石岡瑛子とは?経歴・代表作・受賞歴を年表つきで解説

石岡瑛子とは?経歴・代表作・受賞歴を年表つきで解説

アートコンサルティング

こんにちは!ユアムーン株式会社 編集部です!

突然ですが、みなさんは石岡瑛子を知っていますか?

石岡瑛子は、多岐に渡る分野で新しい時代を切り開きつつ世界を舞台に活躍した

日本のアートディレクター・デザイナーです。

この記事では石岡瑛子の『人生』と『代表作品』についてご紹介します!

3行でわかる石岡瑛子

  • 石岡瑛子(いしおか えいこ、1938年7月12日〜2012年1月21日)は、資生堂・パルコの広告から、ニューヨークを拠点にした映画・舞台の美術や衣装デザインまで手がけた日本のアートディレクターです。
  • 映画『MISHIMA』(1985年)で第38回カンヌ国際映画祭芸術貢献賞、マイルス・デイヴィス『TUTU』(1987年)で第29回グラミー賞、映画『ドラキュラ』の衣装デザインで第65回アカデミー賞衣装デザイン賞(1993年)を受賞しました。
  • 2012年1月21日、膵臓がんのため73歳で死去。没後は東京都現代美術館やギンザ・グラフィック・ギャラリーなどで回顧展が開催されています。

石岡瑛子とは?

<本名>
石岡瑛子

<出身>
東京

<生年月日>
1938年7月12日

<出身大学>
東京藝術大学美術学部図案計画科

<主な受賞歴>
1964年 電通賞『資生堂の広告』
1965年 日宣美賞『シンポジウム現代の発見』
1975年 ADC会員賞『パルコのアートディレクション』
1985年 第38回カンヌ国際映画祭芸術貢献賞『MISHIMA』(美術監督)
1987年 第29回グラミー賞『TUTU』(ジャケットデザイン)
1988年 トニー賞ノミネート『M.バタフライ』(美術監督)
1992年 ニューヨーク・アートディレクションクラブ名誉殊勲賞
1993年 第65回アカデミー賞衣装デザイン賞『ドラキュラ』
2002年 紫綬褒章

石岡瑛子 年表

1938年東京に生まれる
1961年東京藝術大学を卒業し、資生堂宣伝部に入社
1966年資生堂サマーキャンペーン『ビューティケイク 太陽に愛されよう』(前田美波里起用)で注目される
1970年資生堂を退社し、石岡瑛子デザイン室を設立。日本万国博覧会のオープニングポスター『EXPO’70』を制作
1979年パルコの広告『西洋は東洋を着こなせるか』を制作
1980年ニューヨークに拠点を移す
1985年映画『MISHIMA』の美術監督を務め、第38回カンヌ国際映画祭芸術貢献賞を受賞
1987年マイルス・デイヴィス『TUTU』のアートデザインで第29回グラミー賞を受賞
1993年映画『ドラキュラ』の衣装デザインで第65回アカデミー賞衣装デザイン賞を受賞
2002年シルク・ドゥ・ソレイユ『ヴァレカイ』の衣装デザインを手がけ、紫綬褒章を受章
2008年北京オリンピック開会式のコスチュームディレクターを務める
2011年ブロードウェイ・ミュージカル『Spider-Man: Turn Off the Dark』の衣装デザインを手がける
2012年1月21日、膵臓がんのため死去(73歳)
2020〜2021年東京都現代美術館「石岡瑛子展 血が、汗が、涙がデザインできるか」、ギンザ・グラフィック・ギャラリー「石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」が開催される
2023〜2025年巡回展「石岡瑛子 Iデザイン」が北九州市立美術館・茨城県近代美術館・兵庫県立美術館・島根県立石見美術館・富山県美術館で開催される

経歴と作品

ここからは、彼女の経歴と作品について紹介していきます!

