こんにちは。ユアムーン 編集部です。
皆さんは 槇文彦という人物をご存知ですか?
槇文彦は1965年に事務所を立ち上げて以来、幕張メッセやワールド・トレード・センターといった公共施設を中心に国内外問わず数多くの名建築を残している日本を代表する建築家です。
御年九十五歳となる現在でも数多くのプロジェクトや講演に参加しており、まさに建築界の伝説といった人物です。
本記事ではそんな槇文彦の人生と作品についてご紹介します。
目次
槇文彦について
基本情報
本名 | 槇文彦(Maki Fumihiko) |
生年月日 | 1928年9月6日〜(95歳) |
出身/国籍 | 日本 東京都 |
学歴 | 慶應技術大学校工学部予科 中退 東京大学工学部建築学科 卒業 クランブルック美術学院 修了 ハーバード大学デザイン大学院 修了 |
分野 | 建築 |
傾向 | モダニズム建築、近代建築 |
師事した/影響を受けた人物 | 丹下健三等 |
経歴と作品
生い立ち
1928年9月6日、銀行員の父と、竹中工務店元会長の娘である母の間に生まれます。
慶應義塾大学工学部を中退し、建築学科に入学。
卒業後は丹下健三の研究室で学び、外務省庁舎のコンペに参加します。
その後アメリカに留学。
クランブルック美術学院およびハーバード大学デザイン大学院を修了。両学院で学ぶ傍ら、ル・コルビュジェの下で学んだ20世紀を代表する建築家ホセ・ルイ・セルトのスタジオで建築を学びました。
ハーバード大学デザイン大学の卒業後はスキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル、セルト・ジャクソン建築設計事務所、ワシントン大学のキャンパス・プランニング・オフィスなどを転々として設計を学びます。
ワシントン大学とハーバード大学では、都市デザインの准教授を務めました。
1965年にアメリカから帰国。槇総合計画事務所を設立し、建築家として独立を果たします。
40人あまりの所員と共にオフィスを構え、キャリアの拠点としました。
この事務所には山本圭介、元倉眞琴、栗生明、高谷時彦といった著名な建築家が在籍し、現代建築の技術が醸造された環境であったと言えます。
1979年から1989年にかけては東京大学で教授を務めます。
現在に至るまで日本をはじめ海外の数多くの国で講演を行っており、精力的に活動を続けています。
建築の師匠である丹下健三についての記事はこちら!
代表的な作品
ヒルサイドテラス(1969-1998)
によって撮影されました
URL
-様東京都渋谷区猿楽町から旧山手通り沿いに建設された複合施設です。
槇文彦のプロジェクトの中でもダントツに有名なものの一つが、このヒルサイドテラスではないでしょうか。
代官山のランドマークでもある複合施設群で、今でもデンマーク大使館、代官山 蔦屋書店などを目印とした近辺は多くの人で賑わう憩いの通りとなっており(デンマーク大使館も槇文彦が設計を行なった建物です)現代の代官山のイメージを作り上げたと言っても過言ではないでしょう。
第一期部分は2003年のDOCOMO JAPAN選定 日本によるモダン・ムーブメント建築に選ばれました。
1969年から1998年にかけて実に30年の歳月を経て制作されており、これからも文化の交流場として長く愛されていくことでしょう。
藤原市秋葉台文化体育館(1984)
神奈川県藤沢市に位置する屋内スポーツ施設です。
ステンレスで出来た屋根が折り重なった特徴的なデザインはカブトムシに似ていると話題になり、子供の間でカブトムシが人気の虫であること、古代エジプトで甲虫を意味する「Scarab(スカラベ)」は肉体と精神の不滅と再生を象徴する神聖な生き物であることからカブトムシがマスコットキャラクターになりました。
アーチ状の外壁には随所にガラスが嵌め込まれており、太陽光をそのまま体育館の床に落とし時間によって豊かな表情を見せます。
1984年に日本建築学会賞を受賞しました。
スパイラル(1985)
によって撮影されました
URL
-様東京都港区青山5丁目に位置する複合文化施設です。1980年代の槇文彦の仕事の中でも代表的な作品です。
ちなみにこの「スパイラル」という名前は螺旋のスロープがあることが由来で、この建物が株式会社ワコールアートセンターの拠点として設立されたことから、ワコールの代表取締役である塚本能交氏が命名しています。
ギャラリー、多目的ホール、レストランバー、サロンなど様々な店舗からなります。そのコンセプトは「生活とアートの融合」ということで展覧会や公演、コンサートなどが盛んに行われています。
2011年、日本建築家協会25 年賞を受賞しました。
京都国立近代美術館(1986)
写真: Wiiii -様によって撮影されました
URL
京都市左京区岡崎の岡崎公園に位置する美術館です。
文化保存と観光地としての価値をもつ京都にあって、隣接する平安神宮の大鳥居よりも低くなるように設計されるなど景観を守るための制約も多くあったと考えられます。
槇文彦が手掛けたのは1984年の旧館解体後に建てられた新館です。
