【徹底解説】マックス・エルンストってどんな人?人生と作品を紹介

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こんにちは、ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんは、マックス・エルンストというアーティストをご存知でしょうか?

エルンストは第一次世界大戦で砲兵師団の兵士として出兵し、心に深い傷を負うものの、その経験とフロイトの精神分析を応用して、シュルレアリスム作品を多く制作したアーティストです。

今回はそんなエルンストの人生を作品と併せてご紹介していきます!

マックス・エルンストってどんな人?

基本情報

本名 マクシミリアン・マリア・エルンスト(Maximilian Maria Ernst)
生年月日 1891年4月2日
出身 ブリュール ドイツ
分野/芸術動向 ダダ、シュルレアリスム
公式サイト https://www.max-ernst.com/

生まれと環境

マックス・エルンストは、ドイツのケルン近郊のブリュールにて、厳格なカトリック教の家庭に生まれました。

エルンストの父親は聴覚障害者でしたが、教師であり、アマチュアの画家で、幼少期のエルンストは特に絵画に関する様々なことを父親から学びました。

出典:University Bonn, WIKIMEDIA, https://commons.wikimedia.org/

1909年、エルンストはボン大学に入学し、哲学を学びますが、彼が精神病院を訪れた際に見た精神病患者の描く芸術作品に魅了され、彼の関心はより芸術に傾き、ボン大学を中退します。

彼は絵画に関係する様々なものに興味を持ち、心理学などにも興味を持ったそうです。

エルンストはこのころから絵を描き始め、自身の肖像画などを制作しました。

初期の作品は表現主義やキュビズムの特徴がみられます。

第一次世界大戦で徴兵される

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1914年、エルンストはケルンでハンス・アルプに出会いました。

二人はすぐに友達となり、その関係は50年も続くことになります。

同年8月、第一次世界大戦が勃発すると、エルンストは砲兵師団の一員としてドイツ軍に徴兵されます。

この戦争がエルンストに与えた影響はとても大きく、自伝の中で彼は軍隊時代のことをこう語っています。

1914年8月1日、マックス・エルンストは死んだ。彼は1918年11月11日に復活した。

しかし、西部戦線でエルンストは短期間、地図の作成に従事しており、そのおかげで絵を描き続けることができたといいます。

第一次世界大戦では、マッケやフランツ・マルクなどのドイツの表現主義画家が何人も戦死しました。

戦争の経験により、エルンストは現代社会を不合理なものとして捉えるようになり、その思いが彼の後の芸術作品の基礎となります。

夢と幻想に惹かれる

1919年、エルンストはミュンヘンのパウル・クレーを訪れ、ジョルジョ・デ・キリコの絵画に魅了されます。

幼いころからモネ、セザンヌ、ゴッホなどの偉大な画家たちの作品に触れていたエルンストですが、デ・キリコの特徴である、「幻想」「夢」などといったテーマにも惹かれていきます。

また通信販売の図版カタログやマニュアルなど様々な素材を用いて、コラージュ作品も制作し始めます。

近未来的でユニークな作品は、エルンスト自身の夢と幻想の世界を創り出し、彼のトラウマを癒しました。

同年、エルンストは社会活動家のヨハネス・テオドール・バーゲルドと数人の同僚と共にケルンのダダ・グループを結成し、1920年にかけて『Der Strom』や『die schammade』といった雑誌を出版し、ダダの展覧会を企画しました。

シュルレアリスム運動の始まり

出典:Men Shall Know Nothing Of This , WIKIART, https://www.wikiart.org/

1920年代、心理学者『ジークムント・フロイト』に影響を受けたシュルレアリスム運動が始まると、エルンストは『アンドレ・ブルトン』を中心にシュルレアリストが集結していたパリに移り住み、1923年、エルンストの最初のシュルレアリスム作品である、『Men Shall Know Nothing Of This』を制作します。

エルンストは、フロイトの「夢判断」を応用し、自らの創造性の源を探るため深層心理を研究した最初の芸術家の1人で、彼は自分の内面に目を向けると同時に、夢のイメージに共通する普遍的な無意識を利用しました。

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「フロッタージュ」と「グラッテージ」を発明

エルンストは常に絵画の描画方法を研究しており、遂に1925年、「フロッタージュ」と呼ばれる技法を考案しました。

フロッタージュとは、木や硬貨など、表面に凹凸がある物の上に紙を置き、鉛筆などでこすることにより、下にあるもののテクスチャーを写し取る技法です。

出典:Forest And Dove, WIKIART, https://www.wikiart.org/

また、彼は絵の具をキャンバスにこすりつけて、下に置かれたもののテクスチャーを写し取る「グラッタージュ」も考案し、彼の作品である『森と鳩』に使用されました。

小さな鳩が、鳩を食い尽くそうとする森の中にいる様子が描かれ、これはエルンストの作品によく登場するモチーフであり、戦後、土地を追われた彼の姿を表現しています。

鳥への関心

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先ほど紹介したように、エルンストは鳥への関心が高く、作品に多々登場します。

その要因としてエルンストの幼少期には、彼が飼っていたお気に入りのペットの鳥「Loplop」がエルンストの妹が生まれた瞬間に死亡するという出来事がありました。

その後エルンストは鳥を「死の前兆」と見なすようになりました。

通常、芸術における鳥は「自由」「希望」「平和」を象徴していることが多く、エルンストの解釈とは真逆の位置に存在します。

最終的にエルンストは、この二つの意味を混同しエルンストの分身として「Loplop」が彼の作品の至る所に登場するようになります。

第二次世界大戦とその後

1939年の第二次世界大戦勃発時、エルンストは仲間のシュルレアリスト『ハンス・ベルメール』とともに、「望ましくない外国人」としてキャンプ・デ・ミルというフランスの強制収容所に抑留されます。

数週間後に釈放されたエルンストは、ドイツ占領直後に再度抑留されることになりますが、様々な人物の力を借り、何とか脱出し、恋人であるレオノーラ・キャリントンを残し、アメリカへ逃亡します。

その後エルンストは、戦争から逃れてニューヨークに住んでいた、『マルセル・デュシャン』、『マルク・シャガール』とともにアメリカの抽象表現主義の発展に貢献しました。

エルンストの作品

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は軍人時代に、大きなトラウマを背負ったものの、深層心理や無意識のイメージを研究し、辛い経験を作品へと昇華させたシュルレアリスト、マックス・エルンストについてご紹介させていただきました。

マックス・エルンストに興味を持った人は、さらに調べてみてはいかがでしょうか?


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