【徹底解説】ピエール=オーギュスト・ルノワールとは?光と人々の喜びを描いた印象派の画家の人生と作品を解説!

【徹底解説】ピエール=オーギュスト・ルノワールとは?光と人々の喜びを描いた印象派の画家の人生と作品を解説!

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こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんはピエール=オーギュスト・ルノワールという人物をご存知ですか?

ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir、1841〜1919)は、フランスのリモージュに生まれた画家で、モネやシスレーとともに印象派の中心にいた一人です。木漏れ日の下で踊る人々を描いた『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』や、セーヌ河畔のレストランに集う友人たちを描いた『舟遊びをする人々の昼食』など、人々が楽しいひとときを過ごす場面を、明るい色と軽やかな筆づかいで描きました。

一方でルノワールは、印象派の画風にとどまらず、1880年代にはイタリアの古典に学んで輪郭のはっきりした画風に移り、晩年まで描き方を変え続けた画家でもあります。

本記事ではそんなピエール=オーギュスト・ルノワールの人生と作品についてご紹介します。

ピエール=オーギュスト・ルノワールって?

山高帽をかぶり、厚手のコートを着て腕を組むように座るピエール=オーギュスト・ルノワールの白黒の肖像写真。白いあごひげをたくわえ、こちらを見ている
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1900年頃、撮影者不詳)。Royal Cortissoz『Seven paintings by Renoir』(Durand-Ruel刊)所収、Internet Archive/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

基本情報

本名ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)。オーギュスト・ルノワール(Auguste Renoir)とも表記される
英語・フランス語の表記Pierre-Auguste Renoir(英語でもフランス語の綴りのまま書かれる)
生年月日(没年月日)1841年2月25日〜1919年12月3日
国籍・出身フランス/リモージュ生まれ、パリで育つ。南フランスのカーニュ=シュル=メールで没
学歴10代で磁器の絵付け職人の見習いとなる。1862年にエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入り、エミール・シニョルとシャルル・グレールに学ぶ
分野絵画(人物画・肖像画・風景画・静物画)、晩年は彫刻も
傾向印象派。明るい色と細かく分けた筆づかいで光と動きをとらえる。1881年のイタリア旅行以降は輪郭のはっきりした古典的な画風へ
師事した人物・影響を受けた人物シャルル・グレール(師)。ギュスターヴ・クールベの影響を受け、ラファエロ、ベラスケス、ルーベンス、ティツィアーノを敬愛した。クロード・モネ、アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジールらと交友

ルノワールの息子で映画監督のジャン・ルノワール、ルノワールと親交のあった画家については、以下の記事でも詳しくご紹介しています。

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経歴と作品

リモージュに生まれ、磁器の絵付けから出発する(1841年〜1850年代)

ピエール=オーギュスト・ルノワールは1841年2月25日、フランス南西部の町リモージュに生まれ、パリで育ちました。クリーブランド美術館の解説によれば、ルノワールはリモージュの貧しい仕立て屋の息子で、13歳のときに磁器の絵付け職人の見習いとして画家の道を歩み始めました。

リモージュは磁器の産地として知られる町です。器に花や模様を描く絵付けの仕事は、ルノワールにとって最初の絵の修業になりました。メトロポリタン美術館の解説も、ルノワールの画家としての出発点を磁器の絵付けとしています。

グッゲンハイム美術館の解説によれば、ルノワールはその後も数年間、商業的な絵の仕事に携わりました。

ルーヴルで学び、グレールのアトリエへ(1860年〜1863年)

職人として働くうちに、ルノワールは本格的な画家になりたいという思いを強めていきます。メトロポリタン美術館の解説によれば、1860年からルーヴル美術館で名画の模写を始めました。