平安遷都から1300年続く京都のグリッドを思わせる、ポルトガル産の花崗岩とガラスで構成された幾何学的なファザードは近代的でありながら京都の歴史を転写したようなデザインになっています。
四隅にはガラス張りの階段室、正面の大階段には天井から太陽光が差し込むトップライトが設けられており、ロビーからは疏水を眺めることができ、自然豊かな京都の風景を屋内にいながらに感じることができます。
槇文彦は設計にあたり「一見デ・スティール的な世界をつくることを意図している」と語っており、館内には朱色やグレーに彩られた柱が配置されていたり、日本の障子を思わせる不透明ガラスが用いられているなど、様々なモダンテクニックが槇文彦の統合的な思想のもと引用されています。
BCS賞および公共建築賞を受賞しました。
東京体育館(1990)
写真: Arne Müseler-様によって撮影されました
URL
東京都渋谷区千駄ヶ谷一丁目にある体育館です。
徳川宗家が代々所有する土地に1943年から錬成道場として存在し、1956年には体育館と屋内プール、陸上競技場を備えた東京都体育館として完成します。
老朽化を理由に1986年に改装工事が行われ、槇文彦に設計が依頼された形になります。
銀の円盤状のデザインから「UFO」の愛称で知られています。
近年では2020年東京オリンピック・パラリンピックで卓球競技の会場として使用されたことも記憶に新しいかもしれません。
BCD賞および公共建築賞を受賞しました。
幕張メッセ(1989)
写真: 掬茶-様によって撮影されました
URL
千葉県千葉市の幕張新都心に位置する複合施設です。正式名称は千葉県日本コンベンションセンター国際展示場で、会議場としては日本国内2位の規模を有しています。
日本国内の優秀な建築作品として第32回および第40回BCS賞(建築業協会賞)、IAITAクォーターナリオ賞、第5回千葉県建築文化賞などを受賞した槇文彦の代表作品の一つです。
全長500mを超える展示空間の屋根は千葉県の房総半島の山々に見立ててデザインされており、手前に位置するイベントホールは山に囲まれた集落のお寺のイメージだと語られています。
テレビ朝日本社ビル(2003)
写真: Wiiii -様によって撮影されました
URL
東京都六本木に位置するオフィスビルです。六本木ヒルズや毛利庭園が付近にあり、一般人の入場もできるアトリウムが併設されていることから憩いの場としても人気の建物です。
規則的なガラス張りのファザードが特徴的です。
施工は母方の祖父が元会長として務めていたこともある竹中工務店が担当しました。
横浜アイランドタワー(2003)
写真: Wiiii -様によって撮影されました
URL
神奈川県横浜市中区に位置するオフィスビルです。
元々は旧横浜銀行本店別館の一部を保存改修する目的で行われた事業で、修繕後の低層階は歴史的な建築方法を残しつつオフィスビルのホールとし、高層階を新たに施工したものになります。
三角形の敷地にあるこの建物は中心市街地である関内に対してシンメトリーのファザードになるように建てられ、低層階の高さは街並みに連続するように合わせ、新しい建物でありながらもランドマークとして馴染むように設計されました。
テレビ朝日本社と同じく牧総合計画事務所が設計し、竹中工務店が施工を行なった建物です。
2003年に横浜市認定歴史的建造物に認定されています。
静岡市清水文化会館(2012)
写真: Niba -様によって撮影されました
URL
静岡県静岡市清水区に位置する多目的ホールです。
一般公募によって決定した「マリナート」という愛称で親しまれています。
老朽化によって閉館した静岡市清水文化センターに代わる施設として建設されたもので、広域合併によって多核都市となった静岡市の拠点施設というのがコンセプトのようでした。
2015年に日本建設業連合会主催の第56回BCS賞を受賞しています。
4・ワールド・トレード・センター(2013)
写真: Deepen03 -様によって撮影されました
URL
ニューヨークのワールドトレードセンター跡地に設計された高層ビルです。
地名である「グリニッジ通り150号」から150グリニッジ・ストリートとも呼ばれます。
アメリカ同時多発テロで崩壊したワールドトレンドセンターに代わって1ワールドトレードセンターから4ワールドトレードセンターが再建される企画に槇文彦が選ばれ、この世界的に有名な海外のシンボルタワーを手がけるにいたりました。
ガラス張りのファザードが周りのビルを映し、摩天楼の様相をより一層強めているようにも見えます。
まさにニューヨークのシンボルにふさわしいデザインですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
現代建築の巨匠ということで、多くが一度は見たことがある作品ばかりだったのではないでしょうか。
師に丹下健三がおり、その他多くの建築家からモダニズム建築を学んでいる中で、やはり精緻でシンプルなデザインを現代建築のスタンダードにした人物であると実感しました。
まだまだご活躍中とのことなので、もし興味のある方は講演やプロジェクトの情報もチェックしてみてください。