こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんはシルド・メイレレスという人物をご存知ですか?
シルド・メイレレス(Cildo Meireles)は、1948年にブラジルのリオデジャネイロで生まれた美術家です。ロンドンのテートは、メイレレスをコンセプチュアル・アート(作品の「考え」を何よりも重んじる美術)の国際的な展開を率いた一人として紹介しています。コカ・コーラの瓶や紙幣に言葉を書き込んで世の中に戻した『Insertions into Ideological Circuits』(イデオロギーの回路への挿入)、800台を超えるラジオを積み上げた塔『Babel』などで知られています。
指輪ほどの小さな作品から、225平方メートルに広がる部屋全体の作品まで。メイレレスの作品は大きさも素材もさまざまですが、見る人の体と感覚を作品の中に引き込む点で共通しています。本記事ではそんなシルド・メイレレスの人生と作品についてご紹介します。
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Toggleシルド・メイレレスって?

基本情報
| 本名 | シルド・メイレレス(Cildo Meireles) |
| 生年月日(没年月日) | 1948年生まれ(2026年10月時点で存命) |
| 国籍・出身 | ブラジル/リオデジャネイロ |
| 学歴 | 1963年からブラジリアの連邦区文化財団(Fundação Cultural do Distrito Federal)で美術を学ぶ。ペルーの美術家フェリックス・バレネチェアに学ぶ |
| 分野 | インスタレーション、彫刻、オブジェ、ドローイング |
| 傾向 | コンセプチュアル・アート。見る人の参加と、視覚以外の感覚を作品に取り込む |
| 師事した人物・影響を受けた人物 | フェリックス・バレネチェア。同じブラジルのエリオ・オイチシカ、リジア・クラーク、リジア・パペらが切り開いた前衛美術の流れに連なる |
| 主な受賞 | ベラスケス造形芸術賞(スペイン、2008年)、ロスヴィータ・ハフトマン賞(スイス、2023年) |
メイレレスと同じく「考え」を作品の中心に置いた作家や、コンセプチュアル・アート、インスタレーションについては、以下の記事でも詳しくご紹介しています。
経歴と作品
リオデジャネイロからブラジリアへ(1948年〜1960年代)
シルド・メイレレスは1948年、ブラジルのリオデジャネイロに生まれました。ブラジルの美術館イニョチン(Inhotim)の作家紹介によると、1963年に首都ブラジリアの連邦区文化財団で美術を学び始めています。メイレレスを長く扱うサンパウロの画廊ルイーザ・ストリーナの経歴では、同じ1963年にブラジリアでペルーの美術家フェリックス・バレネチェアに学んだと記されています。
イニョチンは、メイレレスを「1960年代の終わりからコンセプチュアル・アートの影響を受けたブラジルの美術家の世代」に属する作家と位置づけています。その作品は、日々のささいな行動や小さな「ずらし」を出発点にしながら、社会、政治、経済、歴史の問題を扱ってきました。
1971年から1973年にかけてはニューヨークで暮らしました(ルイーザ・ストリーナの経歴による)。その後はリオデジャネイロを拠点に、現在まで制作を続けています。
コンセプチュアルアートってなに?
