【徹底解説】エリック・ロメールとは?会話で恋を描いたヌーヴェル・ヴァーグの映画監督の人生と作品を解説!

【徹底解説】エリック・ロメールとは?会話で恋を描いたヌーヴェル・ヴァーグの映画監督の人生と作品を解説!

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こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんはエリック・ロメールという人物をご存知ですか?

エリック・ロメール(Éric Rohmer)は、フランスの映画監督・脚本家・映画批評家です。1950年代に映画誌『カイエ・デュ・シネマ』の編集長を務め、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーらとともに「ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)」を代表する映画作家のひとりになりました。

『モード家の一夜』『海辺のポーリーヌ』『緑の光線』など、男女の会話と心の揺れを、季節や土地の空気とともに描いた作品で知られています。作品の多くを「六つの教訓話」「喜劇と格言劇」「四季の物語」というシリーズとしてつくったことも大きな特徴です。

本記事ではそんなエリック・ロメールの人生と作品についてご紹介します。代表作の受賞歴やシリーズの構成は、製作・配給会社や映画祭の公式記録で確認したものだけを、表と図解にまとめています。

エリック・ロメールって?

エリック・ロメールは、1920年に生まれ、2010年1月11日にパリで亡くなったフランスの映画監督です。高校の教師として文学を教えながら映画評を書き始め、批評家として名を上げたのち、自ら映画を撮るようになりました。

「エリック・ロメール」は筆名で、本名はモーリス・シェレール(Maurice Schérer)です。ただしロメールは私生活を明かさない人物で、ブリタニカ百科事典によると、自分の名前や生年月日、出生地について異なる情報を伝えていました。そのため資料によって記載が分かれる点は、下の表にそのまま併記しています。

検索では「エリックロメール」「エリック ロメール」と、中黒を入れずに調べられることも多い監督です。いずれも同じ人物を指しています。

基本情報

本名モーリス・シェレール(Maurice Schérer)。日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典はジャン=マリー・モーリス・シェレール(Jean-Marie Maurice Scherer)と記載
生年月日(没年月日)1920年(月日は資料により3月21日・4月4日と分かれる)〜2010年1月11日(パリ)
国籍・出身フランス。出生地は資料によりチュール、ナンシーと分かれる
学歴歴史学の上級学位を取得(ブリタニカ百科事典)
分野映画監督、脚本家、映画批評家、作家
代表作『モード家の一夜』(1969年)、『クレールの膝』(1970年)、『O侯爵夫人』(1976年)、『海辺のポーリーヌ』(1983年)、『緑の光線』(1986年)、『冬物語』(1992年)
主な受賞ベルリン国際映画祭 銀熊賞(監督賞、1983年)、ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞(1986年)、同 栄誉金獅子賞(2001年)ほか
マイクの前で腕を組み、前かがみになって話すエリック・ロメール。茶色のジャケットに首元のスカーフ姿で、暗い背景の舞台に立っている。
エリック・ロメール(2004年4月、シネマテーク・フランセーズにて)撮影:Smdl/CC BY-SA 3.0/出典:Wikimedia Commons

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経歴と作品

文学の教師から映画批評家へ(1940年代〜1950年代)

日本大百科全書によると、ロメールは1942年からナンシーの高校(リセ)で文学の講師となり、1946年にはジルベール・コルディエという筆名で小説『エリザベート』を出版しました。1948年からはパリの高校で古典文学を教えるかたわら、モーリス・シェレールの名で映画雑誌に映画評を書き始めます。

同じころ、ロメールはパリの学生街カルチエ・ラタンで映画の上映会「シネクラブ・デュ・カルチエ・ラタン」を主宰しました。1950年には、ゴダール、トリュフォー、ジャック・リヴェットらとともに機関誌『ガゼット・デュ・シネマ』を創刊しています(ブリタニカ百科事典)。この雑誌は半年ほどで終わりましたが、ここで出会った若い仲間たちが、のちのヌーヴェル・ヴァーグの中心になっていきます。

『カイエ・デュ・シネマ』とヌーヴェル・ヴァーグ

1951年、批評家アンドレ・バザンらが映画誌『カイエ・デュ・シネマ』を創刊すると、ロメールはゴダールやリヴェットとともにその書き手に加わり、このころから「エリック・ロメール」と名乗るようになりました(日本大百科全書)。

