こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんはソフィ・カルという人物をご存知ですか?
ソフィ・カル(Sophie Calle)は、1953年にパリで生まれたフランスの美術家です。日本では「ソフィー・カル」と表記されることもあります。写真と文章を組み合わせ、自分で決めた「ゲームのルール」に従って行動し、その記録を作品にしてきました。
ホテルの客室係として働きながら客の残した持ち物を記録した『L’Hôtel』、作家ポール・オースターが考えた「ニューヨークで暮らすための手引き」を実行した『Gotham Handbook』など、作品の多くは、本当にあった出来事と、それを語る言葉でできています。2024年には、日本美術協会の高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞しました。
見る人は、写真を見て、文章を読み、そこにいない誰かの姿を思い浮かべることになります。本記事ではそんなソフィ・カルの人生と作品についてご紹介します。
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基本情報
| 本名 | ソフィ・カル(Sophie Calle)。日本では「ソフィー・カル」の表記もあります |
| 生年月日(没年月日) | 1953年10月生まれ(2026年10月時点で存命) |
| 国籍・出身 | フランス/パリ |
| 学歴 | 1971年、パリ第10大学(現パリ・ナンテール大学)で社会学の授業を受ける |
| 分野 | 写真、文章、インスタレーション、映像、本 |
| 傾向 | コンセプチュアル・アート。自分で決めたルールに従って行動し、写真と文章で記録する |
| 師事した人物・影響を受けた人物 | 特定の師は確認できませんでした。作家ポール・オースターとは、小説と作品を通じて互いに影響を与え合いました |
| 主な受賞 | ハッセルブラッド国際写真賞(2010年)、フランス芸術文化勲章コマンドゥール(2012年)、高松宮殿下記念世界文化賞 絵画部門(2024年) |
カルと同じく「考え」を中心にした美術の作家や、カルの日本での展覧会については、以下の記事でも詳しくご紹介しています。
経歴と作品
世界を旅したのち、パリで始めた「ゲーム」(1953年〜1979年)
ソフィ・カルは1953年10月、パリに生まれました。高松宮殿下記念世界文化賞の公式サイトの年譜によると、1971年にパリ第10大学(現在のパリ・ナンテール大学)で社会学の授業を受けています。
パリのポンピドゥー・センターが2003年の個展の際に出した資料によると、カルは1970年代の初めに世界を巡る長い旅に出ました。世界文化賞の年譜は、7年間世界を巡ったのちの1979年に、パリをあらためて知るための一連のプロジェクトを始めたと記しています。ポンピドゥー・センターの資料によれば、パリに戻ったカルは、通りで見知らぬ人のあとをついて歩き、写真と文章でその記録を手帳に残すことから始めました。
『Les Dormeurs』(1979年)
カルの最初の作品とされるのが『Les Dormeurs』です。ポンピドゥー・センターの資料によると、カルは1979年、見知らぬ人と友人あわせて29人を、自分のベッドで眠るよう招きました。1人あたり8時間ずつ、1週間にわたって交代で眠ってもらい、眠っている姿を1時間ごとに写真に撮りました。世界文化賞の公式サイトは、カルが眠った人たちに話を聞いたことも記しています。
写真と記録は、1980年の第11回パリ・ビエンナーレで発表されました。世界文化賞の公式サイトは、この作品がもともと「美術」として作られたものではなく、カルが考えた「ゲーム」から自然に生まれたものだと説明しています。ポンピドゥー・センターの資料は、この展示をきっかけに、カルが「美術家になる」と決めたと書いています。
コンセプチュアルアートってなに?
