【徹底解説】フランソワ・ポンポンとは?『シロクマ』で知られる動物彫刻家の人生と作品を解説!

【徹底解説】フランソワ・ポンポンとは?『シロクマ』で知られる動物彫刻家の人生と作品を解説!

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こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんはフランソワ・ポンポンという人物をご存知ですか?

フランソワ・ポンポン(François Pompon)は、1855年にフランス・ブルゴーニュ地方の町ソーリューで生まれた彫刻家です。「フランソワ ポンポン」と書かれることもあります。毛並みを細かく写すのが伝統だった動物彫刻に、なめらかで丸みのある、すっきりとした形を持ち込みました。パリのオルセー美術館に立つ大きな『シロクマ』は、その代表作です。

ポンポンは長いあいだ、オーギュスト・ロダンらのもとで大理石を彫る職人として働き、67歳になってようやく世間に名を知られました。日本では、群馬県立館林美術館が作品と資料をまとまった形で所蔵しています。ポンポンとはどんな彫刻家だったのか。本記事ではそんなフランソワ・ポンポンの人生と作品についてご紹介します。

フランソワ・ポンポンって?

フランソワ・ポンポンの歩みを5段階で示した図。1855年ソーリュー生まれ、1875年パリへ、1906年に初めて動物彫刻を発表、1922年『シロクマ』で成功、1933年パリで死去と遺贈へ進む。
図:フランソワ・ポンポンの歩み

基本情報

本名フランソワ・ポンポン(François Pompon)。「フランソワ ポンポン」と表記されることもあります
生年月日(没年月日)1855年5月9日〜1933年5月6日
国籍・出身フランス/コート=ドール県ソーリュー(ブルゴーニュ地方)。パリで亡くなりました
学歴1870年、ディジョンの美術学校で学ぶ。1875年にパリに出て、装飾美術学校で学ぶ
分野彫刻(石彫、ブロンズ、石膏)、メダル
傾向動物彫刻。細部を取り除き、なめらかで丸みのある形で動物の本質をあらわす
師事した人物・影響を受けた人物ディジョンでダムロン、セレスト・ナントゥイユらに学ぶ。パリではロダン、カミーユ・クローデル、ファルギエール、メルシエらの工房で働き、サン=マルソーの助手をつとめる。動物彫刻家ピエール・ルイヤールにも学んだ

ポンポンが働いたロダンの工房や、西洋彫刻の見方、日本で開かれたポンポン展については、以下の記事でも詳しくご紹介しています。

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経歴と作品

ソーリューに生まれ、ディジョンとパリで学ぶ(1855年〜1875年)

フランソワ・ポンポンは1855年5月9日、フランス中部、ブルゴーニュ地方の町ソーリューに生まれました。オルセー美術館の人物資料によると、1870年にディジョンの美術学校に入り、ダムロンやセレスト・ナントゥイユ、彫刻家のミレやカイエに学びました。

ソーリューの町が運営するフランソワ・ポンポン美術館の紹介によると、ポンポンは1875年にパリへ出て装飾美術学校で学びました。群馬県立館林美術館も、ポンポンが20歳でパリに出たと紹介しています。当時の教育や美術の状況から、若いころのポンポンはまず肖像の彫刻に取り組みました。ソーリューの美術館では、友人マルティネが作ったポンポンの胸像のまわりに、こうした若いころの人物像が並べられています。

パリでの住まいも、このころ決まりました。館林美術館によると、ポンポンは1877年から亡くなるまで、パリ・モンパルナス地区のカンパーニュ=プルミエール通りに住み、そこをアトリエとしていました。

パリの彫刻家たちの工房で(1880年代〜1900年代)

パリでのポンポンは、まず「プラティシアン(praticien)」として腕を振るいました。プラティシアンとは、彫刻家が粘土や石膏で作った原型をもとに、大理石を彫り出す職人のことです。オルセー美術館は『シロクマ』の解説で、ポンポンが長年にわたってパリで最も引く手あまたのプラティシアンの一人であり、オーギュスト・ロダンやカミーユ・クローデルのために大理石を彫ったと紹介しています。館林美術館も、ロダンの工房でポンポンが大理石の下彫り職人として技量を高く評価されたと書いています。