『カイエ・デュ・シネマ』の書き手たちは、当時アメリカの職人監督とみなされていたアルフレッド・ヒッチコックやハワード・ホークスを、小説家や作曲家と同じ「作家」として評価しました。監督を作品の中心に置くこの考え方は「作家主義」と呼ばれ、ヌーヴェル・ヴァーグの土台になります。1957年には、クロード・シャブロルとの共著でヒッチコック論を出版しました。

ロメールは1957年から1963年まで『カイエ・デュ・シネマ』の編集長を務めています。ブリタニカ百科事典と日本大百科全書の両方が、この期間を記しています。

エリック・ロメールの歩みを示す流れ図。1940年代に文学の教師、1950年にガゼット・デュ・シネマ創刊、1957年から1963年にカイエ・デュ・シネマ編集長、1959年に長編第1作の獅子座、1962年から六つの教訓話の順に並ぶ。
図:エリック・ロメールの歩み 教師から映画監督へ

ブリタニカ百科事典は『カイエ・デュ・シネマ』を「ヌーヴェル・ヴァーグの雑誌」と呼び、日本大百科全書はロメールの編集長時代を「ヌーベル・バーグ全盛期」と書いています。小学館のデジタル大辞泉も、ロメールがトリュフォーやゴダールらとともにヌーヴェル・ヴァーグの中心人物のひとりになったと記しています。批評を書くことと映画を撮ることが、ひとつながりだった時代でした。

長編第1作『獅子座』と映画会社ロザンジュ(1959〜1962年)

ロメールは1950年に初の短編『ある悪党の日記』を監督し、1959年に長編第1作『獅子座』を撮りました(ブリタニカ百科事典、日本大百科全書)。

『獅子座』(1962年公開)

製作・配給会社レ・フィルム・デュ・ロザンジュの作品ページによると、『獅子座』は1962年5月3日に公開されました。物語の主人公は、パリのサン=ジェルマン=デ=プレに暮らす外国出身の音楽家です。裕福なおばの遺産が入ると思い込んで友人のお金でパーティーを開きますが、遺産は従兄弟に渡り、行き場を失ってしまいます。真夏のパリをさまよう男の姿を描いた作品です。

同じ1962年、のちに映画監督としても活躍するバーベット・シュローダーが、ロメールの映画を製作するために会社を立ち上げます。それがレ・フィルム・デュ・ロザンジュです。同社の公式サイトは「エリック・ロメールの映画を製作するために、1962年にバーベット・シュローダーが設立した」と紹介しています。以後、ロメールの作品の多くは、この会社から生まれていきました。

「六つの教訓話」(1962〜1972年)

ロメールが最初に取り組んだシリーズが「六つの教訓話(Six contes moraux)」です。1962年の短編『モンソーのパン屋の女の子』に始まり、1972年の『愛の昼下がり』で完結しました。

ブリタニカ百科事典によると、最初の2作はどちらも興行的には振るわず、ロメールはしばらくテレビの教育番組の仕事に力を注ぎます。その後、1967年の『コレクションする女』がヨーロッパで批評家の評価を得て、シリーズは続いていきました。

話邦題原題年
1モンソーのパン屋の女の子La boulangère de Monceau1963年
2シュザンヌの生き方La carrière de Suzanne1963年
3コレクションする女La collectionneuse1967年
4モード家の一夜Ma nuit chez Maud1969年
5クレールの膝Le genou de Claire1970年
6愛の昼下がりL’amour l’après-midi1972年

※ 年は日本大百科全書の監督作品一覧による。

『モンソーのパン屋の女の子』(1963年)

シリーズ第1話の『モンソーのパン屋の女の子(La boulangère de Monceau)』は、上映時間26分の短編です。ロザンジュの作品ページによると公開は1963年2月27日。近所で見かけて心ひかれた女性が姿を消してしまい、彼女を探して歩き回る青年が、パン屋の若い店員に近づいていく物語が、青年自身の語りで進みます。

出演者の欄には、ロザンジュを設立したバーベット・シュローダーの名前もあります。日本大百科全書は、この時期の連作を、ブルジョア的な価値観に縛られた男性が複数の女性の間で揺れる物語と整理しています。

