こんにちは、ユアムーン編集部です!
皆さんは「フランソワ・ブーシェ」という画家をご存知でしょうか?
ブーシェはロココを代表するフランスの画家で、亡くなる5年前には国王の第一画家にも任命されています。
今回はそんなブーシェの人生と作品をご紹介させていただきます!
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- フランソワ・ブーシェ(1703-1770)は、フランス・ロココ美術を代表する画家です。
- ポンパドゥール夫人の庇護を受け、1765年には国王の首席画家・王立アカデミー院長に就任しました。
- 代表作に『ディアナの水浴』(1742年、ルーヴル美術館)や『ヴィーナスの勝利』(1740年、スウェーデン国立美術館)などがあります。
フランソワ・ブーシェってどんな人?

| 本名 | フランソワ・ブーシェ(François Boucher) |
| 生年月日 | 1703年9月29日 |
| 出身 | フランス パリ |
| 学歴 | 王立絵画彫刻アカデミー |
| 分野/芸術動向 | ロココ |
ロココとは
ロココは18世紀のフランスで花開いた美術様式で、曲線的な装飾、明るく淡い色彩、神話や男女の情愛を描いた画題を特徴とします。バロックの重厚さに代わり、宮廷や貴族の邸宅を飾る優美で軽やかな表現が好まれました。ブーシェはアントワーヌ・ヴァトーの様式を受け継ぎ、ロココ絵画を代表する画家の一人とされています。弟子のジャン=オノレ・フラゴナールにその様式が引き継がれました。
人生と作品
生まれと環境
フランソワ・ブーシェは1703年9月29日、フランスのパリにて刺繡デザイナーであるニコラ・ブーシェの子として誕生します。
ブーシェは幼少期から16歳まで、1391年に設立し1776年に解散することになる画家と彫刻家の組合「アカデミー・ド・サン=リュック(聖ルカ組合)」の会員であった父ニコラから絵画の初歩を学んでいました。
17歳の時、当時を代表する歴史画家で後の国王の第一画家に任命されることになる「フランソワ・ルモワーヌ」がブーシェの絵を賞賛し、ブーシェは父親からの後押しもあってルモワーヌに弟子入りすることになります。
しかしブーシェによるとルモワーヌからは学ぶことはなく、ルモワーヌは弟子の面倒を殆ど見ることがなかったと語っており、短期間でルモワーヌの下を離れることになります。
フランソワ・ルモワーヌ
版画家の下で働く
ブーシェはルモワーヌに弟子入りした3か月後に生活費を稼ぐため、版画家の「ジャン=フランソワ・カーズ」の下で働くようになります。
カーズの下では論文の挿絵を描いたり、王政の起源からアンリ4世の治世までを扱ったダニエル神父の著書『フランス史』の帯や本文中の小さな版画などを担当したりしました。
これらの実績により、パトロンでありコレクターであるジュリアンから「アントワーヌ・ヴァトー」の原画に基づいて彫版した作品を集めた版画集『様々な風景の人物像と研究(Figures de différents caractères de paysages et d’études)』のエッチングの仕事を任せられます。

ブーシェは1723年に「ローマ賞(Prix de Rome)」という画家や彫刻家を対象とした美術学生のための奨学金制度に受賞しており、ローマに3年から5年留学できるはずでしたが経済的な問題があったためにこの奨学金制度で留学することはしませんでした。
ローマに旅立つ
1728年、ブーシェは同じく画家のシャルル=アンドレ・ヴァン・ローとルイ=ミシェル・ヴァン・ローと共に、自費でローマに旅立ちます。
1728年から1731年の間「在ローマ・フランス・アカデミー」に滞在していたブーシェは、同時代のヴェネツィア派の絵画(ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの作品を含む)に触れ、その装飾的な構図に感動したとされています。
ブーシェのローマでの活動の詳細はあまり知られていないようですが、歴史家たちはブーシェがローマで大いに働き、大いに成長したのは間違いないだろうという意見で一致しているようです。
王立絵画彫刻アカデミーに入会

