【徹底解説】デイヴィッド・ホックニーとは?プールの絵からiPadまで「見ること」を描き続けた画家の人生と作品を解説!

【徹底解説】デイヴィッド・ホックニーとは?プールの絵からiPadまで「見ること」を描き続けた画家の人生と作品を解説!

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こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんはデイヴィッド・ホックニーという人物をご存知ですか?

ホックニーは、1937年にイギリスのブラッドフォードで生まれた画家です。絵画、ドローイング、版画、写真、舞台美術、そしてiPadで描く絵まで、七十年にわたってさまざまな手段を試し続けました。ロサンゼルスのプールを描いた『A Bigger Splash』や、故郷ヨークシャーの木々を描いた大きな風景画で知られています。2026年6月11日、ロンドンの自宅で亡くなりました。88歳でした。

本記事ではそんなデイヴィッド・ホックニーの人生と作品についてご紹介します。作品の数字や年は、テート、ゲティ美術館、ロイヤル・アカデミー、ホックニー公式サイトなどの一次情報で確かめました。批評にあたる部分は、編集部の意見として「〜と考えます」の形で書いています。

デイヴィッド・ホックニーって?

ホックニーの仕事を一言でまとめるなら、「どう見えるのか、そしてそれをどう描くのか」を問い続けた人生だったといえます。ホックニーの展覧会を開いたロンドンのセルペンタイン(2026年)の紹介文には、遠近法への深い関心と、私たちがどう見てどう表すのかを探りたいという思いが、絵画から写真コラージュ、舞台美術、ドローイング、版画までのさまざまな手段へ向かわせた、と書かれています。同じ紹介文は、ポラロイドの合成写真からファクスの絵、近年のiPadの絵まで、新しい技術は現実をとらえる別のやり方への関心の延長だったと説明しています。

ホックニー自身を表す言葉として、セルペンタインは「Love Life」(人生を愛する)という決まり文句を挙げています。この記事では、その歩みを時代ごとにたどります。

基本情報

本名デイヴィッド・ホックニー(David Hockney)
生年月日(没年月日)1937年7月9日(2026年6月11日、ロンドンの自宅で死去。88歳)
国籍・出身イギリス/ヨークシャー州ブラッドフォード
学歴ブラッドフォード美術学校(1953〜1957年)、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(1959〜1962年、金メダルで卒業)
分野絵画、ドローイング、版画、写真、舞台美術、デジタルの作品
傾向遠近法と「見ること」への関心。新しい技術を、現実をとらえる別の手段として試した
師事した人物・影響を受けた人物特定の師は記録なし(年譜と展覧会の解説で、ピカソ、ゴッホ、フェルメール、ピエロ・デッラ・フランチェスカらの作品から着想を得たことが確認できる)

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経歴と作品

ホックニーの歩みは、おおまかに「学ぶ」「ロサンゼルスで描く」「写真で見方を組み替える」「風景とiPadへ」と分けて眺めると整理しやすくなります。まず若い時期の流れを図で確認しましょう。

ホックニーの若い時期の流れ図。1937年に生まれ、1953年に美術学校で学び、1959年にRCAへ進み、1962年に金メダルで卒業し、1964年に初めてロサンゼルスを訪れる。
図:ホックニーの歩み(1937年〜1964年)

ブラッドフォードで絵を学ぶ(1937〜1959)

ホックニー公式サイトの年譜によると、デイヴィッド・ホックニーは1937年7月9日、イングランド北部のヨークシャーにあるブラッドフォードで生まれました。5人きょうだいの4番目です。

1953年から1957年まで、ブラッドフォード美術学校で学びます。年譜は、ここで受けた訓練を、実物を見て描くことを土台にした伝統的なものだったと記しています。この時期に描いたのは、人物習作、肖像、都市の風景でした。1957年には、『Portrait of my Father』をリーズ美術館のヨークシャー芸術家展に出品し、売れています。

年譜のもう一か所には、ホックニーが少年のころ、学校の休みに東ヨークシャーの農場で働いていたとあります。のちに何度も描く東ヨークシャーの風景は、子どものころから知っていた土地でした。

ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの時代(1959〜1962)