1862年、ルノワールはエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入り、1年間、エミール・シニョルとシャルル・グレールのもとで学びます。グレールの私塾で出会ったのが、クロード・モネ、アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジールでした。4人は連れ立ってフォンテーヌブローの森へ出かけ、戸外で絵を描くようになります。ただしメトロポリタン美術館は、ルノワールがいつも人物画と肖像画に心を寄せ続けていたと書いています。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、ルノワールが師のグレールに「絵を描くことが楽しくなかったら、私はきっと描いていないでしょう」と言って驚かせたという逸話を伝えています。人々の楽しいひとときを描き続けたルノワールらしい言葉です。

サロンへの挑戦と最初の肖像画(1864年〜1868年)

グッゲンハイム美術館の解説によれば、1864年、ルノワールが初めて官展のサロンに送った作品が入選し、肖像画の注文も受けるようになりました。翌1865年には、フォンテーヌブローの森に近いマルロットの村を訪れ、以後たびたび夏を過ごします。このころ画家ギュスターヴ・クールベとも出会い、メトロポリタン美術館によれば、初期の作品はクールベの土の色を思わせる色づかいから強い影響を受けました。

『ロメーヌ・ラコー』(1864年)

1864年の『ロメーヌ・ラコー』は、クリーブランド美術館が「ルノワールの最も早い署名入りのカンヴァスかもしれない」と紹介している作品です。灰色の服に白いブラウスを重ねた少女が、ひざの上に赤い花を抱いて椅子に座り、まっすぐこちらを見つめています。背景のカーテンには淡い光が差し、少女の顔と白い袖がやわらかく浮かび上がっています。若いルノワールが、すでに肖像画の腕を確かに身につけていたことがわかる一枚です。

ピエール=オーギュスト・ルノワール『ロメーヌ・ラコー』(1864年)。灰色の服に白いブラウスの少女が赤い花をひざに抱いて座る肖像画
ピエール=オーギュスト・ルノワール『ロメーヌ・ラコー』(1864年)油彩・布、クリーブランド美術館/出典:Wikimedia Commons(クリーブランド美術館のオープンアクセス画像、CC0)

グッゲンハイム美術館は、ルノワールの作品が1870年代の初めまで、ときおりサロンに入選したと記しています。

モネと描いたラ・グルヌイエール(1869年〜1873年)

印象派の画風が生まれる大きなきっかけになったのが、1869年の夏です。メトロポリタン美術館によれば、ルノワールはパリ郊外のセーヌ河畔にある舟遊びと水浴びの行楽地ラ・グルヌイエールで、2か月にわたってモネと並んで絵を描きました。二人は、太く粗い筆づかいと明るくした色で、木々の間から差し込む日の光が揺れる水面にきらめく様子をとらえようとしました。同館は、この制作がのちの印象派の美学の誕生をうながしたと解説しています。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーも、1869年にルノワールとモネがセーヌ河畔で一緒にスケッチをし、ルノワールがより明るい色を使うようになったと書いています。同じ年、グッゲンハイム美術館の解説によれば、ルノワールはポール・セザンヌ、作家エミール・ゾラ、写真家ナダールらとも知り合いました。

『ポン・ヌフ、パリ』(1872年)

1872年の『ポン・ヌフ、パリ』は、パリのセーヌ川にかかる古い橋ポン・ヌフを、高い位置から見下ろして描いた作品です。白い雲の浮かぶ青空の下、日差しを浴びた橋の上を、たくさんの人や馬車が行き交っています。人物は細かな筆の点で描かれ、街のにぎわいと明るい光が画面いっぱいに広がっています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール『ポン・ヌフ、パリ』(1872年)。青空の下、日差しを浴びたポン・ヌフを人々や馬車が行き交う
ピエール=オーギュスト・ルノワール『ポン・ヌフ、パリ』(1872年)油彩・カンヴァス、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントン)/出典:Wikimedia Commons(Google Art Project、パブリックドメイン)

1872年には画商ポール・デュラン=リュエルと出会い、モネとともに画家ギュスターヴ・カイユボットを訪ねています。デュラン=リュエルは、のちに1883年、ルノワールの個展を開くことになります。

