こんにちは!ユアムーン株式会社 編集部です!
突然ですが、みなさんは石岡瑛子を知っていますか?
石岡瑛子は、多岐に渡る分野で新しい時代を切り開きつつ世界を舞台に活躍した
日本のアートディレクター・デザイナーです。
この記事では石岡瑛子の『人生』と『代表作品』についてご紹介します!
石岡瑛子とは?
<本名>
石岡瑛子
<出身>
東京
<生年月日>
1938年7月12日
<出身大学>
東京藝術大学美術図案計画科
<主な受賞歴>
1964年 電通賞『資生堂の広告』
1965年 日宣美賞『シンポジウム現代の発見』
1975年 ADC会員賞『パルコのアートディレクション』
1985年 第38回カンヌ国際映画祭芸術貢献賞『MISHIMA』(美術監督)
1987年 第29回グラミー賞『TUTU』(ジャケットデザイン)
1988年 トニー賞ノミネート『M.バタフライ』(美術監督)
1992年 ニューヨーク・アートディレクションクラブ名誉殊勲賞
1993年 第65回アカデミー賞衣装デザイン賞『ドラキュラ』
2002年 紫綬褒章
経歴と作品
ここからは、彼女の経歴と作品について紹介していきます!
国内での経歴
石岡瑛子は、1938年7月12日に東京市小石川区小日向台町で生まれました。デザイナーの父親を持ち、長女として生まれた彼女は、お茶の水女子付属中学に入学します。
その後、同大付属高校に進学し、東京藝術大学美術図案計画科に入学。在学中は、教室の最前列で授業を受けるなど熱心に学業に取り組み、第5回輸出デザインコンクールにて銅賞を受賞しました。
1960年に東京で開催された世界デザイン会議に参加した彼女は、国際的に活躍する登壇者たちの「デザインとは社会に対するメッセージである」という発言に影響を受け、グラフィックデザインを志すようになります。
イタリア留学を検討するものの、「現場に出たい」という想いから卒業後は資生堂宣伝部に入社。
「もし私を採用していただけるとしたら、グラフィックデザイナーとして採用していただきたい。お茶を汲んだり、掃除をしたりするような役目としてではなく。それからお給料は、男性の大学卒の採用者と同じだけいただきたい。」と面接で発言した彼女は、女性として初めて宣伝部のデザイナーとして配属されます。
在籍中に第17回広告電通賞雑誌広告電通賞を『資生堂ホネケーキ/チェリーの匂い』で受賞したほか、数多くの広告賞を受賞。化粧品広告という表現の枠に「爆弾を仕掛けること」に意欲的だった彼女は、それまでの化粧品広告のイメージを覆すキャンペーンを数多く仕掛けました。
1986年に資生堂を退社し、1970年には石岡瑛子デザイン室を設立。同年、日本万国博覧会のオープニングポスター『EXPO’70』を指名制作をします。
1971年には三宅一生の初のニューヨークでのコレクションのテキスタイルデザインを手がけ、その後もファッションブランド『ISSEI MIYAKE』のショーのディレクションを担うようになります。
独立後も角川文庫のキャンペーン、渋谷パルコのオープニングキャンペーンのトータルディレクションなど多くのプロジェクトを手がけ、ジェンダー、国境、民族といった既存の枠組みにとらわれないコミュニケーションはどれも大きな話題になりました。
ポスター 『西洋は東洋を着こなせるか』 (パルコ、1979年)
出典:東京都現代美術館, https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/eiko-ishioka/
パルコのキャンペーン『モデルだって顔だけじゃダメなんだ。』『裸を見るな、裸になれ。』で第21回毎日産業デザイン賞とADC会員証を受賞。この頃から領域を超えて仕事をしていた彼女は、広告デザインだけでなくブックデザインや映画の衣装・美術デザインも多く手がけました。
渡米後の経歴
日本で数多くの作品を手がけたのち、国内での仕事に限界を感じた彼女は1980年に渡米。
海外に活動拠点を置きながらさらに活躍の場を広げ、1985年にポール・シュレイダー監督の映画『MISHIMA』に美術監督として参加し、第83回カンヌ国際映画祭で芸術貢献賞を受賞しました。
1987年には、アメリカのジャズトランペット奏者であるマイルス・デイヴィスのアルバム『TUTU』のアートデザインで日本人として初めてグラミー賞を受賞。
アルバム・パッケージ 『TUTU』 (マイルス・デイヴィス作、1986年)
出典:東京都現代美術館, https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/eiko-ishioka/