1959年、ホックニーはロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)に入学します。年譜には、ここでR.B.キタイ、デレク・ボシャー、アレン・ジョーンズ、ピーター・フィリップス、パトリック・コールフィールドと出会ったと書かれています。客員の画家には、フランシス・ベーコン、リチャード・ハミルトン、ピーター・ブレイクらがいました。RCAについては、姉妹記事でも詳しく紹介しています。

この時期の出来事を年譜から拾うと、次のようになります。1960〜61年に、テート・ギャラリーでピカソの大きな展覧会を見ます。1961年にはジョン・ムーア展(リヴァプール)のジュニア部門で賞を得て、画商ジョン・カスミンと知り合い、初めてニューヨークも訪れました。そこでニューヨーク近代美術館(MoMA)の版画担当学芸員ウィリアム・S・リーバーマンがホックニーの版画2点を買い上げました。この年に、16点のエッチング『A Rake’s Progress』にも取りかかっています。

1962年には、ヤング・コンテンポラリーズ展に『Demonstrations of Versatility』の4点を出し、RCAを金メダルで卒業します。「Demonstrations of Versatility」とは、直訳すると「多才さの実演」です。まだ学生のうちから、ひとつの描き方に決めないという姿勢を、題名そのものが示しているように読めます。

ロサンゼルスの光とプール(1963〜1967)

1963年、ホックニーはジョン・カスミンの画廊で初の個展『Pictures with People In』を開き、作品は完売しました。年譜によると、この年はサンデー・タイムズの依頼でエジプトを訪れ、40点の色鉛筆のドローイングを描いています。パリ・ビエンナーレのグラフィック賞も受けました。12月にはニューヨークを訪れ、アンディ・ウォーホルや、メトロポリタン美術館の学芸員ヘンリー・ゲルドツァーらと会っています。

転機は、1964年1月に初めて訪れたロサンゼルスでした。年譜には、ここでアクリル絵具を使い始め、ポラロイド写真を撮り始めたこと、様式化された南カリフォルニアの風景と、最初のプールの絵に取り組んだことが記されています。同じ年の夏にはアイオワ大学で教え、車でアメリカを横断しました。その後もUCLAなどで教えながら制作を続けています。

1967年、ホックニーは代表作のひとつ『A Bigger Splash』を描きます。年譜は、この年に「A Bigger Splash」と「A Lawn Being Sprinkled」で、水を描く新しいやり方を考え出したと記しています。テートの所蔵データによると、『A Bigger Splash』はキャンバスにアクリル絵具で描かれ、支持体の寸法は縦242.5cm、横243.9cm、1981年にテートが購入しました。

画面の様子を見てみましょう。上半分は明るい青の空で、背の高い2本のヤシの木が右上に立ちます。左には、平たい屋根の低い建物があり、大きなガラス窓の前に折りたたみの椅子が置かれています。手前にはプールが広がり、画面の右下から黄色い飛び込み板が突き出しています。その先の水面に、白い水しぶきが上がっています。しぶきを上げたはずの人は、画面のどこにも描かれていません。

建物や空は、色の面をきっちり塗り分けたようにすっきりと描かれています。そのなかで、水しぶきだけが、細い線と白い絵具で細かく描き込まれています。編集部は、この対比が絵の見どころだと考えます。年譜のいう「水を描く新しい方法」とは、動いて形の定まらない水を、静かな色面のなかで描き分ける工夫のことかもしれません。

明るい青空の下、ヤシの木2本と平屋の建物を背にしたプール。右下の黄色い飛び込み板の先で白い水しぶきが上がっているが、人の姿はない
デイヴィッド・ホックニー『A Bigger Splash』(1967年)、キャンバスにアクリル絵具、所蔵:テート(1981年購入)。画像出典:テート公式サイト(引用)

二人の肖像、『Mr and Mrs Clark and Percy』(1968〜1971)

1968年ごろから、ホックニーは大きな二人の肖像画に取り組みます。年譜は、この年に『Christopher Isherwood and Don Bachardy』などの大型の二重肖像に取りかかったと記しています。その流れの代表が、1970年から1971年にかけて描かれた『Mr and Mrs Clark and Percy』です。

年譜によると、モデルはデザイナーのオッシー・クラークと、セリア・バーウェルの夫妻です。ホックニーは1969年に習作を始め、1970年に本格的な制作に入り、1971年に約1年がかりで完成させて、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーで展示しています。年譜は、ホックニー自身の見方として、この絵が自分の作品のなかで自然主義にもっとも近いと伝えています。