コンセプチュアル・アートとは、1960年代の後半から広がった、作品の形や技術よりも、作品を成り立たせている「考え」を重んじる美術の動きです。絵画や彫刻という決まった形にとらわれず、言葉、写真、日用品、行為などが作品になりました。
メイレレスのコンセプチュアル・アートには、はっきりした特徴があります。2013年にメイレレスの個展を開いたスペインのソフィア王妃芸術センターは、メイレレスが1960年代の終わりから、見る人の感覚的な体験、社会の中の思想や経済の流通のしくみの批判的な利用、そして世界との倫理的なつながりをもとに、コンセプチュアル・アートを捉え直してきたと説明しています。
同センターは、その仕事を、エリオ・オイチシカ、リジア・クラーク、リジア・パペらブラジルの作家たちが20世紀後半に進めた「近代の見直し」を広げるものとも位置づけています。頭で考える作品でありながら、体で感じる作品でもある。この二つが重なるところに、メイレレスの作品の面白さがあります。
紙の上の空間と国境(1967年〜1969年)
メイレレスの初期の仕事の一つが、方眼紙に描いたドローイングの連作『Virtual Spaces: Corners(Espaços Virtuais: Cantos)』(1967〜1968年)です。テートの2008年の展覧会の発表資料は、この連作を、空間と大きさを探る仕事として紹介しています。ソフィア王妃芸術センターは、同じ系列の『Virtual Volumes』とあわせて、抽象美術の言葉をメイレレスが自分なりに定義し直した例として挙げています。
1969年には、『Geographical Mutations(Mutações Geográficas)』や『Physical Art(Arte Física)』の作品群を手がけます。テートは、これらを広大な国土を持つブラジルにおける距離と境界についての考察だと説明しています。地図の上の線や、ものとものとの間の距離を、作品として扱ったのです。
同じころの小さな作品群『Condensations(Condensado)』について、テートは「作品の力は大きさに制限されない」ことを示すものだと述べています。小さなものにも大きな広がりを込められるという考え方は、その後の巨大なインスタレーションにも通じています。
流通の中に言葉を「挿入」する(1970年)
メイレレスの名前を世界に知らせたのが、1970年の『Insertions into Ideological Circuits(Inserções em Circuitos Ideológicos)』です。テートの解説によると、メイレレスはこのプロジェクトを、1970年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開かれたコンセプチュアル・アートの展覧会「Information」のために構想しました。当時のブラジルは軍事政権のもとにあり、表現は厳しく検閲されていました。
このプロジェクトは、二つの作品からできています。どちらも、ものが人から人へ渡っていく「流通」の仕組みそのものを、作品を運ぶ道具として使っている点が特徴です。
『Insertions into Ideological Circuits: Coca-Cola Project』(1970年)
一つめはコカ・コーラの瓶を使った作品です。当時、空になった瓶は回収され、中身を詰め直して再び出回っていました。テートの展示解説によると、メイレレスはこの瓶の再利用の仕組みを、政治的なメッセージをひそかに流通させる手段として捉えました。テートの解説によると、メイレレスは出回っている瓶を手に入れ、批判的な政治的メッセージを書き加えてから、ふたたび流通の中に戻しました。
メッセージは、透明なラベルに白い文字で印刷され、瓶の側面に貼られました。瓶には「Yankees Go Home」のような言葉に続けて、作品名と、メイレレスの目的を述べた一文「瓶に情報と批判的な意見を記録し、流通に戻すこと」が記されています。
この作品の巧みさは、文字の見え方にあります。テートの解説では、黒褐色の中身が減っていくにつれて白い文字はだんだん見えにくくなり、瓶が詰め直されると再び読めるようになると説明されています。中身が詰まった瓶を手に取った人だけが、そこに書かれた言葉に気づくのです。
テートの展示解説は、メイレレスがこの瓶を「難破した人が海に投げる瓶の中の手紙」になぞらえたことも紹介しています。作品は美術館の中ではなく、町の中を移動しながら働いていました。
『Insertions into Ideological Circuits 2: Banknote Project』(1970年)
二つめは紙幣を使った作品です。テートの解説によると、メイレレスは紙幣にスタンプでメッセージを押し、ふつうの流通に戻しました。片面にメッセージを、もう片面に作品名と目的の一文を押しています。メッセージには、民主主義と政治的な自由を求める言葉や、英語とポルトガル語の言葉が含まれていました。