『コレクションする女』(1967年)

シリーズ第3話の『コレクションする女(La collectionneuse)』は、1967年3月2日に公開されました(ロザンジュの作品ページ)。婚約者がロンドンへ出かけてしまったアドリアンは、大きな別荘で修道士のように静かな休暇を過ごそうと決めます。ところが別荘には、画家の友人ダニエルと、見知らぬ若い女性アイデがすでに滞在していました。自由に振る舞うアイデの存在が、アドリアンの計画を少しずつ揺さぶっていきます。

撮影はネストール・アルメンドロスです。ロザンジュの作品ページでは、このあと紹介する『モード家の一夜』『クレールの膝』『O侯爵夫人』『海辺のポーリーヌ』でも、撮影はアルメンドロスと記されています。日本大百科全書によると、『コレクションする女』はベルリン国際映画祭で審査員特別賞を受けました。

『モード家の一夜』(1969年)

『モード家の一夜(Ma nuit chez Maud)』は、ロメールの名を世界に広めた作品です。ロザンジュの作品ページによると、製作は1968年、フランスでの公開は1969年6月4日。主演はジャン=ルイ・トランティニャン、撮影はネストール・アルメンドロスで、上映時間は1時間50分です。

舞台はフランス中部の都市クレルモン=フェラン。外国暮らしを終えてこの町に住む技師ジャン=ルイは、日曜ごとに通う教会で見かけた金髪の女性を、いずれ自分の妻になる人だと心に決めます。クリスマスの夜、高校時代の旧友に誘われて訪ねたのが、医師で離婚歴のある女性モードの家でした。ブリタニカ百科事典によると、モードは彼を誘惑しようとしますが、彼は応じず、ふたりは一晩じゅう知的な話題について語り合います。

高台から見下ろしたクレルモン=フェランの街並み。中央に二本の尖塔を持つ黒い石造りの大聖堂がそびえ、奥には平野と山並みが広がる。
『モード家の一夜』の舞台となったクレルモン=フェランの街並みと大聖堂 撮影:Thibdx/CC BY 4.0/出典:Wikimedia Commons

ブリタニカ百科事典によると、この作品はフランスでもアメリカでも批評家に称賛され、観客にも受け入れられて、ロメールにとって初めての商業的な成功作になりました。アカデミー賞では外国語映画賞と脚本賞の2部門で候補になっています。ロザンジュの作品ページには、1969年のカンヌ国際映画祭への出品、1970年のニューヨーク映画批評家協会賞(脚本賞)も記されています。

『クレールの膝』(1970年)

シリーズ第5話の『クレールの膝(Le genou de Claire)』は、1970年11月15日に公開されました(ロザンジュの作品ページ)。結婚を数週間後に控えたジェロームが、アヌシー湖のほとりで休暇を過ごす物語です。古い友人の作家オーロラとの再会をきっかけに、少女ローラ、そしてその異母姉クレールとの出会いが、彼の心をかき乱していきます。

針葉樹の林の向こうに、山々に囲まれた細長いアヌシー湖が青く広がる。湖岸には町並みが続き、空には白い雲が浮かんでいる。
『クレールの膝』の舞台となったアヌシー湖(タロワール=モンマンの展望地から) 撮影:Guilhem Vellut/CC BY 2.0/出典:Wikimedia Commons

この作品はルイ・デリュック賞を受賞しています(ロザンジュの作品ページ、日本大百科全書)。ブリタニカ百科事典は、サン・セバスティアン国際映画祭で作品賞にあたる賞を受けたことも伝えています。撮影は『モード家の一夜』に続いてネストール・アルメンドロスが担当しました。

『愛の昼下がり』(1972年)

シリーズを締めくくる第6話『愛の昼下がり(L’amour l’après-midi)』は、1972年9月1日に公開されました(ロザンジュの作品ページ)。愛する妻と幼い娘に恵まれ、仕事も順調なフレデリックの規則正しい毎日に、親友の元婚約者クロエが何年ぶりかで現れます。自由な暮らしを送るクロエは、たびたび彼の事務所を訪れるようになり、単調な日常の中で待ち遠しい存在になっていきます。