ソーリューの美術館によると、ポンポンを雇ったのは当時を代表する彫刻家たちでした。ダンプ(1885年)、メルシエ(1888年)、ファルギエール(1890年)、ロダン(1890年から。1893年には工房の長になった)、そしてサン=マルソー(1890年から1914年まで)です。オルセー美術館の人物資料も、サン=マルソーの助手をつとめた期間を1890年から1914年としています。一方、館林美術館は助手になったのを1895年からとしており、資料によって年に違いがあります。

職人として働くかたわら、ポンポンは自分の作品も発表していました。オルセー美術館によると、1886年と1888年のサロン(官展)に出品しています。

『コゼット』(1888年)

フランソワ・ポンポン『コゼット』(1888年)。重い木桶を両手で提げ、体を傾けて歩く少女のブロンズ像。台座の正面にCOSETTEの文字が入る
フランソワ・ポンポン『コゼット(Cosette)』(1888年)ブロンズ、ヴィクトル・ユゴー記念館(パリ市立美術館群)/画像:Paris Musées(CC0)、出典:Wikimedia Commons

『コゼット』は、ヴィクトル・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』に登場する少女コゼットを表した作品です。重い木桶を両手で提げた少女が、体を大きく傾けながら一歩を踏み出しています。写真のブロンズ像は、パリのヴィクトル・ユゴー記念館が所蔵するもので、館の記録では制作は1888年、高さは40.5センチ、台座の正面には「COSETTE」の文字が入っています。台座の左側にはポンポンの署名があり、鋳造はシオ=ドゥコーヴィル鋳造所によるものとされています。

館林美術館は、このころのポンポンが、『レ・ミゼラブル』の物語に取材した『コゼット』のような、ロマン主義的な人間像を発表していたと紹介しています。服のしわや髪の流れまで描き込んだこの像からは、のちの、細部を削ぎ落とした動物彫刻とは正反対の作風が見て取れます。

人の像から動物へ(1905年〜1910年代)

転機は50歳のころに訪れました。オルセー美術館によると、1905年ごろから、ポンポンはロダンの表現主義的な彫刻への反発もあって人の像から離れ、パリの植物園(ジャルダン・デ・プラント)で観察した動物を作るようになります。館林美術館によると、サン=マルソーが土地を持っていたノルマンディーの田舎で長い時間を過ごすようになったことも、動物を題材にするきっかけでした。パリでも動物園に通い、1906年には初めて展覧会で動物彫刻を発表しています。

ソーリューの美術館は、ポンポンが夏は田舎の農場や鶏小屋で家畜を、冬はパリの植物園で野生の動物や珍しい動物をモデルにしたと紹介しています。持ち運びのできる作業台を使い、選んだ動物を目の前で粘土で写し取り、それをアトリエで手直ししました。ポンポン自身はこう語っています。「形を決めるのは動きです。私が表そうとしたのは、動きの感覚です。植物園では、歩く動物の後をついていきます。(中略)おもしろいのは、移動している動物なのです」。

館林美術館によると、ポンポンは野外で逆光に照らされた動物の輪郭線の美しさに目を留め、古代エジプトの平面的で単純化された浮き彫りにも影響を受けて、簡潔で流れるようなシルエットの動物彫刻を生み出しました。

『フクロウ』(1918年)

フランソワ・ポンポン『フクロウ』(1918年)。岩の上にまっすぐ立つ、つるりとした卵形の体のフクロウのブロンズ像。丸い目とくちばしだけが小さく表されている
フランソワ・ポンポン『フクロウ(Chouette)』(1918年)ブロンズ、デンマーク国立美術館(コペンハーゲン)/画像:デンマーク国立美術館(パブリックドメイン)、出典:Wikimedia Commons

