【徹底解説】ウィレム・デ・クーニングとは?抽象表現主義を代表する画家の人生と作品を解説!

【徹底解説】ウィレム・デ・クーニングとは?抽象表現主義を代表する画家の人生と作品を解説!

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こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんはウィレム・デ・クーニングという人物をご存知ですか?

ウィレム・デ・クーニング(Willem de Kooning)は、1904年にオランダのロッテルダムで生まれ、22歳でアメリカに渡った画家です。ジャクソン・ポロックとともに、1940年代から1950年代のニューヨークで生まれた抽象表現主義を代表する画家のひとりとされています。

大きな刷毛で絵の具を勢いよく塗り重ねる画面、白と黒だけで描いた抽象画、のちには光と水を感じさせる明るい色の画面まで。90歳を超えるまで生きたデ・クーニングの作風は、時代ごとに大きく変わりました。

本記事ではそんなウィレム・デ・クーニングの人生と作品についてご紹介します。作品の制作年・技法・所蔵先は、所蔵館の公式ページとウィレム・デ・クーニング財団の年譜で確認したものだけを載せています。

ウィレム・デ・クーニングって?

ウィレム・デ・クーニングは、オランダ生まれのアメリカの画家です。ブリタニカ百科事典は、デ・クーニングを抽象表現主義、とくに「アクション・ペインティング」と呼ばれる描き方の代表的な画家と紹介しています。

検索では「デクーニング」「ウィレムデクーニング」「デ・クーニング」のほか、「ウィリアム・デ・クーニング」と書かれることもあります。名前の綴りはオランダ語の Willem で、文化庁のアートプラットフォームジャパンに載る国立国際美術館の所蔵品データでも「デ・クーニング、ウィレム」と表記されています。

基本情報

本名ウィレム・デ・クーニング(Willem de Kooning)
生年月日(没年月日)1904年4月24日(1997年3月19日没)
国籍・出身オランダ・ロッテルダム生まれ。1926年にアメリカへ渡り、ニューヨークを拠点に活動
学歴ロッテルダムの美術アカデミー(Rotterdam Academy of Fine Arts and Techniques)の夜間クラスで素描と応用美術を学ぶ
分野絵画、素描、版画、彫刻
傾向抽象表現主義(アクション・ペインティング)。人物と抽象のあいだを行き来し、1950年代後半からは風景を思わせる抽象画、1980年代には明るい色の線による画面を描いた
師事した人物・影響を受けた人物ニューヨークで美術家ジョン・グレアム、画家アーシル・ゴーキーの影響を受けた。ピカソやミロの影響も指摘される

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経歴と作品

ウィレム・デ・クーニングの歩みを示す流れ図。1904年にロッテルダムで生まれ、1926年にアメリカへ渡り、1948年に初の個展を開き、1950年代後半から風景を思わせる抽象画へ進み、1980年代に明るい色の線の画面を描いた。
図:ウィレム・デ・クーニングの歩み

ロッテルダムで商業美術を学ぶ(1904〜1926年)

デ・クーニングは1904年4月24日、オランダのロッテルダムで生まれました。ブリタニカ百科事典によると、1916年に商業美術と室内装飾の会社で見習いとして働きはじめ、同じころロッテルダムの美術アカデミーの夜間クラスに通いはじめました。

ウィレム・デ・クーニング財団の年譜によると、見習い先はギディング社という装飾の会社で、夜間クラスでは素描と応用美術を学びました。1920年には、ロッテルダムの百貨店のアートディレクターのもとで働いています。看板や店の飾りをつくる職人としての腕が、のちの画家としての仕事の土台になりました。

密航してアメリカへ、ペンキ職人からの出発(1926〜1930年代)

1926年、22歳のデ・クーニングは、船に隠れて乗り込む密航者としてアメリカに渡りました。財団の年譜によると、7月18日に船に乗り、7月30日にバージニア州ニューポートニューズに着いています。最初はニュージャージー州ホーボーケンに住み、家のペンキ塗りの仕事で暮らしを立てました。

翌1927年にはマンハッタンに移り、装飾の会社やショーウィンドウのデザインの仕事をしながら絵を描きました。ブリタニカ百科事典によると、ここで美術家で批評家のジョン・グレアムと画家アーシル・ゴーキーの影響を受け、ゴーキーはもっとも親しい友人のひとりになりました。1930年代のはじめには、生き物のような曲線の形と単純な幾何学の形を組み合わせた抽象画を試みています。

1935年から1937年にかけては、大恐慌の時代に芸術家に仕事を与えた公共事業「WPA連邦美術計画」で働きました。財団の年譜は、この経験が絵に専念するきっかけになったと書いています。1936年には、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の展覧会「New Horizons in American Art」に参加し、初めて美術館で作品が展示されました。

抽象表現主義ってなに?

