こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
みなさんは『バウハウス』という言葉を聞いたことがありますか?
『バウハウス(BAUHAUS)』は、1919年から1933年のドイツに存在していた美術学校です。
古典的な装飾を排除した合理的・機能的なデザインを追求した芸術運動『モダニズム』を研究により体系立て、世界で初めて取り入れた教育機関として知られています。
前回の記事では、バウハウスの歴史とモダニズム建築の特徴についてご紹介しました。
美術学校としてのバウハウスの歴史は13年ほどで幕を閉じましたが、モダニズム建築をはじめとするバウハウスのデザイン理念はその後のデザインに大きな影響をもたらしました。
その中心にあるのが、モダニズムと相互に影響しあった『アール・デコ』です。本記事では、アール・デコの誕生と概要を解説していきます。
目次
アール・デコって何?
『アール・デコ(Art Deco’)』は、ヨーロッパ、アメリカを中心に流行した芸術表現です。
アール・デコという名前は1925年に開催された「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」、通称「パリ万国装飾美術博覧会」を由来としていて、『装飾美術』がその意味になります。
アール・デコは、一つの流行の影響や反発から生まれたものではなく、古今東西の様々な芸術表現を取り入れていることが大きな特徴です。
例えばキュビズム、エジプト美術、東洋美術などが挙げられます。様々な芸術表現を取り入れた結果、建築をはじめ、家具、ポスター、工芸、ファッションなど、様々なジャンルに用いられたことも大きな特徴です。
アール・ヌーヴォーからアール・デコへの跳躍
19世紀末に登場したアール・ヌーヴォーと、20世紀末まで続いたアール・デコは名前こそ似ているものの直接的な関係がある芸術運動ではありません。
しかし年代的には近代芸術の最初と最後に位置し、同じ装飾デザインでありつつその表現方法は驚くほど対照的なものでした。
アール・ヌーヴォーは植物の蔓や女性の髪を模した曲線的・有機的なモチーフ(サーペンタイン・ライン)を特徴としている一方、アール・デコはほとんど定規とコンパスだけで描けてしまうほど幾何学的・非有機的でした。
つまり様々な装飾的デザインは「アール・ヌーヴォー的」なものと「アール・デコ的」なものに分けることができ、この二つの間のグラデーションの中にあると言い換えることもできるのです。
アール・デコの基本的な特徴
アール・デコはその誕生経緯から、技法も理念も実に多様で、同じ時期に起きていた芸術運動のほとんどと複雑に影響し合っています。
そのため、アール・デコの基本的な特徴を踏まえながら、時代を同じくして生まれお互いに影響しあった芸術運動と比べて見ていきましょう。
1:非装飾的な装飾
アール・デコの最も基本的な特徴は「非装飾的な装飾」です。従来の具象的で煌びやかな装飾への反発として、アール・デコは直線的・幾何学的な装飾を是としていました。
その意図としては、産業革命によって粗悪な製品が大量生産されるようになり、製品の機能に関係ない装飾を付加価値としてつけるのではなく、製品の機能を損なわないようなシンプルで抽象的な装飾に価値を見出すようになったという背景もあります。
一方で、一部では古典建築の潮流でレリーフや植物模様などの装飾を施す作品も見られました。
2:左右対称のファザード(外観)
主に建築の分野で、左右対称な外観がアール・デコの台頭によって主流になっていきました。
これには「非装飾的な装飾」によって建物のディテールが幾何学的になり、装飾がシンプルになったことで外観を左右対称にすることが現実的になったという技術的な背景もあります。
3:素材の変遷
産業革命による技術発展と、第一次世界大戦後の好景気を背景に、モノづくりの現場において素材の進化は目覚ましいものでした。アール・ヌーヴォー建築が発展したきっかけの一つに鉄筋コンクリートの存在があります。
しかしアール・ヌーヴォー時点では主な素材は石材で、鉄筋は部分的に用いられるのみでした。
一方でアール・デコの時代になるとほぼ全て鉄筋コンクリートになりました。
建築の躯体をすべて鉄筋コンクリートで覆うことができるようになったことで、細かい造形ができないコンクリートに直接装飾を施すことが難しくなりました。
このことを背景に、アール・デコ建築における装飾はコンクリートに上からタイルを貼り付けたり、そこにレリーフを刻んだりするなど、平面的・表層的なものになり、装飾そのものも単純な幾何学模様が主流になっていく流れが生まれます。
アール・デコと芸術運動
アール・デコとセセッション
セセッションは、ドイツ・オーストリアを中心に行われた芸術運動で、名前は「分離・別離」を意味します。名前通り、伝統的なスタイルからの脱却をするということだけが共通点であるため、その様式は多岐にわたります。
アール・デコとセセッションとの関わりで大きな影響を持つのは、セセッションの運動の中心人物であるグスタフ・クリムトの影響です。
オーストリアの画家であるグスタフ・クリムトは、女性と死などの官能的なテーマで平面的・装飾的な作品を多く残した人物です。
アール・デコの基本的な特徴である直線的でグラフィカルな造形は、クリムトおよびその友人であるオットー・ワーグナーの影響によりもたらされたと言えるでしょう。
