ポストモダンデザインとは?建築・グラフィックの歴史と特徴をわかりやすく解説

【まるっと理解!】モダンデザインってなに? -ポスト・モダン編-

アートコンサルティング

こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

これまで本記事のシリーズではモダン・デザインの歴史と作品について解説してきました。

産業革命を背景にして起こった『アーツ・アンド・クラフツ運動』をきっかけに、バウハウスの誕生により生まれた『モダン・デザイン』と『アール・デコ』をはじめとする同世代の芸術運動は、プロダクトデザインや建築の領域を中心に、現代的な生活に馴染む『新しいデザイン』を生み出しました。

本記事ではモダン・デザインの解説の締めくくりとして、モダン・デザインからの脱却を目指して生まれた芸術運動『ポスト・モダン』についてご紹介します。

ポスト・モダンデザインとは

ポスト・モダンデザインとは、1970年代以降に建築・プロダクト・グラフィックの領域で起こった、モダン・デザインの合理性や機能主義からの脱却を目指す潮流です。

装飾性・象徴性・歴史的な意匠の引用を特徴とし、建築家チャールズ・ジェンクスが提唱した「二重のコード化」という考え方が理論的な背景のひとつになっています。

以下では、ポスト・モダンデザインが建築からプロダクト、グラフィックデザインへと広がっていった過程を、具体的な作品とともに解説します。

モダン・デザインのおさらい

ポスト・モダンの紹介の前に、モダン・デザインの特徴と変遷を簡単におさらいしましょう。

モダン・デザインの出発点となるのが、19世紀末のヨーロッパで起こった産業革命による技術の発展と大量生産と大量消費を背景に生まれた『アーツ・アンド・クラフツ運動』です。

イギリスのデザイナーであるウィリアム・モリスが主導したこの運動は、中世の職人による手仕事を重視し生活と製品の統一を目指し、国境を越えてヨーロッパ各国に考えが波及していきました。

『アーツ・アンド・クラフツ運動』の考えに触れたヴァルター・グロピウスがドイツで教育機関『バウハウス』を立ち上げます。

その教えは『デ・ステイル』に影響を受けた非装飾的で合理的な形態の追求が基本理念で、モダン・デザインの基礎となるものでした。

バウハウスの歴史は14年と短いものでしたが、モダン・デザインは『モダニズム思想』として受け継がれていくことになります。

同じ頃、ヨーロッパとアメリカを中心に起こった芸術運動が『アール・デコ』です。モダン・デザインをはじめとする同時期に起きていた芸術運動を貪欲に取り入れたアール・デコは、ジャンルも様式も多様で、広く流行しました。

そして1970年代になると、モダン・デザインの流行を受けて『ポスト・モダニズム(脱近代主義)』が誕生します。

モダン・デザインとポスト・モダンの違い

観点モダン・デザインポスト・モダン
基本理念装飾を排した合理性・機能主義装飾性・象徴性の回復
建築の特徴シンプルな直線・無機質な外観古典的意匠の引用、色や形の遊び心
主な時期1920年代〜(バウハウス以降)1970年代後半〜1980年代
代表例バウハウス、デ・ステイルスタジオ・アルキミア、メンフィス

ポスト・モダンのはじまり

「味気なくなった都市」を目指すポスト・モダン建築

『ピアッツァ・デイタリア(1978)』

チャールズ・ムーア設計「ピアッツァ・デイタリア」(アメリカ・ニューオーリンズ、1978年竣工)Photo: Infrogmation, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons(撮影:2024年5月22日)

それではさっそく、ポスト・モダンはどのように始まったのかを見ていきましょう。建築から始まったモダン・デザインへの反抗と脱却を目指したポスト・モダンの起こりは、やはり建築にありました。

ポスト・モダンという言葉の起源を辿るとアメリカの建築批評家であるチャールズ・ジェンクスの著した『ポスト・モダニズムの建築言語』、フランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタールの著した『ポスト・モダンの条件』に見ることができます。

モダン・デザインを基本理念とするモダニズム建築は、装飾を排した合理的・機能的なシンプルデザインを特徴としています。

簡素で質の高い建築は流行しましたが、それにより都市や住宅の景観が味気なくなったという批判もありました。チャールズ・ジェンクスが1960年以降の建築を批判する文脈でポスト・モダンという言葉を使い、広く認知されました。

