ネオ・ラオホ/Neo Rauch
<プロフィール>
ネオ・ラオホは1960年、東ドイツのライプツィヒに生まれる。生まれた直後に両親を事故で亡くし、祖父母に引き取られ、ライプツィヒとベルリンの間にあるアッシャースレーベンで育てられる。その後、ドイツで最も歴史のある美術学校の一つ、ライプツィヒ版画・製本芸術大学にて絵画を学ぶ。1981年~1986年の間にアーノ・リンク、1986年~1990年の間にベルンハルト・ハイジックのもとでさらに絵画を学んだ。現在は、ライプツィヒの旧紡績工場跡地で絵を描いており、ドイツの絵画動向を先導している。
1991年に自身初となる個展をライプツィヒギャラリートーマスキルヒホフにて開催する。その後、2002年にヴィンセント賞を受賞し、オランダのマーストリヒトにあるボンネファンテン美術館にて個展を開催した。
また、2012年に、自身の第二の出身地ともいえるアッシャースレーベンにグラフィックファンデーション・ネオ・ラウフ(Grafikstiftung neo rauch)を設立し、通年を通して展示会を行ている。
<作品>
ラオホの作品は、新ライプツィヒ派を代表するアーティストのであり、2000年代半ばに国際的な注目を集めた。新ライプツィヒ派は、ライプツィヒ派ののちに派生した絵画動向で、東西冷戦の最中の東ドイツに1961年に生まれたものである。
当時、社会主義圏であった東ドイツでは社会主義リアリズムと呼ばれる、民衆を啓蒙し、理想の社会を宣伝する絵画が多く制作されており、ライプツィヒ派は特異なものであった。そのライプツィヒ派を国立国際美術館の学芸員、福元崇志は次のように述べている。「現今の体制を美化するでもなく、かといって批判するでもない、一見したところリアリズムを装ってはいるが、その実、社会のことなど意に介さず、様々な解釈を受け入れては挫いていく。」(国立国際美術館,2016/08 215, p6)
ラオホの作品は、シュールレアリスムのようでありながら、同時に社会主義リアリズムにも影響を受けており、具象的で一見わかりやすそうでありながら、理解するのは非常に難しい。それでいて、レトロフューチャーのような雰囲気を出しながら、色合いは明るくポップである。そこにラオホらしさがあるのかもしれない。
ラオホの作品は、本人も述べている通り、安易に言語化することをゆるさない。具象的で、何が書いてあるのかが明白でありながら、その主題は一つに集約されることはなく、論理的整合性なくただ、いびつに並べられている。その絵の見せ方に社会主義リアリズムらしさがあったとしても、そこに与せず、シュールレアリスムやポップアートに親近性を示唆しつつも、その枠組みに入ろうとしない。
ラオホの作品含め、新ライプツィヒ派全体にいえる話ではあるが、具象、抽象で理解しようとすることは、この場合あまり意味をなさない。重要なことは、どのような問題意識をもとに描かれているか、であり、また、その具象性にとらわれずに真意をとらえようとすることである。
<参考文献>
http://www.nmao.go.jp/publish/pdf/160816news215fin.pdf
https://en.wikipedia.org/wiki/Neo_Rauch
https://www.davidzwirner.com/artists/neo-rauch
https://www.bllnr.com/art-craftmanship/interview-artist-neo-rauch