ブリタニカ百科事典によると、6本の脚本はのちに『六つの教訓話』として出版されました。日本大百科全書は、小説版の短編集が1974年に出版され、日本では『六つの本心の話』として翻訳されたと記しています。

文学作品の映画化と大学での講義(1970年代)

「六つの教訓話」を終えたロメールは、文学作品の映画化に取り組みます。

『O侯爵夫人』(1976年)

『O侯爵夫人(Die Marquise von O…)』は、ドイツの作家ハインリヒ・フォン・クライストの短編小説をもとにした作品です(ブリタニカ百科事典)。ロザンジュの作品ページによると、製作は1975年、公開は1976年9月15日で、1976年のカンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを受賞しました。ロメールにとって初めての歴史映画でもあります(日本大百科全書)。

1978年に製作された『聖杯伝説(Perceval le Gallois)』は、中世フランスの詩人クレティアン・ド・トロワのアーサー王物語をもとにしています(ブリタニカ百科事典)。ロザンジュの作品ページによると、公開は1979年2月7日、上映時間は2時間18分。騎士たちの輝く鎧に心を奪われた純朴な若者ペルスヴァルが、アーサー王の騎士になることを夢見て試練を重ねていく物語です。ブリタニカ百科事典は、この作品の評価は前作ほど高くなかったと書いています。

この時期のロメールは、教える仕事にも戻っています。日本大百科全書によると、1971年からパリ第一大学で映画史の講義を始め、1977年には学位論文だったドイツの監督F・W・ムルナウの『ファウスト』の空間構成を論じた研究書を刊行しました。批評家、教師、監督という3つの顔を、最後まで持ち続けた人だったといえます。

「喜劇と格言劇」(1980〜1987年)

1980年代のロメールは、2つ目のシリーズ「喜劇と格言劇(Comédies et proverbes)」に取り組みます。日本大百科全書によると、1980年の『飛行士の妻』から始まる6作から成り、最後の作品は1987年の『友だちの恋人』です。

話邦題原題年
1飛行士の妻La femme de l’aviateur1980年
2美しき結婚Le beau mariage1982年
3海辺のポーリーヌPauline à la plage1983年
4満月の夜Les nuits de la pleine lune1984年
5緑の光線Le rayon vert1986年
6友だちの恋人L’ami de mon amie1987年

※ 年は日本大百科全書の監督作品一覧による。

日本大百科全書は、1960年代から70年代の連作が、ブルジョア的な価値観に縛られた男性が複数の女性の間で揺れる物語だったのに対し、1980年代の連作は若い世代の女性たちの日常や会話に焦点を当てたものだったと整理しています。主人公の視点が大きく変わったシリーズだといえます。

『飛行士の妻』(1981年)

シリーズの幕開けとなった『飛行士の妻(La femme de l’aviateur)』は、ロザンジュの作品ページでは1981年11月15日の公開です(日本大百科全書は1980年と記載)。郵便局で夜勤をしている青年フランソワは、恋人アンヌの家から彼女の元恋人が出てくるのを見てしまいます。眠らずにパリの街をさまよううち、ビュット=ショーモン公園でひとりの少女に声をかけられるところから、物語が動き出します。

『美しき結婚』(1982年)

シリーズ第2作の『美しき結婚(Le beau mariage)』は、1982年5月12日に公開されました(ロザンジュの作品ページ)。美術史を学ぶ学生サビーヌは、いまの恋愛に区切りをつけ、「結婚しよう」と決めます。相手はまだ決まっていません。そんな気持ちのまま出会った若く自由な男性エドモンに、彼女は早々と「この人と結婚する」と宣言してしまいます。

ロザンジュの作品ページによると、この作品は1982年のヴェネチア国際映画祭で女優賞、同年のニューヨーク映画批評家協会賞で外国語映画賞を受けています。

『海辺のポーリーヌ』(1983年)

シリーズ第3作の『海辺のポーリーヌ(Pauline à la plage)』は、1983年2月23日に公開されました(ロザンジュの作品ページ)。離婚したばかりのマリオンが、年下のいとこポーリーヌを連れて、ノルマンディー海岸の家族の別荘で夏の終わりを過ごす物語です。浜辺では、マリオンの元恋人ピエールや、彼が紹介するアンリと出会い、それぞれの恋の思いが交差していきます。ポーリーヌもまた、少年シルヴァンと知り合います。