国内での経歴

石岡瑛子は、1938年7月12日に東京市小石川区小日向台町で生まれました。デザイナーの父親を持ち、長女として生まれた彼女は、お茶の水女子付属中学に入学します。

その後、同大付属高校に進学し、東京藝術大学美術学部図案計画科に入学。在学中は、教室の最前列で授業を受けるなど熱心に学業に取り組み、第5回輸出デザインコンクールにて銅賞を受賞しました。

1960年に東京で開催された世界デザイン会議に参加した彼女は、国際的に活躍する登壇者たちの「デザインとは社会に対するメッセージである」という発言に影響を受け、グラフィックデザインを志すようになります。

イタリア留学を検討するものの、「現場に出たい」という想いから卒業後は資生堂宣伝部に入社。

「もし私を採用していただけるとしたら、グラフィックデザイナーとして採用していただきたい。お茶を汲んだり、掃除をしたりするような役目としてではなく。それからお給料は、男性の大学卒の採用者と同じだけいただきたい。」と面接で発言した彼女は、女性として初めて宣伝部のデザイナーとして配属されます。

在籍中に第17回広告電通賞雑誌広告電通賞を『資生堂ホネケーキ/チェリーの匂い』で受賞したほか、数多くの広告賞を受賞。化粧品広告という表現の枠に「爆弾を仕掛けること」に意欲的だった彼女は、それまでの化粧品広告のイメージを覆すキャンペーンを数多く仕掛けました。

1970年に資生堂を退社し、石岡瑛子デザイン室を設立。同年、日本万国博覧会のオープニングポスター『EXPO’70』を指名制作をします。

1971年には三宅一生の初のニューヨークでのコレクションのテキスタイルデザインを手がけ、その後もファッションブランド『ISSEI MIYAKE』のショーのディレクションを担うようになります。

独立後も角川文庫のキャンペーン、渋谷パルコのオープニングキャンペーンのトータルディレクションなど多くのプロジェクトを手がけ、ジェンダー、国境、民族といった既存の枠組みにとらわれないコミュニケーションはどれも大きな話題になりました。

パルコのキャンペーン『モデルだって顔だけじゃダメなんだ。』『裸を見るな、裸になれ。』で第21回毎日産業デザイン賞とADC会員証を受賞。この頃から領域を超えて仕事をしていた彼女は、広告デザインだけでなくブックデザインや映画の衣装・美術デザインも多く手がけました。

渡米後の経歴

日本で数多くの作品を手がけたのち、国内での仕事に限界を感じた彼女は1980年に渡米。

海外に活動拠点を置きながらさらに活躍の場を広げ、1985年にポール・シュレイダー監督の映画『MISHIMA』に美術監督として参加し、第38回カンヌ国際映画祭で芸術貢献賞を受賞しました。

1987年には、アメリカのジャズトランペット奏者であるマイルス・デイヴィスのアルバム『TUTU』のアートデザインで日本人として初めてグラミー賞を受賞。

さらに1993年にはフランシス・フォード・コッポラ監督の映画『ドラキュラ』で衣装デザインを手がけ、第65回アカデミー賞を受賞します。以降、多数のオファーを受けるようになり、ファッションショーにオペラ、サーカスなどの舞台などで幅広く美術や衣装デザインを手がけるようになります。

2002年に初演を迎えたシルクドソレイユ『ヴァレカイ』の衣装デザインで社会や公共の福祉、文化などに貢献した者に天皇から授与される紫綬褒章を受章。

2008年に開催された北京オリンピックのコスチュームディレクターを務めた彼女は、2011年にブロードウェイミュージカル『Spider-Man: Turn Off the Dark』の衣装デザインを手がけたのち、帰国して闘病生活に入ります。

同じく2011年に長年交際していたプロデューサーのニコラス・ソウルタナキスと入籍。その後も闘病生活を続け、2012年1月21日に死去しました。

衣装デザインを手がけ、遺作となった映画『白雪姫と鏡の女王』は第85回アカデミー賞衣装デザイン賞にノミネートされます。

没後8年の2020年には、東京都現代美術館にて回顧展『石岡瑛子展 血が、汗が、涙がデザインできるか』が開催され、大きな話題となりました。

石岡瑛子 代表作一覧

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作品制作年備考
資生堂『ビューティケイク 太陽に愛されよう』1966年前田美波里起用のサマーキャンペーン
渋谷パルコ『西洋は東洋を着こなせるか』ほか1970年代パルコのトータルディレクション