画面を見ると、窓の外の景色が見える部屋で、左に黒っぽい長い服の女性が立ち、右に椅子に座った男性が白い猫を膝にのせています。二人の間には広い距離があります。左手前の白い台には、花瓶に生けた白いユリと黄色い本があります。右手前の床には電話機が置かれています。窓の外の木々、衣服、猫の毛並みまで、丁寧に描かれています。ホックニー自身が自然主義にもっとも近いと見ているのは、こうした細やかな観察のためだと考えます。

窓辺の部屋で、黒っぽい長い服の女性が左に立ち、右の椅子には膝に白い猫をのせた男性が座る二重肖像。左手前に白いユリの花瓶と黄色い本、右手前に電話機がある
デイヴィッド・ホックニー『Mr and Mrs Clark and Percy』(1970〜71年)、キャンバスにアクリル絵具、所蔵:テート。画像出典:テート公式サイト(引用)

写真と舞台で、見方を組み替える(1970〜1986)

1970年は、ホックニーの最初の大きな回顧展『David Hockney: Paintings, Prints and Drawings 1960-1970』がロンドンのホワイトチャペル・アート・ギャラリーで開かれた年です。同じ年、広角レンズによるゆがみに不満を持ったホックニーは、写真を貼り合わせた最初の「ジョイナー」を作りました。1974年には、約10年間のアクリル絵具のあと、再び油絵具を使い始めます。

この時期の重要な仕事に、舞台美術があります。1975年6月、ストラヴィンスキーのオペラ『The Rake’s Progress』の舞台美術を、グラインドボーン音楽祭のために手がけて初演を迎えました。年譜は、この新しい媒体に挑んだことを記しています。1978年のシーズン向けにはモーツァルト『魔笛』の美術にも取り組みました。年譜には、この仕事に約1年かかり、その間は絵を描かなかったとあります。1981年3月には、メトロポリタン歌劇場(ニューヨーク)でサティ、プーランク、ラヴェルの三本立て(サティのバレエ『Parade』を含む)の美術が初演され、年譜は「大好評」だったと伝えています。

1977年、ホックニーは二点の大切な絵を描きました。両親を描いた『My Parents』と、ヘンリー・ゲルドツァーが画面の中の複製画を見る姿を描いた『Looking at Pictures on a Screen』です。テートの所蔵データでは、『My Parents』は1977年、キャンバスに油絵具で、支持体は縦182.9cm、横182.9cm、1981年にテートが購入しています。画面では、青い服の女性が椅子に座ってこちらを向き、茶色の服の男性が椅子に座ってうつむき、手にした何かを見ています。二人の間には緑色の台があり、花瓶のチューリップと小さな鏡が載っています。

緑がかった壁の前で、青い服の母が正面を向いて椅子に座り、茶色の服の父がうつむいて手元を見ている。二人の間の緑の台に、チューリップの花瓶と鏡が置かれている
デイヴィッド・ホックニー『My Parents』(1977年)、キャンバスに油絵具、所蔵:テート(1981年購入)。画像出典:テート公式サイト(引用)

この2点は、2024年にロンドンのナショナル・ギャラリーが開いた展覧会『Hockney and Piero: A Longer Look』の主役になりました。同館の展覧会ページによると、母と父を描いた絵と、友人のゲルドツァーを描いた絵は、ピエロ・デッラ・フランチェスカの『キリストの洗礼』と並べて展示されました。二点の絵の中には、ナショナル・ギャラリーの絵の画像が描き込まれているためです。ホックニーは、ほかの画家の作品を見ることからいつも着想を得てきた人でした。

『Pearblossom Hwy.』と、多くの瞬間の絵(1982〜1986)

1980年代のホックニーは、写真を使った実験に打ち込みます。年譜によると、1982年にパリのポンピドゥー・センターから写真の展覧会を提案されたことをきっかけに、写真の価値と、3次元を2次元でどう表すかを考え始めます。キュビスムと絵の空間を調べるために、ポラロイドを組み合わせた作品を作り、5月までに150点を仕上げて、6月にニューヨークで『Drawing with a Camera』を開きました。9月からは、ペンタックス110のカメラで撮った写真を貼り合わせる「フォトコラージュ」も始めています。

