【徹底解説】エル・リシツキーってどんな人?シュプレマティズム独自のスタイルを生み出したアーティスト

こんにちは、ユアムーン株式会社 編集部です!

皆さんは、エル・リシツキーというアーティストをご存知でしょうか?

リシツキーは、師であるカジミール・マレーヴィチと共にシュプレマティズムの発展を支援したシュプレマティストの1人で、アーティストであり、グラフィックデザイナーや建築家、写真家などでもある多才な人物です。

今回は、そんなリシツキーの人生や作品をご紹介していきます!

エル・リシツキーってどんな人?

基本情報

本名 ラザール・マルコヴィッチ・リシツキー(Lazar Markovich Lissitzky)
生年月日 1890年11月23日
出身 ロシア帝国 スモレンスク県 ポチノク
職業 アーティスト、デザイナー、写真家、タイポグラファー、建築家
分野/芸術動向 シュプレマティズム、構成主義、アヴァンギャルド、抽象芸術
学歴 ダルムシュタット工科大学、リガ工科大学

生まれと環境

リシツキーは1890年11月23日に旧ロシア帝国のスモレンスクにある小さなユダヤ人コミュニティ、ポチノクにて生まれました。

イフェダ・ペン

幼少のころから絵に対して常に興味と才能を示していた彼は、13歳の時にイフェダ・ペンという地元のアーティストに見出され、彼の下で絵を教わり始めます。

そして15歳になると自ら生徒に教えるまでに至りました。

そして彼は、1909年にサンクトペテルブルクの美術学校を受験しますが、不合格となります。

絵の才能があるリシツキーは入学試験には合格したものの、当時のツァーリであるニコライ2世による専制政治体制下(ツァーリズム)の法律では、ロシアの学校や大学へのユダヤ人の入学定員数は厳しく規制されており入学できませんでした。

その後リシツキーはドイツのダルムシュタット工科大学に留学し建築工学を学び、第一次世界大戦が勃発するまでドイツに滞在しました。

モスクワに戻ったリシツキーはリガ工科大学に通い、工学と建築の卒業証書を取得、その後建築事務所で働きます。

反ユダヤ主義のツァーリ政権が崩壊すると、新臨時政府はヘブライ文字の印刷を禁止し、ユダヤ人を締め出す勅令を廃止します。

この勅令の廃止により、リシツキーは公然とユダヤ文化に情熱的な関心を寄せることが可能になり、ユダヤ美術に傾倒します。

地元のユダヤ人画家の作品の展示や、伝統的建築や装飾の研究、ユダヤ人雑誌への芸術に関する記事の掲載など、ユダヤ美術に関係する活動を積極的に行いました。

シュプレマティズムとの邂逅

1919年、ヴィテプスクの芸術総監に就任したマルク・シャガールは、芸術アカデミーを設立し、建築とグラフィックの講師として、リシツキーが雇われました。

カジミール・マレーヴィチ

このアカデミーでリシツキーは同じく講師であった、『カジミール・マレーヴィチ』と出会います。

マレーヴィチは、『シュプレマティズム』と呼ばれる完全な抽象芸術様式を研究していました。

このマレーヴィチと、マレーヴィチが提唱したシュプレマティズムとの出会いが、リシツキーの人生において、とても大きなターニングポイントになります。

シュプレマティズムとは

ラテン語の「supremus」(至高)という言葉を起源とする、カジミール・マレーヴィチが提唱した絵画様式で、日本語では「至高主義」「絶対主義」などと言われます。

特徴としては抽象性を徹底し、正方形や三角形などの平面的な幾何学図形のみで構成する様式で、抽象絵画の一つの到達点とも言われています。

マレーヴィチは、この新しい絵画様式を「world of non-objectivity.(非具象的な世界)」と名付けました。

独自のスタイルの確立

リシツキーは、自分の芸術が真のオリジナルであることを強調するために、シュプレマティズムのバリエーションを独自に生み出しました。

Proun 19D

彼は、この独自のスタイルで一連の作品を制作し、それらを「Prounen」または「Proun」と呼びました。

この名前の真の意味をリシツキーは誰にも明らかにすることはありませんでしたが、一説によると、Prounという言葉はラテン語の「prounovis」または、彼が所属していたグループ「proekt utverzhdenya novogo」の略語であり、ロシア語で「新しいものを肯定するプロジェクト」を意味するのではないかと示唆する人もいたようです。

後にリシツキーは、それらを「絵画から建築に変わる駅」と曖昧に定義しました。

リシツキーの最大の目標は、古典的なヨーロッパ様式に頼りすぎていたロシアの建築にシュプレマティズムを適用することでした。

1920年代シュプレマティズム運動の分裂

1920年代になると、シュプレマティズム運動は理想を追究する派閥と、より実用的な目標を達成し、工業に役立てようとする派閥に分かれ始め、リシツキーの師であるマレーヴィチは、前者の理想を追究する派閥に属していました。

ウラジーミル・タトリン(出典:Vladimir Tatlin, WIKIART, https://www.wikiart.org/)

後者にはリシツキーがモスクワの国立高等美術工芸学校で共に教鞭をとっていた時に親しくなった、『ウラジーミル・タトリン』がいました。

一方、リシツキーは後者の実用主義グループと同じような考えは持っていたものの、この分裂したシュプレマティズム運動の中では独立した立場を保っていました。

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3分で基礎から学べるウラジミール・タトリン!

作品紹介

Had Gadya

『Had Gadya(ハド・ガディア)』は、ユダヤ教の祭日の一つである過越の祭の最初の晩にユダヤ人の家庭で歌われる歌です。

この作品は子供向けの本のために制作され、幾何学的な要素が重なる領域の中に動物が描かれています。

この幾何学的要素は、シュプレマティズムへの前触れのようです。

Beat the Whites with the Red Wedge

『Beat the Whites with the Red Wedge』は、ウラジーミル・レーニン率いる「ボリシェヴィキ」が1917年に革命を起こした直後にリシツキーが赤軍を支援するために制作した、プロパガンダ的要素を帯びた作品です。

赤いくさびは、反共産主義の白軍を貫く革命家を象徴しており、白い円は白軍、つまりこの作品は赤軍は白軍の防御を貫いた、ということを表しています。

Proun 99

左上の物体は、立方体とも、三つの平面が組み合わさった図形とも考えられ、無重力空間で浮遊しているように見えます。

下部の格子状の三角形は奥行きを感じさせるデティールをしています。

ほかにも2次元的な要素が配置されており、3次元と2次元が融合したような作品です。

リシツキーは、複雑な次元の空間を構築することで、革命後のロシアに新しい芸術を生み出すという課題を達成しようと試みたようです。

For the Voice

リシツキーは、グラフィックデザイナーとしても活躍し、歴史的に重要な作品を残しました。

ウラジーミル・マヤコフスキーの詩集である、「For the Voice」もその一つです。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は、シュプレマティズムの発展に貢献したアーティスト兼デザイナー、エル・リシツキーについてご紹介させていただきました。

彼について興味を持った人は、さらに調べてみてはいかがでしょうか!


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