みなさんはジュディ・シカゴを知っていますか?
ジュディ・シカゴはインスタレーションアーティストとして活躍しています。
彼女はインスタレーションアーティストとして活躍する一方、カルフォルニア州立大学フレズノ校でアメリカ初のフェミニストアートの授業を確立し、本の出版なども行っています。彼女はタイムズマガジンで2008年に世界で最も影響力のある100人にも選ばれています。
この記事ではジュディ・シカゴの『人生』と『代表作品』についてご紹介します!
目次
ジュディ・シカゴってどんな人?
<名前>
ジュディ・シカゴ(Judy Chicago)
※1970年以前はジュディ・シルビア・コーエン(Judith Sylvia Cohen)と名乗っていました。
<国籍>
アメリカ合衆国
<人生>
ジュディ・シカゴ(Judy Chicago)は、1939年7月20日にアメリカのイリノイ州シカゴに、ジュディ・シルビア・コーエン(Judith Sylvia Cohen)として生まれました。彼女の父はマルクス主義の人間で、郵便局に従事、母は元ダンサーで医療秘書として働いていました。父は女性への平等な労働の権利を主張するアメリカ共産党を支持しており、ジュディ・シカゴがフェニミストになったのはこのことが関係しているとされています。
ジュディ・シカゴは3歳の頃から絵を描き始め、5歳の頃にシカゴ美術館で本格的に芸術を学び始めました。そして大学の進路を選ぶ際に、Art Institute of Chicagoを志望しておりましたが、申請を拒否され、奨学金を得てカルフォルニア大学ロサンゼルス校へ進学しました。そこでは車体製造、ボート製造、花火制作の授業を受講しており、それらのスキルは将来、彼女の作品制作に大きく影響しました。車体製造は作品のスプレー塗装、ボート製造は彫刻制作、花火制作はパフォーマンス作品である花火の制作に役立ちました。
ジュディ・シカゴがフェミニストとしてより意識し始めたのは大学時代で、カルフォルニア大学で彼女は政治に興味を持ち始めました。彼女は将来の夫となり、名前をジュディ・シルビア・コーエンからジュディ・シカゴと改名するきっかけとなったジェリー・ゲロヴィッツ(Jerry Gerowitz)と出会い、1960年に美術学位を取得後、1961年に結婚しました。しかし、3年後にジェリー・ゲロヴィッツは交通事故でなくなってしまいます。
ジュディ・シカゴは夫の死をきっかけに、底知れない悲しさに満ち、自身の名前であるコーエンにつながりを感じなくなっていましました。そこで彼女は自身の名前を変えることを決心し、彼女が 所属していた展示会のオーナーであるロルフ・ネルソン(Rolf Nelson)によって、彼女がシカゴ訛りの英語を話していたことからジュディ・シカゴと名付けられました。
1970年にジュディ・シカゴは、フレズノ州立大学でフルタイムで働く教員として従事し始めました。彼女はそこで女性だけが参加できるフェミニストアートの授業をアメリカで初めて行いました。その授業は男性のと距離を保つために、メインのキャンパスとは離れた場所で行われたそうです。
その後、彼女はカリフォルニア芸術大学の教師となり、彼女の代表作である「Womanhouse」や「The Dinner party」などの制作に取り組みました。
以下の動画では、TATEによるジュディ・シカゴのインタビューを見ることができます!
インスタレーションアートってなに?
インスタレーションアートとは、観客が見るだけではなく、歩き回ったり触ってみるなどの実体験を通して芸術を感じることに焦点が当てられています。
そのため、絵画ではなくのような媒体ではなく、美術館や展示会の部屋全体を作品として使います。
インスタレーションは歩き回ったりできる作品が多いですが、実は壊れやすいために入口からしか見れない作品も存在します。
▼インスタレーションアートについて、以下の記事でくわしく解説しています!
【まるっと理解!】インスタレーションアートってなんですか?
ジュディ・シカゴの代表作品
Womanhouse
この作品は、1971年にカリフォルニア大学でジュディ・シカゴとミリアム・シャピロ(Miriam Shapiro)によって制作され、フェミニストアートで初めて展示された作品となっています。Womanhouseの内部は家事、結婚、月経など女性に起こる出来事を表現しています。この作品は3つの目的があります。1つ目は女性に「働く」という概念を実感させること。2つ目は作品制作の技術を作品を通して教えること。3つ目はアーティストとして自分の実力を試させることでした。
The Dinner party
この作品はジュディ・シカゴの最も有名な作品で、現在はブルックリン美術館に展示されています。この作品の制作には5年もの年月、約25万ドルもの費用、約400人ものボランティアの人員がかけられています。1辺に13人の女性が表現されており、テーブルの土台には999人の女性の名前が刻まれています。そしてテーブルの上の皿には女性の陰部などのポルノ作品が置かれていたりします。この作品はフェミニストの世界観を表現しており、39人の女性がテーブルを囲んでいる様子が想起されます。
まとめ
いかがでしたでしょう?
ジュディ・シカゴは女性差別がまだ存在していた時代に、アートを通してそのような現状を変えようとしてきました。彼女の人生を見ていると、社会的な女性の権利を主張しつつ、彼女も自身のアイデンティティとは何なのかという問題に悩まされ続けていたのかなと思いました。
しかしその苦悩の答えは、彼女の素晴らしい作品に大きく現れていると思います。
皆さんもブルックリン美術館に足を運ぶ機会があれば、是非ジュディ・シカゴの作品「The Dinner Party」を見てみてくださいね!
参考文献
TOP画像:BAZAAR|Art Pioneer Judy Chicago Is the Feminist We All Need