1983年11月には、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で、写真についての講演を行いました。年譜によると、ここでホックニーは、ルネサンスの一点透視図法をやめて、人間の知覚をより正確に映す「多くの焦点と多くの瞬間」を取り入れようと論じています(編集部訳)。写真は一瞬を切り取るものだと考えられがちですが、ホックニーは、何度も見て何度もシャッターを切り、組み立て直すことで、それを超えようとしたのだと考えます。

一点透視図法とホックニーの写真コラージュの比較表。見る位置はひとつの点か、近づいたり離れたりするか。焦点はひとつか、多くの焦点か。瞬間はひとつか、多くの瞬間か。
図:一点透視図法とホックニーの考え方

その集大成が、1986年春に完成した『Pearblossom Hwy., 11-18 April 1986』です。ゲティ美術館(ロサンゼルス)は、同じ構図の作品を2点所蔵しています。#1(ゲティの登録番号97.XM.44)はホックニーからの寄贈で、素材は発色現像方式プリントのコラージュ。画像の寸法は縦119.1cm、横162.9cmです。ゲティの解説によると、#1は最終版にあたる#2の準備習作で、#2は約6.5×9フィート(約2×2.7メートル)の大きさです。

ゲティの解説は、この二つのパールブロッサム・ハイウェイの作品で、ホックニーが被写体に近づいたり離れたりして、何を大きく、何を小さく見せるかを選んだと説明しています。複数の視点から見た場面を組み直すことで、キュビスムの考えを生かした複合的な画像にしたのだといいます。ホックニー自身はこれを「ルネサンスの一点透視図法に対する、パノラマ的な攻撃」と呼んでいます(編集部訳)。

#1の画面を見てみましょう。まっすぐ奥へのびる道の中央に黄色い線が走り、路面には「AHEAD」「STOP」の白い文字が大きく書かれています。右には黄色い菱形の標識と「STOP AHEAD」の標識、中央付近には赤い「STOP」の標識と、カリフォルニア州道138号の標識があります。左右には、背の高い乾燥地の木々が立ちます。空は、小さな写真の断片が重なったように見え、一枚の写真とは違う、貼り合わせ特有のリズムがあります。左手前の地面には、ごみのようなものが散らばっています。標識も路面の文字も、「止まれ」と繰り返し告げているのに、見ている目は、道の奥へ、空の隅へ、地面の小さなものへと、動き回ります。編集部は、これこそが「多くの焦点と多くの瞬間」を絵にした姿だと考えます。

砂漠の一本道に黄色い中央線と白い「AHEAD」「STOP」の文字。道の脇にSTOP標識と州道138号の標識、ジョシュアツリーが立ち、空も地面も小さな写真の断片を貼り合わせて作られている
デイヴィッド・ホックニー『Pearblossom Hwy., 11–18th April 1986, #1』(1986年)、発色現像方式プリントのコラージュ、所蔵:J・ポール・ゲティ美術館(97.XM.44)。画像出典:ゲティ美術館公式サイト(引用)

ファクス、コピー機、コンピューター(1986〜1995)

ホックニーは、新しい道具を取り入れることを恐れませんでした。年譜によると、1985年にはBBCの番組のために、コンピューターのグラフィック装置を試しました。1986年2月には、事務用のコピー機で自作の版画(ホームメイド・プリント)を作り、同じ紙を何度も通して色を重ねました。

1988年からはファクスを使い始めます。ホックニーはこれを「耳の聞こえない人のための電話」と呼び(編集部訳)、半年間、絵を世界中へ送り続けました。1989年10月のサンパウロ・ビエンナーレには、ファクスで送った作品だけで参加しています。同年11月には、ブラッドフォード近郊のソルテアにあるソルツ・ミル(1853ギャラリー)へ、144枚の紙からなる合成画像『Tennis』を、観客の前でファクス送信しました。1990年には、アップルのマッキントッシュで最初のコンピューター・ドローイングを描き、最初のデジタルカメラも使い始めています。

この時期にも、オペラの舞台美術は続きました。1986年のワーグナー『トリスタンとイゾルデ』、1990年のプッチーニ『トゥーランドット』などです。年譜は、1992年に始まる半抽象的な「Very New Paintings」が、オペラの舞台装置の影響を受けていると記しています。舞台美術で得た色と空間の考えが、絵画へ戻っていくのです。

ホックニーが取り組んだ手段の循環図。中心の見ることを、絵画、版画、写真コラージュ、舞台美術、ファクスとコンピューター、iPadが囲む。
図:ホックニーが取り組んだ手段