印象派展の始まり(1874年〜1877年)

メトロポリタン美術館によれば、1870年代の初めにいくつかの作品がサロンで落選したのち、ルノワールはモネとともに、独立した芸術家の団体をつくることを決めました。グッゲンハイム美術館の解説によれば、ルノワールは1873年の落選者展に参加し、1874年には第1回の印象派展に出品しています。その後、1876年の第2回、1877年の第3回、1882年の第7回にも参加しましたが、残る4回には出品しませんでした。

当時の暮らしは楽ではありませんでした。1875年には、ルノワールたち印象派の画家が、パリのオテル・ドゥルーオで自分たちの作品の競売を開いています。

メトロポリタン美術館は、この時期のルノワールが、ふつうの人々や街、身のまわりの風景といった現代の生活に目を向けたと解説しています。

『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876年)

そうした時期の代表作が、1876年の『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』です。メトロポリタン美術館は、この作品をこの時代の最も象徴的な絵と呼び、モンマルトルで語らい、飲み、踊る若者たちの上で、木漏れ日がちらちらと揺れる様子を探った作品だと紹介しています。

画面の手前では、ベンチやテーブルを囲んだ人々が話に花を咲かせ、その奥では大勢の男女が踊っています。黒い上着や縞模様のドレスの上に、木の葉を通した光が明るい斑点となって落ち、人々のざわめきまで聞こえてきそうです。

ピエール=オーギュスト・ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876年)。木漏れ日の下でテーブルを囲む人々と踊る男女
ピエール=オーギュスト・ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876年)オルセー美術館(パリ)/出典:Wikimedia Commons(Google Art Project、パブリックドメイン)

『じょうろを持つ少女』(1876年)

同じ1876年には、『じょうろを持つ少女』も描いています。花の咲く庭の小道に、青い服を着て赤いリボンを髪につけた幼い少女が立ち、小さなじょうろを手にしています。まわりの花や草は細かな筆のタッチで描かれ、少女の姿が光にあふれた庭の中にやわらかく溶け込んでいます。

ピエール=オーギュスト・ルノワール『じょうろを持つ少女』(1876年)。花の咲く庭の小道に、青い服に赤いリボンの少女がじょうろを持って立つ
ピエール=オーギュスト・ルノワール『じょうろを持つ少女』(1876年)油彩・カンヴァス、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントン)/出典:Wikimedia Commons(Google Art Project、パブリックドメイン)
ルノワールと印象派展のかかわりを5段階で示した図。1873年に落選者展に参加し、1874年の第1回印象派展、1876年の第2回、1877年の第3回、1882年の第7回に出品した。
図:ルノワールと印象派展

ルノワールの技法と色づかい

印象派の時代のルノワールは、どのような絵の具と技法で光を描いていたのでしょうか。ロンドン・ナショナル・ギャラリーの解説から見ていきます。

『The Skiff(La Yole)』(1875年頃)

セーヌ川に浮かぶオレンジ色の小さなボートに、二人の女性が乗っています。奥には白い帆の帆船、川辺の邸宅、鉄橋を渡る蒸気機関車が見えます。同館によれば、場所はパリ中心部から西へ約16キロのシャトゥー付近と考えられ、当時は舟遊びで人気の行楽地でした。制作年は長く1879〜1880年とされてきましたが、同館は1875年に描かれた可能性が高いとしています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール『The Skiff(La Yole)』(1875年頃)。青い川面に浮かぶオレンジ色のボートに二人の女性が乗り、奥に帆船と川辺の家が見える
ピエール=オーギュスト・ルノワール『The Skiff(La Yole)』(1875年頃)油彩・カンヴァス、ロンドン・ナショナル・ギャラリー/出典:Wikimedia Commons(ロンドン・ナショナル・ギャラリーの画像、パブリックドメイン)