この作品で、ロメールは1983年のベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞しました。ベルリン国際映画祭の公式アーカイブにも「Silver Bear for Best Director Eric Rohmer」と記録されています。撮影は再びネストール・アルメンドロスです。

『満月の夜』(1984年)

シリーズ第4作の『満月の夜(Les nuits de la pleine lune)』は、1984年8月29日に公開されました(ロザンジュの作品ページ)。パリ郊外の新都市マルヌ=ラ=ヴァレに建築家の恋人レミと暮らすルイーズは、自分の自由を守るため、パリにもうひとつ部屋を借ります。家にこもりがちなレミと、夜の街に出かけたいルイーズ。ふたりのすれ違いが、満月の夜に大きく動きます。

ロザンジュの作品ページによると、この作品は1984年のヴェネチア国際映画祭で女優賞を受けています。撮影はレナート・ベルタが担当しました。

『緑の光線』(1986年)

シリーズ第5作の『緑の光線(Le rayon vert)』は、1986年のヴェネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞した作品です。ヴェネチア・ビエンナーレの公式サイトの受賞作一覧に「1986: Le rayon vert by Eric Rohmer (France)」とあり、ロザンジュの作品ページにも記されています。フランスでの公開は1986年9月3日でした。

物語は夏の始まりから。友人とのバカンスの予定が直前に取り消され、ひとりになってしまったデルフィーヌは、ノルマンディーや山の別荘に招かれても早々に切り上げ、最後にたどり着いたのが南西部の海辺の町ビアリッツでした。そこで耳にした、ジュール・ヴェルヌの小説『緑の光線』をめぐる会話が、彼女に希望を取り戻させます。

高台から見たビアリッツのグランド・プラージュ。弓なりの砂浜と岩場、その奥に白い建物が並ぶ海辺の町並みと、雲の多い空が広がる。
『緑の光線』の物語の舞台のひとつ、ビアリッツのグランド・プラージュ 撮影:Romainbehar/CC0/出典:Wikimedia Commons

日本大百科全書は、この作品がドキュメンタリー的な手法を取り入れ、16ミリフィルムで撮影されたことを伝えています。撮影はソフィー・マンティニュー、録音はクローディーヌ・ヌーガレが担当しました(ロザンジュの作品ページ)。次の映像は、金獅子賞受賞当時のフランスのテレビ報道です。

Venise : “Le rayon vert”(INA Culture公式YouTube)
ヴェネチア・リド島の映画祭会場パラッツォ・デル・チネマの白い建物。屋上に各国の旗が並び、入口の前を多くの人が行き交っている。
ヴェネチア国際映画祭の会場、リド島のパラッツォ・デル・チネマ(2022年) 撮影:Collafilms/CC0/出典:Wikimedia Commons

『友だちの恋人』(1987年)

シリーズを締めくくったのが、1987年8月26日公開の『友だちの恋人(L’ami de mon amie)』です(ロザンジュの作品ページ)。パリ郊外の新都市セルジー=ポントワーズの市役所に勤め始めたブランシュは、昼休みに明るいレアと知り合い、ふたりは友だちになります。やがてブランシュは、レアの知人の青年アレクサンドルに心を引かれていきます。ロザンジュによると、この作品は1987年のヴェネチア国際映画祭の公式選出作品として上映されました。

『満月の夜』のマルヌ=ラ=ヴァレ、『友だちの恋人』のセルジー=ポントワーズと、1980年代のロメールは、パリ郊外に新しくつくられた町を物語の舞台に選んでいます。若い女性たちの暮らしを描くこのシリーズで、新しい町の風景も記録されているのです。

「四季の物語」と晩年(1990〜2010年)

3つ目のシリーズが、1990年から1998年にかけてつくられた「四季の物語(Contes des quatre saisons)」です(ブリタニカ百科事典)。春、冬、夏、秋の4作から成ります。

話邦題原題年
1春のソナタConte de printemps1990年
2冬物語Conte d’hiver1992年
3夏物語Conte d’été1996年
4恋の秋Conte d’automne1998年