映画

作品公開年役割・受賞
『MISHIMA』1985年美術監督。第38回カンヌ国際映画祭芸術貢献賞
『ドラキュラ』1992年衣装デザイン。第65回アカデミー賞衣装デザイン賞(1993年)
『ザ・セル』2000年衣装デザイン(ターセム・シン監督)
『落下の王国』2006年衣装デザイン(ターセム・シン監督)
『インモータルズ -神々の戦い-』2011年衣装デザイン(ターセム・シン監督)
『白雪姫と鏡の女王』2012年衣装デザイン(ターセム・シン監督)。遺作。第85回アカデミー賞衣装デザイン賞ノミネート

舞台・衣装

作品年備考
ブロードウェイ『M.バタフライ』1988年美術監督。トニー賞ノミネート
ソルトレイク冬季オリンピック 競技ウェア2002年日本・カナダ・スイス・スペイン各国チームのユニフォームデザインに参加
シルク・ドゥ・ソレイユ『ヴァレカイ』2002年衣装デザイン
北京オリンピック開会式2008年コスチュームディレクター
ブロードウェイ『Spider-Man: Turn Off the Dark』2011年衣装デザイン

音楽

作品年備考
マイルス・デイヴィス『TUTU』1987年アートデザイン。第29回グラミー賞
ビョーク『Cocoon』ミュージックビデオ2002年映像ディレクション

「時代をサバイブする」石岡瑛子のデザイン論

「サバイブ」を人生のテーマに置いていた石岡瑛子。生前に書かれた著書では、次のように語っています。

このような時代をサヴァイヴしていくために最も大切なことは、内側から湧き上がってくるほんとうの“自分力”を培うことかもしれない。宙を舞う塵の数ほどもある情報も、使いようによっては確かにこの混沌とした世界をサーフィンしていくための武器になるかもしれないが、情報収集のパッチワークのような考え方や表現を世に向かって提示してみても、結局は人の心をつかむことはできない

出典:石岡瑛子「絶対に流行は追わない」 知られざる”ロールモデル”, https://tokion.jp/, https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/eiko-ishioka/

「TIMELESS(流行に同調せず)」「ORIGINALITY(私だけができることを)」「REVOLUTIONARY(革新的なマインドで)」の3つを大切にしていた彼女のデザインは、時代を超えて人を強く惹きつける魅力があります。

よくある質問

石岡瑛子の読み方は?

「いしおか えいこ」と読みます。

石岡瑛子の死因は何ですか?

膵臓がんのため、2012年1月21日に73歳で死去しました。

石岡瑛子の代表作は何ですか?

資生堂やパルコの広告、映画『MISHIMA』『ドラキュラ』の美術・衣装デザイン、マイルス・デイヴィス『TUTU』のアートデザイン、北京オリンピック開会式やブロードウェイ『Spider-Man: Turn Off the Dark』の衣装デザインなどが代表作として知られています。

石岡瑛子は北京オリンピックで何を担当しましたか?

2008年の北京オリンピック開会式で、コスチュームディレクターとして衣装デザインを担当しました。

石岡瑛子はブロードウェイ版スパイダーマンに関わっていますか?

2011年に開幕したブロードウェイ・ミュージカル『Spider-Man: Turn Off the Dark』の衣装デザインを手がけました。

おわりに

いかがでしたか?

越境しながらデザイナーとして生き抜いた彼女の作品は、どれもデザインへの強い熱量を感じますよね。

没後に出版された『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』では、彼女の人生やデザインへの考え方が詳しく書かれています。

気になった方は、この本や以下の図録をぜひ手にとってみてはいかがでしょうか?




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