同館は、この絵の技法をくわしく解説しています。ルノワールはカンヴァスの大部分に白い絵の具で下地を塗り、全体を明るい調子にしました。そのうえで、混ぜ合わせない鮮やかな絵の具をチューブから直接使い、黒や土の色は使っていません。使った絵の具は、鉛白(白)とほかに7色の強い色だけで、その多くは当時新しく手に入るようになったばかりの顔料でした。

とくに目を引くのが、ボートのオレンジと川の青の対比です。同館によれば、1839年にフランスの化学者ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールがまとめた色彩の理論では、青とオレンジは補色の関係にあり、並べるとお互いの鮮やかさが増します。ルノワールはこの効果を意図して使い、夏の日の暑さと光を表しました。

肖像画で得た成功(1878年〜1880年)

ルノワールの暮らしを支えたのは肖像画でした。メトロポリタン美術館によれば、ルノワールの肖像画は、急進的な考えを持つ菓子職人ウジェーヌ・ミュレから、裕福な社交界の婦人ジョルジュ・シャルパンティエ夫人まで、新しい芸術に理解のあるさまざまな依頼主を引きつけました。グッゲンハイム美術館によれば、1878年から1883年まで、ルノワールは毎年サロンに出品しています。

『シャルパンティエ夫人と子どもたち』(1878年)

なかでもメトロポリタン美術館が最も見事で意欲的な肖像画の一つと呼ぶのが、1878年の『シャルパンティエ夫人と子どもたち』です。黒いドレスの夫人がソファに座り、そのそばで水色の服を着た二人の子どもが、大きな犬に寄り添っています。背景の壁や調度には、華やかな装飾が描き込まれています。

同館は、この絵が現代的なくつろいだ親しみやすさと、古い巨匠の肖像画のような構図のきびしさを両立させていると解説しています。また、シャルパンティエ家の日本美術への先進的な好みも、はっきりと描き込まれています。肖像画は、とくにこの絵が1879年のサロンで大きな成功を収めてから、ルノワールを経済的に支えるようになりました。ルノワールはシャルパンティエ夫人の家で、のちの重要な依頼主となる銀行家ポール・ベラールとも出会っています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール『シャルパンティエ夫人と子どもたち』(1878年)。黒いドレスの夫人がソファに座り、水色の服の子ども二人が大きな犬に寄り添う
ピエール=オーギュスト・ルノワール『シャルパンティエ夫人と子どもたち』(1878年)油彩・カンヴァス、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン。メトロポリタン美術館の作品ページを出典とする画像)

経済的な余裕を得たルノワールは、新しい方向を探り始めます。メトロポリタン美術館によれば、ルノワールは印象派の美学がいつまでも通用するかに疑いを抱き、次の印象派展(1879年の第4回)には参加しませんでした。そして、構成と技と永続性を備えた芸術を求めて、古い巨匠たちに目を向けたのです。

川辺のテラスに集う人々(1880年〜1881年)

メトロポリタン美術館は、この新しい方向で描かれた最初の作品として、『舟遊びをする人々の昼食』を挙げています。『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』と比べると、人物の描き方と空間の中での置き方に、新しい確かさと明快さが見られるといいます。

『舟遊びをする人々の昼食』(1880〜1881年)

セーヌ河畔のレストランのテラスで、日よけの下に集まった人々が、食事のあとのひとときを楽しんでいます。所蔵するワシントンのフィリップス・コレクションによれば、モデルの多くはルノワールの友人で、ほとんどの人物が特定されています。椅子に後ろ向きにまたがって座る画家カイユボット、グラスを傾ける女優エレン・アンドレ、シルクハットの銀行家シャルル・エフリュシ、コメディ・フランセーズの人気女優ジャンヌ・サマリーなどの姿が描き込まれています。

同館は、この絵が人物画、静物画、風景画という伝統的な構成を一つの画面にまとめた、非常に緻密な構成の作品だと解説しています。テーブルの上のグラスや果物、手すりの向こうに広がる川辺の景色と、一枚の中にいくつもの見どころがあります。