この表現方法はバウハウスのモダニズムにも強く影響を見ることができます。
また、特に建築やインテリアにおいて材質と色彩にも大きな影響を与えており、アール・デコ建築の材質は光沢のある金属、ガラスなどが多用されています。
それに伴い色彩は、金・銀・赤・黒が使われていました。この手法には彫金師であった経緯から金箔を絵画に多く使用したクリムトの影響が明確に見られます。
また、アール・デコの台頭が見られた1930年代は映画やダンスホールなどの煌びやかなショービジネスが発展した時代でもあり、都会の煌びやかさと高級感を表現する上でもこれらの色彩はぴったりでした。
しかし絵画を創始とするスタイルの流入という点で、装飾的な特徴の継承はあまり見られませんでした。
アール・デコとデ・ステイル
デ・ステイルは、オランダで生まれた芸術運動で、今あるデザインの要素を分解して再構成しようという考えを元に誕生したものです。
ピエト・モンドリアンが主張した新造形主義(これまで支配的だった具象芸術に対して、厳格な「抽象表現」と「単純で自由なライン」を特徴とする芸術運動)を中心に、テオ・ファン・ドースブルフの要素主義(対角線を導入した実践的なデザイン)を含み、そのシンプルかつ豊かな表現思想はミッフィーやモンドリアン・ルックに大きな影響を与えたことで知られています。
デ・ステイルの厳格な縦横の直線のみによる造形は、セセッションと共にアール・デコの直線的でグラフィカルな造形の源泉と言っても良いでしょう。
しかし基本的には直線のみで構成された作品にも、のちの時代に誕生した要素主義の影響からか、斜めの線が入った造形や必然ではないデザインが含まれ、お互いに影響を受けあった跡を見ることができます。
アール・デコの代表的な建築物として知られる『エンパイア・ステート・ビル』や『クライスラー・ビル』はその好例です。エンパイア・ステート・ビルの一階ホールにある放射状の模様が施されたパネルや、クライスラー・ビルの重畳する円弧形と三角形が組み合わされた図形にはデ・ステイルを基盤としたアール・デコ的装飾が見られます。
アール・デコとキュビズム
キュビズムは、20世紀初頭にピカソ、ジョルジュ・ブラックによって創始された芸術運動の一つです。
一点視点ではなく、様々な角度から見た物の形を一つの画面に収めるという前衛的な手法が知られています。アール・デコに流入された特徴に「単一焦点による遠近法の放棄」が挙げられます。
具体的な物を描いているにも関わらず、モチーフの形態を直線で分割することで抽象化・平面化するキュビズムの手法は、主に建築、インテリアにおいて鉱物の結晶体を思わせる多面体装飾などに見ることができます。
具体的には、レイモン・デュシャンが発表した建築模型『メゾン・キュビストの模型』を皮切りに1910年代、キュビズムに影響を受けた作品が次々生まれます。ヨゼフ・ホホルによる『ネクラノヴァ通り三◯番地の集合住宅』は窓や屋根に多面体装飾が施され、パヴェル・ヤナークはキュビズム調の家具を制作したり既存建築をキュビズム風に修復した作品を残しています。
アール・デコとアムステルダム派
アムステルダム派とは20世紀初頭にオランダ・アムステルダムで活躍した建築家集団のことで、オランダの伝統的なレンガ組み建築を基本としながらも、有機的でのびのびとした曲線が特徴です。
有機的・曲線的という点でアール・デコよりもアール・ヌーヴォー的な特徴をもつアムステルダム派ですが、アール・デコに継承されたのは一見した造形的な面よりも、むしろ精神的な面にあります。
アムステルダム派は労働者など、低所得の一般市民に向けた建築を主に手がけており、扱いやすいとは言えない伝統的な建材であるレンガ組みを基本としていたアムステルダム派は、レンガやタイルに凹凸をつけて張り巡らせる手法をアール・デコに伝えています。
このように、富裕層ではなく一般市民を見据えたアプローチや、限られた素材・資金を巧みな技術力で補う姿勢はアール・デコに大きな影響を与えました。F.J.L・ゲイセルスによる『コタ駅舎』は曲線アーチというアムステルダム派の特徴が顕著に見られるアール・デコ建築の一つです。
まとめ
いかがだったでしょうか。
今回はアール・デコがどのような芸術運動だったのか、同じ時期に起こった芸術運動と比較しながらご紹介しました。
バウハウスを出発点に生まれたモダニズムは、当時は無機質で息苦しい印象を与えるデザインに批判が集まることもありました。そんな中登場したアール・デコは、バウハウスのモダニズムを踏まえて機能を損なわずに装飾を加えたデザインで注目され、大きな運動へ発展していきました。
アール・デコが芸術運動として特異な部分は、「理想を掲げなかったこと」にあると言えるでしょう。あらゆる芸術運動が「こうあるべき」という理想を掲げるのに対し、アール・デコは、良いと思ったものを貪欲に取り込み、最終的には理念と言えるものも見られましたが、これも後年に生きる我々が共通点としているだけなのです。
この懐の深さが、アール・デコの流行と、今も廃れない人気の秘密かもしれません。
出典
吉田鋼市著『アール・デコの建築 合理性と官能性の造形』中公新書、2005年。
ギリアン・ネイラー著、利光功訳『バウハウス 近代デザイン運動の軌跡』PARCO出版、1977年。
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