【徹底解説】マン レイってどんな人?作品と人生を3分で理解しよう!

【徹底解説】マン レイってどんな人?作品と人生を3分で理解しよう!

こんにちは!ユアムーン株式会社 編集部です!

突然ですが、皆さんはマン レイという芸術家を知っていますか?

フランスで活躍したアメリカ人芸術家で、写真、絵画、映像など、様々な作品を作ったことで知られています。

この記事ではマン レイの『人生』と『作品』についてご紹介します!

マン レイとは?

マン レイ 基本情報

本名 マン レイ(Man Ray)
国籍/出身 アメリカ ペンシルベニア州
生年月日 1890年8月27日
分野/芸術動向 写真/ダダイズム/シュルレアリスム
学歴/出身大学など

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マン レイの作品

ニューヨークで芸術家を目指す

マン レイは1890年8月27日、アメリカ ペンシルベニア州に生まれました。

高校でデッサンと機械製図を学び、卒業後は出版社で働きながら絵画の制作を行います。画廊に通ったり、展示会に自身の作品を出したりするなどし、デュシャンなどの前衛芸術家と知り合い、様々な影響を与えられました。また、定期的に美術館にも足を運んでおり、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、カラヴァッジョなど、過去の巨匠たちの作品からも学んでいました。

Landscape

高校卒業後は、建築を学ぶために奨学金をもらうことが決まり、建築の道へ進もうとしていましたが、彼の芸術への愛情から芸術家としてのキャリアを選びました。最初は両親は反対していたものの、徐々に理解を示すようになります。初めはプロの画家になるために、4年間ニューヨークでイラストレーター、コマーシャルアーティストとして活動していました。

Landscape, 1914 - Man Ray

Glass tears 1932年

その後、マルセルデュシャンに感化されパリに渡ります。カンパーニュ・プルミエール通りに住みながら本格的に写真に傾倒していきました。マン・レイの作品はファッション雑誌などにも掲載されるようになり、写真家としての成功を収めました。

Glass tears, 1932 - Man Ray

出典:Man Ray, WIKIART, https://www.wikiart.org/

Solarisation 1931年

初期の頃のマン レイはキュービズムと表現主義的作品を制作していました。しかし、マルセル・デュシャンと出会うことで、ダダイズムに触発されるようになりました。最終的に、デュシャンとフランシス・ピカビアとともに、ダダイズムの第一人者となりました。

Solarisation, 1931 - Man Ray

出典:Solarisation, WIKIART, https://www.wikiart.org/

Ingres’ Violin 1924年

マン レイの写真の多くはダダ的作品とされており、パリで非常に人気を博しました。特に人気だった作品の一つが、最後に紹介している「Ingres’ Violin(アングルのバイオリン)」です。レイの当時の恋人であったキキを被写体として、その上に楽譜の記号のようなマークを描き、被写体を楽器のように見せました。非常に機知に富んでおり、フランスの新古典主義の画家、ドミニク・アングルから引用した作品と言われています。

Ingres' Violin, 1924 - Man Ray

出典:Ingres’ Violin, WIKIART, https://www.wikiart.org/

Prayer

シュルレアリスム運動が起こると、シュルレアリスム的作品を制作するようになり、パウル・クレーやパブロ・ピカソらと第1回シュルレアリスム展にも参加します。戦時中には一時的にアメリカに戻りましたが、1951年にパリに再び戻り、活動を再開。1976年11月18日にパリで亡くなりました。

Prayer, 1930 - Man Ray

出典:Prayer, WIKIART, https://www.wikiart.org/

まとめ

いかがでしたでしょうか?

マン レイは他のすぐ帰国してしまうアメリカ人芸術家とは異なり、20年以上フランスで活動していました。 パウル・クレーやピカソ、サルバドール・ダリ等とも交流があったことから、フランスの方が居心地が良かったのかもしれません。

今後も、様々なクリエイティブ情報を発信していきますので、よろしくお願いします!