ピエール=オーギュスト・ルノワール『舟遊びをする人々の昼食』(1880〜1881年)。日よけの下のテラスで、テーブルを囲んで語らう男女
ピエール=オーギュスト・ルノワール『舟遊びをする人々の昼食』(1880〜1881年)油彩・カンヴァス、130.2×175.6cm、フィリップス・コレクション(ワシントン)/出典:Wikimedia Commons(Google Art Project、パブリックドメイン)

フィリップス・コレクションの創設者ダンカン・フィリップスは、1923年にこの作品を手に入れました。同館によれば、フィリップスはこの絵を「世界で最も偉大な絵画の一つ」と呼び、今では同館で最も多くの人が訪れ、語られる作品の一つになっています。

『二人の姉妹(テラスにて)』(1881年)

翌1881年の『二人の姉妹(テラスにて)』も、川辺のテラスを舞台にした作品です。赤い帽子をかぶり紺色の服を着た若い女性と、花飾りの帽子の幼い少女が、手すりの前に並んでいます。手前には色とりどりのものを入れたかごが置かれ、背後には緑の木々と川の景色が広がっています。人物はくっきりと描かれる一方、背景の木々は軽やかな筆づかいのまま残されています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール『二人の姉妹(テラスにて)』(1881年)。赤い帽子の若い女性と花飾りの帽子の少女が、川辺のテラスに並ぶ
ピエール=オーギュスト・ルノワール『二人の姉妹(テラスにて)』(1881年)油彩・カンヴァス、シカゴ美術館/出典:Wikimedia Commons(Google Art Project、パブリックドメイン)

旅とイタリアの古典(1880年代)

グッゲンハイム美術館の解説によれば、ルノワールは1881年から1882年にかけてアルジェリアとイタリアを訪れました。メトロポリタン美術館は、ルノワールが「古代の画家たちの壮大さと簡潔さ」を学ぶためにイタリアへ向かい、ラファエロとポンペイの壁画に心を奪われて帰ってきたと書いています。その結果、人物はくっきりとした輪郭を持ち、彫刻のような量感をたたえるようになりました。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、1880年代のルノワールはイタリアのほか、オランダ、スペイン、イギリス、ドイツ、北アフリカも旅し、ラファエロ、ベラスケス、ルーベンスの作品を深く敬愛しました。同館は、1881年のイタリア旅行のあと、ルノワールの画風がより線的で古典的なものに変わったと解説しています。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、ルノワールはのちに画商アンブロワーズ・ヴォラールに、「私は印象派の行き着くところまで来てしまい、描くことも素描することもわからないという結論に達しつつあった。ひと言でいえば、行き詰まっていた」と語っています。ルノワールは「美術館の教え」を求め、とくに新古典主義の画家アングルの素描を深く敬愛しました。イタリアでは、ローマのヴィラ・ファルネジーナにあるラファエロのフレスコ画と、ナポリで見た古代ローマの壁画に心を動かされています。

『雨傘』(1881年頃〜1886年)

この画風の変化を一枚の中に見ることができるのが、ロンドン・ナショナル・ギャラリーの『雨傘』です。パリの通りで、十数本の傘が画面の上部を覆い、その下に6人の主な人物が並んでいます。同館によれば、この絵はおよそ4年の間をあけて2段階で描かれました。最初の段階(1880〜1881年ごろ)に描かれた右側の母親と二人の娘、中央で傘を開く横顔の女性は、羽のように軽い筆づかいの印象派らしい描き方です。一方、2段階目(1884〜1885年)に仕上げた左側の、かごを持つ若い女性とその後ろの男性は、はっきりした輪郭と立体感で描かれています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール『雨傘』(1881年頃〜1886年)。たくさんの傘の下、かごを持つ女性や輪回しの輪を持つ少女がパリの通りに立つ
ピエール=オーギュスト・ルノワール『雨傘』(1881年頃〜1886年)油彩・カンヴァス、ロンドン・ナショナル・ギャラリー/出典:Wikimedia Commons(ロンドン・ナショナル・ギャラリーの画像、パブリックドメイン)