※ 年は日本大百科全書の監督作品一覧による。ただし『冬物語』はロザンジュの作品ページの公開日(1992年1月29日)に合わせた(同全書は1991年。ロザンジュの製作年も1991年)。

『春のソナタ』(1990年)

シリーズの1作目『春のソナタ(Conte de printemps)』は、1990年4月4日に公開されました(ロザンジュの作品ページ)。ふたつのアパートの鍵を持ちながら、なぜか眠る場所がないと感じているジャンヌと、父親の留守がちなパリのアパートに暮らすナターシャ。パーティーで出会ったふたりは、数日のあいだ離れがたい友人になります。ロザンジュによると、1991年のベルリン国際映画祭とニューヨーク映画祭の公式選出作品です。

『冬物語』(1992年)

『冬物語(Conte d’hiver)』は、1992年1月29日に公開されました(ロザンジュの作品ページ)。主人公のフェリシーは、ブルターニュでのバカンス中にシャルルと恋に落ちますが、ささいな言い間違いがもとで連絡が途絶えてしまいます。いまは4歳になる娘エリーズを育てながら、パリのベルヴィルで美容師として働く彼女は、ふたりの男性の間で迷いながらも、娘の父親であるシャルルへの思いを捨てきれずにいます。

この作品は1992年のベルリン国際映画祭で、国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI賞)とエキュメニカル審査員賞を受けました(ロザンジュの作品ページ)。上映時間は1時間54分です。

『夏物語』(1996年)と『恋の秋』(1998年)

『夏物語(Conte d’été)』は1996年6月5日に公開されました(ロザンジュの作品ページ)。ブルターニュの海辺の町ディナールで、夏休みにレナを待つ青年ガスパールが、レストランで働く民族学の学生マルゴ、パーティーで知り合ったソレーヌと出会い、3人の間で心が揺れる物語です。1996年のカンヌ国際映画祭の公式選出作品でした。

シリーズ最後の『恋の秋(Conte d’automne)』は1998年9月23日に公開されました。子どもたちが家を出て、田舎でひとりワインづくりを続ける45歳のマガリのために、友人のイザベルがこっそり交際広告で結婚相手を探し始めます。ロザンジュの作品ページによると、この作品は1998年のヴェネチア国際映画祭で脚本賞を受けました。

エリック・ロメールの3つのシリーズを比べた表。六つの教訓話は1962年から1972年で6作、代表作はモード家の一夜。喜劇と格言劇は1980年から1987年で6作、代表作は海辺のポーリーヌと緑の光線。四季の物語は1990年から1998年で4作、代表作は冬物語。
図:ロメールの3つのシリーズを比べる

晩年の作品と栄誉金獅子賞

「四季の物語」を終えたあとも、ロメールは新しい試みを続けました。2001年の『グレースと公爵(L’Anglaise et le duc)』は、フランス革命後の混乱したパリを生きたイギリス人女性を主人公にした作品です。日本大百科全書は、この作品がデジタル技術を大胆に取り入れながら、ハリウッド的な大作志向とは異なる絵画的な使い方で注目を集めたと書いています。

同じ2001年、ロメールはヴェネチア国際映画祭で、長年の功績をたたえる栄誉金獅子賞を受けました。ヴェネチア・ビエンナーレの公式サイトの受賞者一覧に「2001: Eric Rohmer」とあります。アメリカの公共放送PBSは、半世紀にわたる映画の仕事に対して贈られたと伝えています。

その後、『三重スパイ(Triple agent)』を経て、2007年の『我が至上の愛 〜アストレとセラドン〜(Les amours d’Astrée et de Céladon)』が最後の作品になりました(ブリタニカ百科事典、ブリタニカ国際大百科事典)。

ロメールは2010年1月11日、パリで亡くなりました。89歳でした。PBSによると、その死は、当時レ・フィルム・デュ・ロザンジュを率いていたマーガレット・メネゴーズによって発表されました。