カルの作品は、しばしば「コンセプチュアル・アート(Conceptual Art)」の流れで紹介されます。ロンドンのテート美術館は、コンセプチュアル・アートを「作品の背後にある考え(コンセプト)が、完成した物としての作品よりも重要な美術」と説明し、この動きに関わる作家の一人にソフィ・カルを挙げています。
ただし、ポンピドゥー・センターの資料は、カルの初期の作品について、美術と人生の関係が、それまでのコンセプチュアル・アートの中立的で距離をとった記録とははっきり違っていたと書いています。1980年代のカルは、感情や気持ちに大きな場所を与える独自の道に進み、自分の生活をより良くし、生きることの手ごたえを取り戻すために「ゲームのルール」や「儀式」をつくった、と同館は説明しています。
南フランスのオクシタニー地域圏現代美術館(Mrac Occitanie)は、2025年の個展の教育資料で、カルを「コンセプチュアル・アーティスト、写真家、映像作家、さらには探偵」とも呼ばれてきた作家と紹介し、文章と写真を組み合わせた語りが「ゲームのルール」の形をとると説明しています。

ホテルと街を記録する(1980年代)
1980年代のはじめ、カルはルールに従って行動し、その記録を作品にする方法を次々に試しました。ポンピドゥー・センターの年譜によると、1980年にはヴェネチアで15日間ある男性のあとをついて歩き、写真とメモを残した『Suite vénitienne』を制作しました。同じ年からは、毎年の誕生日に招いた人たちからの贈り物を保管し続ける『Le Rituel d’anniversaire』を始め、1993年まで続けています。世界文化賞の年譜によると、1998年にはロンドンのテート・ブリテンで、この作品による個展「The Birthday Ceremony」が開かれました。
1981年には、私立探偵を雇って自分を尾行させ、探偵の客観的な報告と、同じ一日についての自分の文章とを並べた『La Filature』を制作しました。ポンピドゥー・センターによると、この作品は同館が「写真の自画像」をテーマにした展覧会のために依頼したものでした。誰かを見る側だったカルが、今度は見られる側に立ったのです。
同じ1980年には、ニューヨークで、住民にブロンクス地区を案内してもらい、その話をもとにした『Le Bronx』も制作しています。1984年にロサンゼルスに招かれた際には、街の人々に「天使はどこにいるのか」とたずねる『Les Anges』を制作しました。
『L’Hôtel』(1981年)
同じ1981年、カルはヴェネチアのホテルで客室係として働き始めます。ポンピドゥー・センターの年譜は、カルが旅行者の残していった痕跡を記録したと書いています。サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)の紹介によると、シリーズの一つひとつは、カルが掃除を担当した部屋の「肖像」です。ベッドや、部屋で見つけた持ち物の写真と、そこにいない客の姿をカルが想像して書いた文章とで構成されています。
テートは、このシリーズのうち「Room 47」「Room 28」「Room 29」「Room 44」の4点を所蔵しています。そのうち『The Hotel, Room 28』は、上下2枚のパネルでできています。上のパネルには、ベッドの頭板を写したカラー写真と、「ROOM 28」の文字、そして1981年2月16日月曜日の朝9時30分から始まる日記のような文章があります。文章には、女性用の靴が8足、男性用が5足並んでいたことや、上質な服を見て「年配の裕福な人たちだろう」と想像したことなどが、日付と時刻とともに書かれています。最後の日の記述は「正午。彼らは出ていった」です。下のパネルには、ベッドや並んだ靴、身の回りの品を写した9枚の白黒写真が並びます。

この作品に、客の顔は一度も出てきません。それでも、靴の数や服の質、残された物の並び方から、見る人の頭の中には、会ったことのない2人の姿が浮かび上がります。カルが写しているのは人ではなく、人がいなくなったあとの「不在」なのです。
見えないものを言葉で見せる(1986年〜1990年代)
1980年代半ば以降、カルの関心は「見ること」そのものへと向かいます。ポンピドゥー・センターと世界文化賞の公式サイトによると、1986年の『Les Aveugles』(三菱一号館美術館の2024年の展覧会での邦題は『盲目の人々』)では、生まれつき目の見えない人たちに「あなたにとって美のイメージとは何か」とたずねました。ポンピドゥー・センターは、この作品が、見られずに見ること、そして心の中のイメージとしての美という問いを扱っていると説明しています。
ポンピドゥー・センターが所蔵する1点には、ある人のこんな答えが添えられています。「魚に心ひかれます。なぜかは言えません。音もしないし、私には何の興味もないはずなのに。好きなのは、水の中での動き、何にもつながれていないという感じです」。同館の作品データと展示写真によると、この作品は、答えた人の白黒写真、答えを写した文章、水槽の魚を写したカラー写真を組み合わせ、棚とともに展示されます。
