こんにちは!ユアムーン株式会社 編集部です!
突然ですが、皆さんはエドワード・ホッパーという画家を知っていますか?
アメリカ出身の天才的画家で、アート界に多大な功績を残しただけでなく、現代でも高い人気を誇ります。
この記事ではエドワード・ホッパーの『人生』と『作品』についてご紹介します!
エドワード・ホッパーとは?
エドワード・ホッパー基本情報
本名 | エドワード・ホッパー(Edward Hopper) |
国籍/出身 | アメリカ合衆国 ニューヨーク州 |
生年月日 | 1882年7月22日 |
分野/芸術動向 | アメリカンリアリズム(新写実主義) |
学歴/出身大学など | ニューヨーク美術学校(現在のパーソンズスクールオブデザイン) |
公式サイト/関連サイト | https://www.artrenewal.org/artists/edward-hopper/900 |
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アメリカンリアリズム(新写実主義)ってなに?
アメリカンリアリズムは19世紀中期に現れ、20世紀初頭に視覚芸術における芸術動向となりました。この傾向は美術、音楽、文学にみられ、現代社会の現実と一般市民の日常生活を描写しました。
20世紀初頭のアメリカはヨーロッパからの移民と貿易の発達により目覚ましい発展をしていました。こうした発展し続ける社会において、アメリカンリアリズムの芸術家たちは、自身の芸術表現活動を通して文化的繁栄やその裏側にある疲労を捉えています。
アメリカンリアリズムの著名な画家には、ジョージ・ベローズ、ロバート・アンリ、ウィリアム・グラッケンズなど、他にも様々な画家が挙げられます。
▼アメリカンリアリズム(新写実主義)については今後くわしく解説する予定です!▼
経歴と作品
初期
エドワード・ホッパーは1882年7月22日、ニューヨーク市北部のハドソン川沿いの町、ナイアックで生まれました。比較的裕福な家庭に生まれ、両親はホッパーを含む二人の子供の教育にかなりお金をかけました。
Study of a Seated Woman 1899年
5歳の頃よりポッパーは既に絵画の才能を見せており、両親も芸術を学ぶことを推奨したことから様々なモチーフの作品を描いていました。この頃は、花瓶やボウル箱などのスケッチに加え、政治的風刺画を描いていました。
Model sitting 1902年
1899年、両親から商業イラストを勉強するよう進められたこともあり、ニューヨークスクールオブイラストレーションに一年間在籍します。その後、より本格的に芸術を学ぶためにニューヨーク美術学校(現在のパーソンズスクールオブデザイン)へ進学し、ウィリアム・メリット・チェイス(アメリカの印象派の代表的画家)のもとで油絵を学びます。フランス印象派の巨匠、エドゥアール・マネとエドガー・ドガ等のスタイルを研究し、早いうちから自分のスタイルを確立していきました。
イラストレーターとして
1905年、ニューヨーク美術学校を卒業した後にニューヨークの広告代理店でイラストレーターとして働き始めます。業界誌のカバーデザインなどの仕事を中心にこなしていましたが、ホッパーは想像力で自由に絵を描くことを望んでおり、イラストを好きになれませんでした。
Tramp Steamer
1906年からは3回にわたりヨーロッパを旅行します。表向きはヨーロッパの芸術動向を学びに行くことでしたが、実際には一人で勉強しており、最新の芸術にあまり影響を受けませんでした。当時のホッパーはピカソを全く知らなかったと述べており、オランダのバロック絵画やフランス印象派など作品に興味を示していました。
特に印象派との出会いが決定的で、画面の中の光の扱い方や建築・自然などの風景を主題とする点において強く惹かれました。ヨーロッパ旅行後のホッパーの作品には印象派からの強い影響が見受けられます。
Girl at a Sewing Machine
1910年の旅行を最後に、ニューヨークに戻ります。そこからは自分のスタイルを確立しようとしますがなかなかうまく行かず、生計を立てるためにイラストレーションの仕事を再開しました。
イラストレーターとして生計を立てる傍ら、グループ展などに作品を出品しますがなかなか評価を得られず、その後何年もうまく行かない日々が続きます。特に、作品の主題を決めることに苦労しており、数カ月間何も描けずにいる期間もありました。
Night Shadows 1921年
1915年、油絵に行き詰まりを感じたホッパーはエッチングとドライポイント(版画の技法)に着目し、その後10年に渡り70点以上の作品を制作しました。
彼の版画作品の中でも「Night Shadows(夜の影)」は高い評価を受けており、鳥の視点から躍動的な光と影、神秘的空気感がうまく表現されています。この版画への着目が後の彼の画家としての成功の重要な役割を果たしたようです。
晩年の成功
版画に着目してから数年、憤悶とした期間を過ごした後、徐々にホッパーは注目を集めるようになります。1920年と1922年には現在のホイットニー美術館で個展を開きます。
Jo Sketching at Good Harbour Beach 1923年
1923年にジョセフィン・ニビジョンと結婚しました。結婚してからはジョセフィンのサポートもあり画家として高く評価されるようになりました。
1923年に彼女の手を借りてブルックリン美術館の展示会に出品した水彩画6点は批評家たちから高く評価されました。出品した作品はすべて購入され、そのうちの一つは100$で購入されました。これを期に、画家としてのキャリアを本格化させます。
Funnel of Trawler 1924年
その後1933 年にはニューヨーク近代美術館で回顧展が行われました。世界恐慌の真っ只中であったものの、ホッパーの作品は高い評価を受け、数千ドルが支払われ、評価はうなぎ登りでした。
経済的に生活は非常に豊かになりましたが、ホッパーは質素な生活を続け、贅沢と言えば妻と映画や舞台を見に行くことだったそうです。1940年代頃からは体調を崩すようになり、手術を行うこともありましたが、作品制作は続けました。
Lighthouse HIll 1927年
エドワード・ホッパーは様々な分野のクリエイター影響を与えてきました。「Hopperesque」という言葉は、ホッパーの作品の主題や雰囲気を連想させる意味で広く使われており、その影響は計り知れません。美術においても、マーク・ロスコ、エド・ルシャ、 バンクシーなどのアーティストも影響を受けています。
他の作品
ここからはエドワード・ホッパーのその他の作品を見ていきましょう!
Nighthawks 1942年
この作品は、エドワード・ホッパーの代表作と言える作品で、制作後すぐに美術館に3000$(1942年)で買い取られ収蔵されました。
Eleven A.M. 1926年
Automat 1927年
Adam’s House 1928年
Girlie Show 1941年
Hotel Lobby 1943年
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、アメリカの絵画の巨匠 エドワード・ホッパーを紹介しました。
エドワード・ホッパーを気に入った方は、下の画集なども買ってみてはいかがでしょうか!?