チャールズ・ジェンクスによればポスト・モダンとは、『二重のコード化』を本質とする思想だと解説されています。

二重のコード化とは、建物が与えうる印象とその解釈を多層化することで、モダニズムによって否定された建物のもつ印象的・符号的な機能を回復させることを目的としたものでした。

具体的には、装飾的で象徴的な造形、古代ギリシアなどの古典的意匠の引用などがポスト・モダン建築の特徴として挙げられます。

代表的なポスト・モダン建築・プロダクト

作品設計者年所在地
ピアッツァ・デイタリアチャールズ・ムーア1978年アメリカ・ニューオーリンズ
ポートランド・ビルマイケル・グレイヴス1982年アメリカ・ポートランド
AT&Tビルフィリップ・ジョンソン1984年アメリカ・ニューヨーク
つくばセンタービル磯崎新1983年日本・つくば
カールトン(書棚)エットレ・ソットサス1981年イタリア・ミラノ(メンフィス)
9093(ケトル)マイケル・グレイヴス1985年イタリア・アレッシィ

ポスト・モダンの理論的な出発点としては、建築家ロバート・ヴェンチューリが著書『建築の多様性と対立性』(1966年)で、モダニズムの巨匠ミース・ファン・デル・ローエの標語「レス・イズ・モア(Less is more)」をもじり「レス・イズ・ア・ボア(Less is a bore)」と述べたことが知られています。

また建築批評家チャールズ・ジェンクスは著書『ポスト・モダニズムの建築言語』(1977年)で、1972年にアメリカ・セントルイスの住宅団地「プルーイット・アイゴー」が爆破解体された出来事を、モダニズム建築の終焉を象徴するものとして位置づけています。

プロダクトデザインとポスト・モダンの関わり

ポスト・モダンの理念は建築からすぐさまインテリアに取り入れられ、プロダクトデザインへ流入されます。その皮切り的存在であったのがイタリアのデザイン集団『アルキミア』と『メンフィス』によるデザイン製品でした。

1976年にアレッサンドロ・グリエーロによってミラノに『スタジオ・アルキミア』が設立され、大企業の機能的な製品に真っ向から反抗したデザインを作り出すことを目標に活動を始めました。

具体的には使用者と製品を感情的で感性的な新しい関係で結ぶことを目指しましたが、利便性や生産性といった実用部分を重視していなかったため、製品としての役割をまともに果たすことができないものも少なくありませんでした。

『「メンフィス」の家具デザインコレクション』

【まるっと理解!】モダンデザインってなに? -ポスト・モダン編-
Zanone – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15773679による

もう一つのデザイン集団『メンフィス』は、1981年に中心的メンバーであったエットレ・ソットサスを始めとする数名のメンバーがアルキミアを離脱し、離脱した者で再結成された組織です。

離脱の理由は、アルキミアの理論的な指導者であったアレッサンドロ・メンディーニのアプローチがあまりに消極的な、議論に終始するものであったことに不満を抱えた結果とされています。

そのためメンフィスでは、実際に生産され使用されることまでを缶がえた製品をデザインしようという試みがなされています。

しかし、モダン・デザインとはっきり相反する有機的なフォルム、彩度の高いカラーリングを用いたインテリアの数々は当時の流行から大きく外れていたこともあり、あまり高い評価を得る結果にはなりませんでした。

グラフィックデザインとモダニズムの関わり

1980年代、ポスト・モダンの時代は建築やプロダクトデザインといった立体物だけでなく、グラフィックデザインにも大きな変革をもたらした時代でもありました。

その背景はモダン・デザインが起こった時代と同じように技術の発展と情報の変容という要素がありました。

19世紀のグラフィックデザイン

グラフィックデザインにおけるポスト・モダンを見て行く前に、アーツ・アンド・クラフツ運動からモダン・デザインの時代のグラフィックデザインの変遷を見ていきましょう。

19世紀半ばのグラフィックデザインは、他の領域と同じように産業革命の影響を受けて質を落としていました。

しかしウィリアム・モリスによるアーツ・アンド・クラフツ運動が19世紀末に興り、その巡り合わせによってグラフィックデザインのルネサンスとも言える再興の時期が訪れます。

その結果、ドイツ・アメリカなど広い地域でグラフィックデザインへの熱意が高まり、著名なブック・デザイナー、書体デザイナーが生まれることとなります。

アール・ヌーヴォーとグラフィックデザイン

『四季 春(1896)』

アルフォンス・ミュシャ『四季 春』1896年。ミュシャは1939年に没し、日本の著作権保護期間(死後70年)は2009年に満了。パブリックドメイン。via Wikimedia Commons