図にまとめると、手段は違っても、中心にあるのは「見ること」でした。ここまでの流れをこう整理すると、ホックニーは道具を乗り換え続けたのではなく、ひとつの問いに答えるために、手段を足し続けたのだと考えます。

古い巨匠の「秘密」を探る(1996〜2001)

1996年、ホックニーはオランダのハーグで、フェルメールの回顧展を見ます。年譜は、色の鮮やかさが保たれていることと、光を操る方法に心を打たれ、ロサンゼルスのアトリエに戻って、花の習作と油彩の肖像を描き始めたと伝えています。

1999年、ロンドンのナショナル・ギャラリーでアングルの肖像画展を見たホックニーは、アングルが正確な似顔を得るために「カメラ・ルシーダ」を使ったと確信し、自分でも使い始めます。3月から、最初の肖像ドローイングを描き、合計280点にのぼりました。その後、古い巨匠たちが正確な描写を可能にした方法を調べ、鏡やレンズを使ったという考えに至ります。2000年にはロサンゼルスのアトリエに「グレート・ウォール」を作り、12世紀ごろのチェファルー大聖堂のモザイクから、1889年のゴッホの肖像まで、500年分以上の絵の複製を貼って検証を続けました。

2001年、その成果は『Secret Knowledge: Rediscovering the lost techniques of the Old Masters』として出版されます。同じ年に、光学装置と美術の関係を扱うBBCのドキュメンタリー『David Hockney’s Secret Knowledge』にも取りかかりました。この説は議論を呼び、年譜は、美術史家や学芸員、友人たちが議論に引き込まれたと書いています。本記事では議論の結論には踏み込まず、ホックニーが仮説を立て、自分でも手を動かして確かめようとした事実だけを紹介します。

ヨークシャーの風景(1997〜2012)

1997年は、ホックニーにとって大きな年でした。この年、英国の勲章のひとつ「コンパニオン・オブ・オナー」を受けています。夏には、ブリドリントンとヨークの間のヨークシャー・ウォルズを、数か月にわたって車で走りました。年譜によると、この移動が、豊かな色で描いた一連のヨークシャー風景画の油彩につながります。ロサンゼルスに戻ってから、ソルツ・ミルを描いた二枚組の大作を完成させ、記憶をもとに風景を描き続けました。1998年には、ヨークシャーの連作が『Garrowby Hill』に結実しています。

2000年代の中ごろ、ホックニーは東ヨークシャーへ戻ります。年譜によると、2005年の夏はブリドリントンで過ごし、東ヨークシャーの風景を、油彩で戸外で描きました。2006年には、複数のキャンバスをつなげて大きな一枚の絵にする方法を作り上げます。屋外で大きな絵を描くための工夫でした。

ヨークシャーの風景画の流れ図。1997年に風景画を描き、2005年に戸外で油彩を描き、2006年に複数のキャンバスをつなげ、2007年に50枚の大作、2008年にテートへ寄贈した。
図:ヨークシャーの風景画の歩み(1997年〜2008年)

2007年、この方法の頂点として、ホックニーがそれまでに描いた最大の絵『Bigger Trees Near Warter』が生まれました。約50枚のキャンバスを組み合わせた縦15フィート、横40フィート(約4.6×12.2メートル)の作品で、2007年の王立芸術院(ロイヤル・アカデミー)のサマー・エキシビションで、壁一面を使って初めて展示されました。同じ年には、テート・ブリテンに招かれて、ターナーの水彩画の展覧会『Hockney on Turner Watercolours』も構成しています。

2008年4月、ホックニーはこの大作をテート・ブリテンに贈りました。テートの所蔵データでは、50枚のキャンバスの油彩と100点のデジタルプリントからなり、正式な題名の後半はフランス語で、「写真以後の新しい時代のための、現地での絵画」といった意味合いです(編集部訳)。年譜によると、制作中の絵を助手が現場で撮影し、あとでスタジオで小さくプリントして全体を確かめる方法も、この大作を支えていました。

2012年1月21日から4月9日まで、ロンドンのロイヤル・アカデミーで『David Hockney: A Bigger Picture』が開かれました。同館によると、東ヨークシャーの風景に着想を得た鮮やかな絵を中心に、ホックニーの約50年にわたる風景への関心をたどる展覧会で、iPadのドローイングの展示と、18台のカメラで撮った新しい映像も含まれていました。ロイヤル・アカデミーのギャラリーに合わせて制作された大作が、並んだのです。

iPadとノルマンディー(2007〜2021)