『フクロウ』は、岩の上にまっすぐ立つフクロウのブロンズ像です。羽の一枚一枚は彫られておらず、体はつるりとした卵形にまとめられています。丸い目とくちばし、足の爪だけが小さく表され、それでもひと目でフクロウだと分かります。コペンハーゲンのデンマーク国立美術館が所蔵するこの像は、館の記録で高さ18.5センチ、1928年に収蔵されました。

フクロウはポンポンが好んで取り上げた題材の一つで、館林美術館も『フクロウ』(1923年)を所蔵しています。

「少しずつ取り除く」ポンポンの作り方

ポンポンの動物彫刻の特徴は、細部を大胆に省いた、なめらかな形にあります。オルセー美術館は、ポンポンが付け足しや細部を取り除き、写実的な表現を捨てて「動物の本質そのもの」に迫ろうとしたと説明しています。

同館は、ポンポン自身の言葉を紹介しています。「私は、いずれ消えることになる細部をたくさん残しておく。動物を、ほとんどすべての飾りをつけたまま作る。そして少しずつ、取り除いていくのだ」。いきなり単純な形を作るのではなく、まず見たものをすべて写し取り、そこから要らないものを削っていく。この順番が、ポンポンの形に生きた動きを残しています。

フランソワ・ポンポンの制作の流れを4段階で示した図。植物園や農場で動物を観察し、持ち運べる作業台で粘土で写し取り、アトリエで手直しし、細部を少しずつ取り除いて形をまとめる。
図:ポンポンの制作の流れ

素材の選び方にも考えがありました。オルセー美術館によると、ポンポンは「穴も影もない彫刻が好きだ」と語り、光が立体の上をさえぎられずに流れていくよう、明るい色の石を好んで使いました。丸みを帯びた輪郭、幾何学的な形への拒否、伝統的な素材への愛着が、ポンポンの彫刻の特徴だと同館は書いています。

師ロダンから学んだものもありました。同館によると、ロダンはポンポンに、輪郭(プロフィール)を自在に操る力と、いくつもの動きを一つにまとめて力を凝縮させる表現を教えました。こうしてポンポンは、アリスティド・マイヨールからコンスタンタン・ブランクーシへと続く、古典的な彫刻の伝統の中に位置づけられます。1900年から1914年の彫刻の中で、キュビスムによる形の解体とは別の道を見つけた作家だと、オルセー美術館は評価しています。

『バン(Poule d’eau)』(1921年)

フランソワ・ポンポン『バン(Poule d'eau)』(1921年)。首を前にのばし、細い脚で一歩踏み出す水鳥バンのブロンズ像。体はなめらかな流線形にまとめられている
フランソワ・ポンポン『バン(Poule d’eau)』(1921年)ブロンズ、デンマーク国立美術館(コペンハーゲン)/画像:デンマーク国立美術館(パブリックドメイン)、出典:Wikimedia Commons

『バン』は、水辺にすむ鳥バンを表したブロンズ像です。首を前にのばし、細い脚で一歩を踏み出した瞬間がとらえられています。体はしずくのような流線形にまとめられ、羽の模様はありません。それでも、歩き出す鳥の重心の移り方が、形全体から伝わってきます。デンマーク国立美術館の記録では、高さ25.5センチ、幅28センチで、『フクロウ』と同じ1928年、ポンポンの生前に収蔵されています。

「歩く動物の後をついていく」というポンポンの言葉どおり、止まった姿ではなく、動きの途中の一瞬を形にした作品です。館林美術館も『バン』(1923年頃)を所蔵しており、オルセー美術館にも同じ題名の小さなブロンズ像があります。

オルセー美術館の『バン』(1925〜1930年)の記録には、台座に「cire perdue C. Valsuani」と刻まれていることが記されています。パリの鋳造家クロード・ヴァルスアーニが、ロストワックス(蝋型鋳造)で鋳造したことを示す刻印です。この像は1933年の遺贈で国のものになり、1972年から2006年まではノルマンディーのヴィールの美術館に預けられていました。

67歳で迎えた成功『シロクマ』(1922年)

1922年、ポンポンは実物大の『シロクマ』をパリのサロン・ドートンヌに出品しました。オルセー美術館によると、このときポンポンは67歳で、遅まきながら初めて世間の大きな成功を手にしました。館林美術館も、この発表で大きな注目を集め、67歳にして革新的な動物彫刻家として広く認められるに至ったと書いています。

