【徹底解説】ジョルジュ・ブラックの人生と作品に迫る〜もう一人のキュビズムの父〜

【徹底解説】ジョルジュ・ブラックの人生と作品に迫る〜もう一人のキュビズムの父〜

こんにちは。ユアムーン 編集部です。

皆さんはジョルジュ・ブラックという人物をご存知ですか?

ジョルジュ・ブラックは18世紀を代表するフランスで活躍した画家です。

パブロ・ピカソと活動時期を共にしキュビズムを創始しました。

ピカソといえばキュビズム、キュビズムといえばピカソという印象が強くありますが、実はキュビズムの誕生はピカソだけでは成しえなかったかもしれません。

ジョルジュ・ブラックはキュビズムのもう一人の父とも言える偉大な人物なのです。

本記事ではそんなジョルジュ・ブラックの人生と作品についてご紹介します。

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ジョルジュ・ブラックって?

Georges Braque

基本情報

本名 Georges Braque(ジョルジュ・ブラック)
生年月日 1882年5月12日〜1963年8月31日(81歳没)
国籍/出身 フランス アルジャントゥイユ
学歴 アカデミー・アンベール
分野 画家
傾向 キュビズム
師事した/影響を受けた人 ポール・セザンヌ、パブロ・ピカソ

キュビズムって?

キュビズムとは、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックが創始した、芸術運動のひとつです。

日本語では立体派とも呼ばれ、キュビズムという名前はCUBE(箱)に由来しています。

モチーフのかたちを分解し、再構成することでイメージを率直に表現することで、視覚ではなく理論で描く知性的な絵画が目指されました。

その手法は詳しくはピカソなどがアフリカ彫刻の影響を素直に取り込んだ「プロトキュビズム」、明暗法や遠近法といった基本的な法則にとらわれない「分析的キュビズム」、フォト・コラージュの表現方法そのままに新聞の切り抜きや縄など素材や画材の枠さえ飛び出した「総合的キュビズム」に分かれています。

写実的な形態からの解放は、同時期に興ったシュルレアリスム(先入観を排除し、心のままに描写すること)からの影響も少なくないでしょう。

人生と作品

生まれと環境

1882年5月12日、フランス アルジャントゥイユにジョルジュは生まれました。

ペンキ屋を営んでいた父のもとで装飾画家の見習いを始め、芸術の世界に触れます。

ジョルジュは市立美術学校であるエコール・デ・ボザールの夜間クラスに通って絵画の勉強をし、18歳の時にパリへ移り住みます。

現在とは見違える作風でのデビュー

『The Estaque(1907)』

The Estaque, 1906 - Georges Braque

1901年から兵役に服し、パリへ戻った後は私立の美術学校アカデミー・アンベールへ通います。

ここでジョルジュはフランシス・ピカビアマリー・ローランサンと出会います。

1907年のアンデパンダン展で画家デビューをし、この頃はアンリ・マティスから影響を受けたフォービズム(野獣派)に近い作風の作品を発表しています。

フォービズムとは、マティスやジョルジュ・ルオーなどの画家に代表される芸術運動の一つです。実際に目に映る色ではなく、心が感じる色を配置するため派手で自由な画面構成を特徴としています。

よく知られているキュビズムの絵とは似ても似つかない派手な色使いですが、目に見える色や形態にとらわれないという意味ではフォービズムとキュビズムは近い作品と言えるかもしれません。

じっさい、18世紀までに興った芸術運動の中でもフォービズムは色彩の革命、キュビズムは形態の革命というように並べて紹介されることも多くあります。

両者はルネサンス以降、長く続いた写実主義とアカデミズム美術を推進するサロンへの反発という形で生まれたという点でも共通しています。

ピカソ、セザンヌとの出会い

同年、ギヨーム・アポリエールの誘いで、親しい友人になるピカソのアトリエを訪れます。そこで制作中であった『アヴィニョンの娘たち(1907)』を見てジョルジュは衝撃を受けます。

また、同時期にポール・セザンヌの大回顧展を訪れたことで印象派にも強い印象を受けることになります。

『レスタックの家(1908)』

A House at Estaque, 1908 - Georges Braque

翌年の1908年、南フランスのレスタックとパリを往復して描いた『レスタックの家(1908)』を発表します。セザンヌの幾何学的な風景画を模倣したこの作品は、後にマティスに「小さなキューブ」と評され、この評価がキュビズムの由来となったと考えられています。

ピカソはアフリカジョルジュはセザンヌの影響を強く受けた風景画を何枚か制作しましたが、この作品以降はセザンヌの作品そのものというよりは、

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。

と言う言葉を軸にキュビズムを中心に描くようになります。


ジョルジュとキュビズムを生み出した パブロ・ピカソ の詳細は以下の記事で紹介しています!

