したフランスの白
スペイン、イタリアに次いで白い陶器の生産に成功したのはフランスでした。
スペインでイスパノ・モレスク、イタリアでマヨリカと呼ばれた錫白釉陶器はフランスではファイアンスと言います。
フランスの町ファエンツァで、イタリアのマヨリカ陶器を模した白い陶器の製作が始まります。
これまでの全面に緻密な装飾図案を施すイストリアートという様式から、白地を生かして大きく余白を取り、中央に小さく簡素な模様を描いたマヨリカ陶器へと転換。
ビアンコ・ディ・ファエンツァ(ファエンツァの白)と呼ばれる人気商品となったフランスのマヨリカ陶器(ファイアンス)は清潔で安価、高級品の白磁に似て、しかも食品の見栄えが良いという特徴から庶民に喜ばれ、ファエンツァは今も製陶の町として知られるようになります。
この頃から食文化を牽引していたフランスだからこそ、食文化との相性が庶民に陶器を普及させたのかもしれません。
ヨーロッパの白磁を生み出したドイツの錬金術師
これまでは主に町職人から庶民へと広がっていった陶器について見ていきました。
それでは磁器はどうでしょうか。
ヨーロッパ最初の本格的な磁器生産を担ったのは、現代の私たちでも知るマイセンでした。
ヨーロッパで初めて白磁を開発したのは白磁創製の功労者として知られるドイツの錬金術師ヨハン・フリードリヒ・ベドガー(1682-1719)で、特に彼から広まった様式はベドガー白磁と呼ばれています。
はじめ、マイセンはコーヒーカップやポット、茶器などのテーブルウェアを作り始めました。
トルコの金属器などにインスピレーションを受けたヘルメット型のフタや、デザインをした金細工師ヨハン・イルミンガーが得意としたアカンサスの葉の意匠などが特徴です。
バンデルヴェルクと呼ばれる複雑な金色の絵付けをしたのは金細工師ゲオルグ・フンケの仕事で、最初期のマイセンに共通するデザインです。
この時期のマイセンは、複雑な染付けや色絵のノウハウがないため、金細工師の手仕事による金や銀の装飾が主流でした。
大航海時代以降、貿易が盛んになると中国の磁器、特に白磁や染付け、色絵がヨーロッパの王侯貴族の心を掴んでいました。
錬金術師として噂が立っていたベドガーは、ドイツのドレスデンをフランスのヴェルサイユのような華の都として再建しようとするフリードリヒ・アウグスト一世によって金を作れと軟禁されてしまいます。
ベドガーはアウグスト一世の財政顧問であったチルンハウスという人物と共に、当時ヨーロッパ中で流行していた一台ブランド品である磁器の製造を試みます。
13年もの実験を経て、磁器の製造に成功したベドガーはアウグスト一世にそれを献呈。ヨーロッパ最初の磁器工場がアルブレヒッツブルクに作られ、これまで中国磁器の輸入に留まっていたヨーロッパの磁器フィーバーの覇権を握ることになるのでした。
ウェッジウッドの伝統は、骨董品の複製からはじまった。
イギリスの名陶工ジョサイア・ウェッジウッド(1730-1795)の物語は、ひとつの骨董品から始まりました。
製陶業者ジョサイアは、古代ローマ時代に作られたガラス製の壺「バルベリーニの壺(またはポートランドの壺)」の複製を試みるため、第三代ポートランド公と借用書を交わしてこの壺を借り受けました。
ジョサイアはかねてから彼の開発したジャスパーウェアという新しいやきものを構想しており、その実践としてバルベリーニの壺の複製に挑んだのでした。
ジャスパーウェアは、現在でもウェッジウッドの人気商品として知られていますが、無釉のせっ器質のやきもののことです。
ジョサイアはジャスパーウェアによるバルベリーニの壺の複製を1780年に完成させ、それはたちまち評判を呼びます。
新聞に取り上げられ、ロンドンのショールームでも展示されます。ジョサイアはその5年後に不幸にも亡くなってしまいますが、その功績と魅力は現在、私たちが知るウェッジウッドが受け継いでいます。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本記事では、三大西洋陶工に数えられるフランスのパリッシー、ドイツのベドガー、イギリスのウェッジウッドを中心に西洋陶磁の歴史についてご紹介しました。
西洋陶磁というと豪華なインテリアや贈り物として見たことがある方も多いかもしれません。しかし成り立ちや歴史を知ると、庶民のために白磁に似た食器を普及させたフランスのファイアンスや、誰でも使う食器からスタートしたマイセンなど、意外に私たちの身近な場所に伝統工芸があることに気付かされます。
伝統工芸の陶磁器を使ったり集めたりするのは高尚な趣味のように感じられるかもしれませんが、私たちの身近に触れやすい伝統工芸もまた陶磁器であると思うので、ご興味のある方はぜひ陶磁器を生活に取り入れてみてはいかがでしょうか。
近年は工芸品に焦点を当てた展示会も多く開催されているので、実物を見ながら歴史を学び、お土産に買って帰る、なんて楽しみ方もおすすめです。
おすすめ書籍
カラー版 西洋陶磁入門
西洋(主にヨーロッパ)における陶磁器の歴史を、古代ギリシアからマイセンやウェッジウッドなど今でも受け継がれているブランドまで概観できる本です。カラーの図版が多く、入門書だけあってページ数も少ないので初心者でも読みやすい本です。