同館によれば、いったん脇に置いていたこの絵を仕上げるきっかけになったのは、1886年4月にニューヨークで開かれる予定の印象派の大きな展覧会でした。

1883年には、デュラン=リュエルが個展を開きました。同じ年、ルノワールはイギリス海峡のジャージー島とガーンジー島を訪ね、南フランスのレスタックにセザンヌを訪ねています。ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、ガーンジー島には1883年の9月から10月にかけて6週間滞在し、モラン・ユエ湾の浜辺や岩場を描きました。このころのルノワールは、ほとんどを戸外で描き上げる印象派のやり方から離れ、現地で油彩のスケッチを描き、仕上げの絵はアトリエで描くという、より伝統的な方法に戻ろうとしていました。

1880年代後半から1890年代の初めにかけて、メトロポリタン美術館によれば、ルノワールの古い巨匠への探求は、線を重んじる古典主義から、ティツィアーノやルーベンスの色彩の伝統、そして18世紀フランス美術の官能的な美しさへと移っていきました。

ルノワールの画風の移り変わりを3つの時期で示した図。1870年代は明るい色と細かな筆づかいの印象派、1881年のイタリア旅行以降は輪郭のはっきりした古典的な画風、1880年代後半からはティツィアーノやルーベンスに学んだやわらかな色彩へと変わった。
図:ルノワールの画風の移り変わり

国家からの依頼と評価の確立(1890年代)

グッゲンハイム美術館の解説によれば、1890年、ルノワールは最後となるサロンへの出品を果たしました。1900年にはレジオン・ドヌール勲章(シュヴァリエ)を授けられています。1887年からは、詩人ステファヌ・マラルメとの生涯にわたる交友も始まっています。

『ピアノに寄る少女たち』(1892年)

この時期の最も重要な連作が、ピアノに向かう少女たちを描いた作品です。メトロポリタン美術館によれば、ルノワールはフランス政府から、存命の芸術家の作品を集める新しい美術館リュクサンブール美術館のための絵を依頼され、美術大臣が選べるように、ピアノに向かう二人の少女の絵を5点描きました。同館は、少女がピアノに向かう主題が、18世紀フランスの風俗画、とくにフラゴナールの作品を思わせると解説しています。

オルセー美術館が所蔵する1892年の一枚では、白い服を着た金髪の少女がピアノの前に座り、その肩越しに赤みがかった服の少女が身をかがめて楽譜をのぞき込んでいます。背景のカーテンやピアノの上の花瓶は、やわらかな筆づかいで溶け合うように描かれています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール『ピアノに寄る少女たち』(1892年)。白い服の少女がピアノに向かい、赤い服の少女が肩越しに楽譜をのぞき込む
ピエール=オーギュスト・ルノワール『ピアノに寄る少女たち』(1892年)オルセー美術館(パリ)/出典:Wikimedia Commons(Google Art Project、パブリックドメイン)

南フランスでの晩年と彫刻(1900年代〜1919年)

20世紀に入っても、ルノワールは新しい試みを続けました。メトロポリタン美術館によれば、ルノワールは彫刻に取り組み、若い助手で協力者のリシャール・ギノを雇って、自分の構想にもとづく原型をつくらせました。肖像画も描き続け、ティツィアーノの肖像画に学んだピラミッド形の構図と、温かな赤い色調を持つ晩年の作品を残しています。

この時期、ルノワールはおもに地中海沿岸に近い南フランスで暮らしました。メトロポリタン美術館は、ルノワールが地中海の古典的な理想郷のイメージにも惹かれていたと解説しています。

『Maison de la Poste, Cagnes』(1906〜1907年)