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キュビズムをめぐる独占問題

『メトロノームのある静物(1909)』

Still Life with a Metronome, c.1909 - Georges Braque

1909年、ジョルジュはパリのサロンで2点の作品を出品し、世間に初めてキュビズム的作品が発表されることになります。

これまでピカソやジョルジュの作品のキュビズム的作品は制作されていましたが、画商ヘンリー・カーンワイラーという人物が前衛芸術家を囲い込み、サロンに出品しないことを約束させる代わりに高い報酬で自身の画廊に作品を展示していたことが原因で世間には知られていなかったのです。

このように特定の画商や画廊主と売約を交わす画家をギャラリー・キュビスト、芸術運動には迎合するもののサロンへの出品を行う画家をサロン・キュビストと区別することもあります。

ジョルジュの友人であったアポリエールが、このような膠着的な状況を慮ってキュビスト同士の交流を促進させる働きかけをしたため、ヘンリーは個人の画廊だけではなく作品を海外展示へ舵を切ります。

画商と結びついていたギャラリー・キュビストの作品は労せず海外出品され、サロンに出品されたサロン・キュビストの作品はアカデミズム美術の反発から反響を呼び、キュビズムは急速に世界中に知られることになりました。

純粋なキュビズムを求めて

『フルーツ皿とグラスのある静物(1912)』

Fruit Dish and Glass, 1912 - Georges Braque

1912年になるとジョルジュは新聞や壁紙を用いたコラージュを取り入れた「総合的キュビズム」へと発展させていきはじめます。

描画されたモチーフは幾何学形態によって抽象化された一方で、印刷物という実物をキャンバスに取り入れることによって描かれたものを間接的に具体化することを目指しました。

このような新聞や壁紙を用いたコラージュ群はパピエ・コレと呼ばれます。

さらにジョルジュは顔料に砂を混ぜたり、キャンバスに緻密な木目やステンシルを描き入れるなど、これまでの絵画で暗黙の了解とされていた絵具の関係性を俯瞰し、独自の表現方法を模索しました。

ピカソは時間や角度の差によって生じる形態の違いをひとつの絵にする手法をとりましたが、対してジョルジュは静物を複数の視点で描くという手法に拘り、様々な姿を見出すことでむしろモチーフの純粋な姿を描き出すことを目標としたのです。

ピカソも同じような手法でキュビズムやコラージュを制作しましたが、ピカソのキュビズムが時間や空間を超越した画面構成であるのに対し、ひとつのモチーフの姿を内面的な視点によって探るジョルジュのキュビズムは軽んじられる傾向にありました。

フランスの美術評論家ルイ・ヴォーセレスは

すべてのもの、場所、人物や家を幾何学的なスキーマや立方体に還元する(形態を無視した表現方法である)

と評し、キュビズムがパリを飛び出して知名度を上げていくのと対照的に、ジョルジュ自身はなかなか安定した評価を得られませんでした。

戦争と療養を経て

『アトリエ(1949)』

The Studio (II), 1949 - Georges Braque
出典:The Studio (II),wikiart,https://www.wikiart.org/

1914年まで度々ピカソと共同制作を行なっていたジョルジュでしたが、第一次世界大戦によって出征が決まるとピカソとの共同制作は途絶え、ドイツ人であったカーンワイラーからの援助もなくなってしまいました。

さらに1915年のカレンシーでの戦いで頭部に重傷を負い、一時的に失明するほどの容体となってしまいます。療養のための1917年までの約3年間、ジョルジュは制作を中断せざるを得なくなります。

第一次世界大戦を経てジョルジュは制作を再開します。

療養中に知り合ったキュビズム画家フアン・グリスの紹介で新しく画商と契約し、これまでの休止期間を取り戻すかのように数多くの絵画、彫刻、版画などを手がけます。

この頃にはピカソは新古典主義へ転向しており、キュビズムの隆盛は早くも落ち着きを見せていたため、実質的なキュビズムの担い手となったジョルジュは、静物から様々なイメージを引き出すというアプローチは変わらず、より構図や構成を意識した作風へと変化していきました。

これまではキュビズムの多面的な構成に統一感を持たせるために色面をモノトーンにほとんど制限していましたが、「アトリエ」シリーズを経て温かみのある装飾的なモチーフを描くようになります。

晩年

『A Bird Passing through a Cloud(1957)』

A Bird Passing through a Cloud, 1957 - Georges Braque
出典:A Bird Passing through a Cloud,wikiart,https://www.wikiart.org/

1940年以降になると書籍、絵本、楽譜などの制作を中心とし、油彩画からは距離を置き始めましたが絵を描くことは止めることはなく、繰り返し鳥のグラフィックを制作しました。

どころか装飾の分野で大きな仕事を任されることもあり、ルーヴル美術館の天井装飾、ジュエリーのデザインなどを手掛けました。

1963年8月31日にパリでジョルジュは死亡します。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

ピカソの印象が強いキュビズムですが、むしろキュビズムを軸に模索を続けたのはジョルジュの方だといえそうです。

アートの歴史においてキュビズムは、写実法や遠近法といった美術の基礎を根本から覆す表現だったものの、アカデミズムへの反発として広く大衆に受け入れられました。

ジョルジュと一時制作をともにしたフアン・グリスやフェルナン・レジェはほぼ同時期に「セクション・ドール(ピュトー・グループ)」を組織し、後に「オルフィスム」、「ピュリスム(純粋主義)」へと受け継がれ、ピカソやジョルジュなどの始祖的な担い手が去ってからも視覚芸術に大きな影響を与えていることからも、その影響力の強さが伺えます。


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