ソーリューの美術館によると、若い画家ルネ・ドゥムリス、批評家ロベール・レイ、彫刻家アントワーヌ・ブールデルといった友人たちが、ポンポンに大きな作品を作るよう勧めていました。実物大のシロクマは大成功を収め、作家コレットはこのクマについて「頭の奇妙な小ささ、氷に覆われた水を突き進むための、魚のように細くとがった鼻先」と書いて讃えました。遠くからアトリエを訪ねる人が現れ、ポンポンはレジオン・ドヌール勲章を受けています。

それでも暮らしぶりは変わりませんでした。ソーリューの美術館は、急な名声もポンポンの習慣を何も変えなかったと書き、本人の言葉を紹介しています。「成功したときは、アトリエに閉じこもって仕事をしなさい」。ポンポンはそのとおりに、動物の像を作り、なめらかに磨き続けました。

『シロクマ(Ours blanc)』(1923〜1933年)

オルセー美術館の中ほどの階、彫刻のテラスに立つ『シロクマ』は、高さ163センチ、長さ251センチ、奥行き90センチの石の像です。白いクマが頭を低く前に突き出し、太い脚で一歩ずつ進んでいます。毛並みは一切彫られず、体は大きな丸みのあるかたまりとしてまとめられています。オルセー美術館は、余計なものを省いたこの表現が、大きな寸法でこそ真の力を発揮すると説明しています。

同館の解説は、この像が逸話的なものから遠く離れ、時代を超えたもの、変わらないものを求めていると続けます。満ちた形の静かな外見の下で、なめらかな彫刻の世界は、普遍的な形へのあこがれが花開く場所になっている、というのです。コレットは、ポンポンの動物の「太く、音を立てない」脚にも心を打たれたといいます。

オルセー美術館の記録によると、この像は1927年に国の注文によって購入が決まったもので、注文額は2万5000フランでした。ジャーナリストのルイーズ・ワイスの働きかけがあり、石はダヴィッド・ヴェイユが寄贈しました。制作はポンポンのプラティシアンであるジャン=ジョアシャン・シュペリがマラコフで行い、1929年2月16日に納められています。同じ年の2月26日、リュクサンブール美術館の新しい展示室の開館にあわせて公開され、その後国立近代美術館を経て、1986年にオルセー美術館に移りました。

館林美術館も、白い大理石で作られた『シロクマ』(1923〜1933年)を所蔵しています。

晩年の動物たち(1920年代〜1933年)

成功の後も、ポンポンは動物を作り続けました。館林美術館によると、1933年に亡くなるまでの生涯に、約170種の動物彫刻と、70点弱の人物像などを生み出しています。

『ヒグマ』

フランソワ・ポンポン『ヒグマ』。頭を低く下げて歩く黒いブロンズのクマを横から写した写真。丸い背中と短い脚が、なめらかな面でまとめられている
フランソワ・ポンポン『ヒグマ(Ours brun)』ブロンズ、プティ・パレ(パリ市立美術館)/画像:Paris Musées(CC0)、出典:Wikimedia Commons

『ヒグマ』は、頭を低く下げて歩くクマを表した、高さ11センチほどの小さなブロンズ像です。丸く盛り上がった背中、短くて太い脚、前に下がった頭。シロクマと同じように、毛並みは省かれ、つややかな面の連なりでクマの重さと歩みが表されています。写真はパリのプティ・パレが所蔵する像で、館の記録では制作年は特定されていません。館林美術館も『ヒグマ』(1918〜1926年)を所蔵しています。

晩年のポンポンは、人物像も手がけていました。オルセー美術館は1932年の『Henri Deschamps』を所蔵しており、ソーリューの美術館の紹介ページには、ポンポンがキュイ=サン=フィアクルで少年デシャンの像を制作している写真が掲げられています。

