【徹底解説】ポスターアートの巨匠、ジュール・シェレって?人生と作品に迫る

【徹底解説】ポスターアートの巨匠、ジュール・シェレって?人生と作品に迫る

こんにちは、ユアムーン編集部です!

皆さんは19世紀から20世紀にかけて活躍した「ジュール・シェレ」というフランスの画家・イラストレーターをご存知でしょうか?

シェレはアール・ヌーヴォーの先駆者の一人で、ポスターアート作家として陽気でエレガントで動きのある女性を描き、人気を博していた人物です。

今回はそんなジュール・シェレの人生と作品を解説していきます!

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ジュール・シェレってどんな人?

本名 ジュール・シェレ(Jules Chéret)
生年月日 1836年5月31日
出身 フランス パリ
学歴 国立高等装飾美術学校(École nationale des arts décoratifs)
分野/芸術動向 絵画、リトグラフ、ポスターアート/アール・ヌーヴォー

人生と作品

生まれと環境

ジュール・シェレは1836年5月31日にフランスのパリの貧しい職人の家庭に生まれます。

貧しさから義務教育を13歳までしか受けることができなかったシェレは、家計を支えるために1849年から3年間石版画職人の見習いをし、絵画に興味を持つとシェレは石版画の仕事をしながら、国立デッサン学校、後の国立高等装飾美術学校(École nationale des arts décoratifs)に入学し、美術を学びます。

その後はパンフレット、チラシ、ポスターなどの制作に携わったり、様々な音楽出版社にカバー用のスケッチを販売したりしていました。

18歳になるとロンドンに移り、「Maple & Co.」という家具メーカーでカタログ用の絵を描く仕事を始めますが、半年後彼はパリに戻ります。

『オッフェンバック「地獄のオルフェ」』のオペレッタのポスターを制作

オペレッタ「地獄のオルフェ」ポスター
(Poster for the operetta ‘Orpheus in the Underworld’)

パリに戻ったシェレは同年の1858年、ジャック・オッフェンバックのオペレッタ(喜歌劇)、「地獄のオルフェ」で初めての大規模なポスター制作依頼を受けます。

「地獄のオルフェ」は日本では1914年に帝劇で初演した際の邦題「天国と地獄」と呼ばれており、特に序曲第3部が運動会などでよく使われている楽曲です。

劇的で躍動感のあるポーズで登場人物が描かれ、鮮やかでありながら統一された色味のポスターは成功を収め、「地獄のオルフェ」自体もオッフェンバックの最初の大きな成功作で代表作となりました。

ジャック・オッフェンバック

ジャック・オッフェンバック(Jacques Offenbach, 1819年6月20日 – 1880年10月5日)は、ドイツに生まれフランスで活躍(1860年に帰化)した作曲家、チェリストである。オペレッタの原型を作り、オペレッタの父と言われ、音楽と喜劇との融合を果たした作曲家である。美しいメロディーを次々と生み出すことから、ロッシーニはオッフェンバックを“シャンゼリゼのモーツァルト”と評した。

ジャック・オッフェンバックは父親の出身地(ドイツ・フランクフルト近郊のオッフェンバッハ・アム・マイン)からとったペンネームで、本名はヤーコプ・レヴィ・エーベルスト(Jakob Levy Eberst)。ジャック・オッフェンバックは1819年、ユダヤ系の音楽家の息子としてプロイセン王国のラインラント州ケルンに生まれ、幼少時は父から音楽の手ほどきを受けた。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF

リトグラフ会社を設立

翌年、再度ロンドンに渡ったシェレは1859年から1866年までポスターや本のカバーをデザインしてキャリアを積んでいきますが、その間彼は香水メーカーの「ウジェーヌ・リンメル」という人物と出会い、リンメルはシェレのパトロンかつ友達となります。

シェレはリンメルのためにラベルや花飾り、パッケージなどを手がけ良い関係を築きました。

そして1866年、リンメルからの資金援助もあってシェレはパリにリトグラフ会社を設立します。

自分の会社を持つことで、シェレは自分のスタイルを維持することができ、1866年の妖精の劇「La Biche au Bois」を宣伝するポスターでリトグラフ会社を設立してから初の成功を収めます。

当時のシェレの制作した商業ポスターは、本の表紙や出生通知書、音楽のタイトル、招待状、メニューなど多くのものにインスピレーションを与えるものでした。

スタイルの進化

1870年代から1880年代にかけてシェレのデザインスタイルはヴィクトリア朝調のものから進化します。

簡略化した背景、大きく目立つタイトル、構図の中心に画面を埋めるように大きくポージングする女性、色鮮やかな配色といった特徴が見受けられ、そのスタイルのインスピレーションとなったのは、ロココの画家「アントワーヌ・ワトー」、「ジャン=オノレ・フラゴナール」や、バロックの画家「ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ」、さらには日本の木版画など多岐にわたります。

様々な賞の受賞

Exposition Universelle 1889,
Le Pays des Feés

彼の色鮮やかな色彩と陽気な雰囲気のポスターは徐々に認知を得ていき、1879年に開かれた万国博覧会では銀メダルを受賞、1889年の万国博覧会では金メダルを受賞します。

翌年には政府からグラフィック・アートへの多大な貢献が認められてレジオンドヌール勲章を授与され、商業芸術を芸術と認められるようにした「商業芸術の創造者」とも言われていたようです。

シェレはカラーとモノクロのポスターを1000枚以上制作しましたが1900年以降は、絵画やパステル画に力を入れポスター制作の依頼は受けなくなったといいます。

1912年にはルーヴル美術館から表彰、パヴィヨン・ド・マルサンでは回顧展が開催されました。

晩年

1920年代にシェレはおそらく緑内障で失明し、絵を描くのをやめ、1932年に96歳で亡くなるまでフランスのニースで過ごしました。

翌年の1933年には、パリのサロン・ドートンヌで遺作展が開催され、長い年月を経てシェレのポスターは世界中のコレクターに愛されるものとなっているようです。

まとめ

いかがでしたか?

今回はアール・ヌーヴォーの先駆者の一人とも言われるポスターアートの巨匠、「ジュール・シェレ」の人生と作品をご紹介させていただきました。

彼の陽気でエレガントで自由な構図のポスターは、芸術家の仲間だけでなく影響力のある蒐集家たちにも人気があったようです。

ジュール・シェレについてもっと知りたい方は更に調べてみてはいかがでしょうか?



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