みなさんは河原温という芸術家を知っていますでしょうか。 河原温はコンセプチュアルアートで名を馳せた現代日本アーティストです。 この記事では河原温の『人生』と『代表作品』についてご紹介します。
河原温ってどんな人?
河原温 基本情報
本名 | 河原温 |
国籍/出身 | 愛知県刈谷市 |
生年月日 | 1933年1月2日(1932年12月24日という説も)-2014年7月 |
分野/芸術動向 | コンセプチュアルアート |
学歴/出身大学など | – |
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河原温についてもっと知りたい方はこちらの書籍もおススメです。河原温に関する本は洋書が多く、日本語で書かれているものが少ないです。しかし、書籍自体の内容は非常に興味深いので、気になる方は読んでみてはいかがでしょうか。
コンセプチュアル・アートってなに?
コンセプチュアル・アートとは、1960年代後半から1970年代にかけて展開した前衛芸術です。当時はミニマルアートが主流でしたが、絵画や彫刻という形式を取らずとも、思考や構想のみで芸術とみなそうということでコンセプチュアル・アートが登場しました。形式は自由ということから概念芸術とも言われています。 ▼コンセプチュアルアートについて、以下の記事でくわしく解説しています! 【まるっと理解!】コンセプチュアルアートってなんですか?
河原温の作品
1930年代に愛知県に生まれる
河原温(かわら おん)は、1932年に愛知県刈谷市に生まれました。彼の生年月日は1933年生まれという説もありますが、彼が自身の生きてきた日数を掲載したカタログによると「1998年1月24日現在23,772日」と記していたことから1932年12月24日という説もあります。 河原は地元である刈谷高校を卒業し、1951年に上京します。翌年に人生初の個展をコーヒー店で開催しました。1953年には、東京都立美術館にて、切り離された身体を描いた感情のない絵画群が展示されます。河原は本格的な芸術教育を受けていた記録がありませんが、具象画に精通しており、油絵や鉛筆素描の作品を頻繁に発表していました。1959年にメキシコに旅に出ますが、メキシコでの制作活動の記録は残っていません。この頃から、作品の発表はしても、インタビューなどの公の場に姿を見せることはなくなりました。
Jan. 4 1966 (from Today Series)
海外での活動
しばらくメキシコに滞在した後、1965年にニューヨークに拠点を移し、制作活動を継続します。1966年には、代表シリーズ「the Today series (a.k.a the Dates series)」の制作を開始します。その後も、「I Got Up」シリーズや「I Am Still Alive」シリーズなどの有名シリーズを発表していきます
Date Painting
このシリーズ作品はキャンバスの中央に制作した日付が描かれており、日付は制作したときの河原の滞在地の言語で表現されており、色や字体でも変化が加えられています。 このプロジェクトでは、河原は毎日、気が向いたときに単色の絵を描き、その上に白い絵の具で丁寧に制作日を描いています。真夜中までに完成しなかった絵は放棄されること、絵にはその日の作家の経験に関する情報(新聞の切り抜きなど)が入った容器を付属すること、絵はその都市で使われている言語、年代、句読点の規則に合わせて作られること(例えば、ベルリンで制作された作品は2.DEZ.1976と表記)などが、ルールとして定められていました。河原はこのシリーズを世界100都市以上で2,000点以上制作しました。 1日で制作を終えるにも関わらず、このシリーズの制作工程はかなり細かく行われていました。背景色は何層にも塗り重ねられ、日付の文字は手書きでアートナイフを用いて丁寧に形成されています。絵の具の乾燥時間や、文字の修正を繰り返すなど、かなりの時間を費やしていたことがわかります。
I Got Up
「I GOT UP」シリーズは、1968年から1979年にかけて河原が制作した連続作品の一部です。毎日2人の友人や同僚に絵葉書を送り、絵葉書には、それぞれにその日の起床時間、送り主と受け取り手の住所のスタンプを押されています。1973年だけでも28の都市から絵葉書を送っています。このように数ヶ月に渡って何百枚もの絵葉書を送り続けるその反復性は、作家が世界中を放浪するなかで不規則になる時間性と相反していることが示されています。さらに、このシリーズは、単に河原の「起床」を記録しているのではなく、身体と実在の曖昧な混同を伴った意味での「起きること」を記録しているといいます。
I Am Still Alive
このシリーズは、1969年12月、「I Am Still Alive」と書かれた電報を含む3通を、パリの展覧会で関わった学芸員のミシェル・クローラに送ったことから開始します。電報そのものを作品とするこのシリーズでは、アート作品の中で作家の手が加えられていない珍しい作品となっています。 電報の中には、「私は自殺しようとしてはいないので心配しないで(I AM NOT GOING TO COMMIT SUICIDE DON’T WORRY)」「私は自殺しようとしているので心配して(I AM NOT GOING TO COMMIT SUICIDE WORRY)」「私は寝ようとしているので忘れて(I AM GOING TO SLEEP FORGET IT)」などとと書かれています。 その後30年間、河原はこのシリーズの一環として、900通近くの電報を数十人の受取人に送ったといいます。その内容は自身の生死に関してなど送り主にとってこれ以上ないほど重要であるにもかかわらず、電報という形式上滑稽なほど簡潔に内容が示されるという、形式と表現の間に凄まじいギャップを感じる作品です。
河原は、ニューヨークにあるグッゲンハイム美術館で開催の個展「On Kwara-Silence」(2015年2月6日~5月3日開催)の準備途中である2014年6月27日に亡くなりました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。 日本ではあまり知られていない河原温。時間や人間の存在といった抽象概念を、アートに落とし込んだ河原のコンセプチュアルアートは、国際的にも評価が高く、死後もなおニューヨークの美術館に常設されています。 皆さんも実際に河原の作品をご覧になってはいかがでしょうか。