こんにちは!ユアムーン株式会社 編集部です!
突然ですが、皆さんはヴィルヘルム・ハマスホイという画家を知っていますか?
“北欧のフェルメール” とも呼ばれ、室内画で高い人気を集めた19世紀デンマークの画家です。
この記事では、そんなヴィルヘルム・ハマスホイの『人生』と『作品』についてご紹介します!
ヴィルヘルム・ハマスホイとは?
出典:Vilhelm Hammershoi Self-portrait, WIKIART, https://www.wikiart.org/en/
基本情報
本名 | ヴィルヘルム・ハマスホイ(Vilhelm Hammershøi) |
国籍/出身 | デンマーク、コペンハーゲン |
生年月日 | 1864年5月15日 |
分野/芸術動向 | 象徴主義/印象派 |
学歴/出身大学など | デンマーク王立美術院 |
ヴィルヘルム・ハマスホイの人生
ヴィルヘルム・ハマスホイは1864年5月15日に、デンマーク・コペンハーゲンの裕福な家庭で生まれました。
8歳から個人レッスンでデッサンを学んだ彼は、15歳でコペンハーゲンのデンマーク王立美術院に入学し、絵画を学びます。
21歳になった彼は、妹のアナを描いた『若い女性の肖像、画家の妹アナ・ハンマースホイ』を王立美術アカデミーの展覧会に出品するものの、アカデミーの授与するノイハウスン賞には落選。彼の作風を賞賛する批評家の一部や若い画学生と、批判的に捉えたアカデミーの教授や観衆とで激しい論争となりました。
出典:Portrait of a young woman. The artist’s sister Anna Hammershøi, WIKIART, https://www.wikiart.org/en/
ハマスホイが24歳のときに、コペンハーゲンの歯科医で美術コレクターでもあったアルフレズ・ブラムスンが初めて彼の作品を購入。以後、ブラムスンは彼のコレクター・後援者として彼を支援しました。
その後27歳のときに、アカデミーで知り合った画家の妹であるイーダ・イルステズと結婚。彼女とともに約11年の間、コペンハーゲン・ストランゲーゼ30番地のアパートで暮らし、その室内風景を多く描きます。その室内画には、妻であるイーダが頻繁に登場しました。
出典:Interior Strandgade 30, WIKIART, https://www.wikiart.org/en/
創作を続けた彼は44歳でデンマーク王立美術院の総会会員に就任し、2年後には同評議員になりました。その後47歳のときに、ローマで開かれた国際美術展で第1等を獲得。この頃から、ヨーロッパ各国で個展が開かれるようになり、彼の絵画が評価されるようになります。
1916年、52歳のときに咽頭癌で死去。1915年に描かれた『室内、ストランゲーゼ25番地』が遺作となりました。
印象派ってなに?
印象派とは19世紀後半のフランスから発した芸術動向です。筆のストロークや時間による光の変化の緻密な描写、日常性、斬新な構図等の特徴を持ちます。画面全体が明るく、それまで芸術アカデミーが良いとしてきた作品とは対照的でした。初期の頃の印象派はあまり評価を受けませんでしたが、次第に市場が広がり、アメリカに渡ると大衆に一挙に人気になりました。
印象派と一言で言うものの新印象派や後期印象派(ポスト印象派)など、印象派の中でもいくつか分類があります。印象派の代表的な画家にはエドガー・ドガ、クロード・モネ、ベルト・モリゾなど、今日でも高い人気を誇る画家が多くいます。
▼印象派についてはこちらでも詳しく解説しています!▼
ヴィルヘルム・ハマスホイの作品
白・黒・灰色を基調とし、落ち着いた色彩と細密なタッチが特徴のハマスホイの絵画たち。
静寂な空気を纏った彼の作品を見ていきましょう!
Interior from Strandgade with Sunlight on the Floor(1901)
出典:Interior from Strandgade with Sunlight on the Floor, WIKIART, https://www.wikiart.org/en/
Interior with Young Woman from Behind (1904)
出典:Interior with Young Woman from Behind, WIKIART, https://www.wikiart.org/en/
Interior with Ida Playing the Piano (1910)
出典:Interior with Ida Playing the Piano, WIKIART, https://www.wikiart.org/en/
19世紀デンマークと室内画
静かで冒しがたい空気の室内画を多く描いたことから、「北欧のフェルメール」とも称されたハマスホイ。彼をはじめとし、19世紀デンマークでは多くの画家が室内画を生み出しました。
その背景には、ナポレオン戦争で国全体が政治・経済両方の面で窮地に陥っていたことがあります。こうした状況の中で、裕福な市民階級の人が王侯貴族に代わって力をつけたことから、市民たちの価値観や好みを強く反映した「市民の芸術」が発展したのです。
この頃は絵画においても、神話や歴史などを描く歴史画より、風景画や風俗画など身近な自然や日常を題材にした、親しみやすいものが好まれました。
とくに1880年代からは、日常生活をモチーフとする風俗画の中でも、屋内を舞台にした「室内画」がコペンハーゲンで人気に。この頃の室内画は、デンマーク語で「暖かい」「居心地が良い雰囲気」を意味する「ヒュゲ(Hygge)」と呼ばれ、家庭的な場面を暖かみに満ちた雰囲気で描くことが特徴でした。
出典:Lunch with Otto Benzon, Interior with Ida Playing the Piano, WIKIART, https://www.wikiart.org/en/
しかし、20世紀が近づいてくるにつれて、室内画の描かれ方は変化していきます。それまでは「幸福な家庭」を描くための舞台でしかなかった「部屋」が主役となり、「部屋」そのものの美しさを表現する絵が増えていったのです。
このような「部屋の美しさ」を描いた画家たちのなかで際立つ存在であったのが、今回紹介したハマスホイ。
彼は生前、以下のような言葉を残しています。
私はかねてより、古い部屋には、たとえそこに誰もいなかったとしても、独特の美しさがあると思っています。あるいは、まさに誰もいないときこそ、それは美しいのかもしれません。
出典;ハマスホイはなぜ室内画を描いたのか? 19世紀デンマークの時代背景から読み解く, 美術手帖, https://bijutsutecho.com/magazine/insight/21316
この言葉の通り、彼は妻がいる部屋だけでなく「誰もいない」部屋を多く描きました。壁と床、扉といった「部屋」をかたちづくる最低限の要素で構成された絵画からは、その部屋に流れる時間やそこで生まれたはずの物語が想像させられ、じっくりと向き合いたくなってしまいます。
見た人の想像力を刺激するそれが、彼が語った「誰もいないからこその美しさ」なのかもしれませんね。
おわりに
いかがでしたか?
落ち着いた色彩で静寂な室内画を描いた、ヴィルヘルム・ハマスホイ。
彼の絵画が纏う空気や美しさはもちろん、幸福の国デンマークで彼が住む部屋と妻を描き続けたその生涯も魅力的で、憧れの気持ちを抱いてしまいます。
興味が湧いた方は、以下の画集を手に取ってみてはいかがでしょうか?