アール・ヌーヴォーの時代におけるグラフィックデザインは、まさにイラストレーターの活躍が目覚ましい時代と言えます。

アーツ・アンド・クラフツ運動からモダン・デザインの時代で再興を遂げ、地盤を固めたブック・デザインの仕事に、挿絵を描くイラストレーターの需要が高まったことも必然と言えるでしょう。

生きているような曲線美と古典的な装飾を敷き詰めた画面が特徴のアルフォンス・ミュシャ、モノトーンで構成されたエキゾチックながらも力強い画風が熱狂的な支持を生んだオーブリー・ビアズリー、画面の余白をデザインする新しい試みを成功させたアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデなど実力のあるグラフィックデザイナーやイラストレーターが挿絵・ポスター制作をすることでグラフィックデザインの発展を後押ししました。

モダン・デザインとグラフィックデザイン

『AEG Turbine Factory』

ペーター・ベーレンス設計「AEGタービン工場」(ドイツ・ベルリン、1909年竣工)Photo: rucativava, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

バウハウスからスタートしたモダン・デザインとグラフィックデザインの結びつきは、ペーター・ベーレンスの活躍がかなりの割合を占めます。

ドイツの建築家・デザイナーであるペーター・ベーレンスはドイツのモダニズム運動『ユーゲントシュティール』を通して、グラフィックの図面を縦横の罫線で分割するグリッド・システムを用いる、家具や食器の全てに統一されたデザインを施すトータル・デザインの提唱などの功績を残しました。

特に装飾的なデザインが席巻していたヴィクトリア朝からアール・ヌーヴォー時代にかけてのタイポグラフィに比べ、ベーレンスの書体は標準的な筆跡を残したシルエットと水平線・垂直線が強調されたプロポーションを持つベーレンス体の発明は、タイポグラフィの権威の怒りを買いつつも、どの印刷媒体でも広く使われ大成功を収めました。

また、バウハウスに所属していたラースロー・モホリ=ナジはカメラをデザインの道具として用い、写真の画を作る空間デザインと光と影による構図・構成をグラフィックやタイポグラフィへ落とし込みました。

タイポグラフィと写真の統一という挑戦を経てモホリ=ナジはその技法を「ティポフォト」と名付け、グラフィックを見るでもなく文章を追うでもない広告媒体であるティポフォトを

直接に伝達内容を伝えるための言葉と映像のこの客観的な統一は「新しい視覚的な印刷物」

と称してグラフィックデザインの未来はこのティポフォトの方向へ進んでいくだろうと考えました。

ポスト・モダンのグラフィックデザイン

ポスト・モダンの時代を迎えると、グラフィックデザインはモダン・アートや、同時期の芸術運動の影響を受けながら発展します。

『ピカソの肖像』

Portrait of Pablo Picasso, 1912 - Juan Gris
フアン・グリス『ピカソの肖像』1912年。グリスは1927年に没し、日本の著作権保護期間(死後70年)は1997年に満了。パブリックドメイン。via Wikimedia Commons(Google Art Project)

この頃のグラフィックデザインに強い影響を与えたモダン・アートの代表は、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックによる『キュビズム』が挙げられます。

キュビズムとはポール・セザンヌの「画家は自然を円筒と球体と円錐によって扱うべきだ」という言葉にならい、幾何学的平面に抽象化された人物像と、遠近法を無視し、複数の視点から見た像を一つの形態に構成した新しいデザイン概念を特徴とする美術表現です。

フランスの画家フェルナン・レジェは、ピカソらより更に忠実にセザンヌの言葉を受け取り、第一世界大戦後を象徴する都会のモチーフと純粋キュビズム的な幾何学構成を結びつけることでポスター芸術の推進力となりました。

モチーフの形態を幾何学的抽象へと再構成するキュビズムの特徴は、この時代の絵画やグラフィックデザインといった視覚的感受性を決定付けていました。

タイポグラフィや詩の影響はフィリッポ・マリネッティに代表される『未来派』に見ることができます。イタリアの詩人であるフィリッポ・マリネッティは、パリの新聞「ル・フィガロ」紙上で『未来派宣言』を掲載し、新しい時代における新しい文学を興すための賑わしい詩を次々発表しました。