テートは、メイレレスから寄贈された27枚の紙幣を所蔵しています。当時のブラジルの通貨クルゼイロの紙幣のほか、米ドル紙幣も含まれます。ただしテートの展示解説によると、メイレレスにとって美術館に並ぶ紙幣は「記録」にすぎず、作品が本当に働くのは、紙幣がお金として使われるときです。メイレレスは、ほかの人がどこの国の紙幣にでも自分のメッセージを押して、このプロジェクトに参加することを歓迎しているとも記されています。

テートの解説が引用するメイレレス自身の言葉によると、このプロジェクトは、どんな中央の管理にも頼らない情報の流通と交換の仕組みをつくる必要から生まれました。新聞、ラジオ、テレビは多くの人に届きますが、その流通には必ず情報の管理と方向づけがある、とメイレレスは述べています。そして「作品は、ほかの人々が参加する限りにおいてのみ存在する」とも語っています。
瓶や紙幣は、誰が次に手にするかを選べません。作者が配る相手を決めない代わりに、社会にもともとある流れが、言葉を遠くまで運んでいきます。美術館や画廊を通らずに作品を人々に届けるこの方法は、作品とは何か、どこにあるのかという問いを、とても具体的なかたちで示しました。
テートの2008年の発表資料によると、メイレレスはこの後も、お金を題材にした『Zero Cruzeiro』(1974〜1978年)と『Zero Dollar』(1978〜1984年)のプロジェクトに取り組み、2008年の展覧会でも『Insertions into Ideological Circuits』とあわせて展示されました。
見えない重さを感じる部屋(1970年〜1975年)
メイレレスは、目に見えるものと、体で感じるものとのずれを作品にしてきました。その代表が、テートが所蔵する『Eureka/Blindhotland』です。
『Eureka/Blindhotland』(1970〜1975年)
テートの解説によると、この作品は暗い部屋に置かれたインスタレーションです。部屋の中央では、支柱の上に載った大きな天秤にスポットライトが当たっています。天秤の片方の皿には、2本の四角い木の棒が平行に立てられ「=」の記号のように見え、もう片方の皿では、同じ棒が「×」の形に組まれています。天秤は釣り合っています。
床には、同じ大きさの黒いゴムのボールが200個、高い網で四角く囲まれた中に散らばっています。見た目はどれも同じですが、重さは150グラムから1,500グラムまでばらばらです。テートの解説は、天秤と木の棒が「Eureka」、ゴムのボールが「Blindhotland」にあたると説明しています。部屋には、ボールを落とした音を録音した『Expeso』という音の作品も流れます。

見ただけでは、どのボールが重いのか分かりません。手に取り、音を聞いて初めて違いに気づきます。テートが引用する1975年のメイレレスの文章によると、「Blindhotland」は1970年に始まった一連の作品の総称で、視覚の優位が退き、聴覚、嗅覚、味覚、密度や熱の感覚を通した「盲目の」知覚に置き換わっていくものだといいます。
出発点になった1970年の『Eureka』は、2本の木の棒を十字に組んだだけの作品でした。テートによると、メイレレスはアルキメデスの密度の公式(密度は質量を体積で割ったもの)からこの着想を得ています。
赤い部屋『Desvio para o vermelho』(1967年〜1984年)
メイレレスの作品の中でも特によく知られているのが、部屋全体を使った『Desvio para o vermelho(Red Shift)』です。イニョチンの解説によると、題名にある二つの年は、構想した1967年と、リオデジャネイロ近代美術館で初めて組み立てた1984年を表しています。2006年からはイニョチンで常設展示されています。
作品は三つの空間に分かれています。一つめの部屋『Impregnação』には、家具や日用品、美術作品まで、赤い色合いのものだけが集められ、ふつうの住まいのように整えられています。二つめの薄暗い空間『Entorno』では、小さな瓶からこぼれた赤い液体が、瓶の大きさからは考えられないほど大きく床に広がっています。その液体をたどっていくと、三つめの真っ暗な部屋『Desvio』にたどり着きます。暗闇を破るのは、本来の場所から外されたように置かれた流しだけで、そこから赤い水が流れ続け、その水音が空間を満たしています。
イニョチンは、この題名が物理学の「赤方偏移」(遠ざかる天体の光が赤い側にずれて見える現象)にちなむと説明しています。一色に塗りつぶされた部屋の中で、見る人の目は少しずつ慣れ、感覚がずれていきます。部屋をめぐる体験そのものが、作品になっているのです。
迷路とボール(1980年代〜1990年代)
1980年代から1990年代にかけて、メイレレスは見る人が中を歩き、通り抜ける大規模なインスタレーションを次々に発表します。
