こんにちは!ユアムーン株式会社 編集部です!
突然ですが、皆さんはN・C・ワイエスというイラストレーターを知っていますか?
20世紀初頭のアメリカを代表する伝説的イラストレーターで、今でも根強い人気を持っています。
この記事ではN・C・ワイエスの『人生』と『作品』についてご紹介します!
目次
N・C・ワイエスとは?
<本名>
N・C・ワイエス(Newell Convers Wyeth)
<国籍>
アメリカ合衆国
<人生>
N・C・ワイエスは1882年10月22日、アメリカ マサチューセッツ州に生まれました。ワイエスの先祖はイギリス出身で、なんと南北戦争に参加した有名人だそうです。幼少期は狩りや釣り、農場のなどをして育ちました。この自然と触れ合う経験がワイエスの観察力、観察感覚を伸ばし、後のイラスト/絵画制作の地盤となります。
母親の勧めで水彩画をはじめ、12歳の頃になるとかなりレベルの高い作品を描けるようになっていました。一度、製図を学ぶために機械芸術学校に行き、その後マサチューセッツの美術学校(現在のマサチューセッツ芸術大学)に入学し、絵画を学びます。
1903年2月、ワイエスは「サタデイ・イブニング・ポスト」の表紙でデビューを飾ります。この頃からハワードパイルのもとで助手としても活動しており、実務をこなしながらパイルの様々な技術を学びました。パイルのもとで学んだ後は、仕事の依頼もあり、アメリカ西部を旅しイラストのモチーフとなる資料や知見を集めました。
N・C・ワイエスは、1908年に結婚し5人の子供を作りました。その中の一人、アンドリュー・ワイエスは20世紀中期の中で最も有名な画家となりました。
ワイエスのイラストレーターとしての地位を確立したのは、スティーヴンソンの小説『宝島』の挿絵を担当したことがきっかけでした。それ以降、今までのアメリカ西部を題材にした作品から、小説や新聞の挿絵を描き、非常に大きな成功を収めました。
ブランデーワイン派ってなに?
ブランデーワイン派の源流は、1894年からパイルがドレクセル美術・科学・産業協会(現在のドレクセル大学)でイラストレーションを教え始めたことに始まります。1900年になると、「ハワード・パイル・イラストレーションアート学校」という教育機関を設立します。
後に、パイルの技術を継承したアーティストたちとその学校を「ブランデーワイン派」、「ブランデーワイン学校」と呼ぶようになり、ブランデーワイン派が形成されました。
▼ブランデーワイン派については今後くわしく解説する予定です!▼
N・C・ワイエスの作品
ここからはN・C・ワイエスの作品をいくつか紹介していきます!
Louise Loved to Climb to the Summit on One of the Barren Hills Flanking the River, and Stand There While the Wind Blew 1907年
出典:Louise Loved to Climb to the Summit on One of the Barren Hills Flanking the River, and Stand There While the Wind Blew
, WIKIART, https://www.wikiart.org/
Tam On The Craig Face
出典:Tam On The Craig Face, WIKIART, https://www.wikiart.org/
One more step, Mr. Hands, said I, and I’ll blow your brains out
出典:One more step, Mr. Hands, said I, and I’ll blow your brains out, WIKIART, https://www.wikiart.org/
Jim, Long John Silver and his Parrot
出典:Jim, Long John Silver and his Parrot, WIKIART, https://www.wikiart.org/
Jim Hawkins, Long John Silver and his Parrot
出典:Jim Hawkins, Long John Silver and his Parrot, WIKIART, https://www.wikiart.org/
関連人物
師匠
兄弟弟子
まとめ
いかがでしたでしょうか?
20世紀初頭を代表するアメリカのイラストレーター、N・C・ワイエスを紹介しました。師匠譲りの痕跡も見られる素晴らしい作品が多くありましたね(笑)。
今後も、様々なクリエイティブ情報を発信していきますので、よろしくお願いします!