南フランスの町カーニュで描いた小さな風景画『Maison de la Poste, Cagnes』では、明るい日差しを浴びた家並みが、緑の木々の向こうに見えています。縦13センチ、横22.5センチほどの小品で、ナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所蔵しています。オレンジ色の屋根と白い壁、青い空が、すばやい筆づかいでまとめられています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール『Maison de la Poste, Cagnes』(1906〜1907年)。日差しを浴びたオレンジ色の屋根と白い壁の家並みが、緑の木々の向こうに見える
ピエール=オーギュスト・ルノワール『Maison de la Poste, Cagnes』(1906〜1907年)油彩・カンヴァス、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントン)/出典:Wikimedia Commons(ナショナル・ギャラリー・オブ・アートの画像、パブリックドメイン)

メトロポリタン美術館によれば、20世紀の初め、ルノワールは印象派としての仕事だけでなく、妥協のない晩年の作品によっても、近代フランスの最も偉大な画家の一人として称えられました。晩年の作品は、パブロ・ピカソ、アンリ・マティス、アリスティド・マイヨールらにも賞賛されています。

ピエール=オーギュスト・ルノワールは1919年12月3日、南フランスのカーニュ=シュル=メールで亡くなりました。

ルノワールの代表作

本記事で取り上げた作品を中心に、ルノワールの代表作と所蔵館を一覧にまとめます。所蔵は、所蔵館の記録と、所蔵館が提供した画像の記録(Google Arts & Culture など)によります。

制作年作品名所蔵
1864年『ロメーヌ・ラコー』クリーブランド美術館
1872年『ポン・ヌフ、パリ』ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントン)
1876年『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』オルセー美術館(パリ)
1876年『じょうろを持つ少女』ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントン)
1875年頃『The Skiff(La Yole)』ロンドン・ナショナル・ギャラリー
1878年『シャルパンティエ夫人と子どもたち』メトロポリタン美術館(ニューヨーク)
1880〜1881年『舟遊びをする人々の昼食』フィリップス・コレクション(ワシントン)
1881年『二人の姉妹(テラスにて)』シカゴ美術館
1881年頃〜1886年『雨傘』ロンドン・ナショナル・ギャラリー
1892年『ピアノに寄る少女たち』オルセー美術館(パリ)

まとめ

いかがだったでしょうか。ピエール=オーギュスト・ルノワールの人生と作品について、ご紹介してきました。

ルノワールは1841年にリモージュに生まれ、磁器の絵付け職人の見習いから画家の道を歩み始めました。グレールのアトリエでモネ、シスレー、バジールと出会い、1869年にはモネとラ・グルヌイエールで並んで描くなかで、明るい色と軽やかな筆づかいの画風を育てていきます。1874年の第1回印象派展に参加し、『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』や『舟遊びをする人々の昼食』で、人々の楽しいひとときを描きました。

その後、1881年のイタリア旅行を経て輪郭のはっきりした古典的な画風へ、さらにティツィアーノやルーベンスに学んだやわらかな色彩へと、ルノワールは描き方を変え続けます。晩年には彫刻にも取り組み、ピカソやマティスらにも賞賛されました。

「絵を描くことが楽しくなかったら、描いていない」。そう語ったと伝えられるルノワールの作品は、世界各地の美術館で見ることができます。機会があれば、ぜひ実物の前で、光と色の豊かさを味わってみてください。

Euphoric " " の視点

ルノワールは、磁器の絵付け職人の見習いから出発し、モネと並んで描くなかで、明るい色と軽やかな筆づかいで光を描く方法を見いだしました。しかし成功のあとも同じ場所にとどまらず、自ら「行き詰まっていた」と振り返った時期を経て、イタリアの古典に学び、さらにやわらかな色彩へと描き方を変え続けます。

晩年には彫刻にも取り組みました。「絵を描くことが楽しくなかったら、描いていない」と語ったと伝えられるその歩みは、喜びを手放さずに学び直し続けることが、表現を長く豊かに保つ力になることを示しています。

この作品を見に行くには

記事で紹介した作品は、次の館などで公開されています。展示替えがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。

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