【徹底解説】タイポグラフィーの父、ヤン・チヒョルトって?モダニズム進出とクラシズムへの回帰

【徹底解説】タイポグラフィーの父、ヤン・チヒョルトって?モダニズム進出とクラシズムへの回帰
TSCHICHOLD, JAN 1963 © ERLING MANDELMANN
http://www.erlingmandelmann.ch/

こんにちは、ユアムーン編集部です。

皆さんはヤン・チヒョルトという人物をご存知でしょうか。

チヒョルトは20世紀のタイポグラフィーデザインに最も影響を与えた人物の1人とも言われるカリグラファー、タイポグラファー、ブックデザイナーです。

彼は伝統的なタイポグラフィーから始まり、バウハウス展での構成主義者らの影響でモダンデザインに傾倒、今もなお高く評価されるタイポグラフィーの著書「Die neue Typographie」を出版するものの、ナチスが政権を握った後は一転してクラシックなタイポグラフィーに回帰していくという経歴を持っています。

今回はそんなヤン・チヒョルトの人生と経歴についてご紹介します!

ヤン・チヒョルトってどんな人?

TSCHICHOLD, JAN 1963 © ERLING MANDELMANN
http://www.erlingmandelmann.ch/
本名 ヤン・チヒョルト(Jan Tschichold)
生年月日 1902年4月2日
出身 ドイツ ライプツィヒ
学歴 ライプツィヒ芸術アカデミー
分野/芸術動向 カリグラファー、タイポグラファー、ブックデザイナー

経歴

生まれと環境

ヤン・チヒョルトは1902年4月2日にドイツのライプツィヒで生まれます。チヒョルトは父親が看板職人でカリグラファーだったことから幼い頃から活字に親しみがある生活を送っていました。

父親からカリグラフィーの実践的な教育を受けていたチヒョルトは1919年に「ライプツィヒ芸術アカデミー」に入学し、さらにカリグラフィー、タイポグラフィーのスキルを磨きにいきます。

学校ではその並外れた業績により、すぐに当時のライプツィヒ芸術アカデミーの校長であり、デザイナーであった「ヴァルター・ティーマン」の弟子となりゲブル・クリングスポール鋳造所のフォントデザイナーとして活躍しました。

同時期、「ライプツィヒ・メッセ」という大規模な見本市でチヒョルトは初めての依頼を受け、その後の1923年には印刷会社のタイポグラフィーコンサルタントとして独立します。

21歳にして職人的な経歴とカリグラフィーのスキルを持っていたチヒョルトは当時の他の著名なタイポグラファーとは一線を画す存在であり、多くのタイポグラファーが手漉き紙や特注のフォントを使うのに対し、チヒョルトは市販の紙から慎重に選び、手持ちのフォントを使うというこだわりがあったようです。

バウハウスとの出会い ー モダンデザインへの転向

English: Dessau-Bauhaus, 21 September 2014, 01:09:05, Own work, Spyrosdrakopoulos

これまで伝統的なタイポグラフィーの慣習に倣い依頼を受けていたチヒョルトは、1923年のワイマールでの「第1回バウハウス展」を訪れた際に、モホリ=ナジ・ラースローエル・リシツキーら構成主義者のその非装飾的で合理主義・機能主義的な理念に驚嘆し人が変わったとも言われるほどにモダンデザインへ傾倒していくことになります。

2年後、チヒョルトは雑誌「Typographische Mitteilungen」の特集号で「elementare typographie」というタイトルで、従来のタイポグラフィーの図式を打ち破る新しいアプローチを論文として発表します。

これは当時のデザイン界を騒然とさせ、中央寄せの活字、「時代遅れ」の活字体、豪華な装飾などの伝統的なデザインの流れを変えていくことになります。

そして1928年、チヒョルトはタイポグラフィーの新たなアイデアを全面的に扱ったデザイナーのためのタイポグラフィーのマニュアル「Die Neue Typographie」を出版します。

この本でチヒョルトはサンセリフ以外の全ての書体を非難し、中央揃えでないデザインを支持しました。

チヒョルトが「Die Neue Typographie」で提唱するタイポグラフィーのテーゼ

チヒョルトはモダンデザインの機能的なタイポグラフィーは、活字組版と印刷の実務の負担を大幅に軽減し簡素化するものだと考え、タイポグラフィーデザインに関するテーゼを以下のようにキャッチーで実用的な方法で定式化しました。

  • できるだけ少ない書体と書体サイズを使用すること。
  • イタリック体とセミボールド体は活字のマーキングに適している。
  • 大文字は滅多に使わず、使うときは必ずブロック体で。