『Através』(1983〜1989年)
『Através(Through)』は、イニョチンの表記で600×1500×1500センチに及ぶ、迷路のような作品です。テートの2008年の発表資料によると、見る人はさまざまな「仕切り」の間を進み、その中心では、くしゃくしゃに丸めたセロハンでできた巨大な球『Clear Sphinx』が光っています。
イニョチンの解説では、メイレレスは格子、フェンス、針金といった身近な素材で仕切りを組み、見る人がその間を歩いて抜けられるようにしています。床は割れたガラスの破片で覆われ、歩くたびに鳴る音が、空間の響きをつくります。イニョチンによると、この作品は、家の中と通りの間を自由に行き来できた子ども時代の記憶と、そうした空間が見張りの仕組みに囲まれていった時代との対比を出発点にしています。
向こう側は透けて見えるのに、まっすぐには進めない。見えることと通れることのずれを、体で確かめる作品です。

『Glove Trotter』(1991年)
『Glove Trotter』は、台の上に置いた大小さまざまなボールを、ステンレスの網ですっぽり覆った作品です。イニョチンの解説によると、ボールは色も素材も違い、メイレレスが長い年月をかけて集めたものです。網がボール全体をひとつにまとめ、月面のような起伏のある風景が生まれています。
イニョチンは、この作品が体積、重さ、重力といった彫刻の古典的な問題から出発しつつ、地理や天文学への連想も取り込んでいると説明しています。題名は、世界中を旅する人を意味する「globe trotter」をもじり、ボールを包む網を手袋(glove)になぞらえた言葉遊びです。1992年から1993年にかけて各地を巡回した展覧会「Latin American Artists of the Twentieth Century」で初めて展示され、最後の会場はMoMAでした。

家具の塔とラジオの塔(1980年代〜2000年代)
メイレレスは、ありふれた家具や家電を大量に、あるいは思いがけない組み合わせで使うことで、見慣れたものを別の姿に変えてきました。
『Inmensa』(1982〜2002年)
イニョチンの庭園に立つ『Inmensa』は、高さ8メートルの耐候性鋼(コールテン鋼)の彫刻です。イニョチンによると、1982年に木でつくった同名の作品をもとに、形と素材を変えて新たにつくったものです。
大きさや比率の違うテーブルと椅子が、積み木のように重なっています。ふつうの建物とは逆に、小さくて軽い部材が、大きくて重い部材を支えています。題名は、ラテン語で「テーブルの上に」を意味する「in mensa」と、「巨大な」を意味する言葉の響きを重ねたものだとイニョチンは説明しています。上下関係や釣り合いといった物理の考え方を、社会や権力の構造について考えるきっかけへと広げた作品です。

『Babel』(2001年)
テートが所蔵する『Babel』は、何百台もの中古のアナログ・ラジオを層のように積み上げた、円い塔のかたちの大きなインスタレーションです。テートの2008年の発表資料では、ラジオの数は800台を超えるとされています。
テートの解説によると、ラジオはそれぞれ別の放送局に合わせられ、聞き取れるぎりぎりの小さな音量に調整されています。それでも音は互いに重なり合い、低く続くざわめきになって、一つひとつの情報や声や音楽は聞き取れなくなります。題名は、人々が互いの言葉を理解できなくなったという「バベルの塔」の物語にちなんでいます。

2026年10月時点で、テートの作品ページでは『Babel』はテート・モダンの展示室「Media Networks」で展示中と表示されています。
本の海と、混ざり合う感覚
メイレレスは、数の多さそのものを体験に変える作品も手がけています。ソフィア王妃芸術センターの2013年の個展案内によると、『Marulho』では、海の水面を写した写真を載せた1万7,000冊を超える本で、海の姿をつくり出しています。
同じ案内は、メイレレスの作品のもう一つの特徴として「共感覚」を挙げています。音と目に見える面、あるいは視覚と味覚や温度の感覚といった、別々の感覚が結びつき、重なり合う作品です。その例として挙げられているのが『Entrevendo』です。テートの2008年の展覧会も、歩いて通り抜ける多感覚の空間『Volátil』(1980〜1994年/2008年)で締めくくられました。
重さ、音、色、手ざわり。メイレレスの作品は、目で見るだけでは完結しません。だからこそ、写真で見るのと実際にその場に立つのとでは、受け取るものが大きく違います。
世界の美術館での評価
メイレレスの作品は、世界の主要な美術館と国際展で紹介されてきました。ルイーザ・ストリーナの経歴によると、ヴェネチア・ビエンナーレ、サンパウロ・ビエンナーレ、ドクメンタ(第9回・第11回)などに参加し、1999年にはニューヨークのニュー・ミュージアムで回顧展が開かれています。