デ・クーニングを語るうえで欠かせないのが、抽象表現主義という言葉です。テート美術館の用語解説によると、抽象表現主義は、1940年代から1950年代にジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、ウィレム・デ・クーニングらアメリカの画家たちが生み出した新しい抽象芸術を指します。画家の多くがニューヨークを拠点にしていたため、「ニューヨーク派」とも呼ばれました。

テートは、抽象表現主義を大きく2つのグループに分けて説明しています。ひとつは、身ぶりの大きな筆づかいで画面に向かう「アクション・ペインター」。もうひとつは、広い画面をほぼ一色の大きな色面で満たす「カラーフィールド・ペインター」です。マーク・ロスコやバーネット・ニューマンらのこちらのグループは、見る人に静かで瞑想的な反応を呼び起こすことを意図した、単純な構図の絵を描きました。デ・クーニングは、ポロックとともにアクション・ペインターを率いた画家とされています。

抽象表現主義の2つのグループを比べた図。アクション・ペインターはポロックやデ・クーニングで、大きな刷毛による身ぶりの大きな筆づかいが特徴。カラーフィールド・ペインターはロスコやバーネット・ニューマンで、広い画面をほぼ一色の大きな色面で満たす。
図:抽象表現主義の2つのグループ

テートによると、アクション・ペインターたちは、大きな刷毛で画面いっぱいに筆を走らせ、即興的に描きました。心の中の衝動を、そのまま画面に置こうとしたのです。デ・クーニングの絵に残る、勢いのある刷毛の跡は、この考え方をよく表しています。

白と黒のエナメル画と初めての個展(1940年代)

ブリタニカ百科事典によると、デ・クーニングは1930年代から1940年代にかけて、人物の絵と抽象画を並行して描いていました。この2つの流れは、1945年ごろの『Pink Angels』でひとつに溶け合ったとされています。

1946年、画材の絵の具を買うお金がなかったデ・クーニングは、家庭用の黒と白のエナメル塗料で大きな抽象画のシリーズを描きはじめました。1948年4月、ニューヨークのチャールズ・イーガン画廊で開いた初めての個展は、この白と黒の作品で構成されていました。同じ年の10月には、MoMAが『Painting』(1948年)を購入します。財団の年譜は、これを美術館による初めての作品購入として記録しています。

『Landscape, Abstract』(1949年ごろ)

この時期の白と黒の仕事を伝えるのが、ニューヨークのホイットニー美術館が所蔵する紙の作品『Landscape, Abstract』です。素材はエナメル塗料で、大きさは約49×65センチです。

白い紙の上に、黒いエナメルが太い帯になったり、細い線になって飛び散ったりしながら、画面いっぱいに広がっています。何かの形を描いたというより、塗料が流れ、跳ね、たまった跡そのものが画面をつくっています。題名には「風景」とありますが、具体的な景色は見分けられません。

ウィレム・デ・クーニング『Landscape, Abstract』。白い紙の上に黒いエナメル塗料が太い帯や細く飛び散る線になって画面いっぱいに広がる、白と黒だけの抽象画
ウィレム・デ・クーニング『Landscape, Abstract』(1949年ごろ)、紙・エナメル、48.9×64.9cm、所蔵:ホイットニー美術館(ニューヨーク)。© The Willem de Kooning Foundation/ Artists Rights Society (ARS), New York。画像出典:ホイットニー美術館公式サイトの作品ページ(引用)

『Excavation』とヴェネツィア・ビエンナーレ(1950年)

『Excavation』(1950年)

1950年、デ・クーニングは大作『Excavation(発掘)』を完成させました。財団の年譜によると、この作品はその年の第25回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品され、翌1951年にはシカゴ美術館のローガン賞と購入賞を受け、同館の所蔵品になりました。

ブリタニカ百科事典は、『Asheville』(1948〜1949年)、『Attic』(1949年)、『Excavation』(1950年)を、白と黒の時代のあとに色を取り戻した「複雑で、揺れ動く抽象画」と紹介し、デ・クーニングが長年取り組んできた、自由な連想による構図の問題を、張りつめた決断力でまとめあげた作品だと評しています。

