皆さんはロシア構成主義を知っていますか?
ロシア構成主義はロシア革命時に生まれた美術様式で、伝統的な芸術界が変化する時代の中、生き残るために変化したものでした!
この記事ではロシア構成主義の『歴史』と『代表的な作品』をご紹介します!
ロシア構成主義とは?
ロシア構成主義とは、1910年代半ばに誕生しました。1917年はロシア革命が起こった時期で、ロシアが史上初の社会主義国家を建設していました。
この時期はテクノロジーが発展し、伝統を持った芸術界も人々の日常から切り離されないように、工業生産に使われる材料を取り入れ、芸術とテクノロジーの融合を実現しました。
ロシア構成主義の作品は、当時のロシア政府の意向に沿っており、社会的目的のために芸術は存在することを根底に置いていました。なので、それまでの芸術手法を否定し、より工業的な作風となっています。
この芸術運動は20世紀の芸術界に大きな影響をもたらし、ドイツのバウハウス、オランダのデ・ステイルのような流れを巻き起こしました。
代表的なロシア構成主義
ここではロシア構成主義の代表的な3人のアーティストと彼らの作品をご紹介します!
ウラジーミル・タトリン
ウラジーミル・タトリンは、14歳でモスクワにある家を出て、2年間程汽船のキャビンボーイとして働いていました。彼はその後、24歳の頃まで水兵として、フランス、トルコ、モロッコ、エジプト、シリアなどを航海していました。24歳以降はモスクワの芸術学校で芸術について学び始めました。
そして、ロシア革命後に芸術学校で教師となりました。
Model of monument Ⅲ International
ナウム・ガポ
ナウム・ガポは、アントワーヌ・ぺウスナーの弟で、名前が彼と異なるのは彼と名前が混合することを避けるためであったと言われています。彼は多くの学問に精通しており、ミュンヘン大学で医学、自然学、美術史を学びました。さらに、彼はロシア語、ドイツ語、フランス語、英語を使いこなしていました。
Head No.2
アントワーヌ・ペヴスナー
アントワーヌ・ペヴスナーは、ロシア構成主義の活動に「ロシア構成主義」と名付けた芸術家として知られています。彼はパリでキュビズムの影響を受けながら芸術を学びますが、弟であるナウム・ガポの影響で彫刻の世界へと飛び込みます。その後、ナウム・ガポと共にリアリズム宣言を発表しました。
Maquette of a Monument Symbolising the Liberation of the Spirit
まとめ
いかがでしたでしょうか?
ロシア構成主義も他の芸術運動と同様、時代の変化に適応した結果、あのような工業品を使ったスタイルを確立しました。
特に、テクノロジーと芸術を融合させているので、以前までの作品より機械的な作風となっています。
このように時代の流れと共に、芸術の表現方法も変わってくると思うと、5GやAIが発展してきた現在にはどんな新しい芸術が生まれるのでしょうか?
とても楽しみですね!