『七面鳥(Dindon)』

フランソワ・ポンポン『七面鳥』。首をすくめて立つ七面鳥のブロンズ像。首と頭のまわりにだけ羽の凹凸が表され、胴体はなめらかにまとめられている
フランソワ・ポンポン『七面鳥(Dindon)』ブロンズ、プティ・パレ(パリ市立美術館)/画像:Paris Musées(CC0)、出典:Wikimedia Commons

『七面鳥』は、首をすくめて立つ七面鳥のブロンズ像です。首から頭にかけてだけ細かな凹凸が表され、胴体と尾はなめらかな一つのかたまりにまとめられています。省くところと残すところの差がはっきりしているため、七面鳥らしい姿がかえって強く伝わってきます。プティ・パレの記録では、高さは26センチで、制作年は特定されていません。

遺贈と「ポンポン美術館」(1933年〜)

ソーリューの美術館によると、ポンポンは1933年5月6日、78歳でパリで亡くなりました。

オルセー美術館の作品記録によると、ポンポンは1929年6月5日付の遺言で、アトリエに残した作品を国に遺贈していました。国は1933年8月14日にこれを受け入れ、作品を受け入れる場所としてパリの国立自然史博物館を選びます。ただ、すべてを展示するには場所が足りなかったため、作品は地方のいくつもの美術館に分けて預けられ、ルーヴル美術館が81点を手元に残しました。

オルセー美術館は現在も、『Goret』(1921年)や『Poule』(1912年)などの作品に加え、ポンポンの手帳(1930年、1932年)といった本人ゆかりの品や、資料(アーカイブ)を保管しています。

1934年1月13日、パリの国立自然史博物館内のポンポンの展示室を写した白黒写真。長い展示台に白い動物の像が並び、奥の窓辺にも陳列ケースがある
アジャンス・ロル撮影『13-1-34, M. Bollaert au musée Fr. Pompon (au Muséum d’histoire naturelle)』(1934年)フランス国立図書館/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

フランス国立図書館が所蔵するこの報道写真は、1934年1月13日、国立自然史博物館の中に設けられた「フランソワ・ポンポン美術館」の様子を写したものです。長い展示台に白い動物の像が並び、奥にも陳列ケースが見えます。

現在、ポンポンの作品はフランス各地で見ることができます。ディジョン市の公式YouTubeでは、ディジョン美術館に設けられたポンポンの展示空間と、作品『Grand-Duc』を紹介する動画を見ることができます。

Episode 7 : Grand-Duc, de François Pompon(Ville de Dijon公式YouTube)

生まれ故郷のソーリューには、17世紀の邸宅を使ったフランソワ・ポンポン美術館があり、館内の大きな部分がポンポンにあてられています。

日本とポンポン(群馬県立館林美術館)

日本でポンポンを語るうえで欠かせないのが、群馬県立館林美術館です。同館は、ポンポンの彫刻60点(大理石、生前に鋳造されたブロンズ、石膏、磁器、テラコッタなど)と素描7点に加え、亡くなった後のアトリエに由来する多くの資料を所蔵し、コレクションの核としています。

同館は、ポンポンを収集する理由を、館のテーマとの関わりから説明しています。毛並みを細かく再現する写実的な表現が伝統だった動物彫刻に、20世紀の初め、なめらかで洗練された形の美しさを生み出し、人の像より格が低いとされてきた動物彫刻の歴史に大きな革新をもたらしたこと。その意義と親しみやすさから、館のテーマである「自然と人間の関わり」を探るうえで大切な作家だと考えているのです。

館の敷地には、別館「彫刻家のアトリエ」があります。パリのアトリエの建物は現存しないため、別館はポンポンの故郷ブルゴーニュ地方の農家をイメージして建てられました。中では、1933年のポンポンの死の直後に撮られたアトリエの写真をもとに、彫塑台や家具などポンポンのアトリエに由来する資料と、模刻品やアンティークを合わせて、アトリエが再構成されています。館は、アトリエに残されていた型、道具類、家具、写真、手紙、絵はがき、手帳、名刺、雑誌や新聞の切り抜きといった多数の資料を所蔵し、その一部をここで常設展示しています。テーマを決めて、ケースの中で詳しく紹介する展示も行われています。