1948年にはノースカロライナ州のブラック・マウンテン・カレッジで、画家ヨーゼフ・アルバースの招きで教えています。1949年には、ニューヨークの芸術家たちの討論の場「ザ・クラブ」の創設メンバーに加わりました。

「女」の連作(1950〜1953年)

『Woman I』(1950〜1952年)

1950年の夏、デ・クーニングは『Woman I』に取りかかりました。ブリタニカ百科事典によると、この絵は数えきれないほどの描き直しを経て、1952年に完成します。その間に、ほかにも女性を主題にした絵を描き、『Woman II』から『Woman VI』(1952〜1953年)までの連作になりました。

1953年3月、ニューヨークのシドニー・ジャニス画廊で開いた個展「Paintings on the Theme of the Woman」で連作が発表されると、大きな反響を呼びました。ブリタニカ百科事典は、その理由のひとつを、仲間の抽象表現主義の画家の多くが抽象画を描いていた時期に、これらが人物の絵だったことに求めています。『Woman I』は同じ年の6月、MoMAに購入されました。

同じ1953年には、若い画家ロバート・ラウシェンバーグがデ・クーニングに素描を1枚求め、それを消しゴムで消した作品『Erased de Kooning Drawing(消されたデ・クーニングの素描)』をつくっています。財団の年譜にも記録されている出来事で、デ・クーニングが当時すでに若い世代にとって大きな存在だったことがうかがえます。

抽象的な風景へ(1955〜1960年)

ブリタニカ百科事典によると、1955年ごろから、デ・クーニングの関心は風景へと移っていきます。人物が背景の抽象に溶け込むような『Woman as Landscape』のあと、『Police Gazette』『Gotham News』『Door to the River』『Rosy-Fingered Dawn at Louse Point』などの作品が続き、複雑な構図と色から、大きく塗られた単純な画面へと変わっていきました。

『Interchange』(1955年)

この時期の作品のひとつ『Interchange』は、1989年のサザビーズの競売で2,060万ドルで落札されたことがブリタニカ百科事典に記されています。デ・クーニングの絵が美術市場でも高く評価されてきたことを示す例です。

『Gotham News』(1955年)

ニューヨーク州バッファローのバッファローAKG美術館が所蔵する『Gotham News』は、油彩、エナメル、木炭に、新聞の印刷が写った跡が加わった作品です。同館の解説によると、デ・クーニングは乾く前の絵の具を翌日も描き直せるよう、夜のあいだ画面を新聞紙で覆っていました。そのとき新聞の文字が画面に写ることがあり、そのまま残したのがこの作品です。題名の「ゴッサム」はバットマンの漫画に出てくるニューヨークに当たる街の名前で、「ニュース」は画面に残った新聞の文字を指していると同館は説明しています。

『Black and White』(1959年)

1959年、デ・クーニングは再び白と黒だけの作品に取り組みます。ホイットニー美術館が所蔵する『Black and White』は、紙にエナメル塗料で描いた約69×99センチの作品です。

白い紙の上を、灰色をにじませた黒の太い帯が斜めに横切り、交差しています。1940年代の『Landscape, Abstract』の細かく飛び散る線と比べると、筆の動きは大きく、形は少なく、単純になっているのが分かります。

ウィレム・デ・クーニング『Black and White』。白い紙の上を、灰色ににじんだ黒い太い帯が斜めに横切り交差する、白と黒だけの抽象画
ウィレム・デ・クーニング『Black and White』(1959年)、紙・エナメル、69.2×99.1cm、所蔵:ホイットニー美術館(ニューヨーク)。© The Willem de Kooning Foundation/ Artists Rights Society (ARS), New York。画像出典:ホイットニー美術館公式サイトの作品ページ(引用)

財団の年譜によると、デ・クーニングは1959年9月から1960年1月までイタリアに滞在し、ローマの画家アフロ・バザルデッラのアトリエで、「ローマ」と呼ばれる白と黒の紙の作品を描きました。ローマではアルベルト・ブッリやサイ・トゥオンブリーとも出会っています。

『Door to the River』(1960年)

1960年、デ・クーニングは『Door to the River(川への扉)』を描きました。ホイットニー美術館の解説によると、デ・クーニングは1950年代の終わりから、ニューヨークと、当時まだ田園地帯だったロングアイランド東部を行き来するようになっていました。この時期の絵について、本人は1960年に「ほとんどは感情だ。その多くは風景であり、ハイウェイであり、街の外の感覚だ」と語っています。