これらのテーゼは瞬く間に広まり、現在でも適用できる「ルール」としてタイポグラフィーデザイン界に影響を与えています。

彼曰く新しいタイポグラフィーの本質は「明瞭さであり、「美」を目的とする古いタイポグラフィーとは意図的に対立するものである。

タイポグラフィーの目的は「最も短く」「最も効率的」な方法でメッセージを伝えることであり、余白は受動的に生まれるものではなく、能動的に生まれる要素として見なされるべきである。

そしてアシンメトリーは機能的なデザインのリズミカルな表現であり、論理的であることに加え、その完全な外観はシンメトリーよりもはるかに視覚的に効果的であるという利点がある、と語っています。

ナチス政権による糾弾とクラシズムへの回帰

1933年にヒトラーが当選し、ナチス政権が始まると文化省は全てのデザイナーに文化省への登録を義務付け、共産主義のシンパサイザーは教職に就くことを禁じられます。

ナチス政権に反抗的で敵対的だったチヒョルトはタイポグラファーであるポール・レナーからの頼みでミュンヘンで教職に就くことに成功しますが、チヒョルトの左右非対称のデザインを嫌ったナチスはすぐに「文化的ボリシェヴィスト」として2人と、チヒョルトの妻までを逮捕します。

チヒョルトは逮捕の際、彼のアパートからソ連のポスターが発見されたことから共産主義者との関係が疑われて監視の目にさらされることになり、ナチスの秘密国家警察ゲシュタポは「ドイツ国民保護のため」彼の著書を全て押収してしまいました。

しかし、6週間後チヒョルトは警察官が彼と家族にスイス行きの切符を用意してくれたおかげでナチスの支配から逃れることができました。

この頃からチヒョルトは厳格なデザイン哲学やバウハウスからの影響を受けたモダンデザインを徐々に捨てていき、クラシックなタイポグラフィーに回帰していきます。

彼曰く、自身の「Die neue Typographie」は極端すぎたと非難し、モダニズムのデザイン理念は国家社会主義やファシズムに類似した権威主義的なものであり、多かれ少なかれ軍国主義的な線の配置であると糾弾します。

そして1938年以降彼の作品のほとんどが中央揃えで制作されるようになり、「私の誤りは想像以上に肥沃であった…私の現在の知識に照らせば、サンセリフを最も相応しい、あるいは最も現代的な書体と考えるのは稚拙な意見であった。」と語っています。

これを受けて、サンセリフ体と非対称のタイポグラフィーしか許されないという以前のチヒョルトの主張を疑うことなく受け入れていたかつての弟子たちからは痛烈な攻撃を受けたといいます。

ペンギン・ブックスに入社 デザインルールを定める

1947年から1949年の間、イギリスに滞在したチヒョルトはロンドンにある出版社「ペンギン・ブックス」に入社しペンギン・ブックスから出版された500冊の文庫本のデザイン変更を監督し、タイポグラフィーの標準ルール「Penguin Composition Rules」を残しました。

このルールは編集者と組版担当者のための組版指南書として4ページの小冊子にまとめられており、ペンギン・ブックスの既存のブックカバーの要素を取り入れ、視覚的に洗練させたもので表紙にはサンセリフ体のGill Sansを使用し、等間隔に配置することが意識されています。

ペンギン・ブックスのブックカバーデザイン変遷
左から1937年、1955年、1969年、2007年
WIKIPEDIA, https://en.wikipedia.org/

スイスに戻り、仕事を続ける

1949年、スイスに戻ったチヒョルトはタイポグラフィーの巨匠、作家、教育者としての仕事を続け、書体デザイナーとしても活動していた彼は1966年に「Sabon」という今もなお使われ続ける書体を制作します。

Sabonはモノタイプとライノタイプの両方で同じ製版ができる書体としてデザインされ、後にLinotype社からSabonの「解釈」として「Sabon Next」という書体が発売されました。

晩年

チヒョルトはナチス政権から逃れるためにスイスに移住した後、ペンギン・ブックスでの仕事のためのイギリス滞在などを除けば生涯をスイスで暮らし1974年、ロカルノの病院で亡くなりました。

まとめ

いかがでしたか?

今回はドイツのタイポグラフィーの巨匠、ヤン・チヒョルトの人生と経歴についてご紹介しました。

モダニズムへの傾倒から、クラシズムへの回帰、そしてペンギン・ブックス社ではサンセリフ体のGill Sansを使用する、といった時代によってデザインの傾向がガラッと変わる人物でしたが、彼の提唱したデザイン哲学は今でも引き継がれており、タイポグラフィーの歴史に大きな爪痕を残す存在であったことは確かです。

ヤン・チヒョルトについて気になったかたはさらに深掘りしてみてはいかがでしょうか?



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