ロイヤル・アカデミーのページは、ホックニーが2007年のiPhoneから始め、2010年にiPadとスタイラスへ移ったと説明しています。ホックニー公式サイトの「Arrival of Spring in Woldgate」の項には、『The Arrival of Spring in Woldgate, East Yorkshire in 2011 (twenty eleven)』と題された、iPadの素描を紙に出力した連作が並んでいます。たとえば2011年2月25日の作品は、縦55インチ、横41.5インチです。日付つきで春の訪れを記録していく点は、のちのノルマンディーの連作とも通じていると考えます。

iPhoneからiPadへの流れ図。2007年にiPhone、2010年にiPad、2011年にウォルドゲートの春、2020年にノルマンディーの116点、2021年にロンドンの展覧会へつながる。
図:iPhoneからiPadへ(2007年〜2021年)

2020年の春、ホックニーはフランス北部のノルマンディーで、iPadで春の訪れを描きました。ロイヤル・アカデミーのページは、パンデミックの最中に、自然を称える116点の新作を描いたと伝えています。2021年に開かれた『David Hockney: The Arrival of Spring, Normandy, 2020』では、iPadで描かれた絵を、紙に大きく出力して展示しました。同館は、制作から出力までホックニーが全体を見たと説明しています。

この時期の仕事で、もうひとつ代表的なのが『A Year in Normandie』です。セルペンタインの紹介文によると、バイユーのタペストリーに着想を得たパノラマの長い帯で、ホックニーのかつてのノルマンディーのアトリエの、移りゆく季節をとらえています。2023年には、ソルツ・ミル(4月29日〜10月29日)と、東京都現代美術館(7月15日〜11月5日)で紹介されました。東京都現代美術館の展覧会は、日本では27年ぶりの大規模個展として開かれています。

晩年の展覧会と、2026年(2017〜2026)

晩年のホックニーは、各地の大きな展覧会の中心にいました。主なものを、公式サイトとそれぞれの美術館の情報から表にまとめます。

2017年2月9日〜5月29日ロンドンのテート・ブリテン(テート、ポンピドゥー・センター、メトロポリタン美術館の共同企画。その後、パリとニューヨークへ巡回)
2023年7月15日〜11月5日東京都現代美術館『デイヴィッド・ホックニー展』(日本では27年ぶりの大規模個展)
2024年6月17日〜10月6日ロンドン・キングズ・クロスのライトルーム『Bigger & Closer (not smaller & further away)』(のちに各都市へ)
2024年8月8日〜10月27日ロンドンのナショナル・ギャラリー『Hockney and Piero: A Longer Look』
2025年4月9日〜9月1日パリのフォンダシオン・ルイ・ヴィトン『David Hockney 25』
2026年3月12日〜8月23日ロンドンのセルペンタイン・ノース『A Year in Normandie and Some Other Thoughts about Painting』
2026年4月1日〜11月1日英国マーゲートのターナー・コンテンポラリー『Sunley Window 2026』

セルペンタインは、この展覧会のために描かれた新作と、『A Year in Normandie』のロンドン初公開を伝えています。ターナー・コンテンポラリーのサンリー・ウィンドウでは、縦横7×10メートルの窓に、ノルマンディーの日の出を描いた作品が、2026年4月1日から展示されています。元になったのは、2020年4月27日にiPadで描いた『27th April 2020, No.1』で、窓の向こうに広がるマーゲートの空と北海の景色を、日の出の絵で縁取る作品です。

広報担当者のエリカ・ボルトンの声明は、ホックニーの七十年のキャリアを、多様な手段による制作、描写と遠近法についての知的な探究、身のまわりの世界を称え続ける姿勢で特徴づけています。

2026年10月の時点でも、ホックニー公式サイトには各地の展覧会が並んでいます。中国の深圳では、ライトルームの『Bigger & Closer』が2026年9月25日から2027年5月30日まで開かれています。パリのマルモッタン・モネ美術館では、2026年9月24日から2027年1月31日まで『Histories of Landscapes. From Monet à Hockney (1890-2025)』が開かれています。ブラッドフォード近郊のソルツ・ミルは、『David Hockney: A Permanent Collection』を常設展として紹介しています。会期や展示の有無は変わることがあるため、お出かけの前に、各館の公式サイトでご確認ください。