1731年末、パリに戻ったブーシェは歴史画家として王立絵画彫刻アカデミーに準会員として入会し、3年後に提出した作品『リナルドとアルミーダ』で正会員になります。
この絵画のテーマは、16世紀に書かれたトルカート・タッソの叙事詩「GerusalemmeLiberata(届けられるエルサレム)」から着想を得たもので、この詩は1099年にエルサレムを占領し、キリスト教の王国を築いた第一次十字軍を理想化したものです。
王立絵画彫刻アカデミーに入会した後は、フランス王室や貴族からの依頼を次々と受けていき、ルイ15世のための宮殿の装飾や貴族の邸宅の装飾にも携わるなど、順調なキャリアを歩んでいきます。
ポンパドゥール夫人との関係
ブーシェはルイ15世の公妾であるポンパドゥール夫人のためにも複数の作品を制作しており、弟のヴァンディエール侯爵に宛てた手紙の内容からポンパドゥール夫人は、ブーシェの描く肖像画を気に入っていたことがわかるようです。
また、ブーシェはポンパドゥール夫人にデッサンやエッチングを教えたり、相談役を引き受けたりなど深い親交があったようです。
晩年
1750年代ごろから、色鮮やかで牧歌的なブーシェの画風を軽薄だと見なした反ロココの批評家から批判を受け始めるブーシェですが、ブーシェはその批判には怯まず自分のスタイルを貫き続け、2年に1度サロンにて作品を展示し続けていました。
1765年には国王の第一画家に任命されますが、1770年にブーシェはパリで亡くなります。
フランソワ・ブーシェ年表
| 1703年9月29日 | パリで誕生 |
| 1720年頃 | フランソワ・ルモワーヌに入門、その後版画家ジャン=フランソワ・カーズのもとで働く |
| 1723年 | ローマ賞を受賞 |
| 1728年 | 自費でローマへ出発(〜1731年) |
| 1731年 | パリに帰還、王立絵画彫刻アカデミーに準会員として入会 |
| 1734年 | 『リナルドとアルミーダ』で正会員に |
| 1737年 | 王立アカデミー教授に就任。ボーヴェ織物工場の下絵を手がけ始める |
| 1750年代 | ポンパドゥール夫人の庇護のもと、肖像画やタペストリー下絵などを制作 |
| 1755年 | ゴブラン織物工場の監督に就任 |
| 1765年 | 国王の首席画家・王立アカデミー院長に就任 |
| 1770年5月30日 | パリで死去 |
フランソワ・ブーシェの代表作
| 作品名 | 制作年 | 所蔵先 |
| リナルドとアルミーダ | 1734年 | ルーヴル美術館 |
| 朝食(Le Déjeuner) | 1739年 | ルーヴル美術館 |
| ヴィーナスの勝利 | 1740年 | スウェーデン国立美術館(ナショナルミュージアム) |
| ディアナの水浴 | 1742年 | ルーヴル美術館 |
| ブロンドのオダリスク | 1752年 | アルテ・ピナコテーク |
| 日の入り | 1752年 | ウォレス・コレクション |
| 日の出 | 1753年 | ウォレス・コレクション |
| ポンパドゥール夫人の肖像 | 1756年 | アルテ・ピナコテーク |
| ポンパドゥール夫人の肖像 | 1759年 | ウォレス・コレクション |
よくある質問
Q. フランソワ・ブーシェとはどんな画家ですか?
A. 18世紀フランスのロココ美術を代表する画家で、神話画や肖像画、装飾画を手がけ、1765年には国王の首席画家に任命されました。
Q. ブーシェの代表作は何ですか?
A. 『ディアナの水浴』(1742年、ルーヴル美術館)、『ヴィーナスの勝利』(1740年、スウェーデン国立美術館)、ポンパドゥール夫人の肖像(1756年、アルテ・ピナコテーク)などが代表作として知られています。
Q. ポンパドゥール夫人とはどんな関係でしたか?
A. ルイ15世の公妾であったポンパドゥール夫人の庇護を受け、複数の肖像画を手がけました。夫人にデッサンやエッチングを教えるなど、親交があったとされています。
Q. ブーシェの弟子は誰ですか?
A. ジャン=オノレ・フラゴナールが最も有名な弟子で、ブーシェのロココ様式を引き継ぎました。
まとめ
いかがでしたか?
今回はロココを代表するフランスの画家、「フランソワ・ブーシェ」についてご紹介させていただきました!
彼は生涯で千枚以上の絵画を制作しており、版画なども含めると更に多くの作品を残しています。
フランソワ・ブーシェについてもっと知りたい方は、ぜひ調べてみてはいかがでしょうか?










フランソワ・ルモワーヌ
フランソワ・ルモワーヌは、フランスのロココ様式の画家である。ローマ賞を受賞し、王立美術・彫刻アカデミーの教授を務め、ルイ15世に仕えた王立画家である。シャルル=ジョセフ・ナトワールやフランソワ・ブーシェの家庭教師を務めた。
ルモワーヌは、そのキャリアを通じて、シャルル・ル・ブランの後継者であり、ライバルであったジャン=フランソワ・ド・トロワ(1679-1752)とも争う、同世代を代表する画家と見なされることを目指した。特にヴェルサイユで発揮した仕事と才能によって、彼は同時代の人々から尊敬され「新しいルブラン」と呼ばれることになった。ノノッテ、ジル・デュティユール、シャルル・ド・ラ・フォッセ、コワペルなど、同時代の他の芸術家たちと協力したり、一緒に仕事をしたりもした。1737年、絶頂期に自死した。彼の死により、大きな寓意画の天井の流行は消滅した。
引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Fran%C3%A7ois_Lemoyne
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