館林美術館は、作品の鋳造についても独自の方針をとっています。同館によると、ポンポンは遺言で、死後にブロンズを鋳造することを望まない考えを示していました。そのため同館は開館以来、遺言を尊重し、展示室では生前に鋳造された作品を展示しています。

一方で、当時は死後の鋳造に対する社会の考え方が今と違っていたこともあり、フランス国家も何点かの死後鋳造を認め、ポンポンの友人で遺言執行人だったルネ・ドゥムリスが進める形でも死後鋳造が行われました。館林美術館はフランスの関係機関で調査を行い、ポンポンの専門家リリアーヌ・コラ氏を招いて作品の現物調査もしています。死後に鋳造されたと考えられる34点は、生前の鋳造との比較や、作品が受け入れられてきた歴史の研究に役立つ資料として保存し、一部を「彫刻家のアトリエ」で展示しています。

同館のコレクションには、ほかにもインクで描いた素描『羽根をむしられて駆け回る雄鶏』(1910年)、銅板で作った『風見鶏』(1908〜1932年)、石膏の『大鹿』(1928〜1929年)、ブロンズの『ほろほろ鳥』(1910〜1912年)や『大黒豹』(1930〜1931年)などがあります。なお同館は、分福茶釜の伝説で知られる館林の茂林寺とポンポンには、特に関係がないと書き添えています。

2021年から2022年にかけては、開館20周年を記念した「フランソワ・ポンポン展 動物を愛した彫刻家」が国内を巡回しました。館林会場(2021年11月23日〜2022年1月26日)では、ディジョン美術館、ソーリューのフランソワ・ポンポン美術館、オルセー美術館の作品と館林美術館の作品を合わせ、初期から晩年までの石彫、ブロンズ、石膏、デッサン約90点が紹介されました。

館林会場ではさらに、館が所蔵するポンポン関連の資料から150点あまりが展示されました。ポンポンが集めた動物の写真や絵はがき、ポンポンが使った道具などを通して、動物彫刻が生まれた背景を紹介するものでした。

まとめ

いかがだったでしょうか。フランソワ・ポンポンの人生と作品について、ご紹介してきました。

ポンポンは1855年にブルゴーニュ地方のソーリューで生まれ、ディジョンとパリで学んだのち、ロダンやカミーユ・クローデル、サン=マルソーらのもとで大理石を彫る職人として長く働きました。若いころは『コゼット』のような人物像を作っていましたが、1900年代半ばから動物へと題材を移し、植物園や農場で動物の動きを見つめ続けました。

「ほとんどすべての飾りをつけたまま作り、少しずつ取り除く」というやり方で生まれたなめらかな形は、1922年のサロン・ドートンヌに出した実物大の『シロクマ』で一気に注目を集めます。このときポンポンは67歳でした。成功の後もアトリエで仕事を続け、約170種の動物彫刻を残しています。

オルセー美術館の『シロクマ』、各地の美術館のフクロウやバン、そして館林美術館の再現されたアトリエ。丸くてかわいらしいだけではない、動物の歩みや重さまで感じさせる形を、機会があればぜひいろいろな角度から眺めてみてください。

Euphoric " " の視点

ポンポンは長いあいだ、パリの彫刻家たちの工房で、ほかの作家の作品を形にする職人として働きました。動物の彫刻に向かったのは50歳のころ、実物大の『シロクマ』で広く認められたのは67歳のときです。

夏は農場、冬は植物園で動物を見つめ、ほとんどすべての飾りをつけたまま作ってから、少しずつ取り除いていく。そうして生まれたなめらかな形は、いまもパリや館林で多くの人を引きつけています。積み重ねた技と観察は、時間がかかっても生きる。ポンポンの歩みは、遅咲きを恐れなくてよいことを教えてくれます。

この作品を見に行くには

記事で紹介した作品は、次の館などで公開されています。展示替えがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。オルセー美術館は2026年3月から2028年夏まで受付まわりの改修工事を行っており、入館の条件が変わることがあります(2026年10月時点)。

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