年表で見るデイヴィッド・ホックニー

1937年7月9日ブラッドフォードに生まれる
1953〜1957年ブラッドフォード美術学校で学ぶ
1959年ロイヤル・カレッジ・オブ・アートに入学
1962年金メダルで卒業
1963年初の個展『Pictures with People In』
1964年1月初めてロサンゼルスを訪れる
1967年『A Bigger Splash』を描く
1970年ホワイトチャペル・アート・ギャラリーで最初の回顧展
1970〜1971年『Mr and Mrs Clark and Percy』
1975年6月『The Rake’s Progress』(グラインドボーン)の初演
1977年『My Parents』『Looking at Pictures on a Screen』
1978年ロサンゼルスを永住の地と決める
1983年11月V&Aで講演『On Photography』
1986年春『Pearblossom Hwy., 11-18 April 1986』が完成
1997年コンパニオン・オブ・オナーを受ける
2001年『Secret Knowledge』が出版される
2007年『Bigger Trees Near Warter』(2008年にテートへ寄贈)
2012年1月〜4月ロイヤル・アカデミー『A Bigger Picture』
2017年2月〜5月テート・ブリテンで回顧展(のちにパリ、ニューヨークへ)
2020年春ノルマンディーでiPadの絵を描く(2021年にロイヤル・アカデミーで展示)
2023年7月〜11月東京都現代美術館で展覧会
2026年6月11日ロンドンの自宅で死去

代表作の一覧

『A Bigger Splash』(1967年)キャンバスにアクリル絵具。縦242.5cm、横243.9cm。テート所蔵(1981年購入)
『Mr and Mrs Clark and Percy』(1970〜1971年)キャンバスにアクリル絵具。縦213.4cm、横304.8cm。テート所蔵(1971年、友の会寄贈)
『My Parents』(1977年)キャンバスに油絵具。縦182.9cm、横182.9cm。テート所蔵(1981年購入)
『Pearblossom Hwy., 11-18 April 1986』(1986年)発色現像方式プリントのコラージュ。#1と#2をゲティ美術館が所蔵(#1はホックニーの寄贈)
『Bigger Trees Near Warter』(2007年)50枚のキャンバスの油彩と100点のデジタルプリント。テート所蔵(2008年、作者寄贈)
『The Arrival of Spring in Woldgate, East Yorkshire in 2011』(2011年)iPadの素描を紙に出力。ホックニー公式サイトで公開

まとめ

いかがだったでしょうか。デイヴィッド・ホックニーは、ブラッドフォードの美術学校で実物を見て描く訓練を受け、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで学び、ロサンゼルスで『A Bigger Splash』のようなプールの絵を描きました。1970年代には『Mr and Mrs Clark and Percy』や『My Parents』で人物の肖像を深め、1980年代には写真コラージュとオペラの舞台美術で、見ることと描くことの関係を組み替えました。

その後も、ファクス、コンピューター、フェルメールやアングルの研究、ヨークシャーの風景、iPadと、道具を変えながら同じ問いを追い続けました。ホックニーの作品は、いまも各地の展覧会で紹介されています。展示や作品の情報は、所蔵館や公式サイトで確かめながら、ぜひ実際の作品に触れてみてください。

Euphoric " " の視点

ホックニーは2006年、複数のキャンバスをつなげて大きな一枚の絵にする方法を作り上げました。その頂点が、約50枚のキャンバスを組み合わせた『Bigger Trees Near Warter』です。

年譜によると、この大作を支えたのは、制作中の絵を助手が現場で撮影し、あとでスタジオで小さくプリントして全体を確かめる方法でした。現場で大きく描くことと、スタジオで小さくして全体を見ることを、一つの制作の中で組み合わせていたことになります。

大きな仕事ほど、目の前の部分に没頭するか、遠くから全体を眺めるか、どちらかに偏りがちかもしれません。ホックニーの方法からは、近くで見ることと離れて見ることを往復する仕組みを、あらかじめ仕事に組み込んでおく大切さが読み取れると考えます。見る距離を変える工夫は、大きな構想を最後まで形にする支えになるのかもしれません。

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記事で紹介した作品は、次の館などで公開されています。展示替えがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。

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