エリック・ロメールの代表作と受賞歴

ここまで紹介した代表作の主な受賞を、表にまとめます。年と賞の名前は、映画祭の公式記録と製作・配給会社の作品ページで確認したものです。

作品年主な受賞・候補
モード家の一夜1969年アカデミー賞 外国語映画賞・脚本賞 候補/ニューヨーク映画批評家協会賞 脚本賞(1970年)
クレールの膝1970年ルイ・デリュック賞
O侯爵夫人1976年カンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリ
美しき結婚1982年ヴェネチア国際映画祭 女優賞/ニューヨーク映画批評家協会賞 外国語映画賞
海辺のポーリーヌ1983年ベルリン国際映画祭 銀熊賞(監督賞)
満月の夜1984年ヴェネチア国際映画祭 女優賞
緑の光線1986年ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞
冬物語1992年ベルリン国際映画祭 国際映画批評家連盟賞・エキュメニカル審査員賞
恋の秋1998年ヴェネチア国際映画祭 脚本賞
(功績に対して)2001年ヴェネチア国際映画祭 栄誉金獅子賞

ロメール作品を楽しむ手がかり

ロメールの映画は、派手な事件がほとんど起こりません。それでも多くの人を引きつけてきた理由を、資料の言葉から3つにまとめてみます。

ひとつ目は、会話です。PBSは、ロメールの映画は会話と語りが中心で、登場人物は恋に悩み、苦しみ、そのことについて語り合うと紹介しています。『モード家の一夜』が一晩の会話でほとんど進んでいくのは、その典型です。

ふたつ目は、恋愛の繊細な観察です。ブリタニカ百科事典はロメールを「恋愛の情熱を繊細に観察した作品で知られる」監督と紹介しています。誰かを好きになる気持ちや迷いを、善し悪しで裁かずに見つめるのがロメールの作品です。

みっつ目は、シリーズという形式です。同じ主題を少しずつ変えながら、6作、6作、4作と作品を重ねていく。一本ずつ見ても楽しめますが、同じシリーズを続けて見ると、主題の変化がよく分かります。

ロメール作品を楽しむ3つの手がかりを示した図。登場人物が恋について語り合う会話と語り、恋愛の情熱の繊細な観察、同じ主題を少しずつ変えて重ねるシリーズという形式の3点。
図:ロメール作品を楽しむ3つの手がかり

ロザンジュは、ロメールの作品を撮影監督たちの協力と、フランス国立映画センター(CNC)の支援を得て修復し、デジタル版として公開しています。同社の説明によると、16ミリや35ミリで撮られた作品を、元のフィルムから、フォーマットや色、フィルムの粒子まで監督の望んだとおりに修復しました。予算がなく後から音声を付けた1950〜60年代の作品の、音と口の動きのずれさえも、作品の一部として残したといいます。

同社は長編24本、短編9本を収めた作品集も発売しています。半世紀以上前の作品が、いまも世界中のスクリーンで上映され続けています。

まとめ

いかがだったでしょうか。今回は、フランスの映画監督エリック・ロメールをご紹介しました。

文学の教師として働きながら映画評を書き、『カイエ・デュ・シネマ』の編集長としてヌーヴェル・ヴァーグを支えたロメールは、1959年の『獅子座』から2007年の『我が至上の愛 〜アストレとセラドン〜』まで、半世紀近く映画をつくり続けました。

「六つの教訓話」の『モード家の一夜』、「喜劇と格言劇」の『海辺のポーリーヌ』と『緑の光線』、「四季の物語」の『冬物語』。どのシリーズでも、会話を通して恋と迷いを見つめるという姿勢は変わりません。気になった作品から、ぜひ一本選んでみてください。

Euphoric " " の視点

ロメールは高校で文学を教えながら映画評を書き、『カイエ・デュ・シネマ』の編集長も務めました。長編第1作を撮った1959年から、初めての商業的な成功となった『モード家の一夜』までには、およそ10年の歳月があります。その間には、テレビの教育番組の仕事に力を注いだ時期もありました。

「六つの教訓話」「喜劇と格言劇」「四季の物語」と、同じ主題を少しずつ変えながら作品を重ねる方法は、その後も変わりませんでした。批評で鍛えた見る力を、一つの形式の中で深め続けたことが、いまも上映され続ける作品を生んだのだと考えます。

自分の方法を信じて続けることは、時間を味方にする確かなやり方なのかもしれません。

作品に触れるには

ロメールの作品は、製作・配給会社レ・フィルム・デュ・ロザンジュが権利を持ち、修復版の上映やソフトの情報を公式サイトで公開しています。上映・発売の状況は時期によって変わるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。

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