未来派の最大の特徴は、文法的な言葉のつながりにも、水平垂直の構造も無視した、文字表現のみに忠実な自由で躍動的な平面構成にあります。

文字の書体や色、大きさを自在にし、果ては文字が読まれる時のリズムや語調までもを象徴させる、ダイナミックで感性的な表現は「自由な状態の言葉」と呼ばれ、絵画的なタイポグラフィが誕生したのでした。

『Man soll nicht asen mit Phrasen』

Man soll nicht asen mit Phrasen, 1930 - Kurt Schwitters
クルト・シュヴィッタース『Man soll nicht asen mit Phrasen』1930年。シュヴィッタースは1948年に没し、日本の著作権保護期間(死後70年)は2018年に満了。パブリックドメイン。

第一次世界大戦による社会の混乱への反抗として始まった『ダダイズム』も、タイポグラフィやコラージュといったグラフィックデザインへ侵入しています。

初期はキュビズムにならい幾何学的平面やコラージュを特徴としていましたが、表現の本質は無意味・偶然を重視したニヒリズム的な精神にありました。

ダダイズムそのものの歴史はアンドレ・ブルトンがシュルレアリスムを宣言して離脱したことで勢力を失い、10年ほどの短い活動期間になりましたが後述するシュルレアリスムとグラフィックデザインの土壌を築くには十分でした。

ダダを源泉とする『シュルレアリスム』はフランス語で「超現実」を意味し、現実の背後にある、現実世界より現実的なもの、を探る表現方法です。

具体的にはフロイトによって探求された直観、夢、無意識の領域を描きとり、理性による制限や命令を受けない純粋な芸術を目指すものでした。

イタリアの画家ジョルジオ・デ・キリコを皮切りに、ベルギーの画家ルネ・マグリット、スペインの画家サルバドール・ダリなどによる作品はグラフィックデザインにおける制限を解き放つのに大きく貢献しました。

キュビズムと未来派の折衷をグラフィックデザインで成し遂げたのが1917年のオランダで始まった『デ・ステイル』と言えます。

デ・ステイルは抽象的で幾何学的な視覚形態の様式を作り上げることを目指した運動で、キュビズムやファン・ゴッホに影響されながら発展していきました。

水平と垂直を世界を形成する2つの基本的な対立物とし、赤・青・黄を3つの主要色と定め、この二つの約束事をたくさんのコンポジションやポスターレイアウトに起こしていきました。

創始者であったテオ・ファン・ドゥースブルフは、デ・ステイルの理念を建築やタイポグラフィに持ち込みました。

未来派の、文字の構成要素によって内容や語調を語らせる手法に影響を受けつつ、デ・ステイルの、水平・垂直と対角線によってのみ整理されたレイアウトを基本としていました。

よくある質問

ポスト・モダンデザインの特徴は何ですか?

装飾性や象徴性を積極的に取り入れる点が特徴です。モダン・デザインが排除した歴史的な意匠の引用、色や形の遊び心のある表現によって、建物や製品に印象的な意味を持たせようとしました。

モダンとポスト・モダンの違いは何ですか?

モダン・デザインは装飾を排した合理性・機能主義を重視しますが、ポスト・モダンはあえて装飾性・象徴性を取り入れ、歴史的な様式を引用する点が異なります。詳しい違いは本記事内の比較表をご覧ください。

ポスト・モダンとはどういう意味ですか?

「近代(モダン)以後」を意味し、モダン・デザインの合理性・機能主義からの脱却を目指した1970年代以降の芸術運動を指します。

まとめ

いかがだったでしょうか。

今回はポスト・モダンの始まりと、変遷をプロダクトデザインとグラフィックデザインという立体と平面の代表的な技法を取り上げて見ていきました。

モダン・デザインと同じように、国もジャンルも幅広く、同時期に興った他の芸術運動から影響を受けたり、逆に影響を与えたりという点が、他の芸術運動や表現技法と異なる大きな特徴であると思います。

そのためこの時代の作家や作品を知るほど、モダンからポスト・モダンへの理解度も深まることでしょう。

出典

トーマス・ハウフェ著 藪亨訳『近代から現代までのデザイン史入門 1750ー2000年』晃洋書房、2007年。

フィリップ・B・メッグズ著 藤田治彦訳『グラフィック・デザイン全史』淡交社、1996年。


続編はこちらから!

モダンデザインってなに? -アール・デコ編-

モダンデザインってなに? -バウハウス編-

NEW POSTS / 新着記事

開催中の展覧会いま行ける展覧会を、終了が近い順に47件 開催中/7日以内に終了 4件展覧会を探す