この絵は、ペンキ職人が使う刷毛で描かれました。ピンク、黄色、茶色、白の幅の広い筆の跡が、画面の中央に扉のような四角い形をつくり、その下には、題名の川を思わせる青がのぞいています。ホイットニー美術館は、この絵には初期の絵に見られる描き直しの跡も、後期の絵の揺れ動く色彩もないと説明しています。

ウィレム・デ・クーニング『Door to the River』。ピンク、黄色、茶色、白の幅広い刷毛の跡が画面中央に扉のような四角い形をつくり、その下に青がのぞく油彩画
ウィレム・デ・クーニング『Door to the River』(1960年)、リネンに油彩、203.5×178.1cm、所蔵:ホイットニー美術館(ニューヨーク)。© The Willem de Kooning Foundation/ Artists Rights Society (ARS), New York。画像出典:ホイットニー美術館公式サイトの作品ページ(引用)

ロングアイランドのアトリエと彫刻(1960〜1970年代)

1961年、デ・クーニングはロングアイランド東部のスプリングスにアトリエの設計と建設を始め、ブリタニカ百科事典によると1963年ごろにイースト・ハンプトンへ移り住みました。1964年にはリンドン・ジョンソン大統領から大統領自由勲章を授けられています。

1968年には、アムステルダム市立美術館(ステデリック美術館)で初めての国際的な回顧展が開かれ、デ・クーニングは1926年以来初めてオランダに帰りました。この回顧展は、MoMA、ロンドンのテート・ギャラリー、シカゴ美術館、ロサンゼルス・カウンティ美術館を巡回しています。

1969年にはローマで初めて粘土の彫刻を13点つくり、ブロンズに鋳造しました。1970年1月には日本を訪れ、東京、京都、大阪を回り、彫刻家イサム・ノグチとも時間を過ごしたと財団の年譜は記しています。大阪の国立国際美術館は、同じ1970年に描かれた『水(Water)』を所蔵しています。

『Untitled XIV』(1976年)

1970年代のデ・クーニングは、再び油彩の大きな画面に取り組みます。ブリタニカ百科事典は、この時期の作品を「叙情的で豊かで、光と水面の反射にきらめく」と評しています。

サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)で公開されている『Untitled XIV』は、約178×203センチの油彩画です(同館の「ドリス・アンド・ドナルド・フィッシャー・コレクション」の作品)。ピンク、朱色、青、白、茶色の絵の具が、厚く、うねるように塗り重ねられ、画面全体が波立っているように見えます。1960年の『Door to the River』の大きく単純な形とは対照的に、細かな筆の動きが画面を埋めつくしています。

ウィレム・デ・クーニング『Untitled XIV』。ピンク、朱色、青、白、茶色の絵の具が厚くうねるように塗り重ねられ、画面全体が波立って見える横長の油彩画
ウィレム・デ・クーニング『Untitled XIV』(1976年)、カンヴァスに油彩、177.8×203.2cm、The Doris and Donald Fisher Collection(サンフランシスコ近代美術館で公開)。© The Willem de Kooning Foundation / Artists Rights Society (ARS), New York。画像出典:サンフランシスコ近代美術館公式サイトの作品ページ(引用)

1980年代の明るい画面

1980年代に入ると、デ・クーニングの画面は大きく変わります。厚く塗り重ねた絵の具は消え、白い地の上を、なめらかな色の帯が伸びやかに走る絵が生まれました。財団の年譜によると、1982年にはニューヨークのザビエル・フルカード画廊で、1980年代の作品だけを集めた初めての展覧会「New Paintings, 1981-1982」が開かれています。

『Untitled XXII』(1982年)

SFMOMAが所蔵する『Untitled XXII』は、約196×224センチの油彩画です。白やごく淡いピンクの地の上を、青、オレンジ、赤茶色の帯が、ゆるやかに曲がりながら画面を横切っています。帯の縁は、ところどころかすれています。

ウィレム・デ・クーニング『Untitled XXII』。白やごく淡いピンクの地の上を、青、オレンジ、赤茶色の帯がゆるやかに曲がりながら横切る油彩画
ウィレム・デ・クーニング『Untitled XXII』(1982年)、カンヴァスに油彩、195.6×223.5cm、所蔵:サンフランシスコ近代美術館。© The Willem de Kooning Foundation / Artists Rights Society (ARS), New York。画像出典:サンフランシスコ近代美術館公式サイトの作品ページ(引用)

『Untitled VII』(1983年)