1989年から1991年にかけての『Fantômes』では、パリ市立近代美術館とニューヨーク近代美術館の職員に、貸し出しなどで展示室からなくなっていた作品を、記憶をもとに説明してもらいました。1990年からの『Last Seen』では、同じことを、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館から盗まれた絵画について行っています。作品が「ない」場所を、人々の言葉で埋めていく作品です。
1991年の『La Couleur aveugle』では、目の見えない人たちに「何が見えるか」をたずね、その答えを、単色の絵画(モノクローム)を描いた画家たちが自作について書いた文章と並べました。ポンピドゥー・センターは、カルがこの作品で「モノクロームの体験」を問い直したと説明しています。1996年には、ベルリンの旧東側の地区で、旧ドイツ民主共和国の名残について住民に話を聞く『Souvenirs de Berlin-Est』も制作しました。どの作品でも、カル自身が語るのではなく、ほかの人々の言葉が作品の中心にあります。
1988年からは、カメラを自分自身に向けた短い自伝的な物語のシリーズ『Autobiographies』にも取り組み、2003年まで続けました。オクシタニー地域圏現代美術館は、カルが語る本当にあった物語は、どれも1枚の画像をともなっていると説明しています。
ポール・オースターとの往復(1994年〜)
カルの作品は、文学とも深く結びついています。ポンピドゥー・センターの年譜によると、アメリカの作家ポール・オースターは、カルから着想を得て小説『リヴァイアサン』を書きました。そのあと、カルの求めに応じて、ニューヨークで暮らすための手引きを書いたのです。
『Gotham Handbook』(1994年)
こうして生まれたのが『Gotham Handbook』です。ポンピドゥー・センターが所蔵する作品は、写真と文章を入れた7枚の額装パネル、タイプした文章3点、アルミに貼ったカラー写真1点でできています。
カラー写真には、ニューヨークの街角の公衆電話ボックスが写っています。ボックスの上には大きな目の絵が描かれ、柱には「ENJOY」の文字が縦に並び、中には花や写真、雑誌などが飾られ、前には折りたたみ椅子が置かれています。

1994年9月26日月曜日の記録にあたるパネルには、タイプした文章、電話ボックスとその前を通る人々を写した20枚の白黒写真、粘着テープで留めた手書きの紙、小さな額に入った文章が収められています。手引きという「ルール」と、それを実行した日々の記録が、そのまま作品になっているのです。

ポンピドゥー・センターによると、1997年には、オースターの『リヴァイアサン』の登場人物マリアにならって、一日の食事を一色でそろえる『Le Régime chromatique』も制作しました。カルが小説の人物を生き、小説家がカルを描く。現実と物語が行き来する関係です。
ソフィ・カルの作品と言葉(2000年代〜)
2001年には、パリの画廊主エマニュエル・ペロタンが、1981年の『La Filature』からちょうど20年後の同じ日に、ふたたび私立探偵にカルを尾行させました。これが『Vingt ans après』です。ポンピドゥー・センターは、カルがこの作品で、美術家としての自分の人生を総括するように同じ体験を繰り返したと説明しています。
『Chambre avec vue(Room with a View)』(2003年)
ポンピドゥー・センターの資料によると、2003年10月5日、パリ市が主催した夜通しの芸術祭「ニュイ・ブランシュ」のために、カルはエッフェル塔の中に『Chambre avec vue』を設置しました。世界文化賞の年譜にも、2003年の作品として記されています。
2003年から2004年には、ポンピドゥー・センターで大規模な個展「M’as-tu vue」が開かれました。同館の資料は、フランスの美術館でのカルの大きな展覧会は10年以上ぶりだったと書いています。2007年には、ヴェネチア・ビエンナーレのフランス館の代表として『Prenez soin de vous(Take Care of Yourself)』を発表しました。世界文化賞の公式サイトによると、カルは職業や技能をもとに選んだ107人の女性に、作家自身が受け取った別れの手紙を解釈し、分析し、論評してもらいました。1通の手紙が、107通りの読み方によって、まったく違う姿を見せる作品です。
2010年には、ハッセルブラッド国際写真賞を受賞しました。2011年には、海に囲まれた街イスタンブールで、海を一度も見たことのない人たちに出会い、初めて海を見る瞬間を撮影した映像作品『Voir la mer』(邦題《海を見る》)を制作しています。オクシタニー地域圏現代美術館は、カメラが、その出会いの驚きや素直な反応をとらえていると説明しています。
三菱一号館美術館の展覧会で紹介された『なぜなら』のシリーズでは、額に入った写真の前に、文章を刺繍した布が垂らされています。見る人が布をめくると、はじめて写真が現れます。まず言葉を読み、それから写真を見る。カルの作品の「文章と写真の関係」を、見る人の手の動きにまで落とし込んだ作品です。