さらに1993年にはフランシス・フォード・コッポラ監督の映画『ドラキュラ』で衣装デザインを手がけ、第65回アカデミー賞を受賞します。以降、多数のオファーを受けるようになり、ファッションショーにオペラ、サーカスなどの舞台などで幅広く美術や衣装デザインを手がけるようになります。
映画 『ドラキュラ』 (フランシス・F・コッポラ監督、1992年) 衣装デザイン
©David Seidner / International Center of Photography
出典:東京都現代美術館, https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/eiko-ishioka/
2002年に初演を迎えたシルクドソレイユ『ヴァレカイ』の衣装デザインで社会や公共の福祉、文化などに貢献した者に天皇から授与される紫綬褒章を受章。
コンテンポラリー・サーカス 『ヴァレカイ』 (シルク・ドゥ・ソレイユ、2002 年) 衣装デザイン
Director: Dominic Champagne / Director of creation: Andrew Watson / Set designer: Stéphane Roy / Courtesy of Cirque du Soleil
出典:東京都現代美術館, https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/eiko-ishioka/
2008年に開催された北京オリンピックのコスチュームディレクターを務めた彼女は、2011年にブロードウェイミュージカル『Spider-Man: Turn Off the Dark』の衣装デザインを手がけたのち、帰国して闘病生活に入ります。
オペラ 『ニーベルングの指環』 (リヒャルト・ワーグナー作、ピエール・アウディ演出、オランダ国立オペラ、1998-1999年) 衣装デザイン
©ruthwalz
出典:東京都現代美術館, https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/eiko-ishioka/
同じく2011年に長年交際していたプロデューサーのニコラス・ソウルタナキスと入籍。その後も闘病生活を続け、2012年1月21日に死去しました。
衣装デザインを手がけ、遺作となった映画『白雪姫と鏡の女王』は第85回アカデミー賞衣装デザイン賞にノミネートされます。
映画 『白雪姫と鏡の女王』 (ターセム・シン監督、2012年) 衣装デザイン
©2012-2020 UV RML NL Assets LLC. All Rights Reserved.
出典:東京都現代美術館, https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/eiko-ishioka/
没後8年の2020年には、東京都現代美術館にて回顧展『石岡瑛子展 血が、汗が、涙がデザインできるか』が開催され、大きな話題となりました。
「時代をサバイブする」石岡瑛子のデザイン論
「サバイブ」を人生のテーマに置いていた石岡瑛子。生前に書かれた著書では、次のように語っています。
このような時代をサヴァイヴしていくために最も大切なことは、内側から湧き上がってくるほんとうの“自分力”を培うことかもしれない。宙を舞う塵の数ほどもある情報も、使いようによっては確かにこの混沌とした世界をサーフィンしていくための武器になるかもしれないが、情報収集のパッチワークのような考え方や表現を世に向かって提示してみても、結局は人の心をつかむことはできない
出典:石岡瑛子「絶対に流行は追わない」 知られざる”ロールモデル”, https://tokion.jp/, https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/eiko-ishioka/
「TIMELESS(流行に同調せず)」「ORIGINALITY(私だけができることを)」「REVOLUTIONARY(革新的なマインドで)」の3つを大切にしていた彼女のデザインは、時代を超えて人を強く惹きつける魅力があります。
おわりに
いかがでしたか?
越境しながらデザイナーとして生き抜いた彼女の作品は、どれもデザインへの強い熱量を感じますよね。
没後に出版された『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』では、彼女の人生やデザインへの考え方が詳しく書かれています。
気になった方は、この本や以下の図録をぜひ手にとってみてはいかがでしょうか?