こんにちは、ユアムーン編集部です。
皆さんはジョン・ウィリアム・ウォーターハウスという画家をご存知でしょうか?
ウォーターハウスは、幼少期から芸術に囲まれた生活を送り、アカデミズムやラファエル前派の画風を取り入れつつ、悲劇の女性や魔性の女性などをテーマに絵を描き続けた19世紀から20世紀の画家です。
今回はそんなウォーターハウスの人生と作品をご紹介させていただきます!
目次
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスってどんな人?
基本情報
本名 | ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse) |
生年月日 | 1849年4月6日 |
出身 | イタリア ローマ |
学歴 | 王立芸術院(ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ) |
分野/芸術動向 | アカデミズム、ラファエル前派 |
人生と作品
生まれと環境
ウォーターハウスは1849年にイタリアのローマにて、両親ともに画家の家庭に生まれます。
正確な生年月日は不明ですが、彼は同年の4月6日にバプテスマ(キリスト教の礼典の一つである洗礼)を受けており、これが生年月日として広まっています。
仕事のためにイタリアに移住していたウォーターハウス夫妻ですが、その当時つまりウォーターハウスが誕生した時期と同じ頃には、ラファエロ・サンティ以前の絵画への回帰を提唱する「ラファエル前派」がイギリスの美術界に影響を与え始めており、その理由から1854年、ウォーターハウスが5歳の時にウォーターハウス夫妻はイギリスに戻ることを決意しました。
イギリスに戻ったウォーターハウス一家は、1852年に新しく開館した「ヴィクトリア&アルバート美術館」にほど近いロンドンのサウス・ケジントンの家に住みます。
ウォーターハウスは少年時代の多くをここで過ごし、ヴィクトリア&アルバート美術館の他に「ナショナル・ギャラリー」や「大英博物館」にも足を運びスケッチを練習する、という非常に芸術的な家庭環境で育ちます。
『ラファエロ・サンティに固執し、新しい絵画表現を認めない』という王立芸術院の教育方針に不満を抱いた、王立芸術院の学生である「ダンテ・ガブリエル・ロセッティ」「ウィリアム・ホルマン・ハント」「ジョン・エヴァレット・ミレー」がラファエロ以前の美術に回帰するために結成したグループ。
その画風は明度が高く、大胆でありながらも鮮やかで優しい色使い、繊細な描写というのが特徴であり、自然にとっての真実性を追求することを徹底した。
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王立芸術院に入学
10代から大人になるまでの間アトリエで父の手伝いをしていたウォーターハウスは、芸術への情熱がより一層高まり1870年に、王立芸術院(ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ)の学生となります。
初期のウォーターハウスは「フレデリック・レイトン」や「ローレンス・アルマ=タデマ」らの影響を強く受けている古典的なスタイルでした。
これらの作品はダドリーギャラリーや英国芸術家協会で展示されます。
1874年には『眠りと異母兄弟の死』が王立芸術院の夏の展覧会にて出品されました。
またその後の1876年の作品「ダンスの後」はその年の夏の展覧会で最優秀賞を受賞します。
これらの実績によりウォーターハウスは1890年と1915年を除いて、1916年まで毎年王立芸術院の展覧会に作品を出品し続けることができました。
エスター・ケンワーシーと結婚
ウォーターハウスは1883年に、ロンドンのイーリング出身の美術学校の校長の娘である「エスター・ケンワーシー」と結婚します。彼女自身も芸術的な才能を持っており、主に花の絵を王立芸術院で発表していました。
ウォーターハウス夫妻はプリムローズ・ヒルのスタジオに居を構え、最初は3号室、後に6号室に移ります。
彼らのこの家は、後に「パトリック・コールフィールド」や「アーサー・ラッカム」をはじめとする著名な画家たちが住むことになります。
ヘンリーテイト卿により名が広まる
1884年、ウォーターハウスは『神託を求める』(Consulting the Oracle)を王立芸術院に出品したところ、評論家に絶賛され、砂糖商人で慈善家である「ヘンリー・テイト卿」がこの絵を購入します。
ヘンリー・テイト卿はウォーターハウスのファンになり、後にウォーターハウスが制作する「シャロットの女」も購入することになります。
この出来事から、ウォーターハウスはさらに知名度が上がりパトロンの中で非常に人気が出ます。
シャロットの女
『シャロットの女』はウォーターハウスがラファエル前派でしばしばテーマとなった「力強い女性」や「悲劇の女性」に関心を示した際に作られた作品で、これらは1888年、1894年、1916年の3度に渡って制作されました。
しかし、ラファエル前派は1888年にはすでに解散していた運動だったので、ウォーターハウスはラファエル前派ではなく、ラファエル前派の画風とテーマを取り入れた人物という解釈の方が正しいでしょう。
これらの作品は、詩人「アルフレッド・テニスン」の『シャロットの女』に登場する女性がテーマとなっており、その女性はアーサー王伝説に登場するエレインという女性です。
呪いをかけられたエレインは騎士ランスロットとの叶わぬ恋に悲しみ、死を選ぶことになります。
エレインの憂いを帯びた表情や、背景の細密さ、自然の美しさが高い技術によって表現されたこれらの作品は、彼が制作した作品の中でもっとも有名なものと言われています。
ファム・ファタールがテーマの作品
ウォーターハウスはシャロットの女の他に「ファム・ファタール」をテーマとした絵画も多く制作しました。
「セイレーン」はギリシャ神話で美しい歌声で航行中の人々を惑わし、難破させる怪物です。ウォーターハウスの作品ではとても美しく描かれ、難破し海に投げ出されてもなお魅了された男性が彼女を見つめるという構図になっており、まさしくファム・ファタールと呼ぶべき作品になっています。
「ラミア」はゼウスとの関係を持ったために、ヘラによって子供を失い、苦悩の末に他人の子を殺す怪物となったギリシャ神話の登場人物です。
ラミアは青年を誘惑して性の虜にしたあとこれを喰らう悪霊エンプーサの代名詞としても知られており、それを予感させるラミアと兵士の絵となっています。
ファム・ファタール(仏: femme fatale)(或いはファム・ファタル)は、男にとっての「運命の女」(運命的な恋愛の相手、もしくは赤い糸で結ばれた相手)というのが元々の意味であるが、同時に「男を破滅させる魔性の女」のことを指す場合が多い。
単なる「運命の相手」であったり、単なる「悪女」であるだけではファム・ファタールと呼ばれることはなく、それらを満たしながら「男を破滅させる魔性性」のある女性を指す。多くの場合、彼女たちに男性を破滅させようとする意図などはなく、複数人との恋愛をしたりお金を際限なく使ったりする自由奔放な生き方により、男性が振り回されることになる。
多くの場合、妖艶かつ魅惑的な容姿や性格をしており、色仕掛けや性行為などを駆使して、男を意のままに操る手腕に長けている。
晩年
晩年、ウォーターハウスは癌を患い、衰弱していきますが絵を描くことはやめませんでした。
ウォーターハウスは1917年2月10日に亡くなりますが、妻のエスターは彼より27年長生きし、老人ホームで安らかに息を引き取ったようです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、神話に登場する悲劇の女性やファム・ファタルなどをテーマに美しい女性と自然を高い技術力で表現し続けた画家、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスについてご紹介させていただきました!
彼の美しくも儚い作品は生前から人気を博しており、現在でもその人気は健在です。
ウォーターハウスについてもっと知りたい方は、ぜひ調べてみてはいかがでしょうか?