2008年には、テート・モダンで大規模な個展が開かれました。テートの発表資料は、これを英国で初めての本格的な紹介と位置づけ、8点の大型インスタレーションを集めたと記しています。展覧会はその後、バルセロナ現代美術館、ヒューストン美術館、ロサンゼルス・カウンティ美術館、オンタリオ美術館を巡回しました。イニョチンは、メイレレスがテート・モダンで回顧展を開いた、エリオ・オイチシカに次ぐ2人目のブラジル人作家だと紹介しています。
同じ2008年には、スペインのベラスケス造形芸術賞を受けました。2013年から2014年にかけては、ソフィア王妃芸術センター、ポルトのセラルヴェス現代美術館、ミラノのハンガービコッカで個展が巡回しています。2023年には、スイスのロスヴィータ・ハフトマン財団から、ロスヴィータ・ハフトマン賞を贈られました。
ブラジルのイニョチンには、2004年に開館したメイレレスの作品専用の展示館があり、『Através』『Desvio para o vermelho』『Glove Trotter』の3点が、それぞれ独立した部屋で展示されています。
テートは、メイレレス本人が自らの人生と作品を語る2008年制作のドキュメンタリーを公式YouTubeで公開しています。
年表で見るシルド・メイレレス
| 1948年 | リオデジャネイロに生まれる |
| 1963年 | ブラジリアの連邦区文化財団で美術を学び始める |
| 1967〜1968年 | 方眼紙のドローイング『Virtual Spaces: Corners』 |
| 1970年 | 『Insertions into Ideological Circuits』(MoMAの展覧会「Information」のために構想) |
| 1970〜1975年 | 『Eureka/Blindhotland』 |
| 1971〜1973年 | ニューヨークで暮らす |
| 1984年 | 『Desvio para o vermelho』をリオデジャネイロ近代美術館で初めて組み立てる |
| 1983〜1989年 | 迷路のインスタレーション『Através』 |
| 1991年 | 『Glove Trotter』 |
| 1999年 | ニュー・ミュージアム(ニューヨーク)で回顧展 |
| 2001年 | ラジオの塔『Babel』 |
| 2004年 | イニョチンにメイレレスの作品専用の展示館が開館 |
| 2008年 | テート・モダンで個展。ベラスケス造形芸術賞 |
| 2013〜2014年 | ソフィア王妃芸術センターなどで個展が巡回 |
| 2023年 | ロスヴィータ・ハフトマン賞 |

まとめ
いかがだったでしょうか。シルド・メイレレスの人生と作品について、ご紹介してきました。
メイレレスは1948年にリオデジャネイロで生まれ、1960年代の終わりから、コンセプチュアル・アートを見る人の感覚と結びつけて捉え直してきました。1970年の『Insertions into Ideological Circuits』では、コカ・コーラの瓶や紙幣という、社会の中をもともと流れているものに言葉を書き込み、美術館を通さずに作品を人々の手に届けました。
その後も、重さの違うボールを並べた『Eureka/Blindhotland』、赤一色の部屋『Desvio para o vermelho』、ガラスの床を歩く迷路『Através』、800台を超えるラジオの塔『Babel』と、目で見るだけでは終わらない作品をつくり続けてきました。2008年のテート・モダンでの個展、ベラスケス造形芸術賞、2023年のロスヴィータ・ハフトマン賞など、その仕事は世界で高く評価されています。
メイレレスの作品の多くは、その場に立ち、歩き、耳を澄ませて初めて完成します。機会があれば、ぜひ作品の中に入って、重さや音や色がどう感じられるかを確かめてみてください。
Euphoric " " の視点
メイレレスは、コンセプチュアル・アートを見る人の感覚と結びつけて捉え直してきました。コカ・コーラの瓶や紙幣という、社会の中をもともと流れているものに言葉を書き込んだ1970年の作品は、美術館の外の仕組みそのものを作品の通り道に変える発想でした。
重さの違うボール、赤一色の部屋、ガラスの床を歩く迷路、800台を超えるラジオの塔。その作品の多くは、その場に立ち、歩き、耳を澄ませて初めて完成します。目で見るだけでなく体全体で受け取る経験は、作品と向き合う時間の豊かさをあらためて教えてくれます。
この作品を見に行くには
記事で紹介した作品は、次の館などで公開されています。2026年10月時点で、テートの作品ページでは『Babel』がテート・モダンで展示中と表示されています。展示替えがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。