ホイットニー美術館が所蔵する『Untitled VII』(1983年)は、約203×178センチの油彩画です。白い地に、黄色、ピンク、赤、青の帯がくっきりとした輪郭で描かれ、あいだの白い部分も形の一部として見えてきます。同じ年の12月から翌年2月にかけて、ホイットニー美術館では大規模な回顧展「Willem de Kooning: Drawings, Paintings, Sculpture」が開かれました。

ウィレム・デ・クーニング『Untitled VII』。白い地に、黄色、ピンク、赤、青の帯がくっきりとした輪郭で曲がりくねって描かれた縦長の油彩画
ウィレム・デ・クーニング『Untitled VII』(1983年)、カンヴァスに油彩、203.2×177.8cm、所蔵:ホイットニー美術館(ニューヨーク)。© The Willem de Kooning Foundation/ Artists Rights Society (ARS), New York。画像出典:ホイットニー美術館公式サイトの作品ページ(引用)

1989年には、日本美術協会の高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受けています。財団の年譜によると、1991年に最後の絵の制作を終えました。1995年から1996年にかけては、SFMOMAで1980年代の作品を初めて美術館でまとめて紹介する展覧会が開かれ、MoMAなどを巡回しました。デ・クーニングは1997年3月19日、イースト・ハンプトンの自宅で亡くなりました。92歳でした。

デ・クーニングの作品の見どころ

ここまで見てきた作品から、デ・クーニングの絵を見るときの手がかりを3つにまとめます。

ひとつ目は、筆の跡です。『Door to the River』はペンキ職人の刷毛で、『Landscape, Abstract』は家庭用のエナメル塗料で描かれました。商業美術とペンキ塗りから出発した画家らしく、道具と塗料の跡がそのまま画面に残っています。

ふたつ目は、人物と抽象、風景のあいだを行き来することです。「女」の連作のあとには人物が背景に溶け込む絵が生まれ、やがて風景を思わせる抽象画へと移りました。

みっつ目は、作風を変え続けたことです。白と黒のエナメル画、厚塗りの風景的な抽象、1980年代の白い地に色の帯が走る画面と、同じ画家とは思えないほど表情が変わります。

ウィレム・デ・クーニングの絵を見る3つの手がかりを示した図。刷毛やエナメル塗料など道具と塗料の跡が残る筆の跡、人物と抽象と風景のあいだを行き来すること、白と黒から厚塗り、1980年代の色の帯へと作風を変え続けたことの3点。
図:デ・クーニングの絵を見る3つの手がかり

デ・クーニングの描き方は、MoMAの公式チャンネルが公開している次の動画でも紹介されています。MoMAの動画シリーズ「IN THE STUDIO」の1本で、講師のコーリー・ダウグスティンが、デ・クーニングの描き方を解説しています。

How to paint like Willem de Kooning – with Corey D’Augustine | IN THE STUDIO(The Museum of Modern Art公式YouTube)

まとめ

いかがだったでしょうか。今回は、抽象表現主義を代表する画家ウィレム・デ・クーニングをご紹介しました。

ロッテルダムで商業美術の見習いとして働き、22歳で密航してアメリカに渡ったデ・クーニングは、ペンキ塗りや装飾の仕事をしながら絵を描き続けました。1948年の初個展では家庭用エナメルで描いた白と黒の抽象画を見せ、1950年の『Excavation』、1950年から1952年の『Woman I』で、ニューヨークの美術の中心にいる画家になりました。

1955年ごろからは風景を思わせる抽象画へ、1980年代には白い地に色の帯が走る明るい画面へと、作風は変わり続けました。ペンキ職人の刷毛で描いた『Door to the River』のように、道具と塗料の跡がそのまま絵になっているところに、デ・クーニングの絵の面白さがあります。

Euphoric " " の視点

デ・クーニングは、ロッテルダムで商業美術を学び、アメリカでは家のペンキ塗りや装飾の仕事をしながら絵を描き続けました。家庭用のエナメル塗料や、ペンキ職人の刷毛で描いた画面には、その出発点が道具と塗料の跡としてそのまま残っています。

白と黒のエナメル画から、風景を思わせる厚塗りの抽象、1980年代の明るい画面まで、作風は同じ画家とは思えないほど変わりました。暮らしのために身につけた技術を手放さず、それを土台に表現を更新し続けた歩みは、経験のすべてが創作の糧になりうることを教えてくれます。

この作品を見に行くには

記事で紹介した作品は、次の館などで公開されています。展示替えがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。

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