サンフランシスコ近代美術館が2018年に公開したこの動画では、『L’Hôtel』のシリーズについて紹介しています。
世界文化賞の公式サイトは、カルの言葉として「詩的な、あるいは芸術的な可能性をもつ物語を語る作品をつくろうとしている」を紹介しています。また同サイトは、カルが作品の解釈を見る人にゆだねていると書いています。同サイトによると、多くの人がSNSで自分の生活を公開するようになった現在、カル自身も自分のやり方が時代に先んじていたことを認める一方で、1979年のように見知らぬ人のあとをついて歩くことは、いまではもっと難しいだろうとも述べています。
日本とのつながり
カルは日本とも縁の深い作家です。世界文化賞の年譜によると、1984年にフランス外務省の奨学金で日本に滞在しました。東京の原美術館では、1999年から2000年に個展「Douleur Exquise」が開かれ、2019年には同館のコレクションによる展覧会も開かれました。2015年から2016年には、豊田市美術館で個展「Sophie Calle, For the Last and First Time」が開かれ、長崎県美術館に巡回しました。2019年には、《海を見る》が東京の渋谷スクランブル交差点で上映されています。
2024年11月23日から2025年1月26日には、東京の三菱一号館美術館で「再開館記念『不在』 トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」が開かれました。同館によると、2020年に予定していたカルとの協働は、新型コロナウイルス感染症の流行で来日がかなわず延期され、再開館を機に実現したものです。「不在」という展覧会のテーマも、カルから提案されたものでした。
同じ2024年には、高松宮殿下記念世界文化賞の絵画部門を受賞し、11月19日に東京で授賞式が行われました。2023年から2024年には、パリの国立ピカソ美術館で個展「À toi de faire, ma mignonne」を開いています。オクシタニー地域圏現代美術館は、カルがこの美術館の全展示室を使って個展を開いた初めての作家になったと紹介しています。
| 年 | 主なできごと |
|---|---|
| 1953年 | パリに生まれる |
| 1979年 | 『Les Dormeurs』。1980年の第11回パリ・ビエンナーレで発表 |
| 1981年 | 『La Filature』『L’Hôtel』 |
| 1986年 | 『Les Aveugles(盲目の人々)』 |
| 1994年 | ポール・オースターの手引きによる『Gotham Handbook』 |
| 2003〜2004年 | ポンピドゥー・センターで個展「M’as-tu vue」 |
| 2007年 | ヴェネチア・ビエンナーレ、フランス館の代表 |
| 2010年 | ハッセルブラッド国際写真賞 |
| 2023〜2024年 | 国立ピカソ美術館で個展 |
| 2024年 | 高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)。三菱一号館美術館で展覧会 |

まとめ
いかがだったでしょうか。ソフィ・カルの人生と作品について、ご紹介してきました。
カルは1953年にパリで生まれ、世界を巡る旅から戻った1979年に、見知らぬ人たちを自分のベッドで眠らせる『Les Dormeurs』で制作を始めました。その後も、ホテルの客室係として客の持ち物を記録した『L’Hôtel』、探偵に自分を尾行させた『La Filature』、目の見えない人たちに美のイメージをたずねた『Les Aveugles』、ポール・オースターの手引きを実行した『Gotham Handbook』と、自分で決めたルールに従って行動し、写真と文章で記録する作品を重ねてきました。
2010年のハッセルブラッド国際写真賞、2024年の高松宮殿下記念世界文化賞を受け、日本でも豊田市美術館や三菱一号館美術館で展覧会が開かれています。
カルの作品の前では、写真を見るだけでなく、文章をじっくり読むことが大切です。言葉と写真のあいだで、そこにいない誰かの姿がゆっくり立ち上がってきます。機会があれば、ぜひ作品の前で、その時間を味わってみてください。
Euphoric " " の視点
カルの作品は、ルールを決め、それに従って行動し、写真と文章で記録するという素朴な仕組みでできています。ホテルの客室に残された靴や服、見知らぬ人の眠り、目の見えない人たちの言葉。客の顔を一度も見せずに、そこにいない誰かの姿を、見る人の想像の中に立ち上げてきました。
日常の中の小さな「ゲーム」から作品が生まれる方法は、40年以上にわたって形を変えながら続き、ハッセルブラッド国際写真賞や世界文化賞という評価にもつながりました。身近な出来事を丁寧に見つめ、言葉にすることの力を、カルの作品は教えてくれます。
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