みなさんはジャック・ベトリアーノを知っていますか?
印象派の流れとして紹介されることが多く、世界中から人気を集める画家です。現代を代表するアーティストであるにもかかわらず、実は美術大学はおろかまともに高等教育を受けていないそうです。
この記事ではジャック・ベトリアーノの作品を含め、異色の経歴も紹介していきます。
目次
ジャック・ベトリアーノってどんな人?
<名前>
Jack Vettriano/ジャック・ベトリアーノ
<国籍>
イギリス
<人生>
ジャック・ベトリアーノは1951年、イギリスのスコットランドのファイフという町に生まれました。幼少期は非常に貧しく、10歳のころから新聞配達や窓の掃除などをして家計を助けていました。アートとは全くの無縁の地域で、日本でいうところの下町のような場所で育ちました。16歳になると炭鉱技師の見習いとして働き始めます。
アーティストというと有名な美術学校を卒業しているように思いますが、彼は美術大学に通っていなかったようです。それどころか、21歳に当時の彼女から水彩絵具を誕生日プレゼントにもらい、そこで初めて本格的に絵を描き始めたといいます。
彼は、印象派の作品を模写することから絵を描き始めました。初めて描いた作品は、クロードモネの”Poppy Fields”と話しています。彼の初期に描いた模写は印象派のものがほとんどですが、これは彼の近くにあった図書館に印象派のアートブックがほとんどを占めていたためです。
その後1987年、36歳のときに仕事を辞め離婚し、エディンバラ大学とエディンバラカレッジオブアートの入試を受けました。しかし、提出したポートフォリオは不合格とされてしまいます。彼は、そのことに関して次のように述べています。
「不幸にも当然のことながら、教授は学生を自分のイメージに変えようとしていると思います。それは、彼らが自分の知識をあなたに伝えたいと思っているからです。もし、私が入学していたら、今の私はなかったでしょう。」
ジャック・ベトリアーノの代表作品(と人生)
The Letter
1988年、ロイヤルスコットランドアカデミーに二つの作品を出し、どちらもその日のうちに買い手がつきました。そこから彼のアーティストとしてのキャリアが始まり、ロンドン、エディンバラ、香港、ヨハネスブルグの四か所で展示会を開いた。
その後1990年にはニューヨークで初めての個展が開かれ、21作品が展示された。40人以上のコレクターがイギリスからニューヨークへと向かった。また、初日の夜には20作品がすでに売れてしまっているという、当時からすでに大衆に人気があったことをうかがわせる。
The Singing Butler
2012年には、彼の名作である”The Singing Butler”がアバディーンアートギャラリーにて展示されました。ゴッホからベトリアーノまでというテーマで展示され、印象派の一部として注目を集めています。
また、この作品はバンクシーのオマージュ作品としても使用されています。後ろのメイドが防護服の二人組に代わっており、元の絵とは違った文脈を作り出しています。
sweet bird of youth
彼の作品は大衆受けする一方で、アーティストやその界隈からは酷評を受けています。グラスゴースクールオブアートのアレクサンダー・モファットは「彼は絵を描くことができない。ただ色付けしているだけだ。(He can’t paint, he just colours in)」と批評しています。
また、当時、スコットランド国立近代美術館のディレクターであったリチャード・カルヴォコレッシは、「彼の人気はチープな商業的な絵のリプロダクションである。(His ‘popularity’ rests on cheap commercial reproductions of his paintings)」とまで述べています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、ジャック・ベトリアーノの代表作とその人生について記事をまとめました。
批評が大きく分かれるアーティストであるものの、彼の作品は大衆人気が根強くあります。今後、日本で展示会が開かれたときはぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
Euphoric””では、今後も数多くのアーティストをご紹介していくだけではなく、弊社デザイナーが使っているAdobeソフトのイラレやフォトショのチュートリアル、3Dプリンターの解説などを記事にしています。
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